第四十二話 非常識
最近、というかこの世界に来て、妙に規則正しい生活が送れている。前は学校に行くのもだるくなったりして生活リズムなんて崩れまくりだったのに……。
それに、大きな決断をする時はぐだぐだと行動が起こせずにいたのに、この世界では何かをしなければいけないという使命感にかられることがよくある。
周りに人間なんていない方が気楽で自分にとっても得だと思っていたが、ドラゴを始めとして仲間がたくさんいることで、精神的にも落ち着けているような気がする。あくまで気がするだけだから、実際には本質的に何も変わってないのかもしれないが。
昨日ちょっと緊張していた割に、今日も朝すっきりと起きられた俺はいろいろなことを考えながらジェニファー宅へ行く準備をしていた。
「よし行くか」
ひとりごとでこう呟いたのだが、それがドラゴやセリアンにも聞こえていたらしく、二人からも返事が返ってくる。
「承知いたしました」
「わかった」
ミレーヌたちと合流してドラゴに乗ってジェニファー宅へと向かう。
よく考えれば俺は道を全然覚えていなかったのだが、ドラゴがしっかりと覚えていたようですぐに着く。途中、ガードマンのようなやつらに小さな紙でできた通行許可証を見せなければならなかったが、それも大して問題はなかった。
ドアをノックをして「入ってくれ」との声が聞こえるも、例のごとくジャニファーは玄関ではなく奥のリビングで出迎えてくれた。これがこの国のスタンダードな出迎え方なのだろうか。それとも、こいつが特別なのかはちょっとわからないがまあいい。
「やあ、待ってたよソラ君。とは言っても、自分の予想よりもだいぶ早く来てくれたのだがね」
今の時間のことを言ってるのか、日数のことを言ってるのか、まあ両方だろうが俺は誘導されるままに椅子に座り、出された紅茶に一口だけ口をつけたあと、すぐに俺の意思を伝えた。
「お前の部下になってやる」
芸能界をセミリタイアしたと言いつつ、ちょくちょくテレビに出ていたおっさんみたいな口調で俺はそう言った。
無礼な俺の言葉に対して特に気にした様子もなく、ジェニファーは満面の笑みを浮かべる。
「実はそう言ってくれるんじゃないかと思っていたのだよ。自分の予感は外れたことがないのでね。理由なんて野暮なことは聞かない。嬉しいよ」
そう言って、ジェニファーはつかつかと俺に歩み寄ってきて俺をぎゅっと抱きしめる。
そして、いきなりキスをされた。口に。
「な、何やってんだお前は!?」
「部下にキスをするのはダメだったか」
「い、いや部下にとかそういう問題じゃねーから!」
「では、どういう問題なのだい?」
何が悪いのか全くわからないといった様子で聞き返すジェニファー。
「ふ、普通しねーだろ。そ、そういうことはだな……」
ジェニファーは思索にふけりながらこう言った。
「普通……。恥ずかしながら自分は普通の考えとか常識といったものが少しだけ欠如しているところがあるようで……、その……、よかったらこれからそれを教えてくれると助かる。とにかく部下にキスをするのはダメなのだな」
「ま、まあそういうことだな。いや、全くダメってわけでもないだろうが基本的にはダメだ」
さっきから動揺しすぎていてどもりが止まらない。さすがにこういうことになるとは全く想像していなかった。完全に変人の域を超えてるだろこいつ。
いや、もしかしたらこの世界ではこれが普通なのか? もし、そうだったとしてもそれじゃ俺の身が持たない。
俺がゴチャゴチャ考えていると、ジェニファーはさらに話を進めてきた。
「基本的に、ということはしてもいい時があるということでもあるのだな?」
「いや、まあとにかくダメだ。というか、お前はこの都市のナンバー二なんだろ? そんなんで務まるのか?」
なんかこれ以上この話を続けると、ドツボにはまりそうなので無理矢理話を切り替えた。関係ありそうで実は全く関係のない話で話を逸らすのには慣れている。ネット上での会話なんてそんなのばっかりだしな。
それに黙ってはいるが、ドラゴたちの視線も微妙に痛い。
「ナンバー二? 誰が?」
ジェニファーはきょとんとしている。
「いや、お前がだよ」
「君はこの都市の実情についてよく知らないのだろう? 噂話で早計に決めつけて話をするのはいただけないな」
「ナンバー二じゃないならお前はなんなんだ?」
「その前にお前というのは止めてもらえないだろうか。仮にも自分は君の上司だ。前にも言ったように自分のことは名前で呼んでくれたまえ」
めんどくさいので同じ言葉で言い直す。
「ナンバー二じゃないならジェニファーはなんなんだ?」
「この都市には都市長をトップとして、その下に大きく分けて三つの機関が存在する。軍事機関、内政機関、外交機関。自分は主に軍事機関の下で働いている。まあ、本来自分が所属している機関以外への干渉は禁じられているのだが、自分は特別に内政や外交にも口出しをしているので、そのような噂が流れているのだろうな」
それって実質的に都市の全機関を牛耳ってるって意味なんじゃ……、とは思ったが、とりあえず話を聞くことにした。
「なるほどわかった。それで?」
「三つの機関は独立した機構でなければならない反面、お互いに連携を取り合うべき機関でもある。例えば、外交が失敗すれば軍事が動かざるを得なくなるし、軍事に予算を注ぐと内政へのしわ寄せがくるといったような具合に。そのバランスを保つために自分のような存在もある程度は必要なわけだね。別に自分が全てを決めているわけではない」
日本で言う三権分立や、官僚制に近いものが導入されているわけか。民主主義が発達しているようには思えないが。
というか、この都市の政治については正直どうでもいい。問題は俺が何をやらされるかだ。
「で、俺は何をやればいいんだ?」
「前にも言ったが、君には外敵を打ち払ってもらう。昨日、我がタラシア都市に向けて隣国から軍隊が向かっている報告を受けた。さっそくだが、君はその軍隊を追い払ってくれたまえ」
「くれたまへ~、ってそんな呑気なこと言ってる場合じゃねーだろ。こっちとあっちの戦力は? 他に情報は?」
「まあ、焦るな。これはよくあることでね。敵の兵数は約三千。それほど多くもない。厄介なのはこういう小規模な攻撃が断続的に行われ、都市民たちの不安を煽っていることなのだよ。本来であれば都市に近い位置で迎撃するのが一番なのだが、いたずらに都市民の不安を煽りたくないので君には敵を野戦で迎え撃ってもらう。もし、君が失敗したら自分が尻ぬぐいをすることになるから心配するな。ただ、自分を失望させないでくれよ」
こんなに早く戦争に行くことになるとは……。微妙に俺の予定が狂ったが仕方ない。戦争ともなれば予想外の出来事が起こって当然だろうしな。
「いきなりそんな大事なことをやらせるんだな」
「さっきも言ったが、よくあることなのだよ。この程度の外敵を抑えられないようじゃ君を雇う意味もない。しかも敵の指揮官はいつも同じ。昔タラシア都市にいた自分の幼馴染だ」
さらっと大事なことを二つほど言われたような気がするが気にしないことにしよう。
とにかく、勝たないと即クビになるのは間違いなさそうだ。




