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篝(かがり)  作者: 涼玉兎
一 埋み火(うずみび)
5/29

邂逅

(血を流し過ぎたな)

 道なき道を進みながら、八雲はぼんやりと思った。森に入れば撒けるだろうかと、淡い期待を抱いたのは、少し甘かったかもしれない。

(いや、少しじゃないか。・・・俺は、甘い)

 人質を取られる前にと、逃げたこと自体は、後悔していないが、やはり背を見せたのはまずかった。走りながら減らして来ているものの、いかんせん、数が多すぎる。おかげで、いくらか傷も作ってしまった。しかも、手にした武器が刀だけでなく、まちまちなのが、なんともやり辛かった。

 と、背後から、何かが飛来する音が聞こえた。

「・・・っ!」

 ほとんど無意識に、八雲はそれを避けた。左耳の脇を、小さいとは言い難い石つぶてが掠め、斜め前にあった木の幹を削る。

「くそっ・・・避けやがった!」

「もう一発くれてやれ!」

 宣言通り、二つ目が投げられる。今度は右。先程より無理な体勢でかわしたせいで、足元がふらつく。―――そこで、背に激痛が走った。

 三投目だ。一瞬息が詰まり、思わず膝をつく。追いつかれた。

「・・・は・・・はぁっ・・・」

 肩で息をしながら、八雲は視線を滑らせる。

(四人残ったか)

 負傷している今では、厳しい人数である。

「ようやく観念したか。手間かけさせやがってよぉ」

 正面に立った男が、下卑た笑みを浮かべ、太刀の切っ先を、八雲の喉元に突きつけた。刃こぼれがひどい。が、殺傷能力が無いわけではない。切れ味が鈍い分、傷口は痛いだろう。

 八雲は、ふーっと深く息を吐き、睨み上げた。顔色が悪い分、眼光の鋭さが際立つ。

「・・・野郎、まだ抵抗する気かよ」

「そろそろ諦めなって。早くその首、俺らにくれや」

 くれてやる気など、さらさらない。諦めが悪いのは、野盗たちの方である。こんな森の中まで、追いかけてくるとは。

「・・・誰に雇われた」

 言うはずもないと思ったが、時間稼ぎも兼ねて、尋ねてみる。金で動く者たちなら、そもそも、雇い主を正確に知っているかどうかも怪しい。

「はっ、聞いてどうする」

「どうせその傷じゃ、もう逃げられねぇって。今、楽にしてやるぜ」

 言われずとも、もう逃げる気はなかった。しかし・・・

(あと四人。もう少しなのに)

 いや、こんな状況になる前に、もっと楽に切り抜けられる方法があるのは、分かっていた。

――――志よりも、まずご自分の身をお考えください!

 普段は穏やかな顔を険しくして、慧四郎が自分を諌める様子を、容易に想像できる。

(兄上、やはり、難しいですね)

 振り上げられた太刀を、八雲はかろうじて受けた。そのまま力で圧し負け、無様にも後ろ向きに、倒れ込んでしまう。

 ああ、限界だ。これ以上は――――

 手加減など、していられない。

 もはや、こちらの身が危うかった。八雲は、緩慢に顔を上げた。眼前の男が、刃を掲げ、怒鳴った。

「死ねっ!」

 歯を食いしばる。迷いを断ち切るように、八雲は柄を握りこみ、そして――――


「やめて――――――――――っ!」


 突如響いた叫び声に、呆気にとられた。極限まで張り詰めていた場の緊張が、一瞬で霧散する。掲げられていた太刀が、ゆるゆると下りた。男たちも、勢いを(くじ)かれて、戸惑っているらしい。

「あぁ!?・・・なんだ小娘、どっから湧いて出やがった!」

 八雲も、その娘を見た。目が合う。彼女はなぜか、真っすぐに、八雲の方を見ていたのだ。青ざめて立ちすくむ娘を見て、八雲は焦った。誰かを巻き込まないために、こんなところまで来たというのに。

「逃げろ!」

 娘に向かって叫ぶ。しかし、彼女の足は、すくんでなどいなかった。娘は、その場の誰もが、予想だにしない行動を取った。

 即ち、八雲の傍へ駆け寄って来たのである。

(な・・・っ!?)

 寸の間、頭が真っ白になる。

「な、なにこれ!? ひどい傷・・・早く手当てしないと・・・!」

 隣に膝をつき、間近に顔を寄せた娘は、目を見開いてそう言った。

「おい、小娘。そこどけ! どかねぇなら」

 男が武器を構え直そうとするのを認めて、八雲は我に返った。左手で、娘の腕をぐいと引く。

「わっ・・・」

 小さく声を上げた娘を背後に庇い、八雲は、柄を握る右腕を叱咤(しった)した。

 その時、ざっと茂みが揺れ、娘と同じ所から、再び人影が現れた。八雲がそちらに目を向ける前に、人影は、野盗たちと八雲の間に、滑り込んで来る。

 思わず、といった体で、男たちが後退った。

 八雲には、その気持ちが分かる気がした。若い男のようだが、その背中からは、武器を持つ者を前にした緊張が、まるで感じられない。闘気も殺気もないのに、この妙な威圧感は、どこから来るのか。

(しろがね)

 娘が呟くのが、背後で聞こえた。信頼の込められた声音だ。

「てめぇも邪魔するってのか?」

「なんだ、その眼の色・・・気色悪ぃ」

「おい見ろ、こいつ丸腰だぜ」

 そう、立ち姿こそ武人のように見えるが、青年は丸腰な上、何の構えも取っていなかった。野盗たちが、途端に勝気を取り戻す。

「森の奥に死体が二つ増えたからって、誰も気にしねぇよなぁ」

 男たちが、低く嗤った。

 どすの利いたその言葉にさえ、青年は表情を変えなかったが、突き出された太刀を見て、僅かに眉を曇らせた。

 脂で濁った、刃こぼれだらけの刀身を一瞥し、短く呟く。

「・・・憐れな」

「はぁ? 何訳分かんねぇこと、言ってやがるっ!」

 ぶんっ、と刃が空気を裂く音。八雲は、何かを叫ぼうとした。青年はしかし、無造作に、腕を掲げただけだった。


 武器も持たず、手甲すら嵌めていない、左腕を。


 次の瞬間、異様な鈍い音が響き、八雲は目を見開いたまま固まった。突然娘が現れた時の驚きなど、もはやどこかへ行ってしまった。

 辺りは静まり返り、自分の荒い息遣いと、どくどくとこめかみを流れる、血の音だけが、いやに大きく聞こえてくる。

 信じ難いことに、その青年は―――袈裟がけに振り降ろされた刃を、苦も無く受け止めて(、、、、、)いたのだ。

 男たちも、足に根が生えたように、動かなくなった。切りかかった者はもちろん、後に続こうと武器を構えていた者たちも、ぽかんと口を開けたまま、青年を見つめている。

 素手としか言いようのない、すらりとした左腕。その腕に、刃が押し当てられている。しかしそこには、傷一つ、血の一滴すら、見受けられないのだ。

 時が止まったかのような静寂の中、青年が、ゆるりと右手を上げた。受け止めている刀身を、またしても、無造作に掴む。血は流れない。太刀を掴まれると同時に、男がひくっと息を呑んだ。

 青年は、静かに一言、言い放った。

()ね」

 その突き刺すような冷たさに、後ろに庇われた格好の八雲でさえ、一瞬、ぞくりと背筋が震えた。

「ひっ・・・こ、こいつ」

「ば、化け物・・・! 化け物だぁっ!」

「ぅあああぁぁっ!」

 青年の一言で、呪縛が解けたかのごとく、男たちは、くるりと向きを変えて、走り出した。足をもつれさせながら、一目散に逃げて行く。

(なんだ・・・この人は・・・?)

 否、人か?

 呼吸は落ち着いてきたが、ひどく全身が重かった。立ち上がりかけた途端、視界が歪んだ。背に手が当てられ、耳元で声がする。

 背を向けていた男が、こちらを振り返った。

(・・・ぎん、いろ・・・?)

 がんがんと鳴る頭でそう思い――――それを最後に、八雲は意識を手放した。



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