第16話 蠢く百の眼
俺は鳴り続ける端末を耳に押し当てた。
「こちら、灰原小隊所属、黎です。緊急回線を受信、隊長、応答願います」
『――こちら、灰原小隊隊長、蛍。音声クリアよ。状況はサイレンで理解しているわね?』
「はい。現在、居住区の第3広場に待機中。指示を」
「商業・居住区エリアに5箇所、スラムエリアにはまだ確認取れていないけれど決して少なくない数のテロが起きているわ、……獅狼とのどかをそちらに送るから、突入して、民間人を守りつつ対象を無力化しなさい」
「了解、これより作戦行動へ移行します」
通信が切れる。
俺は端末をポケットにねじ込み、足元を見下ろした。
「聞いた通りだ。ヴィヴィ」
「にゃんっ!」
ヴィヴィはすでに黒猫の姿に戻り、俺の肩へピョンと飛び乗っていた。
「ヴィヴィ、俺前からやってみたいことがあったんだ」
「?何、黎」
背中に四角い簡単なデバイスを作り、両手に銃型デバイスを生成する。銃型のデバイスには銃弾ではなく、俺の体の一部をワイヤーのように射出できるように調整する。
「背中に【身体強化】と【ベクトル操作】の魔術刻印、銃には【流体性圧縮】を刻んでくれ」
「うん?……わかった、でもこれで何するの?」
ヴィヴィは肩で不思議そうに首を傾げながらも、そのシアン色の瞳を怪しく輝かせた。彼女の喉が小さく鳴ると、練り上げられた魔力が、俺の生成した即席のデバイスへと流れ込んでいく。
魔術刻印ができたことを確認すると、俺は【身体強化】と【ベクトル操作】を使い、真上へと体を飛ばす。
空中で右手の銃口を遠くの時計塔へ向け、引き金を引いた。限界まで圧縮された銀色の流体が極薄の強靭なワイヤーとなって射出され、壁面へピタリと張り付く。
すぐさまワイヤーを自分のほうに回収することで自分を時計塔のほうへ飛ばす。ワイヤーを支点とし、俺は凄まじい速度で体をスイングさせる。
『わあぁぁぁ!!』
空中で左手の銃を別のビルに撃ち込み、今度は下方へのベクトルを乗せる。遠心力と指向性の相乗効果でアクロバティックに軌道を修正しながら、黒煙の上がる第7商業エリアへと一直線に駆け抜けた。
数分後。第7商業エリアの大通りを見下ろせるビルの屋上に着地した俺は、目の前に広がる惨状に息を呑んだ。
美しい石畳は無惨に破壊され瓦礫の山と化し、至る所で火の手が上がっている。
俺は屋上の縁から、敵群を観察した。
奴らの姿は、大きく二つの特徴的な群れに分かれている。
一つは、異常に肥大化した肉体を持つ者たち。皮膚は深海のフジツボや黒い鱗のような分厚い装甲に覆われ、腕は巨大な蟹の鋏などの水中生物に似ているものへと変異している。歩くたびにドス黒い海水のような粘液を滴らせるその姿は、明らかな異様さを醸し出していた。
もう一つは、対照的にひどく痩せ細った者たち。骨は鳥のように空洞化して伸びきり、腕は蟷螂のような極薄の刃へと変異している。不気味なほど身軽で、暴風そのもののように速い。
「……ヒィッ……たすけ、て……!」
悲鳴が上がった。
瓦礫の陰。母親とはぐれたのであろう小さな子供が一人、へたり込んで泣き叫んでいる。
その眼前に、腕が蛸のように変化している異形が立っていた。蛸の触手が子供の喉を絞めようとしている。
「ヴィヴィ、腹いっぱい食わせてやる。いくぞ!」
『待ってましたぁっ!!』
俺は屋上の縁を強く蹴り飛ばした。
【身体強化】の魔術が爆発的な推進力を生み出し、周囲の空気が悲鳴を上げて爆ぜる。
今、瞬間で作れる最重量の大剣を生成する。
重力による加速とベクトル操作による急降下。一直線に、泣き叫ぶ男の子の元へ向かう。
着地と同時。男の子に迫っていた蛸の異形の触手を、一瞬にして真っ二つに斬り伏せる。
だがその瞬間、風を裂く鋭い音が響いた。
横合いから、細身の異形が突っ込んでくる。鎌のように変異した腕が、俺の首筋を刈り取ろうと振り抜かれるのが見えた。さらに逆の横からは、触手を切られた蛸の異形が、残った触手を俺の胴体を目掛けて叩きつけてくる。
「ヴィヴィ!!子供の回収を頼んだ!!」
『了解!』
俺は叫ぶと同時に、ヴィヴィを子供のほうに投げる。
空中で黒猫の姿が流体へと溶け、男の子の小さな身体へと絡みつく。流体は瞬時に男の子全身を覆う保護膜となりながら、俺の背中に巻き付き固定した。
『ガッチリ固定したよ!』
飛んでくる鎌と触手が俺に届く直前。
俺は、地面にめり込んだ超重量の大剣を、身体強化とベクトル操作の強引な合わせ技で無理やり横へと振り抜いた。
細身の異形はは軽々と壁まで弾き飛ばされ、蛸の異形も体勢を大きく崩して瓦礫に突っ込んだ。
「――撤退だ!」
敵が怯んだその一瞬の隙を突き、俺は大剣を流体に戻して体内へ回収。空いた両手で即座に銃型デバイスを生成し、ビルの壁面へ銀のワイヤーを撃ち込む。
背中に子供を背負ったままワイヤーを強引に巻き取り、上方へと跳躍する。
「最後に一発だけ打ち込むぞ!」
俺は片腕をまるまる変形させ、大口径のライフル型のデバイスを生成する。
「魔術は【爆発エネルギー変換】で頼む」
『オッケー!』
ヴィヴィの声と同時に、腕の内側を魔力が駆け抜ける。
ヴィヴィの声と同時に、俺の片腕をまるまる変形させた大口径のライフルの機関部が、事象の固定強度を極限まで高めた銀の流体を充填し、熱を帯びて咆哮を上げる。
その中心部へ向け、引き金を引いた。
ライフルの銃口から、銀の閃光を纏った塊が、音を置き去りにする速度で撃ち出された。
打ち出された塊は空中で大きくなりながら、着弾する。
爆発エネルギーの塊が破裂した瞬間、着弾点を中心に凄まじい爆発が巻き起こった。
石畳が吹き飛び、周囲の建物の壁がクレーターのように抉り取られ、異形どもの姿が圧倒的な爆炎と衝撃波に完全に呑み込まれる。
俺はその発射の強烈な反動すらも推進力に変え、後方の上空へとさらに高く跳躍した。
爆炎と粉塵が作り出した完璧な煙幕を背に、ワイヤーを支点にしてアクロバティックに空中をスイングする。遠心力を利用し、一気に大通りの喧騒から離脱する。
ーーー
……数分後。
大通りから少し離れた、安全な路地裏の屋上に着地し、俺は深く息を吐き出した。
初めて市民の命が掛かっているという重圧が自分にのしかかってきたような気がした。
背中に巻き付いていた流体がスルスルと解け、男の子を優しく地面に降ろす。流体は再び黒猫の姿へと戻り、俺の肩へピョンと飛び乗った。
「ヴィヴィ、子供にケガは?」
『うん、バッチリ! ……ケガは、ないよ』
ヴィヴィの声は、無事に回収できた安堵と、初めて見る凄惨な戦場への動揺が混ざり、少し震えていた。
俺はへたり込む子供の頭を少し乱暴に撫でてやると、遠くから響き続ける爆音とサイレンの方角を鋭く睨みつけた。
「……ひぐっ、うぇぇぇん……!!」
恐怖の糸が切れたように、足元の男の子が大声を上げて泣き始める。
俺は撫でていた手を引っ込め、小さくため息をついた。
「おいおい、泣くなよ。怪我はないって言ったろ」
不器用に声をかけるが、泣き止む気配はない。
その時、路地裏の入り口から重い足音が近づいてきた。
「随分とド派手にぶっ放したな、黎。おかげで迷わず合流できたぜ」
獅狼が巨大なデバイスを床のコンクリートに突き刺しながら話しかけてきた。
その後ろから、神経系デバイスの淡い光の輪をふんわりと宙に浮かせた穏田のどかが、小走りで顔を出す。
「お疲れ様、黎くん。……あらあら、怖かったわね。もう大丈夫よ」
のどかが素早く男の子に駆け寄り、目線を合わせて優しく背中をさする。彼女の魔力が淡く光り、男の子のパニック状態の精神を少しずつ落ち着かせていく。
「うわぁ!! のどかさん、後ろにいたんですか!?」
突然背後から声を出したのどかに、大柄な獅狼がビクッと肩を揺らして素っ頓狂な声を上げた。
「そうだよ~」
のどかが男の子の涙をハンカチで拭いながら、ふわりと微笑む。
「一緒に来てたんじゃなかったのか?」
俺が目を丸くして尋ねると、獅狼はバツが悪そうに頭を掻いた。
「道中までは一緒に来たぜ。だが、俺が大通りで派手に雑魚を散らしてヘイトを集めてる間、のどかさん、完全に気配消して民間人の保護に回ってたんだよ、別々に行動してたから、いきなり後ろにいたのは驚いたぜ」
のどかの神経系デバイスは、周囲の魔力や気配を完全にコントロールし、味方の支援から自身の隠密までこなす。その代わりかなりの魔力消費量と使用難易度が高いもののはずだ。前衛で暴れ回る俺や獅狼とはベクトルが違うが、底知れない恐ろしさがある。
「はい、この子はもう大丈夫。一般部隊の救護班がすぐそこの通りまで来てるから、私が引き渡してくるわね。……それより」
のどかの優しい、けれど全てを見透かすような視線が、俺の肩で丸まっている黒猫に向けられた。
「はい、この子はもう大丈夫。一般部隊の救護班がすぐそこの通りまで来てるから、私が引き渡してくるわ」
そうしているとブブッ、とみんなのポケットで端末が短く震えた。
『灰原小隊、状況が動いたわ』
鼓膜を打つ蛍隊長の冷徹な声に、俺と獅狼は一斉に表情を引き締める。のどかも男の子の手を引いたまま、真剣な顔つきになった。
『地上のテロはただの陽動だったみたいね。第7エリアの地下、旧地下鉄路線に、信じられない数のシステム外反応が集結しつつあるわ。完全に群れを形成している』
「地下鉄に……」
『ええ。おそらくそこから防衛局の地下中枢へ侵攻する気よ。獅狼とのどかは地上の残党処理と封鎖を継続。特務部隊の本隊が到着するまで、誰か一人、地下に先行して敵の足止めをしてちょうだい』
「俺が行きます」
俺は即座に志願した。
「おい黎、単独で突っ込む気かよ! 下手すりゃうじゃうじゃいるど真ん中だぞ!」
「だから俺が行くんだ。機動力と殲滅力なら俺が一番マシだろ。お前らが残った方が地上の被害は確実に抑えられる」
獅狼が舌打ちをしつつも引き下がる。俺の言うことが理にかなっていると分かっているからだ。
『許可するわ、黎。こちらも一人増援を行かせるわ』
「了解」
通信が切れ、俺は路地裏のマンホール――地下鉄の整備用通路へと続くハッチを蹴り開けた。
「行くぞ、ヴィヴィ。また大仕事だ」
『……うん! 私が黎を守る!』
暗く冷たい地下通路を、身体強化の魔術を使って疾走する。
やがて、整備通路を抜けて広大な地下鉄のプラットホームへ飛び降りた瞬間――俺は、思わず息を呑んだ。
「……冗談だろ」
薄暗い非常灯に照らされたホームと線路には、と異形どもがひしめき合っていた。その数は数十ではきかない。百以上の赤い双眸が、侵入者である俺を一斉に睨みつけていた。




