過去を抱く者
ロゼアリア達が帰った後、アルデバランは四本のナイフを片付けていた。それから大鍋。実験や薬の調合に使った道具はその日のうちに片付けなければ気が済まない。
使ったまま放置するなんて以ての外。他の魔法使いがそのままにしていようものなら、すぐに洗うよう叱責を飛ばすところだ。
「おかげで随分早く作業が進んだな……スピネージュの処理でもするか」
温室に向かおうとしたところで、魔法使いに呼び止められる。
「アルデバラン様!」
「ん? どうした?」
「この魔法道具の回路を確認していただきたくて……どこか違うのか、上手くエリューが回らないんです」
困り顔で設計図と試作品を渡される。それらを一目見ると、アルデバランはすぐに異変に気づいた。
「ああ、ここの組み方が設計図と少しズレてる。これが原因だな」
「なるほど、見落としていました」
「それからここは省いて直接繋がるようにした方が安定するはずだ」
「ありがとうございます」
広げた設計図にアルデバランが修正案を書き込むと、魔法使いは納得した表情で頷いた。
「あとは問題ないか?」
「はい。そういえば、アルデバラン様は最近魔塔に来る人間の方々を気に入られてるみたいですね」
「…………俺が人間を?」
「ええ。リブリーチェが楽しそうに過ごしている相手だからでしょうか?」
アルデバランが一瞬顔をしかめ──すぐに元の表情を取り繕う。
「人間とはいえただの子供だからな。リブの友人なら邪険に扱う必要もないだろ」
「やはりそうでしたか。では、失礼いたします」
一礼をして忙しそうに戻る魔法使いの背中を見つめるアルデバラン。温室に向かう気分ではなくなってしまった。
温室へ向かうのをやめて、最上階の部屋へ戻る。魔塔の主の部屋に続く階段を登りながらアルデバランはぼんやりと考えた。
(そもそも、人間に興味を持つ魔法使いが人間と関わることを禁じるのが俺の身勝手でしかないことは分かってる)
魔法使いは自身の興味を持つものはとことん追求したがる性分。その対象が人間だからという理由で好奇心を制限するのは不公平だ。
(けど人間との摩擦を防ぐ為には仕方ない)
人間と魔法使いの間に余計な争いが生まれないように、魔法使いを守る為に一切の交流を絶った。王国の利益よりも魔法使いを優先する。それが魔塔の主としての責務だと考えているからだ。
(それなのに、俺が人間を気に入ってる?)
フッと乾いた笑みが零れた。気に入る、なんて傲慢な。
人間だからという理由だけであれだけ殺したくせに。
(たしかに、子供だからと気を許しすぎたな。あいつらがリブに危害を加えることは無いだろうし、もう俺が関わる必要も無いな)
今後は彼らの前に顔を出さなくても良いだろう。騎士団の協力要請も断った。もしアルデバランに取り入る為にリブリーチェと仲良くしているなら、アルデバランが姿を見せなければ諦めるはずだ。
最上階の部屋は昼夜問わず暗い。天井には疑似宇宙が映され、常に夜空の下にいるよう。この部屋の壁も一面に本がぎっしりと詰め込まれている。これらの書物は魔塔の主のみが閲覧を許されたもの。
不思議な道具や書類で溢れてはいるが、整理のされた机にアルデバランが向かう。机に置かれた一つの写真立てを手に取り、その中に映るある人物を愛おしそうに指でなぞった。
小さな女の子と、隣にいるのは兄だろうか。どちらも黒い髪に炎のような赤い目を持ち、アルデバランによく似た顔立ちをしている。
アルデバランの指がなぞるのは女の子の方だった。
「フィメロ……時間がお前を俺から奪う。三百年は長すぎた。俺はもう、お前の笑った顔も楽しそうな声も、何一つ思い出せないんだ」
繋いだ小さな手の感触。「おにぃちゃん」と自分を呼ぶ声。交わしたたくさんの会話。それらはとうに薄れ、辿った記憶の先にはいつしか深い霧だけがあった。
それでも小さな妹の手が、母になった彼女の手が、温かかったことは知っている。
彼女の最期が幸せに包まれていたことは知っている。
「いつか俺は、お前のことを全て忘れてしまうかもしれない。あの戦争のことも、俺の罪も全部忘れるかもしれない」
考えただけで息が詰まる。かつての自分が引き起こした戦争と、その結末を背負って何度も生まれ直してきたのに。それすら忘れて生きていくことになったら──想像する度に、心が途方もない虚無感で押し潰されそうだった。
(やっぱりこれ以上は関わるべきじゃない)
写真を置くと、アルデバランは短く息を吐いた。
魔塔が人間と交流を絶ち続けているのは魔法使いのため。それはもちろんのこと。けれどそれともう一つ、アルデバラン自身のためでもあった。
魔塔が王国民の間で不穏な噂を立てられていることも知っている。ありもしないゴシップを作られていることも。けれどそれで良いと思っていた。人間が魔塔に近寄らないのであれば良いと。
(まさか、顔を輝かせて飛び込んでくる物好きがいるとはな)
しかもそれが、自分が命を救った赤子だったなんて。
あの時のことはよく覚えている。母親の方は回復だけで済んだが、赤子はあのままなら死んでいた。機能を失いかけた心臓を細胞から組み直し、再生させた。
(俺が処置をしたから当然だが、心臓は特に問題なさそうだな)
あのおてんばっぷりを見ればロゼアリアが健康そのものであることは分かる。助けた人間のことを気にかけたことはないが、無事を知れたのは良かったと言えるだろう。
(だからといって今後も関わり続ける理由にはならない)
あとはリブリーチェに任せればいい。一つ息を吐くと、アルデバランは積み重なった書類に手を伸ばした。
文字の羅列を目で追っていると、扉を叩く音が響く。星読みをしていた魔法使いが訪ねて来たのだろう。ペンを置いて、アルデバランは再び部屋の外へと出た。




