それぞれの思惑
クシャは分かっていたのだ。絶対にソミンが拒絶することを。
「……目は元々見えないのか?」
アルデバランが尋ねたのはソミンの目についてだった。ソミンの眉間に刻まれた皺が深くなる。
「いいえ。そもそも貴方に気にしていただくことではございません」
「大神官はまだ代替わりしたばかりでな。つい先日の選定の儀式で、ソミンは視力と引き換えにこの座を手に入れたのだ」
代わりに答えたクシャに、アルデバランが訝しげな顔を向けた。
「儀式だと? まさか、血の盃じゃないよな?」
「そうだ。管理者の貴様なら、やはり知っておるか」
「なんで血の盃がまだ行なわれてる……!?」
アルデバランのそんな声を聞くのは初めてだった。悲痛を堪えた、聞いているこっちが痛くなるような声だ。
「あれは管理者を引き継ぐうえで全く必要無い儀式だ。たった一人を選ぶのに、何人犠牲を出した?」
微かに震える声。痛みと怒りを滲ませていることが分かる。血の盃とは一体なんなのか。クシャはアルデバランを真っ向から見返し、ふ、とその口元を吊り上げた。
「皇帝の選定では兄弟姉妹同士で殺し合うのに、大神官がなんの犠牲も無しに選ばれると? ザジャは強い者が上に立つ国。生き残った者こそ、頂点に相応しいのだ」
「管理者は血筋と魔力で引き継がれる。どれだけ人を集めようが、選ばれる血筋が変わることはない!」
アルデバランがここまで感情を顕にするなんて。その様子から察するに、恐らく血の盃というのは多くの魔法使いの中から、たった一人だけが生き残る儀式のようだ。
「陛下。なぜこのように無礼な他国の魔法使いを相手になさるのです。カーネリアの血族など、貴女様のように高潔な方が相手にする者ではございません」
「余に生意気な口を叩く奴など滅多にいなかろう。なかなか新鮮で面白いのだ」
クシャが楽しそうに笑う。どうやらこの皇帝は諍いが起きるほどに楽しくなるらしい。反対に、ソミンは不快そうな態度を隠そうともしない。
「ザジャの見解は分かっただろう? 大人しく本国に戻るか、それとも無駄に足掻いてみるか?」
リエンに期待することはできない。皇帝の説得はしないと、そういう約束だった。
「……いや。お前達が交渉に応じないことは想定内だ」
「ほう? ならばどうする。グレナディーヌの管理者よ」
「戦が好きなお前達なら、もっと簡潔で明瞭な方法の方が良いだろ? 武闘会でもどうだ。三本試合をして、先に二本取った方の勝ちだ。負けた方は勝った方の提案を無条件で呑む」
しばし目を瞬かせていたクシャが、声を上げて笑い始めた。
「く、ふふふ、はははは!! 良いだろう!! それはなんともザジャらしい!! ただし、勝負は五本だ。三本ではつまらぬ。そして五本目の試合はお前とソミン、管理者同士で戦ってもらおうじゃないか」
「陛下、それは」
「分かった。俺はそれで構わん」
急な展開に慌てるソミンと勝手に話を進めるアルデバラン。このままでは少なくとも四人、使節の中から武闘会に出る人を選ばなければならない。
それから、とさらにアルデバランが話を進める。
「せっかくの勝負だ。ただ交渉の成立を決めるだけじゃつまらないだろ?」
一体これ以上何をする気なのか。この場の全員が不可思議そうにアルデバランを見つめる中、クシャだけが面白そうな表情をしている。
「ほう? 他に呑ませたい要求があると?」
「俺が勝ったらソミンの目を治す」
途端にクシャが眉をひそめた。
「ソミンの目を治して、お前にどんな得がある」
「損得はどうでもいい。俺がそうしたいからするだけだ」
魔法使いを大切に想うアルデバランらしい理由だと、ロゼアリアだけが納得する。だが、当のソミンは顔に屈辱を滲ませた。
「カーネリアから施しを受ける必要などありません。貴方に目を治されるくらいなら一生このままで結構よ。第一、医学に秀でた神官ですら治せなかったものを貴方に治せるはずないわ」
「嫌なら俺に勝てばいい。そういう話だろ」
ソミンとて、視力が戻ることを願わなかったわけではない。しかし何をしても、この目が再び光を映すことはなかった。それなのに、今さら希望を持たせるようなことを言うなんて。
選ばれたのだから仕方がないと自分に言い聞かせ、諦めたのだ。他の誰でもなく自分が選ばれたのだから、これくらい大したことないと。
「貴様の要求は分かった。ソミン、お前は何か無いのか?」
「私は特に……陛下がお決めになってください」
「そうか。では……」
クシャ顎に手を添え、目を細める。少し考え、彼女は玉座から立ち上がった。
クシャはそのまま、ゆっくりとした足取りでこちらへ向かってくる。
なんのつもりか、しかし一人としてその場から動けずに、ただクシャの行く様を見つめた。
やがて足を止めたのは、ロゼアリアの前。
(え……?)
周囲を圧倒する存在感は皇帝故だと思っていたが、そもそも背丈が大きいのだ。さらに近くで見れば、その身体に幾つもの傷痕が確認できる。
「我が国が勝ったら、この娘を貰おうか」
え。
ロゼアリア含め、ロドニシオにオロルック、フィオラが目を丸く見開く。
「噂に違わず、グレナディーヌの人間は美しい顔をしておる。余は美しいものが好きでな。しかし、男はとうに飽きた。だから貴様をいただこう」
クシャのしなやかで ありながら逞しい指が、ロゼアリアの顎に添えられる。これだけ至近距離で見つめても、やはり彼女の顔に皺は見当たらなかった。
「貴様、頬に傷があるのか。まあ良い。こんなもの、いくらでも消せるからな」
親指がつっと頬の傷をなぞり、僅かに引き攣れる感覚がした。
「あの……」
「そう怯えるな。後宮に迎え入れたら待遇は約束してやる。我が息子のうちの一人と婚姻しても構わぬぞ。もしそやつが次の皇帝となれば、皇后になれるかもしれぬな? どうだ、悪くない話だろう」
急にそんな話をされても頭が追いつかない。後宮? 婚姻? どうしてそんなことに。
「ああ。構わん。それで良いぞ」
ロゼアリアの心情も無視して答えるのはアルデバラン。彼が何を考えているのか、ロゼアリアにももう分からなかった。
クシャの指が離れ、彼女は玉座へと戻っていく。
「では決まりだな。武闘会は……ふむ。明後日で良いだろう。決闘に出る兵士を四名ほど募らなくてはな。おそらく、すぐに集まるだろうが」
緩慢とした動きでクシャが足を組む。
「リエン、客人を迎賓殿まで案内しておやり」
「はい、陛下」
謁見の時間はここまでのようだ。戸惑いを飲み込めないまま、ロゼアリア達は一礼をして謁見の間を後にした。
幾つもの回廊を渡り、連れてこられたのは外廷に設けられた建物だった。ここもやはり皇家の所有を示す紫に塗られ、格子戸に囲まれている。
「滞在の間はこちらをお使いください。女性の方々は、後宮の香浴殿をどうぞ。宮女が迎えに上がりますからご安心を」
迎賓殿の中も薄暗く、白檀の香が炊かれていた。鎮座した家具一つ一つが最高級の物であると分かる。客人をもてなすに相応しい場所だが、閉鎖的だと感じずにはいられない。
「ありがとうリエン。皇帝陛下とも話がまとまって良かったわ。色々と想定外なものが増えたけど」
「武闘会まで、手合わせなど僕にできることなら協力しますよ」
心強い申し出だ。飛行船で彼と知り合えて本当によかった。
「リエン君、クシャ帝って御歳いくつなの? 少なくとも八人は息子がいる人に見えなかったけど」
ロドニシオの疑問はあの場にいた全員が感じていたことだった。アルデバランだけは何かを察しているかもしれない。
「母上はもうじき六十を迎えられるはずです。大神官による不老の呪いでその姿は若いままですが」
「六十!?」
あの見た目の倍以上の年齢だったなんて。道理で貫禄があるわけだ。




