この世に無い女
連載再開
「なあ、寧々子。あの客が代金と一緒に置いて行ったこれって……なんだぁ?」
触手……ローパーの客が帰った後、俺はカウンター内でサービスで渡す文庫のビニールブックカバーを品出しながら、隣りに控える寧々子に訊ねた。
ローパーが置いて行った球形のソレは、玉ねぎの皮をはがして丸めたようなモノだ。
「それは、ローパーの脱皮した皮だね」
「廃棄物じゃねーか!」
俺は満身に怒りを込めて、カウンター下のゴミ箱にローパーの置き土産を投げ込んだ。
「いや、それって水を付けて敵投げると、使い捨ての束縛アイテムになるんだよ。こう、なんていうか形容しがたいけど、ローパーの触手がふやけて広がって、食虫植物のように反射で近くの物体を拘束するんだ」
「嫌だよ、なんに使うんだよ。そんなの。強盗に使うのか? こんな本屋に強盗なんて来ないぞ」
万引き程度に使うのは気が引ける。あと触手に絡めとられてる強盗を見たくない。
「優希に使ってみたらどうだい?」
「……いや、つ、使わねーよ」
一瞬、触手に捕らわれる幼馴染の姿を想像したが、すぐに打ち消した。あいつはどこか抜けててトロそうで、いじめがいのありそうな犬系幼馴染だが、そういったいじめを俺は絶対にしたくない。絶対にだ。
「いいじゃないか。あの不埒にも無駄にデカイ胸が触手で縛り上げられる姿は、面白そうだから見てみたいよ」
「つつつ、使わねーって言ってるんだよ」
「なんならボクが影から使ってやってもいい。キミは助ける王子様だね」
「……つ、使わせ……ねぇ……よ」
「で、バレて嫌われるねん」
「ふざけんな!」
俺は悪戯を提案する寧々子の首筋をつまみ上げた。完全には浮かせていない。寧々子の後ろ脚は、辛うじてカウンターについている。
「わ、や、やめろ! その首の後ろを持つのは、親猫だからできるんだ! 人間がやると猫が首を痛めるかもしれないんだぞ!」
「人の嫌がる事はやめましょうって、教育されなかったのか?」
「う、うう、わかったよ。ユウキをイジメたりしないよ」
「うむ、よし」
俺は反省する寧々子を解放した。寧々子は俺の手が届く範囲から逃げ、顔を洗うようにして首筋を前足で撫でる。
その様子を横目に、俺は想う――。触手と優希か……イジメると喜びそうだな、あいつ。
「触手攻撃受けて喜ぶようなら、ボクはドン引きするよ」
「なっ! 心読むなバカ!」
「顔に出てるんだよ! この妄想変態戦士!」
「なにおーっ!」
ひらりとカウンターから降りて逃げる寧々子を追いかけ――ようとしたが、ブックカバーが散らかるのでやめた。
俺が追わないと分かった寧々子は、カウンター向こうで余裕を持って振り返る。
「……チッ。あー、そうだそうだ。宣伝DVDかけないとな」
舌打ちしつつ、俺はカウンターの席に腰を下ろし、怒りのやり場を誤魔化すようにDVDのリモコンを取り出す。
店内に設置された液晶テレビは、ラノベや漫画の宣伝。時にはアニメのPVが流される。
今回、DVDで流すのは、全国個人経営書店横連連盟連合会団体というレンレンうるさい団体が、小規模店の更盛を願って作ったアニメの第一話だ。
ある日、魔法少女となった書店の看板娘が、日夜本屋へ迷惑行為を掛ける怪人たちを退治するというモノである。
出来栄えは頭悪いという点を除くと、おおむねいい仕上がりであると、ネットでは好評だ。もっともその頭悪い点が魅力であり、同時に問題点ともされている。
世間の評価はともかく、全国レンレンレン団体に所属している我が書店は、こいつを宣伝替わりに店内放送する権利と義務がある。
DVDはすでにセットされてある。再生ボタンを押すだけだ。
後はエンドレスで、PVと第一話、ノンクレジットOP、TVCM、WEBCMが流れ続ける。
俺はコーラを片手に再生ボタンを押した。しばらくすると、お決まりの効果があるんだかないんだかわからないお断り文言が、黒い液晶画面に浮かび上がる。
製作会社のロゴが浮かんで消え、どぎついポップな流れ星が横切ると――
『マジカルマジカル・ハイパーティアー!』
ピンクな髪の女の子が、バトンを振り回し落っことして拾い上げ、変身の呪文を唱える映像が流れる。
しかしなんだな。アレクサンドリア図書館の才女も、魔女扱いされて殺された上に、1600年後に極東の島国で萌えキャラ化するなんて思ってもいなかっただろうな。
サービスシーンなのか、透過光による視覚攻撃なのか分からない変身シーンを終え、マジカル・ハイパーティアがパンチラしつつ、キメポーズを取った。
『ヒュパティアの怨念よ! 魔法の力となって思う存分、書籍に害成す者たちに制裁を~!』
「その怨念、今は日本に向きそうだけどな」
「アニメにツッコミいれるマコト、キモい」
「黙れ」
『今日も本を大事にしない悪い子を退治しちゃうぞ~』
ガッシャーンッ!!
DVDの音声を打ち破り、我が書店のガラス戸を突き破って一人の小汚い男が飛び込んできた。
うちになんか悪い子来た! 助けて、マジカル・ハイパーティア!
「く、腕を上げたな……」
ガラスで少なくない怪我をした男は、戸外に向かってそういいながら立ち上がる。黒い分厚いローブを纏っていたせいか、重傷は負っていないようだ。
ローブ?
そういえば魔法使いのような姿をしている。まさかこいつも、異世界の住人か?
いつの間に異世界と繋がったんだ?
外の景色は変わっていない。じゃあ、あの王子と同じ現象か?
俺が疑問に思っていると、ガラスの破片から逃げてきた寧々子がカウンター上で呟く。
「あー、そういえば今日一日、それとなくぼんやりなんとなく異世界と繋がったままだから、こんなことが起きるかもしれないね」
「寧々子。お前、今日の晩飯抜きな」
不満を叫ぶ寧々子を無視して、俺は闖入者を注視した。
痩せこけた頬と不健康そうな肌、くぼんだ眼球と人相が悪い。ローブ姿と相まって悪の魔法使いといった様相だ。
ガラス代弁償してくださいとは、言いにくい雰囲気である。
次いで、ガラスの破片を踏みしめ、白いローブの男が入店してきた。
二人目の男はローブの色だけでなく、人物像としても正反対だ。
金髪碧眼高身長。整った顔立ちは男性的でありながら、さっぱりとしていて強さと暑苦しさを感じさせない。
ただ正面を見据え、異質に思えるであろう本屋の様子に気も取られず、立ち上がろうとする黒ローブの男に歩み寄る。
自信に満ち溢れたその姿は、王者の風格すら持ち合わせていた。
「デリュード……きさまの想念魔法……、まさか現実でここまで傷を与えるようになるとは」
「いや、それガラス戸突き破ったせいだから」
俺のツッコミは聞こえないのか黒いローブの男は、白いローブの男……デリュードと言うらしい、彼を見つめて視線をそらさない。デリュードも、揺るがず見つめ返す。
ある意味、変な光景だ。なんで周囲の状況が目に入らないんだろう。どんだけお互いしか見えない状態なんだよ。
「メント……お前の想念魔法を独創性に跳んで、なかなかのものだ。わたしの対応も遅れがちになる……。腕を……いや、想念を次のステージに上げたな」
黒いローブの男はメントというらしい。しかし想念魔法とはなんだろう。
俺はチラリと寧々子を見た。
視線に気が付いたのか、寧々子が答えてくれる。
「あー、彼らは想念魔法使いだね」
「想念魔法使い?」
「おっと、ちょうどバトルが始まるようだよ」
「え? ちょっと待って。バトル? 戦うの? まずいよ! 店内だよ!」
「平気さ、マコト。かれらの戦いなら問題ない。見てればわかるさ。……いや、見えないかな?」
「どっちやねん」
寧々子を信じるわけではないが、魔法が飛び交うかもしれない二人の間に割って入るわけにもいかない。白黒ローブの二人が、いつ魔法を打ち出すかとびくびく見守るほかなかった。
「くるか……」
「ああ、ゆくぞ!」
白が迎え撃つ形か。
黒が身を低くして、両腕を怪しい手つきで交差させた。
「極級原初黒邪妖舞降神
!!」
「極天第一位耀翼鷹皇界!!」
二人はそれっきり睨みあい、黙り込んでしまう。
「…………………ん? なんだ?」
『デジタル万引きはともかく! 立ち読みする女の子の下着を撮影するなんて許すまじ! スマホ怪人め!』
『パシャパシャパシャ~。忌々しいマジカル・ハイパーティアめ! ここで会ったが百年目! ひんむいてSNSに晒してやるわぁ!』
DVDの音声だけが、書店内を支配する。
ところでマジカル・ハイパーティア。デジタル万引きの方が、書店として許せないんですが。キミって書店を守る魔法使いだよね。女の子の味方も大切だし、盗撮排除は結果的に書店のためにもなるが、もっと直接的に書店の味方もしようね。
「ぷはぁっ!」
俺が心の中でマジカル・ハイパーティアの活動にツッコミを入れていると、店先で白いローブの男が苦しそうに息を吐き出し、弾かれるように退き膝を付く。
「ふふふ、どうだ。自慢の白きグリフォンの皇帝を地面に縫い付けられる様は……」
「おのれ、メイト……。舞うかとごとく自在に呪われし暗黒の妖蛇を扱うとは……」
「え? 何がおこったの?」
なんだかわからないが、戦いが進行していたらしい。俺は事情が呑み込めず、寧々子に解説を求めた。
「あれが想念魔法使いの戦いだよ。想念魔法とは、互いの精神世界で戦うんだ」
「よくわからんが、精神攻撃みたいなものか」
「う~ん、そうだね。ボクたちには見えないが、彼らの精神は繋がり合い、互いの作り上げた想念でぶつけ合う。まあ、精神攻撃といえば精神攻撃だね」
「そ、そんなのに、巻き込まれたらどうなるんだ?」
「平気だよ。想念魔法は想念魔法使い同士じゃないと通じないから」
「……は?」
「要するに、ボクやマコトには全く影響がないってこと。近くに居ようが割って入ろうが関係ないよ。全部、彼らの中だけの戦いだから」
俺は頭を押さえてしばし考える。
「ん~、それって使えねー魔法じゃねーか。対戦格闘ゲームでいえば、みんなは餓〇伝説やス〇2ターボで対戦してるのに、選ばれし二人だけでセ〇のダ〇クエッジを、ひたすらプレイしてるようなもんだろ」
「ふ、ふっるー。確かにそうだけど、たとえが古すぎるよ、マコト」
それが古いと思う寧々子もたいがいだがな。
「メイト……。だが、わたしもこのままでは終わらない。想念魔法使い筆頭の力……。奥が深いぞ!」
「いいだろう、デリュード! 武器なんて捨てて、かかってこい!」
「あんたらの戦いには、元から武器いらないよね?」
俺のツッコミはスルーされ、戦いはまだ続くらしい。
白い男が両手を振り上げる。
「真級古式爆熱縛縄域!!」
「冥級ν式炎竜熱鱗在盾!!」
白黒二人は互いに何かを叫び合い、同時に真剣な顔で見つめ合って止まった。
再び、マジカル・ハイパーティアのDVD音声だけが書店のすべてを支配する。
『パシャパシャァ! ふふふ、この娘の写真が世界にばら撒かれてもいいのかぁ? パシャパシャァ』
『ひ、人質なんて卑怯な……。ええい、こうなったらぁ~』
『パシャ? パパパパパシャ、パパパンツなど脱いでどうするつもりだ! マジカル・ハイパ―ティアよ!』
『ふふ~ん。さあ、取ってこーい』
『パシャシャーッ!!』
『お嬢ちゃん! いまのうちに逃げるわよ!』
『魔法のお、お姉ちゃん。で、でもお姉ちゃんのパンツが……』
『平気よ、重ね履きした見せパンだから。それに……』
【どかーんっ!】
『パシャァアアアッ!!』
『あれ、爆弾だから!』
「ぐはぁっ!!」
頭の悪い展開を見せていたDVDと呼応するように、白ローブの男が吐血して両膝を付いた。
「マジカル・ハイパーティアめ。見せパンで罠に誘い込むなどと、卑劣な……」
「おい、なんか混じってるぞ。ナントカトゥルーってのはどうなった?」
血を吐く白ローブに俺がツッコミを入れていると、隣りで黒ローブも膝を付く。こっちも血を吐いていた。
「はぁ……はぁ……。卑劣なカメラ怪人に腹が立つが、マジカル・ハイパーティアめ……。男の純情を弄びおって」
「お前も引っかかってるんかい!」
「デリュード。つ、つぎにマジカル・ハイパーティアが現れたら……」
「ああ、わかっている、メイト。二人で共に戦おう」
「実は仲いいの? キミたち?」
俺のツッコミスルーされてる。さらなるツッコミをいれようとすると――
「無駄だよ、マコト」
寧々子が俺のツッコミを止める。
「あいつらは、自分たちの世界……妄想で戦う孤高の戦士たちさ」
「戦士なのか魔法使いなのかはっきりしろ」
妄想とか、孤高とかもうどうでもいい。
「ゆくぞ! 次が最後だ! 奥の手を見せてやる!」
「ああ、見せてもらうぞ! だが、俺の最終奥義を食らわせる!」
白黒の二人は、再び妄想の世界へと入っていった。
『走り去るふぅたりは、強がりで~……』
幸い、書店の音を支配するのは、マジカル・ハイパーティアのEDテーマだ。エンドロールに入っていたおかげで、無駄な作品に似合わず無駄な名曲と、ネットで称されてるちょっとブルーな音楽だけが流れている。
『いつか振り向いて、迎えに来て~』
エンディングテーマが終わると同時に、白と黒のローブは跪き両手で顔を覆った。
「うおぉおおおおぉっ!」
「すまなかったぁああっ!」
二人は号泣していた。
いったい、なにがあったというのか。
「俺たちが争いを止めれば、彼女は……彼女は……」
「いや、私がお前に撃たれていればよかったのだ……。彼女は悲しむだろうが、彼女は……彼女が犠牲になるようなことはなかった」
「違う……オレがお前との勝負に拘ったから……。もっと彼女を……彼女をもっと見ていれば……」
「二人の妄想戦の中で、どういう流れになったんだ……?」
どうやら、彼らの精神世界ではマジカル・ハイパーティアは死んでしまったようだ。さっきは、ハイパーティアに恨み言いってたよね? キミたち。
しかしなんだな。
ヒュパティアも、まさか1600年後の日本で異世界人により変態魔法使いの妄想の中で、勝手に殺されるとは思わなかっただろう。
「見ろ! デリュード!」
「なんだ? メント? っ! おおっ! アレは! マジカル・ハイパーティア!」
DVDの予告映像を見つけ、俄かに二人のテンションが揚がる。
「彼女は生きている!」
「ああ、俺たちの心の中にな!」
「まあ最初から生きてないけどな」
アニメだし、実在のモデルは死んでるし。
白いローブはマジカル・ハイパーティアのコミカライズを見つけたらしい。興奮した様子で手に取り、黒いローブに見せつける。
「おい! メント! 彼女の姿写しだ!」
「さすが、書店だ。なんでもあるぜ!」
ここが本屋ってわかってたのか、こいつら。
「店主! これらを全部くれ!」
「二つづつ! いや、三つづつ!」
「もちろん、二人に三つづつだぞ!」
「あいあい」
もう早く帰ってくれ。ガラスの掃除しないといけないから。俺は言われるまでもなく、すべての関連商品を紙袋に放り込む。
代価は数十枚の金貨だ。親父に怒られるかなぁっと思ったが、これだけの金貨ならガラス代から商品の元がでるだろう。
幸い、親父は古物商に伝手があるので、多少妙なデザインでも売れないことはない。悪意のある贋作というわけでもないし、金の価値は変わらない。歴史的価値を見出せない、お遊びで作られた金貨として扱われるかな?
支払いを終えた白黒ローブは、紙袋を抱きしめるように受け取った。
「もっと彼女の事を刻み合おう!」
「そうだな、俺ん家にこい! 静かで誰にも邪魔されないぞ!」
「はっはっはっ。静かで誰も邪魔しないじゃなくて、森深くで引きこもっているからだろう」
「ふふ、そうともいうが、いい環境だろ?」
「ああ、そうだな。うるさい奴らがいる俺の環境とは、段違いだ」
いがみ合いながら戦っていた二人だが、すっかり同志になってしまったようだ。
「しかし、DVDなんてどうするんだ? 異世界にプレイヤーとかないだろ」
他人事ながら心配だ。俺は寧々子に訊ねたつもりだったが、白黒ローブたちは自分たちが問われたと思ったのだろう。
買ったばかりのパッケージを開けて、DVDを取り出した。
そして、記憶面を見つめ――。
「問題ない。愛をこめて、こうして見つめていれば……、ああっ! 見えるぞ! 彼女の姿が! 聞こえるぞ、声が! 届くぞ、その活躍が!」
CDのようにデータは平文じゃないぞ、DVDとかは。
どうやってデコードしてんだ? この変態たち。
DVDの記憶面を見て読む姿は、この世にありえない光景だ。彼らは、この世界の住人じゃないが。
「おおっ」
二人同時に、屈んで上を覗きこむようなポーズをした。
「あれは映像を下から見てるんだろうね」
「視点移動できるのか。 すげーな」
「あくまで、彼らの妄想の上でだけど」
「結局、妄想かよ。ひでーな」
世のオタクが喜ぶ技と思ったが、そうでもなかったようだ。
「そういえば漢字で妄想って、この世に『亡い女を想う』と書くね」
寧々子のプチ漢字書き取り知識を納得しながら聞きつつ、俺は冷たい目でふたりの白黒ローブを見送った。
再開?