カーネリアの子供達 中編
「ぼく、こんなところを歩いて一体どこに行くんだ?」
「えっ、ええと、その、ギンバルロッソって街に……」
話しかけられてブレイズがごにょごにょと答える。知らない人と話すのは初めてで上手く答えられない。
「ギンバルロッソ!? ギンバルロッソなんて歩いて三日はかかるぞ。」
「み、三日? そんなに遠いの?」
「俺はその手前のノーツホルムに向かってるところだ。そこまでなら日が暮れる前には着くが、乗ってくか?」
「い、いいの?」
「ああ。ちょっと積み荷が多いが、子供が二人乗る分には問題ねえさ」
ここで馬車に乗せてもらえたのは本当に運がよかった。でなければ、街まで三日も歩き続けることになっていたのだから。
兄妹に声をかけた男性の名前はゲイツ。他の街で仕入れた品物をノーツホルムに搬入している最中だという。
幌を潜ると先客がいた。
「わ、」
「ああ、そいつはうちの魔法使いだ。賊に襲われた時のための護衛だよ。」
「魔法使い……」
静かに目を閉じて座る少年。ブレイズよりいくつか年上に見える。くすんだブロンドの髪と、透明な石を嵌め込んだ首輪が印象的だった。
「お、お邪魔します……」
おずおずと挨拶をしてフィメロと乗り込むが、魔法使いの少年は何も反応を返さなかった。菫色の瞳はぼんやりとどこか遠くを見つめるだけで、ブレイズ達を写していない。
荷馬車での移動は徒歩よりずっと楽だった。途中でフィメロが寝ることもできたし、ブレイズも少しだけ眠った。両親の夢を見た。
「大丈夫?」
「え、」
目を覚ましたブレイズに誰かが声をかけた。菫色がこっちを見ている。いつの間にか日がだいぶ傾き、荷台の中は薄暗くなりつつあった。
「泣いてたから」
「あ……父さんと母さんの夢を見てて……久しぶりだったから。ええと、二人とも全然帰ってこなくて、ずっと会ってなくて」
一体自分は何を言ってるのだろう。こんなことを言われても、彼も困るだけだろうに。恥ずかしさで顔が熱い。
俯くブレイズに少年はただ淡々と話す。
「そっか。また会えるといいね」
「うん……えっと、君は?」
「魔法使いだよ」
「そうじゃなくて……えっと、俺はブレイズ。君は、その名前とか……」
「名前……僕の名前……カラー……だったと思う」
自分の名前なのにどうして覚えていないのだろう。それと、やはりその首輪が気になる。
「カラー、どうして首輪を付けてるの?」
「魔法使いだからだよ」
魔法使いだから首輪を付けるというのが分からない。不審がるブレイズを見て、カラーが首を傾げた。
「魔法使いは魔法石が無いと魔法を使えないんだ。それと、一目で魔法使いだって分かるようにしないといけないんだよ」
「それで首輪? でもそれじゃあ……」
まるでモック爺さんの家の猫みたいだ。どうして首輪でなければならないのか。
馬車がガタンと揺れたひょうしにフィメロが目を覚ました。もうすぐ着くぞ、と前方からゲイツの声が飛んでくる。
幌をそっと開けてみれば、そこは人で賑わった世界が広がっていた。自分達の住む高原とは全然違う。
「ここが、ノーツホルム……」
圧倒されるブレイズの横で、フィメロは色々なものに興味を示している。
「ブレイズ、今日は妹も一緒にうちに泊まるといい。子供だけで宿を探すってのも難しいからな」
「あ、ありがとうございます……」
「ギンバルロッソには明日向かえるよう、知り合いにかけあってみるよ」
「本当に?」
ゲイツのおかげで無事にギンバルロッソまでたどり着けそうだ。
(あとはそこに父さんと母さんがいるといいんだけど……)
両親が本当にギンバルロッソにいるかは分からない。分からなくとも、大きな街なら何か知ってる人がいるかもしれない。そんな淡い希望があった。
「二人とも家に案内するよ。うちの娘はフィメロと歳が近いんだ。遊んでやってくれ。おいお前、積み荷を全部入れとけよ。傷一つも付けるな。分かってるよな?」
「はい……」
ゲイツがカラーに指示を出す。カラーのあの細い身体ではとても荷物を運べるとは思えない。
手伝うべきか?
ブレイズが一瞬迷っていると、カラーが荷物に向けて両手を広げた。
「“浮遊せよ”」
ふわりと荷物が浮き上がり、カラーはそれを引き連れて倉庫へと歩いていく。
(あれが魔法……)
一瞬で目と心を奪われた。なんて神秘的で魅惑的なんだろう。
「ブレイズ、行くぞ」
「あ、はい」
ゲイツに呼ばれて我に返る。カラーは一緒には来ないのだろうか。
カラーが魔法を使ったあの瞬間がしばらく頭から離れなかった。ゲイツの娘とフィメロが遊んでいる時も、脳裏にずっと焼き付いて。
「ブレイズ、明日の昼にギンバルロッソまで送ってくれる人達が来る。それまではここにいるんだ」
「ギンバルロッソまで送ってもらえるの?」
「ああ。だから安心して、今日はゆっくり休め」
ゲイツのその言葉をブレイズは信じて疑わなかった。ギンバルロッソへ行ったら両親を探そう。もし両親に会ったら、カラーの魔法のことを教えてあげたい。
「フィメロ、明日もお出かけだから、今日はいっぱい寝るんだよ」
「でも、おひるねしたからフィメロぜんぜん眠くないよ?」
「眠くないなら、俺が子守唄を歌ってあげる」
貸りた部屋はベッドが一つあるだけの簡素な部屋だった。そのベッドでフィメロと二人。妹の大好きな子守唄を歌ってやれば、あれだけ眠くないと言っていたフィメロもころんと眠りに落ちる。
窓の外に浮かぶ月を見ながら、ブレイズも瞼が重くなってきた。
初めてこんな遠くまで来た。それもフィメロとたった二人で。母はきっとものすごく驚くだろう。それとも、怒るだろうか。
明日には戻ると書き置きを残してきたのに、難しそうだ。それでも今は、この冒険にワクワクする気持ちの方が大きかった。
寝坊しないように、と早く目が覚めたブレイズ。身支度を簡単に済ませて、フィメロを優しく揺り起こす。
「フィメロ、朝だ。起きて」
「ん〜〜……」
小さな妹の着替えを手伝い、顔を洗わせる。少ない荷物をまとめてリビングへ行くと、ゲイツが新聞を読んでいた。彼の妻が朝食を作るいい匂いが充満している。
「二人とももう起きたのか」
「おはようございます、ゲイツさん」
「フィメロ、早起きとくいだよ!」
何度声をかけてもしばらく目が開かなかったくせに、誇らしげなフィメロ。
「そうかそうか。そうしたら、リッカを起こしてくれないか? リッカは早起きが苦手なんだ」
「わかった!」
すたこらと飛び出す妹を慌てて追いかけた。ゲイツの娘、リッカとは一日ですっかり打ち解けた。これまで歳の近い子と遊んだことが無かったからか、フィメロは友達ができたことが相当嬉しいらしい。
「リッカ! ご飯ができるよ! 起きて!」
「フィメロ、そんなに強く揺すっちゃだめだ」
ゆっさゆっさとリッカの身体を揺するフィメロの手を止める。良くも悪くも幼い子供は加減を知らない。
「リッカ、ゲイツさん達が待ってるよ。起きられる?」
「うぅ……フィメロ……と、ブレイズお兄ちゃん?」
「リッカおはよう! ご飯だよ!」
身体を起こして瞼を擦るリッカ。その手をフィメロが掴み、早く早くと引っ張る。
「フィメロ。リッカを引っ張っちゃだめ。リッカはフィメロよりお姉さんだから、一人で着替えられるかな?」
「うん」
「じゃあ、部屋の外で待ってるね」
リッカを待つ間、フィメロは少しむくれていた。
「フィメロだって一人で着がえられるよ!」
「今日は俺が手伝ったよ」
自分だって“お姉さん”扱いをしてほしい。拗ねる妹の頭を撫でると、余計怒られた。
「フィメロもお姉さん!!」
「分かったよ。じゃあ、フィメロもお姉さんだから、明日は一人で起きれるよね?」
「できる!!」
「約束だぞ」
きっと自分が起こすことになる。なんとかフィメロを宥められたところでリッカが出てきた。
三人でリビングに戻ると、テーブルの上に朝食が置かれていた。ここでの食事は自分達とそこまで変わらないらしい。硬めのパンに、キャベツと玉ねぎのスープ。それから、ハムエッグ。
「あの、カラーはいないの?」
昨日の魔法使いのことを聞くと、ゲイツは少し顔を顰めた。
「あれは荷物を運搬するときだけ使うんだ。ほら、早く食わないと迎えが来るぞ」
「ブレイズお兄ちゃん知らないの? お金持ちの人しか魔法使いと一緒に暮らさないんだよ」
「そうなの?」
パンをちぎりながらリッカが魔法使いについて話す。自分の知っている知識を教えたくてたまらないようだ。
「お金持ちの人の魔法使いは召使いなんだよ。あとは危ないお仕事とか、そういうのを魔法使いがするの。だって魔法が使えるなら、危ない所に行っても大丈夫でしょ?」
「う……ん……」
魔法が使えるからといって、カラーが危険な仕事をするのは違うような気がした。あの細身で虚ろな目をした少年は、危険な仕事を任せたらそのまま死んでしまいそうだ。




