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靴下猫の行方  作者: 陽菜
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「おいフィレイ、なんか食い物ないかー」

は、腹減った……と机に突っ伏す演技をする万年欠食男と噂の男は、その後いくら待っても反応のない友人を見上げた。そこにいたのはいつもと変わらぬさほど特徴のない顔立ちの男。彫りは深い方だが全体で見ると何故か可もなく不可もないタイプに分類されてしまうため異性の口にのぼるようなタイプではない。それでも性格は真面目な彼が、仕事終わりとはいえ、呆けたように気の抜けた顔をしているのも珍しい。そのままの姿勢で時を止めているフィレイを指差し周囲に回答を求めるも、目を逸らすか首を振るかで明確な答えは返ってこず、彼はそのままフィレイを引きずり部屋を後にした。

目指すは馴染みの食堂である。



「―――で、何があった」

「わからない……」

半ば無理やり引きずられ席に座ってまず渡された水を容赦なく頭から浴びせられた。正気に返ったフィレイは、怒る気力もなく首尾良く差し出されたタオルを頭から被って項垂れる。

昼間のことが頭から離れない。けれど未だ理解が追いつかず、フィレイは茫然と呟いた。業務だけは淡々とこなしはしたが正直今でも頭が回っていない。ついでに言えば、目の前の机に大量に盛られていたはずの料理が素晴らしい速度で端からなくなっていく光景にも追いつけない。

遠征から帰って以来浮かれた気持ちが地にたたき落とされた衝撃が大きすぎ、足を付けているという実感がわかなかった。

促す声に導かれるまま話を整理すると、長く短い話の末に重さを伴った静寂がやってきた。友が咀嚼する音だけが空間を支配する音となる。

ぽた、と髪から滴り落ちた水滴が、じわりと服の色を染めた。

「……デイリオ」

「……おう」

「もしかして俺はふられたのか?」

「俺に訊くなよ」

「お前の妹は彼女の友達だったろう……」

茫然としたフィレイの声にデイリオが苦い顔でこめかみを押さえた。話半ばに聞いた事なんだが、と濁した言葉は、躊躇いが色濃く映っていた。

「流石に何かの間違いだと思ってたんだが……『心が満たされたみたいに見える』ってのは聞いた」

「は……?」

「今回の遠征、一歩間違えれば命の危険があったわけだろ?」

「ああ」

「しかも一時情報が錯綜して、お前のとこの部隊が行方不明になったんじゃないかって話があった」

「ああ」

「まあ結局それは誤報で、お前も俺も何事もなく戻ってこられたわけだが、国民にはきちんと伝わらなかったらしいってのも知ってるな?」

「……それが?」

嫌な予感というものは当たってほしくない時にあたるものかもしれない。言い淀む友人の声には、それこそまさかという想いが滲んでいる。

「つまりその、……もう駄目かもしれないって心配しただけに、無事に帰ったって事実だけで、他に何もいらなくなったのかもしれない、……と、妹は言っていた」

「は……」

「だからさ、お前らって特に約束してたわけじゃないんだろう?だから色々具体的な話もしてなくて、結局は曖昧な関係だったわけで。なんつーかこう、彼女の中で燻ってた色んな気持ちがさ、命の危機みたいなもん前にして追いつめられて、だけどそれが回避されたことで、色々と昇華されちまったんじゃないかって話。お前が生きてたってことに十分満たされて、お前とどうこうなりたいとかって気持ちがなくなっちまったんじゃないかって」

ひゅっとフィレイの喉が鳴る。心配していた、という友の言葉が右から左に流れていく。


―――それだけで私は幸せです。


あの日フィレイの胸を締め付けた天上の頬笑みが、今度は眩暈を呼んでくる。


本格的な戦に発展することを避けるために出動した本隊とは別に組織された部隊の1人として遠征に参加することが決まった日、フィレイの頭に真っ先に浮かんだのは家族ではなくリネットだった。

想定以上の兵を用意することでうまく事が運べば何事もなく回避できるが、下手に転べば相手が逆上しそのまま命の奪いあいになるかもしれない事態。ともすれば彼女に二度と会うことはできないのかもしれない。フィレイは騎士としての覚悟はとうにできていたが、彼女を置いていく覚悟はできていなかった。


―――自分がいなくなったら、リネットは泣いてくれるだろうか。


何も伝えていないにも関わらず、身勝手にもそんなことを考えた。

リネットと自分は街で会えば話すだけの関係だ。

けれどそれだけではない気持ちがフィレイの中には確かにあった。

警邏の最中に初めて会った日、仕事に慣れず密かに落ち込んでいたフィレイに、リネットが味見用のパンをくれた。彼女にとっては誰にでも配るなんでもないことのひとつだったが、それをきっかけにフィレイはリネットと挨拶や世間話をするようになった。

繰り返される日常の中で、少しずつ降り積もった想いにフィレイが気づいたのはいつだったろう。

いつでも元気にパンを売る彼女の姿を自然と目で追いかけている自分に気付いた。いつしか警邏の時間に彼女が店の外で呼び込みをしてくれないかと願うようになった。彼が通りかかるその度に外を気にする様子を見せるようになった彼女に、気持ちはますます膨らんだ。

フィレイの自惚れでなければ、未だはっきりと口にすることができない想いを、それでも彼女は受け取ってくれているように思っていたのに。


戦を前にフィレイが想いや約束を口に出すことができなかったのは、万一の時に彼女を縛ってしまうかもしれないことが怖かったからだ。

今生の別れになるかもしれないとわかっていても、いやわかっていたから、言いたくて言えない言葉を飲み込み別れを告げた。

だからこそ、帰ってきたフィレイに彼女が見せた涙と言葉は、フィレイの心を強く揺さぶった。


―――生きて戻ってきてくれて、本当に良かった。


何も告げずに発つことを決めたのは自分だった。

けれど街から遠ざかるにつれ、何も伝えられなかったことを後悔した。

そして無事帰ったら自分から必ず告げようと決めていた。例え彼女に想いを返されなくてもいいから、自分のために気持ちを伝えなければならないと思っていた。

だからこそ、彼女の言葉に自分の気持ちを肯定されたようで胸が詰まったのだ。


さらさらと端から己が崩れていくような感覚に我知らずフィレイは震えた。


ありがとう、と涙ながら彼女は告げた。

凱旋の際に言葉を交わせる時間は少なく、感情が高ぶりすぎてうまく言葉に表すには到底足りなかった。

戦後すぐにでもリネットに会いたくて、けれど事後処理に忙殺されていけなくて、間が空けば空くほど心は焦燥に駆られていた。もどかしさに悶えながらも、繋がった彼女の気持ちと己の気持ちのその先を1人頭で想像し、布団の中で照れて暴れたこともある。

漸く巡ってきた警邏の時間。久々に会えた彼女の笑顔に我慢ができず、約束を願ったフィレイ。

けれどリネットの笑顔は装いがまったくなくて、故にフィレイが言葉を挟む余地がなかった。


今とても幸せだと。

だからフィレイにも幸せになってほしいと。


今思えばまるで何もかもを許容した女神のような表情だった。

そんな彼女が帰還した日の彼女と重ならず、いやむしろ重なってきたから、フィレイの目の前が遠くなる。

そう、フィレイがリネットの言葉に固まってしまったのは、そこに偽りを感じ取ることができなかったからだ。


リネットのいない世界におけるフィレイの幸せを本気で願っていたリネット。

胸を張って押された太鼓判に、フィレイは改めて言葉を見つけられない程の衝撃を受けた。


「……なんっなんでだ?そんなことがあっていいのか?!」

「うっせーな騒ぐなあほ!気になるなら本人に訊け!」

「至極満足そうだったんだっ俺と一緒に幸せになるなんて選択肢まるで考えていないみたいな言い方であっさり線をひかれたんだぞ?!もう一度最後通牒突き付けられるなんてお前できるか?!」

がくがくと首元を揺さぶるフィレイの手を引き剥がしながらデイリオは怒鳴りつける。

「できるできねぇじゃなくてやれっつってんだよ!元はてめーの不始末だろうが!戻っただけで満足させてんじゃねぇ!あと俺の消化に悪いことすんなっ」

「お前はあの笑顔を見てないからそんなことが言えるんだ!爽やか過ぎて言葉がでなかったんだぞ?!逃げられないよう周りに人がいるタイミングを選んだのにそれに気づかないリネットじゃないだろうに俺に機会を与える気はないときっぱり言ったんだ!あんな割り切り方されたら心も折れるだろう?!」

思わずデイリオの胸倉をつかみ上げたフィレイに煽られたデイリオが叫び返す。

「だからそれが自業自得だって言ってんだろ!大体お前がちゃんと話さないから彼女も色々誤解してんだろうが!」

「誤解?!誤解って何が…そうだお前、さっきリネットの中で燻ってたものがあるって、まさか他にも何かあるのか?そうなのか?!」

「知るか!俺は人伝手に聞いただけだ!お前が実は下級貴族の長男だってことや、体の弱い弟がいることを彼女が気にしてるらしいとか、1人娘だから家族には将来の相手は店を継いでくれる相手を望まれているらしいとか、先走ってそんなことまで考えちまう自分に落ち込んでいるとか!」

「なっ何でそんなことをお前が知っている?!」

勢い余ってガキっとデイリオを殴りつけたフィレイに、デイリオが眉をはねあげる。

僅かに血の滲んだ口端を拭ったデイリオがすぐさま殴り返してフィレイの体が吹っ飛んだ。

派手な音をたてて飛び散った食器の音が響いてあがる従業員の悲鳴に負けない大声が食堂中に響き渡った。

「だから聞いただけだつってんだろーが!お前が動かねーのにお前の事情を人づてに聞いた情報で話せるわけねーだろ?!妹にさりげなく大丈夫だと伝えろっと言っても彼女はなかなか信じないっつーし、それもこれも全部お前のせいだろうが馬鹿野郎!!」

盛大に怒鳴るデイリオの声にくらくらする頭を抱え、フィレイは喘ぐ。

フィレイはもう領地もなく爵位すら危うい立場ではあるが確かに下級貴族の家の生まれだ。長男ではあるものの下に弟がいることもあり継承権を放棄し稼ぎのために騎士になったが、その弟の体が弱いことも事実。パン屋の1人娘の彼女が家を継げる婿をとるよう願われるのも考えてみれば当たり前のことだが、今のような曖昧なままの関係では踏み込むことができるものでもなかった。

他者からいくら言葉をもらっても、フィレイ自身が何も伝えてないのに信じろというにも限度がある。

言えなかったこと。知らなかったこと。彼女が抱えていたことに初めて向き合い、フィレイは己の情けなさに吐き気がした。


―――真っ直ぐな笑顔の向こうで彼女が切り捨てたのは、フィレイではなくフィレイを思う己の気持ちだったのではないか。


「おらフィレイ!」

バシっと強く投げつけられたものをフィレイは咄嗟に受け止めた。

見覚えのある黒をじっくり見つめたフィレイに、ふんぞり返って腕を組んだデイリオが高らかに言い放つ。

「いつまで座りこんでんだ、男ならさっさと好きな女の1人や2人かっさらってこいっつってんだよ!!」

「……うるさいぞデイリオっ2人もいるか!好きな女はリネット1人だ!!」

「だったらさっさと、その1人を浚っえっ!」

「言われなくても…っ!」

投げつけられたものを強く握りしめたフィレイの拳に血管が浮く。

友の手荒な発破を背にフィレイは負けじと駆けだした。

2人の男のやりとりを固唾をのんで見守っていた周囲から喝采が飛び出しフィレイの背中を後押しした。

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