帰国前夜
「ロゼ? 俺達がどれだけ心配したか分かってる? ロゼに何かあったら、叔父上にはもちろん、父上と兄さんにも合わせる顔が無いんだよ」
「そうっスよお嬢! 俺達のことまで置いてって!!」
「どうしてお嬢様はいつもお一人で飛び出されるんですか!!」
迎賓殿に戻るなり、ロゼアリアはロドニシオ、オロルック、フィオラの三人にこっぴどく叱られていた。
アルデバランはというと、「存分に叱られろ」と言ってロゼアリアを庇うことなくさっさと部屋に引き篭ってしまった。
「オロルックから聞いた時は俺は気絶するかと思ったんだから」
「ご、ごめんなさいロディお従兄様。もうしないわ」
「信用できないっス! そう言っていつも飛び出すんスから!」
肩身の狭い思いで叱られること数十分。ようやく三人の怒りが収まり、宴会場に向かう頃にはすっかりロゼアリアもいつもの調子に戻っていた。
今ロゼアリアが考えているのは夕食のことだ。ザジャに滞在する最後の夜。一体、どんな食事が出るのだろう。各方面のラウニャドール対応で開始が少し遅れてしまったが、些細なことだ。
昼間の食べ歩きは戦闘で消化した。夕食が入るスペースは十分にある。
「市の食べ物も美味しかったけど、皇宮の料理も美味しくて好き! これが食べられるのが今日と明日の朝だけなんて残念」
「土産を大量に買ってただろ」
「あれはお菓子だし、皆に配ったら無くなっちゃう」
宴会の場は苦手だろうに渋々参加してくれるアルデバラン。市でもあまりに食べていなかったが、表情を見る限り夕食もそんなに食べないのではないか、とロゼアリアは彼の胃袋の心配までした。
明日、ザジャを発つロゼアリア達をもてなすための宴。膳には見た目にも豪華な色とりどりの料理が並んでいる。香辛料の香りが食欲を唆ってたまらない。
「今日は我が国の大神官に協力をしてくれたそうだな」
中央に座るクシャが、緩やかな笑みを浮かべてこちらを見る。煌びやかな光に照らされる彼女は、若々しさと貫禄を備えた、どこまでも皇帝に相応しい女性だった。
「グレナディーヌの献身には礼を尽くさねばなるまい。各国の管理者への呼びかけも早急に応じよう」
「そうか。話が早くて助かる」
「くくっ、つくづく貴様は生意気で面白い。グレナディーヌへ帰してしまうのが惜しいくらいだ」
相変わらず無礼なアルデバランにクシャが心底楽しそうに笑う。彼女が懐の広い皇帝でなければ、今日まで牢の中で過ごしたことだろう。
「ザジャでの最後の夜だ。自由に楽しむといい」
大きな盃をクシャが掲げ、宴が始まった。舞台では軽やかな音色と共に姫が舞い、美しい踊りを見せる。
料理に舌鼓を打ちながら宴を楽しむ。甘酸っぱいタレが絡んだ揚げ魚は絶品だった。
ふと、アルデバランに目を向けるロゼアリア。ちゃんと食べているのだろうか。
食が細いようだからもしかしたら残しているかも、なんて余計な心配をしていたが、意外にもしっかり食べている。アルデバランのことだから、「残すのは勿体ないだろ」とでも言いそうだ。
宴を終えて香浴殿に向かうロゼアリア。空腹が満たされる時ほど幸せなものはない。
「美味しかった〜。明日になったら、ザジャのご飯が食べられなくなっちゃうのよね」
「私はそろそろグレナディーヌの食事が恋しいです」
フィオラは香辛料の刺激的な味が苦手なようだった。宴でも、鶏肉の辛子炒めに涙目になっていた。
「私も、マヴァロの味が恋しいです〜。ザジャのお料理は美味しいのですが、私達には少し味が濃くて」
ココリリの言葉にロゼアリアが興味を引かれる。マヴァロでは一体どのような物を食べているのか気になった。
「マヴァロはどんなご飯を食べてるのですか?」
「マヴァロの野菜は味がしっかりしてるので、味付けは最低限なんです。果物もとっても甘くて美味しいですよ! ラウニャドールの件が落ち着いたら、お二人ともぜひ遊びに来てください!」
「絶対行きます!」
さらに話を聞けば、果物を摘み取ってその場で食べることもできるという。ロゼアリアの中ですっかりマヴァロのイメージが楽園に変わった。
食べ物について語りながら香浴殿に着き、服を預けて入る。その間もずっと食べ物の話を続けていた。
「りんごも摘み取れるなんて! もぎたてのりんごを食べてみたい!」
「ジャムなどの加工品はお土産として人気ですよ〜」
フィオラとココリリも身体を現れることにすっかり慣れていた。まだ食べ物の話を続けながら、三人が浴池に入る。
「──あら、また会ったわね」
湯気の向こうから、誰かがロゼアリア達に向かって話しかけてきた。白い蒸気の先に見えて、翠緑の瞳。
「ソミン」
前回ここで会った時と同じように、ロゼアリアがソミンに近づく。
「今日はありがとう。改めて礼を言うわ」
「お礼なら私より、アルデバランに……」
言いかけてハッとする。またソミンの気分を害してしまったかもしれない。ロゼアリアを見ていた翠緑の両眼が、水面に向けられる。意外なことに、ソミンは眉間に皺を寄せなかった。
「……そうね。カーネリアにも感謝していると伝えてもらえるかしら」
「分かった! 必ず伝えておく!」
今日の件で、アルデバランに対する嫌悪感が少し薄れたのかもしれない。ソミンの態度が和らいだことが嬉しい。
「貴女も、ありがとう。力になってくれて」
「ロゼって呼んで! 私ばかりソミンて呼ぶのはむずむずする」
「よく分からないけれど、貴女がそう言うならそう呼ぶわ」
まさか管理者の友人が二人もできるとは。
「……ロゼは、まだエレトー様に会いたいと思ってるの?」
ソミンの瞳が再びロゼアリアを見つめる。
「うん」
「何か目的があるの?」
「それは……」
アルデバランの生まれ直しのことは話せない。勝手に秘密を明かすわけにはいかないし、この秘密を知ればまたソミンはアルデバランを嫌悪するだろう。いや、憎悪と呼ぶ方が正しいかもしれない。
「ラウニャドールのこと……二柱の女神様はどう思ってるのかなって。もしラウニャドールの侵蝕に抗えなくなったら、それでも女神様は姿を現さないのかなって」
聞く人が聞けば、神を冒涜する発言だ。それでも心のどこかで感じていた疑問をロゼアリアは溢した。浴殿という、心と身体が解放される場所だったからかも知れない。
ソミンは、ロゼアリアの発言を咎めなかった。少しだけ時間をおいて、薄い唇を開く。
「どうかしらね。もうずっと啓示が無いことを考えると、このままお姿を現すことは無いかもしれない。神々の御心は、神々だけが知るものよ。でも私も、二柱について調べてみたの」
「本当?」
「ええ。けど、大したことは分からなかったわ。アンジェル女神様が眠りにつかれている間、太陽が昇らなかったのは本当だった、というくらい」
黒い魔法使いによって一度殺された太陽の女神。月の女神が蘇らせた後も、神力を失ったせいで目を覚まさなかった。その十年間は空に太陽が昇らず、人々は夜闇の世界を生きた、という伝承がある。
「私は管理者になってまだ日が浅いから、知らないことの方が多いわ。他の管理者なら、もっと色んなことを知ってるかもしれない」
「じゃあ、他の国に行く機会があったら聞いてみる」
「ええ。それと、貴女の国の管理者は私よりずっと詳しいんじゃないかしら」
「アルデバラン?」
「そう。あの魔法使いは知識も経験も相当積んでるはずよ。二柱についても、かなり知ってるに違いないわ。やっぱり祖に刃向かった当事者の血筋だから、その時の記録が多く残されてるのかしら」
興味を抱いたのか、ソミンが一人でブツブツ呟いている。
ソミンの意見にはロゼアリアも完全同意だった。アルデバラン以上に女神や三百年前のことについて詳しい人はいない。
しかし。
「あら、もう上がらないと。明日はリエンと一緒に見送りにいくわ」
「来てくれるの? ありがとソミン」
ソミンが前と同じように浴殿を出ていく。だが、その表情はあの時のように冷たいものではなかった。




