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夏の宵、秋の宵

作者: Eisei3
掲載日:2026/01/19

 

 「ミーン、ミンミン、ミー。ミーン、…」

 「シャー、シャー、シャー……」

 

 今朝も朝から抜けるような青空が広がり、木々の梢ではセミ達が今が盛りと煩く鳴き交わしている。

 テレビの天気予報では今日もまた酷暑日になる予報で、気怠い熱気をはらんだ空気が身体にねっとりと絡みついてくる。盆地の夏は毎年、全国でも一、二を争うほどの暑さだった。

 私は郵便受けから新聞を抜き取ると、暫し庭の緑の中に佇んだ。

 庭には、昨夜の熱帯夜の名残りの夜気がまだ色濃く残ってはいたが、濃い緑色の葉を広げた赤いハイビスカスの花の香りに庭から立ち上る湿った土の匂いが混じり合い、幾分かの涼しさを周囲に漂わせている。

 

 今日は父の命日であった。


 父は数年前の夏、近年の温暖化の影響か、連日最高気温が三十五℃を越えていた七月の初旬、夏風邪をこじらせた肺炎で亡くなっていた。

 実家で執り行われた葬儀の日も、雲一つ無い青空に朝から照りつける太陽の日射しが眩しく、午後の日差しの中に黒い喪服を着て立ち、弔問客達への返礼の挨拶をするのが汗だくで酷く辛かったことを覚えている。


 リビングに隣接した和室に祭られている仏壇の引き戸を開け、そこに供えられている湯呑み茶碗を手に取ると、キッチンへと向かい湯呑みの水を新しい水道水に汲み替えた。

 そして再び仏壇に向かうと湯呑み茶碗を祭壇の前に供えた。

 仏壇の前に立ったまま手を合わせ、目を閉じると、心の中で「南無妙法蓮華経」と念仏を唱え、父への感謝と家族達の安全と多幸をお祈りする。

 仏壇の祭壇に祭られた、こげ茶色の戒名が刻まれた位牌を見ていると、父の姿が思い出され、私は、遠い幼い日の父と過ごした日々の懐かしい記憶を呼覚ましていた。



 この季節になると毎晩、田圃に向かう道を父と連れ立って、蛍を追いながら歩いた。昼間の暑さとは打って変わり、体を包み込む夜気が肌に心地良かった。

 その時、歩きながら父と何を話したかは、今ではもうはっきりとは思い出せない。ただ、なぜか嬉しかった事だけは憶えている。


 街灯もまばらな、まだ舗装されていない折れ曲がった道は薄暗く、小さく薄緑色に光る蛍の淡い光が、道端の石垣の間に生えた夜露の乗った草の上で光っているのを、遠くからでもはっきりと見ることができた。

 私の住む地方では、珍しくも、源氏と平家の両方の蛍を見ることができた。

 遠くからでも見つけることができる、石垣の上でひと際大きく、そしてゆっくりと点滅を繰り返す緑色の光は、間近に近づき手に取ってみると、大概、源氏蛍の雌であった。


 「蛍はね…。蛍は死んだ人の魂なんだよ……。」

 蛍を追って並んで歩きながら、父は横顔で笑いながらそう言った。

 「魂? …。」

 そう私は聞いた。だが、父は何も答えてはくれなかった。ただ、黙って歩いていただけだった。 

 『蛍』。父との想い出の一つだった。



 次第に私は、遠い想い出の海の中に深く沈み込んでいった。


 「リーン、リーン、リー…。 リーン…」

 『秋』。夜の澄んだ空気の中で、鈴虫が鳴いている。脳裏に父との想い出が、また一つ蘇ってきた。


 月が遠くの尾根の上に昇る秋の宵には、鈴虫を獲りに同じ道を歩いた。

 まだ昼の蒸し暑い夜気が残る初秋の宵、角の取れた河原の自然石を積み上げただけの石垣の石の間では、鈴虫達が秋の訪れに盛んに鳴き交わしていた。


 「鈴虫は、こうやって捕まえるんだ」

 父が言った。


 ‥「確か、透明なプラスチックのコップと、葉書を用意するんだっけ…」

 私は呟く。


 「こんな蒸し暑い風の無い晩にな、鈴虫は石垣の石と石との間の隙間で、頭を入り口の外に向けて鳴いているんだよ」


 まだ蒸し暑い夜気の残る宵の始めには、鈴虫達は石垣の入り口で二枚の羽を立て、擦り合わせながら澄んだ声で鳴いていた。


 「そこをな、折り取った道端の細い草の茎をそうっと差し入れ、鈴虫のお尻の方を軽く突く。

 すると鈴虫は驚いて、“ リッ ” という微かに二枚の羽を閉じる音を響かせながら、石垣の上から下の平らな道端の上に飛び降りる」

 父は手真似を交えながら嬉しそうに、そう教えてくれた。


 ‥「そうだ⁉、懐中電灯も必要だった…」

 私はまた、そう頷く。


 「そしたら鈴虫に上からコップをそっと被せる。そして脚を傷めないよう静かにコップの下から葉書を差し入れ、コップごと鈴虫を持ち上げる」

 「そしてビニール袋に入れる」


 この時、鈴虫の額にある二本の長い白い触角は、決して傷めてはいけなかった。運が良ければ雄の鳴き声に誘われ、近くに来ている雌の鈴虫も捕まえることができた。

 

 「どうだ⁉」

 そんな時、ビニール袋の中の鈴虫を眺める父の顔は満足げだった。



 それらの記憶は、遠い幼い日の父との思い出の記憶の一つであった。

 もし自分の子供達がこの話に興味を持ってくれたなら、父が自分に対してそうしてくれたように、彼らにも教えてあげたいと思った。


 仏間を爽やかな一筋の風が、私の頬を撫ぜながら通り抜けていった。

 私は目を開けると庭に目をやった。山法師の梢の葉が日射しを受け、緑色に光っている。

 今日も暑い一日になりそうだった。

 


  (了)

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