静養の裏側で
遠征から帰還して三日後。ロゼアリアは自室に拘束されていた。カルディスから事情を聞いたロゼッタ、それからフィオラにより、絶対安静という名の監禁を強いられている。今回ばかりはオロルックも味方をしてくれなかった。
「だから、怪我も何も無いって言ってるでしょ」
「ダメです! あと二日は療養してください!」
あと二日も? そんなに閉じこもっていたら身体が鈍ってしまう。せっかくマヴァロ共和国の使節団が到着したというのに、歓迎のパーティーにも出席することができなかった。
仮に出席できたとしても、白薔薇姫をエスコートする王子様はもういない。笑い者にされるのは間違いなかった。
それでも、マヴァロ人に会ってみたかったのに。マヴァロの民は体格がよく、健康的な褐色の肌を持っているらしい。それでいて髪と瞳は淡く、陽気な性格の人が多いとか。
「お父様とお母様ばっかりずるい。私もマヴァロの人に会いたかった」
「ダメなものはダメです。しっかり身体を休めてください。魔塔の主様がいなければ、どうなっていたことか……」
フィオラにそんな泣きそうな顔をされたら、ロゼアリアも大人しくベッドに籠るしかできない。
フィオラを含めた世話係の侍女が全員部屋を出た途端、ロゼアリアは跳ね起きた。鍛錬にも参加できないなら、せめてここで身体を動かさなければ。普段より筋肉を意識して、丁寧にトレーニングをする。その間、考えたのはアルデバランと話したことだった。
『──マヴァロの連中と話すより先に、俺はグレナディーヌの灰色の地を片付ける』
二国間協議の日程によっては参加できない、と彼は言っていた。今頃、他の騎士団の遠征地を復元して回っているはずだ。
(大丈夫かしら。次からは魔法使いを他にも連れて行くと言っていたけど)
アルデバランほどの魔法使いであっても、命の無い土地に生命の息吹を与えるのは容易でないらしい。魔塔まで送り届けたアルデバランは、左手と臀部を痛めてかなり可哀想な状態だった。出迎えてくれたリブリーチェには大笑いされていたが。
他の騎士団は灰色の地への同行をアルデバランに拒否されたため、マヴァロの対応に専念しているという。ロゼアリアのような事例が二度と起きないように、という理由だ。魔窟の侵食状況をよく知っている騎士団ならば、今回のことがどれだけ危なかったか分かるだろう。
「──ふう」
一通り身体を動かした。ふと窓辺に目をやれば、ガラスケースの中でスピネージュはまだ咲いていた。
「暇ね」
邸宅の中を歩き回るくらいはしても良いだろう。もう三日も我慢して部屋に籠っていたのだ。
鼻歌交じりに歩いていると、廊下の先から父の話し声が聞こえてきた。
「お父様」
「ロゼ、もう身体は大丈夫かい? どこか痛いところは? 夜もしっかり眠れているかな?」
「はい。大丈夫です」
直前まで副騎士団長と話していたカルディスは、一瞬で愛娘を案じる父親の顔に変わった。これでも、若き頃は「氷の貴公子」と称されるほど無表情な美少年で有名だったのだが……今のカルディスにその面影は無い。
「ロゼが無事で本当に良かった。魔塔の主殿には、重ねてお礼を申し上げねば」
「サイナス副騎士団長と何のお話をされていたのですか? 灰色の地のことでしょうか」
カルディスの親バカが加速する前に話題を切り替える。ロゼアリアが会話に首を突っ込んだのは、魔物──ラウニャドールに関する話が聞こえてきたからだ。
「うん。今、マヴァロ共和国の使節団と協議が始まってね。マヴァロとグレナディーヌでの魔物の相違や共通しているところを照らし合わせていたんだ」
「国によって魔物の形態が違うのですか?」
「大きくは違わない。ただ、脅威レベルで言えばマヴァロの方が深刻だ」
騎士団、そしてアルデバランのおかげもあり、グレナディーヌが対処するラウニャドールの脅威レベルはCクラスがほとんどだった。自衛団しか持たないマヴァロには、それより上位のラウニャドールがいるのだろう。
(あの魔窟のラウニャドールは、どれくらいのレベルだったんだろう……)
B、いや、Aではないだろうか。もしあれほどのラウニャドールがいくつも存在するとなれば……。マヴァロが他国へ支援要請をするのも当然だ。
「そこでロゼ。ロゼが嫌でなければ、協議に参加するよう話が出ているんだ。魔物と対峙した時のことを教えてほしいと。思い出したくなければ、参加しなくても大丈夫だよ。僕としてはロゼに怖いことは思い出してほしくない」
眉尻の下がった父の顔を見つめる。父が自分の身を案じてくれているのは、痛いほどに伝わってくる。
「参加いたします」
「本当に大丈夫かい?」
「はい。それに、私のような経験をした人は、グレナディーヌにはいないはず。役に立てるのであればいくらでも」
むしろ役立ててもらえた方が本望だ。魔窟に落ちたことに少しでも意味がある方が気持ちも楽になる。
「分かった。では他の者にも伝えよう。一緒に行くのは明後日からだ。それまでは静養しているんだよ」
「はい……」
結局まだ静養か。自室に戻るよう促され、ロゼアリアは少し不貞腐れた。
ロゼアリアが邸宅に閉じ込められている頃、アルデバランは四つ目の土地の復元をしていた。
「主様、連日魔力を消費しすぎです。少しお休みになられては」
「ん? ああ……問題ない。まだ俺の魔力だけで済んでるからな」
切った左手の平を、同行してもらっている魔法使いに治癒してもらう。庇う人間がいない分、アルデバランにも余裕があった。調査も兼ねて十人ほど魔法使いを連れてきたため、自身の魔力を温存することもできる。転移魔法も自分で使わなくていい。おかげで、何度も臀部に回復魔法をかける必要も無くなった。
魔法使いは魔法石が無ければ、魔法を扱うことはできない。しかし管理者の権能を持つアルデバランは別だ。魔法石が無くとも魔法は使えるし、母なる石の加護で代償を軽減できる。広大な土地に命を戻すなどという大規模な魔法を連日使えるのも、彼が管理者だからこそだ。
常人なら自分の命を対価にでもしなければ、この広さの土地を甦らせることはできない。
(結局、子供の声が聞こえたのはあの時だけか……)
穏やかな風に吹かれる草原を前にアルデバランが考える。
どこか、手応えがない。たしかにこの地に巣食うラウニャドールを排除しているのに、重要な部分を取り逃しているような。
(だが、俺が調査を進める時間も無いし)
マヴァロとの協議にも参加しなければ。しかしこの違和感を無視するわけにもいかない。
「お前達、少し頼まれてくれないか?」
連れてきた魔法使い達は皆、ラウニャドールの生態について研究している魔法使いばかり。彼らならアルデバランがいなくても着実に調査を進めてくれるだろう。
「どうされました主様」
「グレナディーヌ全域の地下を調べてくれ。あまり良い仮説ではないが……」
頭の中から払えない懸念事項を伝える。アルデバランの話に彼らは顔色を変えることなく頷いた。
「かしこまりました」
「頼んだ。結果が分かり次第伝えてくれ。余裕ができれば俺も調査に合流する」
風が、すっかり短くなってしまったアルデバランの髪を撫ぜる。毎度魔法陣に血を捧げるわけにもいかず、髪は切って使う分に分けた。ロゼアリア達が初めて会った頃の彼とはすっかり別人だ。
「サンプルの採取はもういいな? 分かってると思うが、培養なんかするなよ」
ラウニャドールの破片を持ち帰る魔法使いに念を押すと、アルデバラン達は魔塔へと引き上げた。
大方、マヴァロへの支援は騎士団の派遣程度で済み、自分は調査に合流できるはずだと、この時のアルデバランは少々楽観的に考えていた。




