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篝(かがり)  作者: 涼玉兎
一 埋み火(うずみび)
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城下にて

 城を囲む武家地を抜けると、庶民の暮らす活気ある町屋が、軒を連ねている。さらに足を延ばせば、田畑が広がる。その境に、職人たちが、屋根を構える一画がある。苑枝の国を東西に貫く紫乃川(しのがわ)の、川べりに立つ一軒の鍛冶屋を、八雲は訪れていた。

 鉄を打つ、かん高い、しかし重みのある音が鳴り響く。八雲は、見送りに出て来た、逞しい体躯の壮年の男に、軽く頭を下げた。

「こんなむさくるしい所には、もう来てくださらんかと思っとりましたよ」

 太い声で、怒鳴るような口調だが、男の表情は温かい。最近、先代の後を継いだ、この鍛冶屋の主人である。

「また、いつでも砥がせていただきますよ」

「ああ、また来させてもらう」

 八雲は微笑んで、腰に帯びた太刀の柄を、するりと撫でた。年若くとも、彼のしなやかな肢体に、二刀はしっくりと馴染んでいた。

 規則正しい鎚の音が響く。暫し耳を傾ける八雲に、刀工の男は、遠慮がちに声をかけた。

「あのう・・・うちのせがれ、呼びましょうか」

 八雲の口元に、先ほどとは異なる、切なげな笑みが浮かんだ。

「・・・いや。修行の邪魔をしては」

 すぐに、その表情はどこかへ消える。

 複雑な顔の主人に、八雲は、ついでの世間話、という風情で尋ねた。

「近頃、大きな黒い獣が出るという噂を聞いたが、知っているか?」

「はぁ。わしは聞いたことありませんがねえ・・・」

「知ってますよ」

 中にいた男が、ひょっこりと丸顔を出してきた。よくここに出入りしている商人で、八雲とも顔見知りだ。男は、人懐こそうな目を瞬かせて言った。

「こないだ、うちのお客が話してたんですがね。その人の知り合いのお百姓が、ある晩、外に出てみたら、見たこともねぇ大きい獣が、家畜を食らってたらしいんですよ。あれは化け物だって騒いでるって、言ってましたねぇ」

「へえ。どこの話だ?」

「この川を、もうちょっと上ってった辺りの話だと思いますがね。・・・何かお調べで?」

「いや、耳慣れないので、少し気になった」

 詮索好きな商人の言葉を、八雲は如才なく笑って受け流した。

「時間を取らせた。ありがとう」

 屈託のない礼を述べ、ではまた、と、八雲は軒先から路へ出て行く。

「お達者で」

 遠ざかる背を見送りながら、二人の男は、しみじみと言った。

「なんつうか、律儀な若様だわなぁ」

「まったく」




 鎚の音が響く。

 それを背中に聞きながら、八雲は紫乃川沿いに、川上の方へ歩いて行く。

 ここ十日ほど、噂を集めるにつき、獣の妖は、作り話ではなく、どうやら本当に出没しているらしい。

(町民の中では、少しずつ広まっている。・・・それだけ、現れる回数も増えているのか?)

 この辺りでは、少し尋ねるだけで、先程の商人のように、知っていると返ってくる。不安がる者が出てくるのは、時間の問題かと思われた。

 日が落ちるには、今少し早い。足を延ばしてみることにする。それに、要件はともあれ、一人で城下を歩けるのは、良い気分だった。

 あの鍛冶屋には、自然と足が向いていた。刀を研いでもらうというのは、言ってみれば口実だ。主人も分かっているのだろう。鎚の音はもう、喧騒に紛れて、判別できなくなっていた。代わりに、夕べ父に呼ばれ、告げられた言葉が、またもや耳の奥で響いた―――

(・・・しまった)

 とりとめのない思考を中断し、八雲は表情には出さずに、ほぞを噛んだ。

 いつの間にか、囲まれている。

(俺が狙いか? しかしなぜ・・・?)

 家老の息子とはいえ、元服して間もない八雲自身には、大した権限などない。主である景雪が狙いなら(そもそも、三男を狙う理由もないが)、八雲ではなく、直接彼の方に働きかけるだろう。心当たりがない。

 行き来する人々に紛れて、数が掴みにくい。しかし今や、不穏な気配が、ぴりぴりと肌を刺している。柄に乗せていた左手を、そっと鞘の方へ滑らせる。細い路地から、足早に出てきた男が、八雲にぶつかりよろめいた、ように見えた。

 きんっ!

 突き出された小刀を、太刀の柄で弾く。鳩尾を膝で蹴り上げると、男は呻いてくずおれた。背後に迫っていた仲間の腹を、抜き放った刀で、浅く薙ぐ。

「ぎゃっ」

 ぱっと鮮血が飛ぶ。周囲で悲鳴が上がった。まだ夕刻だ。多くはないが、行き交う人々が、そこここに居る。

 どこから湧いてくるのか、人相の悪い男たちが、群がって来ていた。洗練された刺客ではない。しかし、八雲が標的であることは明らかだ。温厚な目に、鋭い光が灯る。

(十五・・・二十・・・いけるか?)

 眉をひそめた時、横合いから、奇声と共に棍棒が振り下ろされる。首を傾けて避けると、耳元で風が唸った。相手の腕に斬りつける。ひるんだ隙に、川へ蹴り込む。

 ばしゃん、と派手な水音が上がった。次は―――と見回すと、道の端に、幼い童が茫然と立っているのが、目に入る。すると、近くにいた男が、その子に向かって、手を伸ばしかけた。

 胸の奥が冷える。

(人質を取る気か!)

 瞬間、八雲は身を翻していた。

「野郎! 追え!」

 怒号と悲鳴の中、彼は、城下の外へ向かって駆け出した。

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