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靴下猫の行方  作者: 陽菜
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「リネット!遂にへたれ男ふったって本当?」

ゴン!

派手な音をたて鳴り響くカウベルと共に勢いよく飛びこんできた台風にリネットは思わずカウンターに額をぶつけた。それ以上何か言う前に慌てて腕を掴んで彼女を裏庭へと追い立てる。その際工房に向かって店番を頼むところは流石商売人か。ぐいぐい引かれるままに移動しながら追及の手を止めない友人に、リネットは内心で頭を抱えた。

「で、どうなの本当なの?あの男今度はちゃんと告白してきたの?!それをリネットが一刀両断?!きゃーっちょ、気持ちいいんだけど何でその場にいなかったかなあたし!!」

「……」

テンション高くノンストップで叫んで悔しがる友人にリネットは大きく溜息を吐いた。友情に篤い彼女の言い分は少々斜めに傾いたまま一貫して変わらず、もしかして彼に関してそうなるよう導いたのは自分なのかと思うと唸ってしまいそうになる。

「……ニーナそれは誤解です。私はふってもなければ告白だってされてません」

「えっまたあ?!どうしようもないなあの男!あれ、でもリネットがあの男に自分のことは忘れて幸せになれよ的なことを言ってたって話はどこから?」

「ちょ、なんですかそのふられた脇役の負け惜しみみたいな台詞は!間違っていないはずなのに何かが大きく違いますよ?!」

「どちらかといえばきっぱり簡潔した女と自惚れて取り残された男の話でもちきりだったけど?」

「どちらにしても違います!!」

つい乗せられて興奮してしまったリネットだったが、我に返った途端両手で顔を覆った。一体何がどう広がっているのだろう。考えただけで心底疲れた気分になって肩を落としたリネットの顔をニーナがそっと覗きこむ。

「もしかして、言わせなかった?」

問いかけにリネットは沈黙し、静かに手を外した。

目の前の風景を見ているようで何も見ていない気分になる。

「これで良かったんです」

リネットの静かな声に、けれどニーナは不満げに唇を尖らせた。

「そう?どうせふるなら思いっきり真正面からコテンパンにしてやっても良かったと思うけど」

「それじゃあ彼は幸せになれません。私は彼に幸せになってもらいたいのだからこれで良いのです」

迷いのないリネットにますます膨れたニーナは眉を顰めて指摘する。

「リネットのお人よし」

「違います。私はとても利己的です」

「別にそれならそれでいいけど。でもひとつ教えて。リネットの想いはどこにいくの」

「私の想いなんてありません」

「今更私に隠してどうするの!警邏のスケジュールこっそり調べてたの知ってるのよ!月に1度は試作パン食べさせて話すチャンス狙ってたでしょ?わざわざキャンペーンまでたちあげて仕事にかこつけて副隊長に昇進した誰かさんにサプライズ祝い計画したのは?!」

「ちょ、どうしていちいち口にだすんです?!」

「しらばっくれるからでしょう!」

「だからもういいんですってばっないものをあるということはできません!私はもう十分幸せなのでいいのです。あの人が生きて戻ってきただけで満ちるに足りて幸せです!」

「この頑固者ー!!」

ギャース!と火でも噴きそうな勢いで叫ぶニーナにリネットは今度は苦笑した。

リネットを思うが故に彼を嫌いだと公言して憚らない彼女は、彼を悪し様に言う割にニーナに彼と隣り合う幸せを勧めてくる。相反する主張はけれども彼女の中では両立していることらしく、その素直さがリネットには眩しいくらいだ。ひとつのことを決めるまでにも時間がかかり、決めたことを覆すことを難しく思う、柔軟性に欠ける自分がリネットは好きではない。そんな風にしか生きられないから今の状況があるのかもしれないと思えば、涙が出そうになりもする。

頑固で、融通がきかなくて、意地っ張り。

それでも、それが自分だから仕方がない。

仄かに想いを返してくれる彼の心を感じていた。けれども、慎重さ故に明確な言葉はもらえなかった。

不用意な言葉で一時の夢を見せることができない程に誠実な人なのだと思えば文句のひとつも言えないまま。

出会った当初は知らなかった身分差や、家業を継ぐ婿養子を欲しがる両親のことを思えば簡単に事は運ばないことも、駆け落ちのような真似ができないこともわかっていた。

何度言い聞かせても捨てきれず、割り切れずに持て余し続けた恋心。

あがってさがって振り回されてばかりの切ない恋だったけれど、戦をきっかけに想いの純度は高まった。

もう二度と彼に会えないかもしれないと本気で思った瞬間の絶望が、再会で解き放たれて、これ以上の想いはないと思えた。


自分と一緒でなくてもいい。

彼がそこにいてくれるだけでいい。

歩む道が重ならなくても、もう二度と会えなくても。

この世界のどこかに彼が生きて笑ってくれるなら、それだけでいいと本気で思えた。


だから自分は想いを貫く。

これもひとつのハッピーエンドの形なのだろうと、思うことができたから。


「縁がなかっただけです。幸せでいてくれるならそれでいいって思えるから、もうそれでいいんですよ」


しかし。


「―――全くよくない」


簡単な言葉で改めて己の思いを締め括ったリネットは、けれども背後から届いた声に顔を強張らせた。

信じられない思いで目の前のニーナを見ると、してやったりと言わんばかりの笑み。それだけでまさかという思いが肯定されて、振り返ることもできずに掌を作る。

急に喉がからからに渇いていることに気づいても、今やどうすることもできないで、リネットは全速力で脳内計算を時始める。

どこまで聞かれていたのだろう。

まさか最初からということもないだろうが、ニーナがわざわざ口にした言葉を思えば聞かれてはならない言葉を聞かれた可能性は高い。

最後だけならば全く問題ないというのに、思いもかけない事態はリネットを激しく動揺させた。

困った。うまく対処できる自信がない。

吸って、吐いて、大きく吸って。

できるだけ驚きを悟られないよう心臓に手を当て落ち着きを促してもまだ足りない。


「リネット」


呼ぶ声に泣きそうになる心地を強く瞑った目の裏に押し込めて、リネットは振り返る。

思った通りそこには、息を切らした必死の表情で立つ騎士の立ち姿。

妙に片側の頬が赤いのはぶつけたか何かしたのだろうか。

平凡なのに愛しくて、眩しすぎて目を眇めた。


「―――俺と結婚して欲しい」


その瞬間、息が止まった。


「ずっと俺の傍にいて欲しい」


重ねられる言葉に胸が震える。


「俺は君と、幸せになりたい」


ずっと聞きたかった、聞けなかった言葉が胸を締め付けて、リネットを大きく揺さぶった。

笑おうとして失敗し、泣きそうになるのを必死で堪えて、唇をきつく引き結ぶ。

言いたくて、けれど言えない言葉を飲み込んで、リネットはそっと俯いた。


返らない答えに焦りを覚えたかのように、フィレイがたたみかけてくる。


「確かに俺は元は下級貴族の出身だが、継承権は放棄していて継ぐとしても弟が継ぐ。そもそもが領地もないし育ちも平民と変わらない。騎士からパン屋に転職することは難しいかもしれないが、毎日君と同じ家に帰ることはできる。パン屋を継げる家族もつくれる。鈍感だし言葉も足りない男だが、君を大切にしたいと思う気持ちは誰にも負けない。君には誰より幸せになってほしいと思っているが、それは俺の隣であって欲しいと思う」


話を漏らした相手が丸わかりの説明にリネットはどんどん追いつめられる。

今までただの一言だとて漏らしたことのない言葉を、ここぞとばかり詰め込んでくるフィレイに腹立たしささえ覚えた。


嬉しいのに嬉しくない。

胸が酷く苦しくてたまらない。


「……やめてください」


零れ出た小さな制止はそれでも鋭く、一旦落ちた音は止まらない。


「私は今のままでいい。フィレイさんが幸せになってくれればそれでいいんです。パン屋なんかの後継ぎ話で要らない苦労を負うだとか、誇りある騎士の仕事を変えるだとか、ましてや大切なご実家を放棄するような、そんな真似をさせたいわけじゃありません」

「リネ、」


「だって嬉しかった!」


頑ななリネットの声を否定するフィレイの言葉を遮るよう、リネットは声をあげる。

言ってはいけない言葉だと、わかっていても止まらなかった。とめられない自分が酷く哀しかった。

まるで自分がこれ以上ない美しいものであるかのような彼の眼差しが、胸に突き刺さって悲鳴をあげる。

恥ずかしくて情けなくて、いてもたってもいられない。怖くて哀しくて居た堪れなくて声が震える。


「―――私は嬉しかった!フィレイさんと二度と会えないかもしれないと思って。それでも待っていて欲しいともいわれない自分が惨めで。わかってるのに自分でも捨てきれないでいた想いが、あなたにもう一度会えたことで解けて消えたことが嬉しかった。これで終わりにできるって、辛い終わりにならなくて済むって、本当に嬉しいって思えて幸せだった」


驚きに目を見開くフィレイに向けた笑みは酷く情けないものに違いない。

割り切ったようなふりをして。強くなったふりをして。本当は己の卑小さを必死で隠しただけだ。

格好つけて身を引いて、彼を傷つけてでも押し通して、守りたかったのは彼じゃない。


「……これで綺麗なままでいられると思ったんです。叶わないことに酔いしれて、それでも相手の幸せを願うことのできる自分を保つことができるなら、私は私の好きな私でいられる。私は、あなたよりも私を選んだ。そんな自分を隠すことができるから、だから私は身を引くことを選んだんです」


あなたが思うような綺麗な私なんかじゃない。

そんな私にあなたの傍にいる資格があるはずもない。

差しのべられた手に安易に触れることなどできはしないのです。


決して知られたくなかった相手に醜い心を晒して、心底欲しいと望んだ手を自ら弾いて、リネットは涙を零す。


唐突な告白に茫然と佇むフィレイの手から、黒い布が転がり落ちた。

物言わぬ小さな黒猫の白い足が、土に塗れて汚れていった。

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