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篝(かがり)  作者: 涼玉兎
一 埋み火(うずみび)
6/29

深草の目

 見知らぬ天井が見える。天井、というより、茅葺き屋根の裏側である。古びてはいるが、頑丈そうな太い梁が通っていた。

(どこだ・・・?)

 農村の家屋のようだ。八雲はしばらく、自分の身に何が起こったか思い出せず、ぼんやりと、古びた梁を見上げていた。

 体が重く、だるい。緩慢に首をめぐらすと、棚に並んだ素焼の壷や、木枠の窓から射し込む光、そして、囲炉裏の傍に座る娘が見えた。

 娘がこちらを見た。

「気がついた?」

 笑顔と共に、ぱっと飛び出した声を聞き、八雲はたちまち、全てを思い出した。傷口をそっと探る。布が巻かれている。身じろぎすると、薬草の青臭い香りが、鼻をくすぐった。

 腹と肘に力を込めると、脇腹の痛みが、じんと駆け抜けた。娘が、慌てて傍に寄ってくる。

「まだ起きてはだめ」

 遠慮がちに、肩に手が置かれる。なおも半身を起こそうとすると、今度は娘も、背を支えてくれた。額から、温くなった手拭いが滑り落ちた。

 枕元に、差していた二刀が置かれているのが、目に入る。

(警戒されていないのか・・・?)

 娘は心配そうに八雲を見て、それから、水の入った椀を渡してくれた。ありがたく受け取り、むせないように、ゆっくりと喉を湿らせる。娘はその間、じっと八雲を見守っていた。

「気分はどう?」

 椀を下ろして息を吐くと、娘が尋ねてきた。顔を向けると、澄んだ大きな瞳が、間近に見えた。

 目元の涼しい、八雲より、僅かに年少に見える娘である。背の中頃まで伸ばしたきれいな髪は、結いもせず、流れるに任せている。身に付けている衣は、在り合わせ、という感じだ。先程、椀を差し出した時、左手首に、古風な腕輪を嵌めているのが見えたが、装身具と呼べる物は、そのくらい。

 身を飾る気のないことが、惜しまれる―――そんな娘だった。

 気分は、と問われると、良いとはとても言えない。しかし、半身を起こしていられる程度には、悪くなかった。明言を避け、八雲は、微笑み頷いて見せた。

「助けてくれて、ありがとう。・・・巻き込んでしまって、申し訳なかった」

 動ける範囲で、頭を下げるしぐさをする。

「いいえ、私は何も・・・あの男の人たちを追い払ってくれたのは、銀だし、傷の手当てをしてくれたのは、柳葉(やなぎは)というの」

「だが、君が飛び出して来てくれた。少し、驚いたが・・・」

 あの時、叫び声が響かなければ―――斬っていた。あるいは、斬られていたのだろうか。ぎりぎりを見極めるつもりでいたが、自分で思っているより、出血がひどかった。勝てたにしても、動けなくなっていたであろうことに、変わりはない。

 娘は、ばつの悪そうな顔をした。

「ごめんなさい。皆にも叱られたわ。考えなしに行動するなって」

 八雲は口元を緩ませた。

「おかげで、俺は助かった。・・・俺は、八雲、という」

 偽名を名乗る必要は感じなかったが、姓は伏せておいた。農村の者が、家老の名を知っているかどうかは分からない。しかし、あえて言うこともない。

「八雲、ね。私は、(かがり)

 暗闇を照らす炎。

「・・・良い名だ」

 無理に褒めようという気はなかったのだが、するりと言葉が出た。

「ありがとう」

 篝は、無邪気に笑った。

 その時、がたがたと戸を揺する音がして、小柄な影が入って来た。

「あっ! お前、起きたのか!」

 軽快な足音と、子ども特有の高い声。そちらに目を向けて―――八雲は息を呑んだ。

 上がり込んできた小柄な少年は、裾の短い浅縹(あさはなだ)の衣を纏っていた。活発そうな大きな瞳が、こちらを向いて、きらきらと輝いている。それだけならば、どこにでもいる、村の子どもと変わりない。だが、驚くべきことに、少年の瞳も、くしゃくしゃとした髪も、深草を思わせる、鮮やかな緑色だったのである。

「よかったなぁ篝!」

「ええ。皆のおかげね」

 笑顔で近づいてくる少年に、篝もにこにこと応える。

「大丈夫か? 傷はまだ痛いのか?」

 緑の瞳に覗き込まれて、八雲は思わずのけ反った。

「怪我人が寝てるんだから、ちっとは静かにしな。あんたの声は響きすぎる・・・おや、お目覚めかい」

 少年をたしなめる、ゆったりとした声がした。次に入ってきたのは、若い女だ。彼女は、引きずるほど裾の長い、紫染めの衣に身を包んでいた。農村には、およそ似つかわしくない装いだが、どうでもよくなるほどの、とんでもない美貌である。ゆるく結いあげた、つややかな髪は、濃い藍色。

「ちょっと、様子を見に来たんだ。よかったね、目が覚めて。体を起こしていて平気かい?」

 女は、少年の隣に、優雅に腰を下ろした。長い裾が、重さを感じさせず、ふわりと広がった。微かに、白檀の香りが漂う。

 問いかけた女は、八雲が絶句しているのを見て、くすくすと笑った。

「篝、驚いているみたいだよ」

「え?」

 篝は、きょとんとして、固まっている八雲を見た。

「八雲? どうしたの?」

 すると、緑の髪の少年が言った。

「八雲、っていうのか? おれは、早蕨(さわらび)だ」

 女も笑いながら名乗る。

「あたしのことは、木蘭(もくらん)と呼んでおくれ。悪いねぇ、驚かせて。でも、銀も見られちまったことだし、あんたが起きたら、顔見せようって、皆で決めていたんだ」

「銀・・・」

 八雲は、はっとした。野盗たちの前に、立ちはだかった青年。振り上げられた太刀を、素手で受け止めた。

―――化け物だぁっ!

 ごくりと、唾を飲んだ。先程湿らせたばかりの喉は、とうに乾いていた。

「あなたたちは・・・」

「ご明察。あたしらは、人じゃないよ」

 ようやく、篝も、彼が驚いている訳を悟ったらしかった。

「早蕨たちはね、付喪神なの」

 つくもがみ。

 どこかで聞いたことのある言葉だ。そう、確か、景雪の声で。

―――八雲、付喪神というのを知っているか?

 景雪は、興味があれば、兵法書も御伽草子も、なんでも読み漁る。気になるものを見つけると、八雲によく話した。子どものように嬉々として語る様子が、思い出される。

―――『器物百年の時を経て、力を得、妖と成る。是、付喪神なり』・・・見てみたいものだな。

 付喪神とは、人の手によって作られた様々な道具に、遥かな時をかけて、霊魂が宿った妖であるという。その不思議な出生故か、彼らは、妖でありながら、神と呼ばれる。

 もちろん八雲は、今まで、付喪神に出会ったことなどない。それどころか、彼らが人の姿を取るなど、聞いたこともなかった。景雪も、そんなことは言っていなかったはずだ。

「・・・付喪神とは、人の姿をしているのか? 道具の妖ではないのか」

 景雪の声を思い出したせいか、少し冷静になれた気がした。すると早蕨は、楽しげに笑った。

「道具だよ。例えばね、おれは、風鈴」

 

 突然、子どもの姿がかき消えた。


 りん、と音がした。

 緑青(ろくしょう)に覆われた、古い小さな風鐸(ふうたく)が、八雲の目の前に転がっていた。


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