若君と刀鍛冶
篝は、八雲が家老の子息と知ってもなお、変わりなく「八雲」と呼ぶ。
かつては自分も、そう呼んでいた。―――つい一年前の、あの日までは。
忘れもしない。八雲が元服して、久方ぶりに鍛冶場に顔を見せた、あの日。
―――おめでとうございます、若様。
八雲は、引っぱたかれたような顔をした。しかし、一瞬でその表情をかき消して、彼は、「若様」の顔で微笑んだ。
―――ありがとう。
その表情を見た時に、自分は間違えたのだと悟った。
城に上がるようになる若君に、職人風情が、友人面をしてはいけないのだと、子どもの戯れは終わったのだと、自分に言い聞かせたつもりだった。
結果、彼を突き放し、傷付けたのは自分の方だ。―――兄を亡くしたばかりの彼に、追い打ちをかけるかのように。だが、一度こちらから引いてしまった線を、どうすればいい。
もやもやとした思いを抱えながら、伊折は結局、篝の真っすぐな懇願にほだされ、結に押し切られ、明くる日の夕刻、朝桐の武家屋敷の門を叩いたのだった。
「父、草加重吉郎の名代で、参りました。伊折と申します。若君にお会いしたいのですが」
父が、最近祖父から受け継いだ号を出して、内心ひやひやしながら名乗ると、屋敷へ入れてもらえた。畳の部屋に通されて、恐縮しながら八雲を待つ。
父の名代で、というのはもちろん方便だったが、八雲はすぐに部屋へ来てくれた。一人で訪ねて来てくれるとは珍しいな、と驚く八雲に、伊折は突然の来訪を詫びた。
「篝を知っているのか?」
反応が大きくて驚いた。
「俺の、許嫁の家にいるんです。それで、知り合って」
「どこだ。無事か?」
勢い込んで尋ねられ、慌てて頷く。家を焼け出されたという話は、本当らしい。
「矢田町の、二本目の通りの、千鳥屋っていう組紐屋です。元気にしてましたよ」
「そうか」
八雲は、安堵の表情で息をついた。この分だと、預かり物は、必要なかったかもしれない。
「あの・・・もし、分からないようだったら、これを渡してくれと、言われました。要らなかったみたいだが」
八雲の前に、篝から預かっていた扇を置く。紫色の上品な扇だが、若い娘が持つには、少し古びているという気がする。八雲はそれを見て、何かに思い当たった顔をした。
「報せてくれて、ありがとう。捜していたんだ。・・・あちらから、見つけてもらえるとは、思わなかった。朝桐を名乗らなかったのに」
複雑な表情の八雲を見て、息が苦しくなる。―――彼が、姓を名乗らなかった理由を、勘繰ってしまう。
伊折は、汗ばむ拳を握りしめた。迷う心を奮い立たせて、口を開く。
「・・・八雲!」
自分で思っていたより、大きな声が出た。目を瞠った八雲に向かって、そのままの勢いで、頭を下げる。
「すまなかった! あの時は・・・いや、あの時から、今までずっと、すまなかった!」
―――とても大切な物だと言っていたわ。
それが本当なら、八雲の方も、伊折と同じようなつもりで、受け取ってくれていたに違いない。
「篝ちゃんが、小刀を持っていた! 八雲から預かった、大切な物だと。あれは」
「あれは、お前にもらった物だ」
八雲が静かに、後を引き継いだ。
「・・・ずっと、持っていたのか。あんな物」
名家の子息が、あんな、無骨で未熟な小刀を。
しばし無言の時が流れ、伊折の額から、冷や汗が滴った。自分は、また、間違ってしまったのだろうか。
「わりと使い勝手がいいんだ。ちょうど、手に馴染む大きさで」
顔を上げると、八雲にしては珍しく、端正な顔に、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「八雲・・・」
「あれを見て、俺だと分かったのか。縁とは不思議なものだな、伊折」
八雲が笑う。
如才ない若様の顔ではなく、心からの笑顔で。
・・・思わず、頬が緩んだ。
「伊折、日取りは?」
「え?」
「結婚するとは、聞いていなかったぞ。式はいつだ。祝いの品でも贈りたい」
「い、いや、それは」
「遠慮するな、ちょっとした物だ。―――友人なら、構わないだろう」
*****
伊折が去って、人の気配がなくなると、八雲は、目の前に置かれた扇に、視線を落とした。確信を持って口に出す。
「・・・木蘭」
瞬きひとつの後、扇のあった場所に、紫染の衣を纏った女が座していた。
「あんた、本当に、武門の名家の若様だったんだねぇ」
扇の付喪神が、ふわりと楽しげに笑う。
微かな白檀の香りがした。




