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篝(かがり)  作者: 涼玉兎
一 埋み火(うずみび)
3/29

(あやかし)、ですか」

 八雲(やくも)は、何と相槌を打つべきかわからず、耳にした言葉を繰り返した。今年で十七になる、すらりとした体躯の若者である。温厚な光を湛えた目に、すっと通った鼻筋。眉は凛々しく、なかなかに、見られる顔立ちをしている。しかし、端正な顔は、今は微妙に困惑していた。

「そうだ。噂では、禍々しい気を纏った、大きな獣のようだが、はっきりと姿を目にした者は、まだおらぬのだと。給仕の者たちに、そう聞いた」

「被害は、出ているのでしょうか?」

「怪我人が数人、ということだがな。噂には、尾ひれが付くものだ。・・・しかし、人を襲う妖とは、険呑な噂だと思わぬか? 飢饉を抜けて以来、その類の話は、聞かなくなったのだがなぁ」

 飢饉というのは、十五年ほど前、本国を襲った大飢饉を指している。戦に疲弊した国は、不作に見舞われ、妖魔が蔓延り、多くの死者を出した。収束の兆しが見えた当時、八雲は未だ二歳。実体験として思い出すことはないものの、その記憶は身近だ。

「せいぜい、袖を引かれて振り向いたら、誰もいなかったとか、気付いたら同じ場所をぐるぐる廻っていて、夜が明けたとか、人気のない古家から、宴の音が聞こえたとか・・・これまで噂になったのは、実害のないものばかりだ。人を襲う妖魔は、このところ、記録にない。飢饉以前まで遡れば、出てくるであろうがな」

「それを調べていらしたのですか」

 八雲は、文机の上にぽんと置かれた書物を、納得して見遣った。

「時間があったのでな」

 書の横に頬杖をついた男が、闊達に笑った。二十四になる男の名は、樟井(くすい)景雪(かげゆき)。この苑枝(そのえ)の国を治める城主、樟井義景(よしかげ)の三男である。そして、八雲が近侍として仕えるようになって、じき一年となる、主であった。

 三男であるから、彼が城主の座に着くということは、よほどのことがない限り、ないと言って良い。しかし、景雪は、野心のない性分なので、中途半端な立場に不平を言うどころか、喜んでいる節があった。武芸は最低限をこなすのみだが、書を好み、没頭することが多い。要するに、(いとま)があるのだった。

「で、どう思う?」

 意見を求められ、八雲は一寸考えて答える。

「平時には現れないはずの妖魔が、現れるということは、何かの前触れ、なのでしょうか」

 景雪が頷いた。

「古来、悪しき妖魔が現れるのは、災厄の兆し・・・大陸の方では、国が傾く前触れとされている。まぁ、どちらが先かは、分からぬがな。災害や悪政によって、人心が荒んだ地を、妖魔は好み、寄って来るのだという見方もある。私は、こちらの方が、理に適っていると思うが・・・。何にせよ、あまりよろしくない噂だということだ」

「景雪様、私には今、本国の人心が荒んでいるとは、思えませぬが・・・」

「私も思わぬ。だが、私はあまり、城下を知らぬし」

「それに、噂の真偽も定かではないのでしょう」

「そうなのだ。それでな、八雲」

 景雪は、頬杖を解いて身を起こした。

「お前、真偽の程を、見定めてきてくれぬか」

「は・・・」

 返事はしたものの、八雲は少々面食らった。

「急げとは言わぬ。お前も、気ままに城下をふらついて良い立場でないことは、分かっている。・・・ただ少々、気になるのでな。火種が小さいうちに、手を打てれば、父や兄達が煩うこともない」

 思案気に続けられた言葉を聴いて、八雲は主の考えを理解した。戦と飢饉から、ようやく立ち直ったこの国に、災厄の前兆が現れれば、民も不安に思うはずだ。(まつりごと)に不信を抱く者も、出るかもしれない。

 国政に携わる者には目の届きにくい、小さな小さな綻び。大きな穴になる前に、人知れず繕う。景雪だからこそ、気付ける綻びだ。

(この方は、不自由な立場で、それでも己にしかできないやり方で、国を守ろうとなさっている)

 三男であっても、確かに城主の子息なのである。

 八雲はすいと頭を下げ、改めて返事をした。

「承りました」

「ん。まだ、騒ぎ立てたくはない。根も葉もない噂と分かれば、それまでで良い。その場合、お前にとっては、徒労になってしまうが」

「いえ。しかし、もし真であれば、私がその妖を退治できるかは、保証しかねます」

「そうだなあ。・・・まあ、それは」

 景雪は再び文机に肘をつき、朗らかに言った。

「真だと分かったら、考えよう」




「・・・というわけなんだが」

 八雲は、半歩後ろを歩く長身の男を、ちらと振り返った。勤めを終えて、城から自宅へ帰る途中である。男は、少し思案する素振りを見せた。

「・・・数日前に、どこぞで、大きな黒い獣が出たらしい、と聞いた覚えがあります。人を襲ったという話は、初耳ですが・・・関わりがあるかもしれませぬ」

 八雲と十ほど年の離れたこの男は、菱木(ひしぎ)慧四郎(けいしろう)という。大柄とは言えないまでも、逞しい体躯に、精悍な顔つきをしており、いかにも武人然とした、八雲の側近である。低い声は穏やかで、口調も丁寧だ。しかし、ゆったりとした佇まいのこの男が、刀を抜けば、肌を刺すほどの鋭い気を纏うことを、八雲は知っていた。

「そうか。慧は聞いているのか・・・俺が知らないだけで、広まっているのか?」

「いえ、そうでもないと思いますが。私も、ちらりと耳にしただけですし。それが妖だというのも、聞いておりませぬ」

 景雪の言った通り、彼の耳に入るまでに、尾ひれが付いた可能性は、十分ある。

「・・・慧、すまないが」

 物言いたげな若い主に向かって、慧四郎はふっと微笑んだ。

「もちろん、我らも微力ながら、尽力致しますよ、若。私が噂を聞いた者にも、詳しい話を訊いてみます」

「ああ、頼む」

「承知」

 話しているうちに、二人はある武家屋敷に着き、門をくぐる。お帰りなさいませ、若、という声が、進むごとに、方々から聞こえてきた。

 三男といえども、国主の子息の、直近に仕える彼もまた、身分低き者ではない。城主、樟井義景を支える三家老の一人、朝桐(あさぎり)常盤(ときわ)の、次男。

 しかし、二年ほど前から、朝桐八雲は、次男ではなくなっていた。

 朝桐家を継ぐはずだった、八雲の兄、北斗(ほくと)は、妻子を残してこの世を去った。享年二十二。皆が惜しんだ、急逝であった。

 自室に戻った八雲は、軽く息を吐いた。

「・・・いい加減、慣れろ」

 自身に向かって、小さく呟く。兄が亡くなったのは、もう随分と前のような気がする。つい、この間のような気もする。母は、八雲が幼い頃に病没し、父は多忙。自然、兄は八雲を何かと気にかけ、八雲も、それは慕っていた。七つ年上の兄の背を追いかけ、いつの日か、彼の助けとなることを夢見た。

 それは、不意にかき消えてしまった。

 以来、八雲の周囲は、めまぐるしく変わった。兄の乳兄弟であり、兄に仕えていた慧四郎は、八雲に付くようになった。喪が明けて元服し、登城するようになった八雲は、生前兄が主と仰いだ、景雪の元に、仕えることとなった。

(兄上。俺は、あなたのようになりたかった。けれど・・・あなたになりたかったわけじゃない)

 兄を支えるために、在りたかったのに。

 八雲は、ゆるゆると頭を振って、やるかたない考えを追い出した。他に、考えねばならないことがある。

 (くだん)の、獣の妖。

 妖の類の話は、畑違いではあるが、些細なことでも、自分が主の役に立てるなら、嬉しかった。もしかすると、景雪様は、俺の気が紛れるようにという思惑もあって、あんなことを命じられたのかもしれないな、とちらりと思った。ほんわりとしているようでいて、人の心の機微に聡いお方なのだ。仕えるようになって、分かってきたことだった。


 八雲も、そして綻びに目を留めた景雪も、その綻びが、国を揺るがす重大なことに結び付いているとは、未だ知る由もなかった。



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