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彼女と独りの魔法使い

 翌日、会議が終わってすぐにロゼアリアは魔塔へと愛馬を走らせた。とはいえ、はやる気持ちをオロルックに悟られぬよう自制はする。


 ひとりでに開く門はもはや気にならない。通い慣れた足取りで魔塔の中へと入る。


「あっ、ロゼ姉さんとオロルック!」


 来客に気づいたリブリーチェがトタトタと駆け寄ってきた。


「リブ、久しぶり。アルデバランは?」

「主様なら、ずっとお部屋に篭ってます。なんだか作業に集中してるみたいですよ。呼びますか?」

「ううん、私が訪ねてみる。忙しいかな?」

「忙しかったら怒られるので、怒られなかったら大丈夫ですよ!」


 あまり安心できない回答だ。アルデバランに怒られたらかなり傷つく。日を改めるべきか、この一瞬で不安になった。


「と、とりあえず行ってみようかな」

「お茶はしないですか?」

「んー……仕事の話だから、どれくらいで終わるか分からないの。もしアルデバランに怒られたら一緒にお茶を飲んでくれる?」

「分かりました! オロルックは?」


 既にティーポットを手に持っているリブリーチェ。オロルックまで断れば、彼がしょんぼり落ち込むのが想像できた。


「お嬢待つくらいしかやる事ないんで、お茶飲みたいっス」

「じゃあ、オロルックと二人でお茶してますね! 主様が忙しそうだったら、ロゼ姉さんも来てください!」

「分かった。じゃあ、行ってくる」


 二人に別れを告げて、ロゼアリアは一人昇降機に乗った。何度か乗り継ぎ、時に魔法使いと同乗しながら、展望台まで辿り着く。

 上へと続く石の螺旋階段。ここを昇れば、アルデバランのいる部屋に着く。


 石段を一つ昇る度に、心臓の鼓動が速くなるようだ。辿り着いた扉の先で深呼吸を一つ。


「……アルデバラン、いる? 今大丈夫?」


 ノックをして声をかける。会いたい気持ちと怒られたらどうしよう、と不安になる気持ちで心臓がバクバクしていた。


「アルデバラン──」


 もう一度ノックをしようとしたところで唐突に扉が開き、驚いて後退(あとずさ)った


「ああ、なんだ。ロゼか」

「ア、アルデバラン久しぶり」


 久しぶりに見る彼はなんだか見慣れない格好をしていた。袖の無いインナーに黒いパンツと、いつもの比べると随分身軽そうだ。ローブどころか、あの薄布をいくつも重ね合わせた装束も着ていない。

 だからだろうか、余計に細身に見える。


「どうしたのその格好。ローブは?」

「陣を描くのに動きにくくてな。まあ入れ」


 無事部屋に通してもらえた。部屋の中は不思議な物が沢山置いてあったはずだが、今日はそれらが見当たらない。

 代わりに、だだっ広くなった床一面に巨大な魔法陣が描かれていた。円がいくつも重なり、複雑な造形をしている。同じように魔法陣が描かれた、様々な大きさの紙も辺りに散らばっていた。


「この沢山の魔法陣は? あ、これはグレナディーヌの地図?」


 よく見ると巨大な魔法陣の下にグレナディーヌの地図が(えが)かれていた。


「10万分の1スケールで防衛結界の下描きを作成してたんだ。あらかた出来上がってるが、もう少し調整はしたいな」

「作業ってこれのことだったのね」


 ロゼアリアが紙を何枚か拾い上げる。同じデザインに見えたそれらは、よくよく観察すると全く別の模様であることが分かった。


 しかしこれがなんの魔法陣なのか分からない。じっと紙を見つめていると、横から影が差した。


「効率の良い組み方と組み合わせを色々試してな。グレナディーヌ全土を覆えるだけの設計図を考えてたら、存外時間がかかった」

「そ、そうなんだ」


 アルデバランがロゼアリアの手元を覗き込んでいる。不意に近づいたその距離を意識せずにはいられない。


「こんなに魔法式を組み込んだのは久しぶりだ。実際に展開して見ないと分からない部分もあるが、理論上可能なら問題ない」


 そう話すアルデバランは楽しそうだ。魔法が好きなのだと見ているだけで伝わってくる。


「け、結界の方は大丈夫そうね。アルデバランに任せてるんだもん。完璧でしょ?」


 隣を見上げれば、眉目秀麗な横顔が目に入る。真っ白な肌と黒い髪のコントラストから目を離せない。白と黒の中で、炎色の瞳がやけに際立って見えた。


「ああ、当然完璧にする。そっちはどうだ?」

「あまり進んでないけど、とりあえずアルデバランがいなかった時の会議の内容を伝えようと思って」

「そうか」


 アルデバランが指を鳴らす。床に魔法陣が描かれていない、小さなスペースに二人がけのソファとサイドテーブルが現れた。


「狭いが、今日は勘弁してくれ。魔法陣の設計図が完成するまでは、部屋の状態を戻したくないんだ」

「私は全然、大丈夫」


 否。ある意味大丈夫ではない。アルデバランと二人がけのソファなど、嬉しさと緊張と焦りとでどうすればいいか分からなくなる。

 おまけに、今日のアルデバランはいつもより軽装だ。晒された細い腕を横目に、ロゼアリアの緊張は一層高まった。


 ソファに腰掛けるアルデバランの隣りにそっと座るロゼアリア。無意識に居住まいを正し、背筋をピンと伸ばしてしまう。

 目の前のサイドテーブルではバーナーでお湯が沸かされている。


「興味は無いが、一応聞くか」

「うん。えっと、王都の警備に当たる騎士の数が今年は多くなるでしょ? でも、あちこちを騎士が歩いてたらお祭りの雰囲気が物々しくなっちゃうから、騎士団員は騎士服は着ないで帯剣だけすることになったの」

「ふうん」


 アルデバランがティーポットにお湯を注ぐ。


「リブと回るんだろ?」

「そのつもり。アルデバランは? 三日間全部忙しい?」


 星祭りは三日間開催される。二日目の夜には流星群を鑑賞し、三日目の夜には小さなランタンに願いを込めて夜空へ飛ばすのが恒例だ。


「まあな。管理者(エリュプーパ)の会合もあるし、俺は星祭りに行く気は無い」

「そっか」


 そもそも人混みが嫌いなアルデバランが星祭りに行くはずもない。人間の祭りに興味など全く無いだろう。

 分かってはいたが、落ち込む。そんなロゼアリアにアルデバランは気づいていないようだった。


「リブを頼んだぞ」

「うん。オロルックもいるから、迷子にさせたりしないわ」

「ロゼの方が好き勝手動き回って迷子になりそうだがな」

「そんなことないから」


 どうだか、とアルデバランが肩を竦めた。

 迷子扱いされるのは心外だが、アルデバランに言われると悪い気もしない。むしろ彼に揶揄われるのは、くすぐったいような気持ちになった。


 ティーカップに花茶が注がれた。スピネージュの爽やかな香りが心を落ち着かせてくれる。


 アルデバランが星祭りに来ないなら、贈り物は一体いつ渡そうか。

 リブリーチェには一日目に渡せる。けれど、先にリブリーチェに渡してしまっては、アルデバランに渡す際にどう切り出せば良いか分からないではないか。リブリーチェに渡すついで、という計画をぼんやりと立てていたのに。


「その、忙しいのって管理者(エリュプーパ)の会合もそうだけど、結界を張らなきゃいけないから?」

「俺一人で張るわけじゃないからな。魔法陣の設計図を他の魔法使いと共有して、各地で分担するんだ」


 ふと、アルデバランがティーカップを口元から遠ざけた。そのまま、白い指がゆっくりとティーカップを置く。


「……すまない。本当は俺一人で結界を張ることはできるし、やろうと思えば今日にでもラウニャドールを片付けることだってできるんだ」

「アルデバラン?」


 やけに沈んだ彼の声に、ロゼアリアもティーカップを置いてアルデバランを見た。


「やりたくないわけじゃない。……いや、やりたくないと言ってるのと一緒だな」

「どうしたの?」

「俺がやらなきゃいけないのは世界を殺した責任を取ることで、救世主になることじゃない。世界にとって俺が必要になっちゃ駄目なんだ。俺は、この世界で一番要らない存在でなきゃいけないんだ」


 灰色の地の時も、ザジャの時も。母なる石(ミテラ・エリュー)の加護を使えば一瞬で片付けることができた。

 けれどそれでは、この世界に自身の力が必要になってしまうから。だからどうしてもできなかった。


 アルデバランの言っていることは、彼の考えは、ロゼアリアにも分かっている。だからこそ、アルデバランが自身を否定しているのが酷く悲しかった。

 彼の手に自身の手を伸ばしかけてハッとする。これまで何度かアルデバランの手を握ったことがあるが、それが急に難しい事のように感じた。


 こんな風に軽々しく接触して、胸に秘めた気持ちに気づかれてしまったら。きっとアルデバランは自分に嫌悪を抱くに違いない。


 伸ばしかけた手を、おずおずと自分の元に戻す。


「……アルデバランの魔法に頼りすぎることが違うのは、私も分かってる。けど、アルデバランがこの世界で一番要らない存在だなんて、私は思ってない」


 視線を落として、ロゼアリアは話す。アルデバランがどんな表情をしているか、直視する自信が無かった。


「リブも、私と一緒だと思う。アルデバランがいなくなって良いなんて、絶対に思ってない。アルデバランの魔法とアルデバラン自身は別だから」

「……そうか」


 そっと視線を上げれば、アルデバランが穏やかな表情でこちらを見ていた。

 アルデバランの大きく、しかし華奢な手がロゼアリアの頭をぽんぽんと軽く撫でる。触れられた嬉しさと、子供扱いされている不満とで胸中は複雑だ。

 たが、それでも良いと思ってしまう自分がいる。


「ロゼと話すようになってから、人間に対してもある程度寛容に考えられるようになったんだ。三百年前に俺がするべきだった努力は、こういうことだったのかもしれないな」

「今からでも遅くないと思うけど」

「そうかもな。どの道、ブレイズとしての俺はもういないから」


 そう話すアルデバランは、やはりまだ世界と自分を切り離しているように見えた。

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