残痕
喉元に突きつけられた、冷たく尖った感触。
「──僕の勝ちです」
背後から降るリエンの声。ロゼアリアの剣は手を離れ、少し先に落ちていた。
「なかなか手強い方ですね。おかげで、想像よりも兄上達の前で手の内を明かすことになってしまいました」
リエンに解放された身体がふらりとよろめく。その肩をリエンが支えた。
「早く彼女の止血を!」
慌てて駆け寄って来た魔法使い達に支えられ、控え室へと戻らされる。身体中の傷が即座に治癒を施され、痛みが和らいでいった。
「左頬の傷痕は消さないで……」
ぽつりと呟いたロゼアリアに不思議そうにしながらも、魔法使い達は「分かりました」と頷いた。
治癒が終わる頃には傷口はおろか、裂けてしまった衣服まで元通りに縫い合わされ、血のシミも綺麗に抜かれていた。先程までの激しい戦いがまるで夢だったかのよう。
(届かなかった……)
ぼんやりとロゼアリアは考える。あれだけ足掻いても、リエンの足元には及ばなかった。
ロゼアリアだって部隊長としてそれなりにやってきたつもりだった。何度も部隊を率いて灰色の地へ赴き、経験を積んできたはずだった。危険な場面だって幾度となく乗り越えた。
それでも、異国の地でたった一人戦ってきたリエンには敵わなかった。
最後まで、リエンを敵だと割り切れなかった。
「お嬢」
いつの間にか、目の前にオロルックが立っていた。
「オロルック……情けないところを見せたわね」
「そんなことないっス。立派でした」
そうだろうか。自分で自分を立派だとは思えなかった。何度も迷い、躊躇った。初めから安全な道を捨てていれば結果は違ったかもしれない。
「お嬢」
再びオロルックに呼ばれ、ロゼアリアが顔を上げる。
「大丈夫っスよ。俺が取り返してきます」
そう宣言したオロルックの表情に、いつもの楽観的な明るさは無かった。彼にしては珍しく、その眼光は鋭い。
ああ、そうか。自分は勝てなかった。勝てなかったのだから、後に託すしかないのか。
「……お願いね」
「っス」
観客席に行こう。控え室から通路へ出ると、ロドニシオとカカルクが待っていた。
「お疲れ様ぁ、ロゼ」
「ロディお従兄様……」
ロドニシオの手がロゼアリアの頭を優しく撫でた。
「ごめんなさい……勝てなくて」
「まだ俺達の出番が残ってるから、謝る必要はないよお。それよりもね、ロゼ。ロゼが素晴らしい騎士だってことは分かってる。だからといって、あんな無茶な戦い方はもうしちゃ駄目だよお?」
「はい……」
どんな怪我も治してもらえると分かっていたから無茶をした。褒められることじゃないのは、自分が一番分かっている。
「ロゼアリア殿、素晴らしい騎士精神でしたよ! お見事でした! あとは我々にお任せください!」
「お願いいたします、カカルク様」
カカルクの明るさに少しだけ励まされる。彼はしっかりうなずくと、控え室の中へと入っていった。
「俺達は客席に行こっか」
迎えに来てくれたロドニシオと一緒に観客席へ向かう。勝てなかったことを、アルデバランには責められてしまうだろうか。
持て余した長い足を組み、腕も組んで座る全身黒ずくめの男に近づく。
「アルデバラン」
ロゼアリアに気づくと、アルデバランは一つ隣にずれて席を譲ってくれた。つい今の今まで彼が座っていた場所にロゼアリアが腰掛ける。
「ごめんなさい。私、勝てなかった」
そんな彼女をアルデバランが横目でしばらく見つめ、また闘技場へと視線を戻した。
「いや、十分良い戦いだった。慰めでも励ましでもないぞ」
淡々と言う様を見る通り、本当にお世辞を述べているわけではなさそうだ。
「それより、謝るならあっちじゃないか。ロゼがあんな無茶な戦い方をするから卒倒してたぞ」
アルデバランが指した方に目を向けると、青白い顔で客席に横たわったフィオラ。ココリリが介抱してくれている。
「あっ、フィオラ!!」
「目を覚ますまで傍にいてやれ」
「そうする!」
アルデバランに言われ、慌ててフィオラの所へ駆け下りる。顔から血の気が失せた彼女は、眉根を寄せて唸っていた。
「あっ、ロゼアリア様」
「フィオラを見てくれてありがとうございます、ココリリ様」
「頭などは打っていないので、ご安心ください。少し驚かれてしまったみたいです」
頬に傷を負った時でさえあれだけ動揺していたのだ。先の戦いはフィオラにとって刺激が強すぎたのも無理はない。
「もうすぐオロルックの試合が始まるけど……この子、また気絶しちゃうかも」
一戦目があれだけ苛烈だったのだ。両陣営を触発され、二戦目も激しくなるかもしれない。
二戦目を告げる放送が闘技場に響き渡る。控え室を出る直前に、オロルックは短く息を吐いた。
もちろん、最初から勝つつもりで今日という日を臨んでいる。この気持ちが一層強くなった。それだけだ。
ロゼアリアの強さはよく知っている。幼い頃から幾度と手合わせをしてきた。そんな彼女を下す相手が剣聖以外にいるなんて、グレナディーヌを出なければ知り得なかった。
なら、自分は。騎士としての自分は、どれくらいの位置にいるのだろう。これまでの遠征で戦った魔物以上に強い敵を目の前にした時、自分はどれくらい戦えるのだろう。
(それを知るにも絶好の機会だ。絶対にお嬢の分は取り返す。あの人があんだけ身体張ったんだ。俺もそれに続かなきゃ漢じゃねぇ)
軽く目を閉じて瞼の裏に浮かべるのは、守りたい人達。主君であるロゼアリア。想い人のフィオラ。それから、騎士団の仲間。ロードナイトに仕える人々。
戦いに赴く時はいつも彼らの顔を思い浮かべていた。大切なものをすぐ傍に感じた方が、自分の力を最大限に出せる気がするから。
「──よし」
気合いは十分。意を決してオロルックは控え室から闘技場へと飛び出していく。割れんばかりの歓声。こんな風に迎えられるのは初めてだ。少し気恥しいような、なんだか誇らしいような。
(フィオラは見てくれてんのかな?)
心配性な彼女のことだ。ロゼアリアの試合を見て、今頃卒倒しているかもしれない。そんな事を考えたら、高揚していた気持ちが少しだけ和らいだ。
二戦目以降の対戦相手は今のところ予定通りだ。闘技場に現れたのは、いかにも武人といった大柄な男。父と同じくらいの年齢だろうか。これは戦い甲斐がありそうだ。
「ふむ。思ったより体格は良いが、まだまだ小僧だな」
「見くびんなよおっさん。わりーけどこの試合、俺が勝たせてもらうっス」
「がっはっはっ! 威勢の良い奴は俺は好きだ! そうさなぁ、さっきの娘っ子も小柄な割に殿下の手を煩わせていたからなあ。お前もなかなか、骨のある奴かもしれんわな」
大剣を肩に担ぎ、豪快に笑う大男。つい先日まで将軍の右腕として戦場を駆け回っていた武人、カイウ。怪我で一時療養中だとは聞いていたが、この武闘会の中で最も厄介な相手であることは間違いない。
(けどやるしかねぇ。お嬢を安心させる為にも、ぜってー俺が勝たなきゃ)
ここで負ければザジャはあと一勝で勝利を手にしてしまう。何としても一本取り返したい。
勝って、振り出しに戻す。
闘技場の外でなら友好的に関係を築けたかもしれない。彼のさっぱりとした性格は好感が持てる。
向かい合い、一礼。その直後、オロルックは走り出した。蹴った砂が宙に飛ぶ。
筋力では勝てない。それなら、あちらより速く動くまでだ。カイウの大剣を見据え、オロルックは彼の間合いに飛び込んだ。




