触手仕掛けの仏手柑(ブッシュカン)
「ここに父の遺作があると聞いてニョロー」
王子様と入れ替わるように来店してきた直立する触手が、そんな訳の分からない質問を俺に投げかけてきた。
触手がどこから発声しているのかわからないが、流暢な日本語を発している。
触手の父とか、遺作とかなんなんだ?
「誰から聞いたんだよ……その情報。どこ情報よ」
本屋の宣伝してくれるのはいいが、相手を選んで欲しいぜ。
「夜の銀座にいた辻占のばーさんからニョロよー」
「辻占の話を信じるアンタもアンタだが、触手を占ってくれるばーさんもばーさんだな」
夜の銀座、路地の片隅で占いをしてもらう触手を想像してしまった。
「触手じゃないニョロー!」
突如、触手が触手じゃないと叫びながら触手を伸ばして来た!
パニョーンッ!
触手が俺の頬を叩く。キモイ。弾力がキモイ。
「いってーな! いきなり殴……な、殴る? えっと、これって殴ったのか? ……いきなり触手で撫でるとか何のつもりだ、この触手!」
俺の怒声を受けても触手は引き下がらない。むしろ荒ぶって触手を四方に広げて、怒鳴り返してくる。
「触手じゃないニョロ! 私はローパーニョロ!」
「ローパーニョロさん? スーパーチョ○Qみたいな名前だな」
「ローパーで一端切るニョロ! ニョロは語尾だニョロ!」
「ろーぱーでいったんきるにょろさん?」
「あ、そういうボケはよいニョロ」
急に冷めたローパーが、広げていた触手を下げて言った。
「あ、ごめん」
慣れないボケはするもんじゃないな。俺は反省した。
「で、なんの用?」
人外どころか、明らかに化け物である。これを前にして平然としていられる俺はまさに商人の鑑である。賛辞に値するだろう。
バイト代上げてもらおう。切実。
「占い師が言うには、去年亡くなった父の作品がここで販売されてると聞いたニョロ。あ、ちょっと待つニョロ。今、父の写真を出すニョロ」
グニョグニョグチュ。
触手改めローパーさんが、触手で触手をまさぐっている。懐……触手の間に入れた写真を探しているのだろうが、普通の人が見たら卒倒しそうな光景だ。
これを見て平気とか俺マジ勇者。
しばし、ぐちゃぐちゃと自分の触手……身体をまさぐっていたローパーがハッとしたように触手を広げた。
「しまったニョロ! 慌てて来たので父の写真は辻占のばーさんのところに忘れてきたニョロ」
「たぶん、それって一番大事なモンじゃねーか? ……でもまあアンタの父親の写真あっても、俺には触手の見分けがつかないんだがな」
「え? ボクは見分けつくけど?」
カウンターの上で、目を輝かせ寧々子が自己主張してきた。
「触手の区別がつくとか……。寧々子が喋った時や魔法や異世界を見た時より驚きだわ」
「とにかく店主さん。父の遺作を探して欲しいニョロよー」
「店主じゃないけどな。えーっと……」
客の要望を聞いて俺は……ん? 客? ……客なのか?
――ええい面倒だ。客でいいや。俺はお客様の要望に従い、触手が写る本を探した。
まず漫画ではないだろう。触手が実在するなら実写だ。つか異世界から触手が来て、そいつを写体にするカメラマンはナニモンだ?
誰が街中を歩いてた触手をスカウトしたのだろうか?
言葉が通じると思ったのだろうか?
本物の触手を相手にする女優のプロ根性スゲーな。
――俺は考えるのを止めた。
本を探そう。
そう言えば最近入荷した写真集に、触手モノがあったような……。
俺は十八禁の中でも比較的マニアックかつヘビーな一角へ入り、一冊の本を棚から取り出した。
タイトルは――
女看守触手地獄。
女看守とかマイナーじゃね? というかこれ看守と触手で韻踏むために役をチョイスしたんじゃね? という気がするエロ本だ。
女優の名前は知らないが、取り敢えず触手モノの中でも極めてリアルな触手造形が話題となった本である。
一部マニアの間では、本物の非実在触手を越えた触手と称えられた写真集だ。
本物の非実在ってなんだよ……。意味わかんねーよ。
俺は寧々子が寝転ぶカウンターに戻ると、律儀に待っていた触手に女看守触手地獄を手渡した。
「これが父の写真ニョロかー?」
受け取った触手は、パラパラと本をめくり――。
「なななな! なんてハレンチなモノを乙女に見せるニョロー!」
突如、興奮してエロ本を床に叩きつける触手。
「え、えっと……俺は売り物を床に叩きつけた事にツッこむべきか、触手が触手エロをハレンチと言い放った事にツッこむべきか、それとも触手が女だった事をツッこむべきか……おい、寧々子。どうする? どうする?」
「ツッコミマコトがツッコミの助言を求めるなんて相当な衝撃だったんだね」
「ゥオレをうっかり8べェみたいに呼ぶのはァ……やァめて~いただけませんかねェ~? 寧々子さァん」
思わず怒りのヤクザ調ツッコミが俺の口から飛び出した。
「とにかくアンタが乙女ということは置いておいて」
ツッコミ損ねたら、そこはソっとしておく。俺は投げ捨てられた女看守触手地獄を拾いあげた。
「乙女という事実を置いておくなニョロ。そこは極めて重要ニョロ!」
触手にツッコまれた。って書くと俺が貞操失ったみたいだからナンかイヤだな。
訂正。
俺の発言が触手にツッコまれた。「の発言」を抜いたら絶対に許さない。
「……あ、でもちょっと待つニョロ」
俺が拾い上げたエロ本の表紙を指……触手で指した。
「そ、その本のローパーは……三年前に『都会で触手をビッグにしてやるニョロロンニョロロン』と触手ブラで出て行ったタツオ兄貴ニョロか?」
「アンタの兄貴、都会に出てナニしてんだよ。あと兄貴の語尾。ナイわー。マジ無いわー」
つかタツオ兄貴って……。アンタは左利きだから殺陣で正道のちゃんばらができないと、悩んだ挙句に二刀流という立ち回りで一世を風靡したチョメェチョメのホワイトホース童子かよ。
あと触手ブラってなんだよ。手に何も持たない手ブラって意味の触手に何も持たないって方だろうけど、まさか触手でブラジャーか?
やべぇ、またツッコミが多すぎて追いつかねぇ。
触手だけにツッコミどころが多い。
黙れ俺。
「マコトも女触手に容赦無いツッコミだねぇ。よ、女触手殺し!」
「黙れ寧々子」
涼しい顔してる寧々子がいらだたしい。なんかだんだん猫の表情がわかってくるようになったよ、俺。まさか触手の表情までわかってしまうんじゃないだろうか。
「タツミ兄貴……生きてたニョロか。でもまあ、私のパンツを盗むようなダメ兄貴の近況は別にいいニョロ」
「うわぁー。ツッコミてぇけど話題がキメェ……。あと超ワケわかんねぇ~……」
触手の履くっていうパンツにツッコミ入れてぇ……。タツミ兄貴の変態性にもツッコミてぇ……。
こんな時は動物を数えよう。
素数より効果がある。癒し系動物を数えるのだ。
にゃんこが一匹。わんこが一匹。ひよこが一羽……そう言えば江戸時代。猫はにゃんにゃん鳴くからにゃんこ。わんわん鳴くからワンコ。ひよこはヒヨヒヨ鳴くからヒヨコだと聞いた。
超連想。
オーケー、落ち着いた。
そして冴え渡る俺のハイロー頭脳細胞。
「たしか触手といえば……五年ほど前、すげー話題になった超キワモノの触手本があったはず……」
俺はおもむろに動物コーナーへと足を向けた。
動物コーナー。そこは桃色鼻息な店内で、清涼な空気を生み出す貴重な本たちが並ぶコーナーだ。
その中の一冊……。
飛び出せ! 触手と可愛い動物たち!
すごいタイトルの本だ。
すごいタイトルの本だわコレ。
触手が世界各国を訪れて、ご当地の様々な動物たちに抱きつき巻き付き微笑ましい……のかコレ? という環境写真が数多く掲載されている曰くつきの本である。
帯の煽り文も「触手界のムツゴ○ウが動物と触れ合うハート触ル写真集! ここにヌル誕!」と書いてあるが、なるほど。意味がわからん。
まさかと思いつつ、俺はこの本をローパーの乙女に手渡した。
ローパーは無言で触手を震わせる。
そして触手から溢れる水分……なんだあの水分? を触手で拭った。
「父です……私の……父ニョロ」
弱々しく震える声で、ローパーは感激のあまり呟いた。
あの水分は涙だったのか……。
猫に触手を絡ませて写る父ローパー。ヤギの上で荒ぶるように触手を振るう父ローパー。森で寝転ぶ熊と共に寝転ぶ父ローパー。
改め見るとなんぞコレ?
凄い写真集だな。
この写真集の良いところは、企画した奴と資金出した奴と撮影した奴と出版した奴だな。
この写真集の悪いところは、企画した奴と資金出した奴と撮影した奴と出版した奴だな。
「なんて素敵な父の笑顔……。こんな顔……みたこと無いニョロ。お若い店主どの……。これを買いたいニョロ。いくらニョロ?」
俺はそっと写真集の裏を見た。
29,980円(税込)……うっわ、たっけぇな、コレ。
「釣りはいらないニョロ」
ローパーの触手から差し出されたお金は、日本銀行券。――壱万円札が三枚だった。
金貨や銀貨じゃない。ましてや訳の分からないお札や短剣などではない。
日本銀行発行の日本で使われるお金であった。
「……ここ一連で、始めてマトモな日本のお金を頂いたお客様が触手とか泣ける」
「触手じゃないニョロ! ローパーニョロ」
「はい、ローパー、ローパー。ローパーね。ローパー」
「そ、そんなに名前を呼ばれたら……恥ずかしいニョロ」
触手を赤くさせたローパーが、いじらしくモジモジしてみせた。
「とっとと帰れや! 触手!」