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魔窟掃討任務

 命の気配を微塵も感じない、色を失った世界。久しぶりに訪れたそこは、以前よりもさらに死の気配を色濃くしていた。

 灰砂が一面を覆うだけなのに、これ以上何が変わるというのか。


 その異様さはアルデバランも感じ取ったらしい。


「おかしいな。たった五年でここまで侵食が進むか?」


 頭の真上から降ってくる声を聞きながら、ロゼアリアはいつもより速度を落として愛馬を走らせた。後ろに続く団員達からは、アルデバランの背中しか見えないだろう。


(アーレリウス様と二人で乗馬をする夢は叶わなかったのに……)


 なぜ後ろにアルデバランを乗せているかというと、ロゼアリアの愛馬、マリウスが彼をいたく気に入ってしまったからだ。主人の命の恩人だと本能的に感じ取ったからなのか、マリウスも女の子。背の高い美人に惹かれたからなのかは分からない。

 とにかく彼女の性格上、気に入った相手が他の馬に跨ろうものならものすごく機嫌を損ねるので、致し方なくロゼアリアがアルデバランを運ぶことにした。


 オロルックは完全に他人事といった様子で「絶対に団長に見せらんないっスね」などと呑気に言っていたが。


「ケツが痛い」


 乗馬に慣れていないアルデバランがずっとゴネている。ロゼアリアとてできることなら彼を前に乗せてやりたいが、馬鹿みたいな身長差がそれを許さない。


「こんなんだったら、俺だけ転移するんだった」

「同じ魔窟に行きたいのに別々だったら意味無いでしょ。それに、カーネリア卿は魔窟の場所知らないじゃない」


 こっちだってアルデバランの尻を慮って速度を落としてやってるのだ。いい加減、人の頭の上で文句を垂れるのはやめてほしい。


 ようやく魔窟の観測地点に降り立った時には、アルデバランはずっと臀部を(さす)っていた。


「クソ……こんなことで魔力を浪費したくないのに……」


 なんてボヤきながら自身の尻に治癒魔法を使う魔塔の主など見たくなかった。

 やっと尻が回復したアルデバランが魔窟を見る。


「こりゃ酷いな」

「もう底が確認できないの」


 並んで魔窟を観測するロゼアリアとアルデバラン。そのアルデバランのローブをマリウスが食んだ。


「こら、食べ物じゃないんだぞ」


 子供でも相手にするような調子で止めるアルデバランに、マリウスが鼻を押し付ける。この短時間で随分好かれたものだ。

 マリウスの相手もそこそこに、この先の危険区域へと踏み入る。


「カーネリア卿」

「魔窟に入らなきゃ駆除できないんだ。アイツらの相手は任せたぞ」


 アルデバランが指した先は、こちらへ向かってくる無数の黒い影。途端にロゼアリア達は剣を抜き、襲撃に構える。

 魔物は彼の真正面からも向かって来るというのに、アルデバランは焦りも見せずに歩いていく。黒が黒に飲み込まれる頃には、ロゼアリア達もアルデバランを気にする余裕は無かった。


 自身の横を影の群れが通り過ぎるのをアルデバランは見向きもしない。まるでお互いがお互いを認識していないかのように両者はすれ違った。

 ローブをはためかせて、散歩でもする足取りでアルデバランが魔窟へと向かう。とうとうその淵に辿り着くと、彼は死の穴を覗き込んだ。


「よう。久しぶりだな」


 真っ黒な底に佇む闇の塊。そこら中に根を張り、血色の卵、或いは繭が心臓のように脈打っていた。


 炎を少し細めると、アルデバランは迷うことなく穴の中へ飛び降りた。五メートルは降りただろうか。魔窟の中は異様に寒く、吸い込んだ空気が肺を凍らせようとする。


「俺だよ。分かるか?」


 そんな中、アルデバランは親しい友にでも語りかけるように闇の塊へと近づいていく。まるで宿主に寄生したツル植物が、今まさに宿主を絞め殺さんとしているような姿形だ。実際、大差ないだろう。死をもたらすそれらが生に執着するような有り様に、死を渇望する生がせせら笑う。


「相変わらず醜悪な見た目だな。なあ、いつも言ってるだろ? 俺は寒いのが苦手なんだ」


 パチン。


 アルデバランが指を一つ鳴らすと、真っ黒な根を炎が包んだ。清らかで神々しい炎。太陽(アンジェル)の炎。


『■■■■■■!!』


 舐めるように静かに広がる炎に真っ黒な木が悲鳴を上げる。絡まりあったツルが解け、いくつもの鞭がアルデバランへと振り下ろされる。


「はは、ちゃんと覚えてるじゃないか」

『■■■■■! ■■■■■■■!!』

「そう怒るなよ。お互い様だろ?」


 振り下ろされた鞭がアルデバランを傷つけることはない。それらは彼に触れる前に、炎に飲み込まれ灰へと変わる。

 魔物の言葉を完全に理解しているわけではない。ただ、そこに込められた感情や意思は何となく汲み取れる。感情。そんなものがこの物体にあると知っても、それらを殺めることに迷いや戸惑いは生まれなかった。

 所詮余所者(よそもの)。この星を殺そうとする化け物に慈悲を抱くほど、自分は崇高で心優しい者じゃない。


 アルデバランの後ろで卵が孵った。或いは繭が破られた。どろりと溶け出した影が形を成す前に、炎が燃え盛るための薪となる。


「悪いなあ。お前達を招き入れたのは俺なのに」


 うっすらと口元に弧を描くその表情、冷たく燃えるその瞳に、「悪い」という感情は一切孕んでいない。

 既に大半の根が焼け落ちたその幹にアルデバランが触れる。そこから更に炎が広がった。


『■■……■、』

「ああ。そのまま死んでくれ」


 無慈悲。冷徹。もし三百年前を知る誰かがこの光景を見れば、アルデバランがかつてのブレイズであると瞬時に分かっただろう。

 やがて炎が全てを飲み、哀れな影を消し去ってもアルデバランは手を止めなかった。魔窟の更に奥へと炎を沈ませる。

 今のは表面に現れた魔物を焼き払ったに過ぎない。そのずっと奥まで焼かねば、こんな魔窟、すぐに元通りになってしまうだろう。


 先程よりも遥かに集中する。目には見えない所まで覗くように、地面の奥底へ潜らせた炎に意識を巡らせ、太陽の炎から逃げる根を捕まえようとする。


(随分張り込んでるな……これが侵食を増大させる原因か)


 これまで定期点検で手を抜いた覚えはない。にもかかわらずこの結果ならば、徹底的に排除しなければ。

 炎の勢いを加速させる。炎から、指先から、化け物の断末魔が伝わってくる。それに心地良さすら感じる自分も、とっくに化け物に成り果てていた。


──邪魔シナイデ。


「っ!」


 異変を感じ取ったアルデバランが地面から手を離す。


「なんだ今のは……俺の炎が打ち消された?」


 今も耳元にはっきりと残る声。いや、頭の中に直接響いたような。子供の声だった。おそらく、女の子の声。


 魔物の言葉は何となく分かるだけで、その意味までしっかりと感じ取ったことは一度も無い。それが、今のはまるで違った。明確な拒絶、形を持った言葉、そして殺意と敵意を孕んだ無邪気な少女……いや、幼女ととれる声だった。


 背中を嫌な汗が伝う。もうここに魔物の気配は無い。次を急がねば。


 難なく魔窟から戻ったアルデバランに、ロゼアリアが少々困惑した顔を向けた。


「あ、カーネリア卿。突然魔物が燃えて……」

「母体を燃やしたからな。それよりお前、地図は持ってないのか?」

「地図? 持ってるけど、どうして」

「次の魔窟まで転移で向かう。座標を教えろ」


 ロゼアリアが出した地図をアルデバランが引ったくった。座標と言われても、そこに記した魔窟は父の地図を写したもの。細かい情報までは書いていない。


「大まかなことしか書いてないわ」

「十分だ。もうあの魔窟はただの穴だ。お前らはテントにでも戻ってろ」


 それだけ言うと、アルデバランは魔法使いらしく姿を消した。初めて魔法使いを見る団員達は、その光景に物珍しさと興奮を滲ませる。


「どういうこと? でも、魔窟の掃討は終わったみたいだし……」

「お嬢、 戻ります?」

「ええ。戻って団長に報告よ。総員、撤退の準備を!」


 オロルックと短い会話を交わし、部隊を引き上げる。魔窟を一つ片付けた割には、アルデバランの表情が幾分曇っていたような。

 とにかく、自分の持ち場は無事片付いたのだ。拠点に戻り、他の部隊の援軍に回れるようにしなくては。

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