小刀
長屋の暮らしは戸惑うこともあったが、皆、気の良い人たちだった。
結の家は、細々とした組紐屋である。棚に並んだ色とりどりの組紐を、熱心に眺めていると、結に、そんなに珍しいの、と笑われた。
篝より、二、三歳年上と見えて、妹のように世話を焼いてくれる。篝は、彼女のことを、結ねえさん、と呼んでいる。そう呼んで良いと言われたからだ。
今、篝のもとに居るのは、一緒に逃げた、早蕨と木蘭だけだ。人前では変化してくれないから、あまりしょっちゅう話せない。ほかの皆がどうしているか、無事逃げられたのか、気がかりだった。だが、焼けてしまったあの村に、戻ってみる勇気は、篝にはなかった。
あの日を思い出すと、涙が滲んでくる。
住み慣れた村を、瞬く間に舐めまわした火炎。むせかえるほどの熱い風と、煙の臭い。炎の奥から、ひたりと自分を見据えた、赤く光る一対の目。―――篝は懐を押さえた。
堅い感触がある。
小刀と共に、約束をくれた若者の顔が、頭に浮かぶ。
(八雲。・・・私、外に来た)
自ら、望んだ結果ではなかったけれど、それでも、外に出て来た。
あの恐ろしい目をした黒い物の怪は、きっと、彼が噂を確かめようとしていた、獣の妖に違いない。
(どうすれば、また会えるの)
幾日か経って、心に余裕が戻ってくると、篝は、いつまでもここに居て良いのかと、気になり出した。ここは居心地が良すぎる、と言った時の八雲の気持ちが、分かる気がする。しかし、彼と違って、帰る場所のない篝には、どうすれば良いのか分からなかった。
結と、結の両親が、うちに居たら良いと言ってくれた時は、驚いた。
「うちは、まあなんとか、やっていけてるしね。結がもう少ししたら、嫁に行くから、寂しくなると思っていたところなんだよ」
「篝ちゃんは働き者だし、べっぴんさんだから、うちの看板娘になってくれたらいいよ」
朗らかに笑う結の両親に、篝は丁寧に礼を言った。
その夜、小刀を眺めていると、結に声をかけられた。
「篝ちゃん、それは何か、大事な物なの? なんだか、似合わないように見えるんだけど」
似合わないと言われて、思わず笑みが漏れる。
「これは、預かり物なの」
大切な物だと言って預けられた、大切な物だ。
篝は、迷った末、思い切って尋ねてみた。
「結ねえさん、あの・・・八雲という人を、知らない?」
「八雲? さあ・・・私には、心当たりがないけれど」
結が、身を乗り出した。
「もしかして、それをくれた人なのね? 篝ちゃんは、その八雲という人に、会いたいのね?」
「え?」
「だって、それ、ずうっと持っているんだもの。なんだろうと思っていたの」
先程の結の言葉も、迷った末に、思い切って尋ねたものだったのだ。
「八雲に、預けておくと言われたの。家が・・・焼けてしまったから、会えなくなって」
「篝ちゃんにも、知り合いがいたんだね。よかった・・・なんにも言ってくれないから」
結は、ほっとして微笑んだ。何かを抱え込んでいるようで、気にかかっていた。やっと、少し打ち明けてくれた。
「長屋の人たちにも、訊いてあげる」
「でも」
篝は困った顔をした。
「武家の人だというぐらいしか、分からない」
「齢は?」
「私より、少しだけ年上、かな・・・」
それだけでは、確かに、見つけるのは難しいかもしれない。しょんぼりとする篝を、結は励ました。
「きっと、その人だって、篝ちゃんを捜してくれているよ。皆にも訊いてみよう。ね?」




