神秘的な魔塔と怪しい魔塔の主
少し高い建物へ登れば、王都からでも見える黒い塔。あの鬱蒼とした姿では幾多の臆測を産むのも無理はない。
「わー……緊張してきた」
窓の外を眺めてオロルックが呟く。馬車は既に塔の影を踏むほどの距離に迫っていた。
「魔法使いってどんな感じかしら?」
念願の魔塔を前にロゼアリアは興味津々。馬車の窓に張り付くようにして魔塔を見つめている。
馬車が停止するなり、オロルックのエスコートを待たずしてロゼアリアが飛び出した。
「すごい! 上が全然見えない!!」
額に手を当てて見上げれば、真っ黒な槍が空を突き刺しているよう。塔の麓には見るからに重そうな門。ロゼアリアの背丈の倍はある。
「すっげえデカい門……これ手で開けられるんスかね?」
「押してみる?」
そっとロゼアリアが門に手を添える。その瞬間、門が鈍い音を立てて動き始めた。
「あ、え、開いちゃった」
「お嬢いつのまにそんな力持ちになったんスか」
「ち、違うわよ、まだ押してないって」
慌てる二人をよそに門が完全に開き切った。同時にその先に続く回廊に一つ、また一つと蝋燭が灯り始める。
ロゼアリアとオロルックが視線を合わせた。
「……どうします?」
「どうって、もう開いてしまったし。行ってみましょ」
ずっと楽しみにしてきたのだ。入る選択肢以外あるわけがない。
躊躇いなく門の内側へ踏み込むロゼアリア。警戒心より好奇心が勝る主人に不安を覚えるオロルック。
「お嬢、俺が先歩きます」
「そう?」
二人が回廊を歩き始めると、後ろで門が閉じた。回廊が一層暗くなる。門を振り返り、再び視線を交わすロゼアリアとオロルック。
「……魔法ってすごいっすね」
そう呟いたオロルックの表情は心なしか引き攣っているように見えた。
回廊に冷たく響く二人分の足音。辿り着いた先で待っていたのは、これまた重厚な扉。
今度は触れるよりも早く扉が開く。
──そこに広がっていたのは文字通りの別世界だった。
最初に目に飛び込んできたのは中央に座するとてつもなく大きなアーミラリ天球儀。複雑に折り重なった金環が静かに回転し、淡い光を反射している。
天球儀の上は吹き抜け、遥か上まで見上げることができる。本棚で壁を作っているのかと疑うほどどこもびっしりと本が整列していた。
さらに至る所でふわふわと浮いている分厚い本。心地よい薄暗さの中に散りばめられたランタンの明かりはまるで星屑。
これはなんの香りだろう。嗅いだことのない不思議な香りだが、どこか心が落ち着いて頭がすっきりする。
ここが魔塔。グレナディーヌ中の魔法使いが一堂に集まる機関。
「あの……」
圧倒される二人の耳にどこからか声が届く。慌てて声の主を探すがどこにも見当たらない。
「ここです! ここ!」
すぐ傍で男の子が自分達を見上げていた。艶やかなクリーム色の髪に蜂蜜色の瞳の、可愛らしい顔立ちの男の子。年齢は十歳かそこらだろうか。
「あっ、ごめんなさい。勝手に入ってしまって」
「お兄さんとお姉さんは人間ですか?」
「ええ。魔塔の主様とお話がしたくて来たのだけど」
「もしかして、お手紙の人?」
男の子が小首を傾げ、白いローブから封筒を出した。見覚えのある封筒に筆跡。間違いない。ロゼアリアが出したものだ。
「それ、私が出した手紙! えっと……貴方は?」
「ボクはリブリーチェです! リブって呼んでください。みんなそう呼んでるので!」
リブリーチェが笑顔を見せる。人懐こそうな子だ。仲良くなれそう。
「リブね。私はロゼアリア。こっちはオロルックよ。その手紙、魔塔の主様は読まれていた?」
「えっと、アルデバラン様は読もうとしなくて、でもお手紙が何回も来るから捨てちゃダメだと思って」
「残しておいてくれてありがとう。その手紙のことで、魔塔の主様とお話がしたいのだけれど──」
リブリーチェに尋ねた刹那、空気が揺らいだ気がした。
「──人間が魔塔に何の用だ?」
苛立たしげな声が突如上から降ってきて飛び上がる。ロゼアリアもオロルックも、反射的に剣に手をかける。
(何の気配も感じなかった!)
バッと振り返った先で再び飛び上がるところだった。そこにいたのは上から下まで全てが黒一色のナニか。薄暗い魔塔の中でもその異様さがはっきりと分かる。
さらに驚くほど高いのだ。グレナディーヌ人は他国の民より小柄。男性の平均身長は百六十センチほどで、比較的背の高いオロルックでも百七十に満たない。そんなオロルックでも見上げるのだから、彼より頭一つ分低いロゼアリアにとって目の前のナニかは巨木のようだ。それこそ、外から見た魔塔のような圧を感じる。
お化け?
警戒して動けずにいるロゼアリア達に、今度は舌打ちが降ってくる。
「誰がお化けだ。失礼な小娘だな」
無意識に声に出ていたらしい。あ、とロゼアリアが口元を押さえる。
「アルデバラン様が髪を伸ばし放題にしてるからお化けみたいに見えるんですよぉ」
お化け、という単語がおかしかったのだろう。ピリついた空気にそぐわずリブリーチェが笑う。もしかしてコレが魔塔の主だというのだろうか。手紙の話をした時にリブリーチェが呼んでいた名前もアルデバランだった。
(なんていうか……威圧感はあるけど威厳は感じないわ)
あまりにも見た目に無頓着すぎではないか?
「リブ、こっちに来い。人間なんかと関わるな」
「でも、このお兄さんとお姉さんは主様に会いに来たんですよ? ほら、このお手紙をくれたって」
「手紙ィ? 捨てろと言っただろ」
魔塔の主は姿こそよく分からないが、声から男性だと分かる。年齢までは判断できない。
快く思われていないことがひしひし伝わってくる。しかしこんなにも早く魔塔の主に会えたのはラッキーだ。姿勢を正し、顔があると思われる位置に目を向ける。
「先ほどは失礼いたしました。私は白薔薇騎士団第六部隊隊長、ロゼアリア・クォーツ・ロードナイト。魔物の掃討でぜひ魔塔にご協力を仰ぎたく、こちらに参りました」
「へー、そう。出口はそこだ。どーぞお引き取り願おう」
断られるのは想定内だ。焦ることじゃない。
「唐突に押しかけてしまった非礼についてもお詫び申し上げます。しかし我々としても急いでいるのです。どうか話し合いの席を設けてはいただけないでしょうか」
あとできることなら魔塔の中をもう少し見学したい。ここには興味をそそるものがたくさんある。
「話し合う? こっちは話し合うことなんか無い」
今すぐ帰れという圧が強い。長年人間を拒み続けてきたことを考えれば当然の態度だ。協力を得るには、まず自分達が敵ではないと信用してもらわなければ。
「私達はお伝えしたいことがあります。少しお時間をいただくだけで良いのです」
「お話するなら、お茶会にしましょう! ボク準備します!」
パッとリブリーチェが手を挙げる。彼がいて助かった。魔塔の主も子供には態度を和らげるらしい。小さく息をついたものの、お茶会の提案を突っぱねることはなかった。
「お客さまをおもてなしするなんて初めてです! アルデバラン様、お片付け手伝ってください」
テーブルと椅子のある場所へ通されたが、本や羊皮紙が散乱していてとてもお茶ができる状態ではない。なんなら、椅子にまで本が積み重なっている。完全な物置だ。
荒れ放題の空間だったが、魔塔の主がパチンと指を鳴らした途端に本が消え、少しも見えなかったテーブルが顕になる。
(すごい! これが魔法!)
目を輝かせるロゼアリア。目の前で魔法を使うところが見れただけでもここに来た甲斐がある。
(でも、ここにあった本はどこに行ったのかしら?)
まさか消えてしまったのか。聞けそうだったら聞いてみよう。
「二人とも座ってください! アルデバラン様、スピネージュの花茶を貰ってもいいですか?」
「好きにしろ」
スピネージュをお茶に?
ロゼアリアとオロルックが眉根を寄せる。スピネージュはグレナディーヌ南部に生息している花だ。淡い紫の花弁が美しい花だが、毒性があるため無闇に触ってはいけない。
そんな花をお茶にして大丈夫なのだろうか。
ロゼアリアの不審な眼差しを悟ったらしい。魔塔の主から呆れた声が飛んでくる。
「スピネージュに毒があるのは根だけで、花に害はない。基本的な知識だぞ」
「そうなのですか? 初めて知りました」
言われてみれば、たしかに花屋でスピネージュを見かけることがある。花に触れることができないなら、スピネージュの鉢植えが堂々と店に並ぶはずがない。
シロップに漬けられたスピネージュがティーポットに加えられる。そこにお湯を注ぐと、ふんわりと甘く爽やかな香りが広がった。
とぷとぷとティーカップに黄金色の液体が注がれる。花びらと同じ淡い紫色にはならないのが不思議だ。
チラリとロゼアリアが視線を上げる。目の前に座る魔塔の主の顔は髪に隠れてまったく見えない。お茶を飲む時は見えるだろうか。髪が邪魔なはずだから。
魔塔の中もまだ見て回りたいし、魔塔の主も気になる。一体どんな顔をしているのか、その髪の内側に興味が湧いてしまう。




