第7話 観覧席の戦慄
「すごいね! 彼、手加減しているとはいえ隊長の攻撃を止められるなんて」
防音ガラス越しにビリッと空気が震えるほどの衝撃を見届けた後、穏田のどかが吞気に手を叩いて笑った。
「あれで手加減してるんすか!?」
ガラスにべったりと張り付いていた俺は、思わず素っ頓狂な声を上げた。今の一撃は、自分でも見切れる自信がない。
「そうだよ~。隊長の本気はあんなものじゃないよ~」
「そういえば、のどかさんは同じ部隊だったんでしたっけ?」
「もう十年も前の話だけどね~」
「確か、若きエースとか呼ばれてる頃でしたよね」
「そうだよ~、今でこそA級隊員になっているけどね」
特務防衛局には厳格なランク制度が存在する。
所属する隊員たちは、その魔力量や戦闘技能、任務の達成度などの総合的な評価によって、下から順にC級、B級、A級の三段階に振り分けられる。現在、防衛局に所属する戦闘員の全体人数はおよそ1000人程だ。
C級は全体の3割。主に実戦経験の浅い見習いや、後方支援・事後処理を担当する訓練生。
B級は全体の6割。局の主力として前線に立ち、標準的な怪異の討伐を担う実戦部隊。防衛局員の大部分はここに属し、俺もこのB級の上位に位置している。
そしてA級――わずか50人程度しか存在しない、単独で局地的な災害規模の怪異すらねじ伏せる一騎当千のエリートだ。
ゴクリと息を呑み、再びガラスの向こうへ視線を戻した、その時だった。
マイクを通して、訓練室からの音声が響いてくる。
『これから、私と本気の模擬戦をするわ』
『……え? 死にますよ……俺』
「……おいおい、マジかよ」
冗談だろ、と顔を引きつらせる新人の声に、俺も心の中で完全に同意していた。
先ほどの神速の突きでさえ、並の防衛局員なら死んでいる。一騎当千のA級隊長が今から本気を出すというのだ。
『来なさい……駄犬』
『……行きます、マスター!』
「は……? なんだ、あれ……」
俺は自分の目から送られてくる映像がまったく脳で処理しきれず、間抜けな声を漏らした。
新人の両足と左腕が、突如としてドロドロの銀色に溶けたのだ。そこから無数の銀の弾丸が散弾のように放たれたが、隊長は表情一つ変えず、ただの木剣でそれをハエでも払うように弾き落としていく。
直後、とんでもない爆発音とともに防音ガラスのこちら側までビリビリと空気が震えた。
訓練室の分厚い床がすり鉢状に陥没したかと思えば、新人の姿がブレて消える。時速数百キロは出ているであろう、大砲の弾のような神速の突進。B級である俺の動体視力では、完全に線にしか見えなかった。
(あれをまともに食らえば、いくら隊長でも……!)
俺が息を呑んだ次の瞬間、信じられない金属音が響き渡り、凄まじい衝撃波がガラスを叩いた。
(数百キロの速度をその場から動かず止めた……!? それに必要な力なんて想像もできねえ)
それどころか、隊長は流れるような足掛けで新人の体勢を崩し、がら空きの鳩尾を抉って分厚い壁まで吹き飛ばした。
「化物かよ……ん? 隊長、何するつもりだ?」
彼女は人間の肉体と木剣の魔術だけで、文字通り白色の閃光と化して突進し、新人の頭の横にあった強化壁を豆腐のように抉り取って粉砕したのだ。
「殺す気か!? いくらなんでもやりすぎだろ!」
「あはは! 隊長、容赦ないね~!」
戦慄する俺の横で、穏田のどかが吞気に手を叩いて笑っている。
彼女の手には、いつの間にかどこから取り出したのか、ポップコーンの袋が握られていた。
「のどかさん!? なんでそんな普通なんスか! あいつ、死んじゃいますよ!」
「いや~さすがに隊長も殺しはしないよ~」
新人が、手持ちの木剣をドロドロの銀色で覆い、それを一瞬でしなる鞭へと変質させて隊長を強襲した。だが、隊長は自らの剣に鞭をわざと絡ませて手繰り寄せ、笑いながらさらに加速して距離を詰める。
それに対し、新人は自分から隊長の剣を自身の腕ごと鎖で拘束させ、至近距離で動きが止まった瞬間に――あろうことか自分の胴体から直接銀の槍を撃ち出し、隊長に武器を手放させたのだ。
「自分の身体の構造すら無視して奇襲しやがった……あいつ、本当に人間じゃねえ……」
(俺の後ろに隠れるだけの、スラム上がりの足手まといだと思っていた。だが、違う。あの理不尽なA級の隊長と、本気で殺し合いのような連撃を打ち合っているアイツは、正真正銘、得体の知れない怪物だ)
だが、その怪物がなりふり構わず必殺の奇襲を放っても。
隊長は一切の躊躇なく武器を捨て、しゃがみ込んでその槍を躱したかと思うと、極限まで圧縮されたバネのように下から跳ね上がり、流れるような動作のまま新人の顎を正確に蹴り抜いた。
バケモノの渾身の知恵と火力を、極限まで練り上げられたただの純粋な人間が、完璧に圧倒していたのだ。
「……あんなバケモノみたいな動きでも、隊長にはかすりもしねえのかよ……」
決着がつき、静まり返った訓練室。
模擬戦の前にマイク越しに聞こえた隊長の言葉が、俺の脳裏に蘇る。
『黎。あいつらはもう、お前の背中を預かる仲間よ』
「……仲間、か」
獅狼はガラスに当てていた拳を、ギュッと強く握り込んだ。
得体の知れない化物。自分とは比べ物にならない、規格外の力を持つ新人への、どうしようもない嫉妬と悔しさ。
だが、あの新人は今、自分たちにその正体を隠すことなく晒し、隊長に認められようと死に物狂いで足掻き、そして限界を超えて倒れた。
その圧倒的な強さも、泥臭い根性も――ただの強がりで否定するには、あまりにも本物すぎた。
「……チッ。あんな規格外のバケモノの盾になるんだ。俺も相当鍛え直さねえと、背中なんか守ってやれねえな」
悪態をつく獅狼の瞳からは、先程までの嫌悪感は完全に消え去っていた。
そして、その獅狼の横顔を見つめながら、のどかはタレ目を細めて微かに微笑んでいた。




