皇都の天陽市
ソミンの目の回復。彼女がずっと顔をしかめているのはこの約束のせいだった。目の回復よりも、アルデバランに施しを受けるのが堪らなく屈辱なのだろう。
アルデバランがソミンに近づくと眉間の皺が一層深くなる。
「そう身構えるな。そのままにしていれば良いから」
「さっさと終わらせて」
険悪な態度を隠そうともせず言い放つ彼女の目元に、アルデバランがそっと手を乗せた。途端に、柔らかな金色の光が淡く輝き始める。
優しい色だ。傍から見ていたロゼアリアは、その光を目にしてそう思った。ラウニャドールを焼くあの炎と似た色味なのに、全く違う。
それほど時間はかからなかった。アルデバランの手が離れたソミンは、先程までと何も変わらないように見える。
「目を開けてみろ」
閉じられていた両眼がそっと開かれる。それは、春の芽吹きを、夏の深緑を、溢れ出す生命の輝きを放っていた。
誰もが息を飲む美しさ。最高峰のエメラルドをもってしても、彼女の前ではただの石ころと化するだろう。
アルデバランとソミン。二人の管理者が並ぶそこは、まるで神話の一ページのよう。
「目が……私の、目が……」
信じられない、と言うように己の手を見つめるソミン。
もう二度と、光を映すことはないと思っていたのに。何をしても、治らなかったのに。
「どうして……」
「違和感は無いか? 見え方は? 以前と変わったところは?」
「大丈夫……」
すっかりアルデバランに邪険な態度を取るのも忘れ、呆けた様子のソミン。目を治したアルデバランも、どこか満足そうだった。
真っ黒な髪に真っ黒な目を持つザジャの民の中で、ソミンは明らかに異質だった。顔立ちもザジャ人より、アルデバランの方が似ている。
なんてことを言えば彼女が激昂することは目に見えているので、ロゼアリアは静かに見守っていた。
ソミンもまた、龍の化身のように美しい少女だった。これが管理者。彼らが特異な存在であると改めて思い知らされる。それが遠くて、あまりにも遠くて、二人の姿を見つめながら心に風が吹き抜けるのをロゼアリアは感じた。
「まさか本当に、ソミンの目を治してしまうとはな」
感心した様子でクシャが言う。ソミン自身もまだ信じられないようだ。
「できないことをわざわざ『できる』とは言わない」
たった今奇跡を起こしてみせた魔法使いは、何でもないことだと話す。
こうして、今回の旅の目的は淡々と果たされたのであった。
クシャとの謁見の直後、回廊でロゼアリアは立ち去るソミンの背中を追いかけた。
「ソミン!」
少女が振り向き、輝く翠緑の瞳がロゼアリアを見つめた。
「何?」
「あの、リエンってどこにいるか知ってますか?」
これまで閉じていた瞳が開かれただけで、随分と印象が違う。冷たく、静かな圧を放っていた彼女は、今や神々しさを伴った凄みがあった。
「詳しいことまでは分からないけれど、他の殿下と共にラウニャドールの対応に追われているはずよ。最近動きが活発になってきているから、皇子殿下、皇女殿下はお忙しいの」
「そっか……武闘会の後から姿を見かけてないから、少し話したかったなって」
ラウニャドールの出現が増えていることは、ザジャに来て間もないロゼアリア達も分かっていた。対応に追われているならば仕方ない。
「じゃあ」
「あ、待って!」
話は済んだとばかりに背を向けるソミンを再び呼び止める。
「まだ何かあるの? またエレトー様の話?」
「ううん。明日帝都の市に皆で行くんだけど、ソミンも一緒に行きませんか?」
ロゼアリアの誘いに、ソミンが目を瞬かせた。
「……市に? 私が?」
「うん。一緒にどうかなって。本当はリエンも誘いたかったんだけど」
「悪いけれど、行けないわ。もうすぐ私にもラウニャドール討伐の話がくるはずよ。それに、ザジャにいる私達は市なら来月でも再来月でも行けるから。貴女達は楽しんで」
「そっか。引き止めてごめんなさい」
今度こそソミンは行ってしまった。
迎賓殿に戻ったロゼアリア達は、帰国のために少しずつ荷物をまとめ始めた。ラウニャドールの出現が増えていることを考えると、あまり長居をしてこっちに気を遣わせるのも悪い。協力を仰ぐという目的は達成したのだから、これ以上留まる理由も無かった。
それに。
飛行船の中でアルデバランから聞いた話が本当なら、グレナディーヌを長期間空けるのが良いとも思えない。
(リエンと話せないまま帰国になるかも……)
フィオラと荷物を詰めながら、そんな思いが頭をよぎって少し落ち込んだ。
「お嬢様、このお荷物はもう詰めますか?」
「ううん、まだ詰めない。明日、市で騎士団の皆にお土産をどれくらい買うか分からないから、ちょっと空けといて」
「かしこまりました」
帰国は明後日。ザジャに滞在する時間は思っていたよりも短い。
毎月開かれるという天陽市は、まるで祭りのようだった。様々な出店が立ち並び、美味しそうな匂いが至る所から漂ってくる。人々で通りは賑わい、どこを見ても好奇心が唆られる。
「すごい! もう楽しい!」
さてどこから回ろうかと、ロゼアリアが目をキラキラと輝かせる。これは一日中遊んでいられそうだ。
「毎月開催されるなんて、ザジャってすごいのね!」
そんなロゼアリアを見下ろすアルデバランは、既に疲れた様子だった。
「こんなに人で溢れてると酔いそうだ。人の少ないところで休んでていいか?」
「何言ってるの。誘ってきたのはアルデバランでしょ」
「そうなんだけどな」
これだけ人がいても、黒い装束の背が高い男はよく目立つ。誰かが迷子になっても、アルデバランを目印にすれば合流できそうだ。
げっそりしているアルデバランを引きずり、人で溢れた通りを歩く。
「すごいねえ。こっちの通りまでお店が出てるよお」
額に手を当て、ロドニシオが分岐した路地の先を眺める。小柄なグレナディーヌ人にとって、市はなかなか歩きづらい。
「皆さんはどうぞこちら側を歩いてください!」
体格の良いカカルクが人通りのある方を歩いてくれている。
「カカルク君ありがとお。アルデバラン君なんか流されそうになってるのに。鍛えた方がいいんじゃない?」
「余計な世話だ。魔法使いに筋肉が必要なわけないだろ」
ロゼアリアも、アルデバランは少しくらい鍛えた方が良いと思った。諸事情で一度彼の上裸を目にしているが、あまりにも細すぎる。
どこか店に入って昼食を食べる話になったが、ロゼアリアが食べ歩きを希望したためそれに決まった。各々が好きな物を見つけては「あっちに行きたい」「それを見たい」と自由奔放に移動しようとする。
「あれだね。分かれて行動しよっか」
とうとうロドニシオがそれを提案した。
「とりあえず二手に分かれる? 買いたいものが同じ人で分かれるのが一番だと思うけど」
「じゃあ、私とアルデバランはリブにお土産を買いたいから、一緒の方がいいよね? オロルックも」
「おっけー。じゃあロゼの方にアルデバラン君とオロルックとフィオラ、カカルク君とココリリさんは俺と一緒で良い?」
誰と行動するかすんなりと決まり、日が暮れる前に迎賓殿に戻ることを約束した。
ロドニシオ達に手を振って見送り、その直後には白い湯気を立てる屋台へまっしぐらに向かうロゼアリア。その後ろをオロルックとフィオラが慌てて追いかけ、仕方なさそうにアルデバランが続く。
「これは何ですか?」
ロゼアリアが見つめるのは点心の入った蒸籠。ザジャではお馴染みのお菓子だが、グレナディーヌでは見たことない。
「肉餡を包んで蒸した饅頭だよ。嬢ちゃん、ザジャの人じゃないね。どこから来たんだい?」
「グレナディーヌです」
「グレナディーヌ? また遠い所から来たねぇ」
ふくよかな店主の女性が驚いた表情をする。珍しいのも無理はない。観光でザジャへ行くグレナディーヌ人は滅多にいないのだがら。
「一つどうだい?」
「四つください! 皆も食べるでしょ?」
オロルック達を振り返るロゼアリア。本当は一人で四つくらい食べられるが、この後も様々な食べ物に巡り会えるから、と一つで我慢した。




