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微かな再生と揺らぐ影

「お前のその傷、開いたんじゃないのか? ガーゼに血が滲んでるぞ」


 アルデバランが頬のガーゼを指摘する。そういえばそうだった。傷の痛みよりも心の痛みに気を取られて忘れていた。


「治してやろうか?」

「傷を? 貴方が?」

「ああ。貴族の連中、特に女は顔を気にするだろ。傷を綺麗さっぱり消してやれるが」


 どうにも今日のアルデバランは親切すぎる。何か裏があるんじゃないか、と訝しむロゼアリアにアルデバランが気づく。


「別に、出来ることを言ってるだけだ。他意は無い」

「そうだったの……ありがたい申し出だけど、大丈夫。傷が消えても、婚約破棄や他のことが無かったことにはならないもの」

「そうか。面倒臭い奴だな」


 やっぱり親切ではないかもしれない。申し出を断ったら辛辣な言葉が返ってくるとは思わなかった。悪口じゃないか。

 アルデバランが指を鳴らした。すると、頬の痛みが引き始める。


「え、あの、治療は大丈夫だと」

「治癒を早めただけだ。せっかくリブが菓子を選んでるのに、お前が食わなかったらあの子が可哀想だろ」

「ああ……ありがとう」


 ロゼアリアがくすくすと笑うのを見て、アルデバランが不審そうに眉を吊り上げる。


「何が可笑しい」

「何も。リブのため、ね」


 リブリーチェのためならたとえ人間が嫌いでも傷を回復させてくれるのか。


(カーネリア卿が悪い人じゃないことはよく分かった。あとは、王国にも協力的になってくれると良いんだけど……)


 あと一歩。あと一歩が欲しい。


 なかなか戻って来なかったリブリーチェが腕いっぱいにお菓子を抱えて戻って来た。クッキー缶同士が小さくぶつかり、カタカタと音を立てている。


「お待たせしました! いっぱい選んでたら時間がかかっちゃって。ロゼアリアお姉さんは、なんのお菓子が好きですか?」

「クッキーは好き。それからマドレーヌも。一番好きなのはりんごのパイ」

「りんごのパイが好きなんですか? 今度用意します!」


 テーブルの上に広げられるたくさんの焼き菓子。その甘い香りに、ロゼアリアの胃が「ぐ〜……」と音を立てる。そういえば、昨日の夜から何も食べていなかった。


(まさか人前でお腹が鳴るなんて……)


 貴族の娘として恥ずかしい。顔が熱くなるのを感じる。


「ロゼアリアお姉さん、お腹空いてるんですね! いっぱい食べてください! サンドウィッチも用意できますよ!」

「あ、ありがとうリブ……」


 アルデバランが少し傷を治してくれてよかった。頬の傷を気にしていたら、とても空腹を満たせなかっただろう。


「アルデバラン様はお茶の用意をお願いします!」


 リブリーチェに頼まれたアルデバランが人差し指を軽く振ると、三人分の花茶が用意される。


(今度は冷たいお茶ではないわ)


 ロゼアリアが、もう温かい花茶で問題無いとアルデバランも分かっている。


 お茶会のおかげで気持ちもだいぶ落ち着いてきた。人間社会に属さない、魔法使いの彼らは前と変わらずロゼアリアに接してくれる。それがとても安心できた。

 もちろん、昨日の今日でアーレリウスに裏切られた傷が癒えるわけではない。思い出すと胸が痛むし、婚約破棄を受け入れたいとも思わない。

 それでも、白薔薇姫という仮面を失ったことを冷静に受け止められるくらいにはなれた。


(これからどうしよう……)


 リブリーチェと談笑しながらふと考える。


(ううん。白薔薇姫ではなくなった以上、私にできることは騎士の職務を果たすことだけ)


 結婚のことはもう少し気持ちに整理がついてから考えればいい。ロードナイト伯爵家を継げば、多少縁談に望みも出るだろう。

 自分の代でロードナイトを終わらせるわけにはいかない。


「迎えが来たみたいだぞ」


 ティーカップを軽く揺らしながらアルデバランが唐突に言った。その直後、魔塔に誰かが飛び込んでくる。


「お嬢!!」

「オロルック」


 血相を変えたオロルックが走り込んでくる。


「ここにいたんスね!! もしかしたらって思って来てみたら、お嬢の暴れ馬が繋がれてたから」

「マリウスは良い子よ。暴れ馬じゃないわ」

「そんなことは今はいいんス! 皆心配してんスから、早く帰りますよ!!」


 飛び出していったロゼアリアを必死に探したのだ。一刻も早く邸宅に戻って無事を知らせねば。

 けれど、オロルックの「帰る」という言葉を聞いてリブリーチェが眉尻を下げた。


「オロルックお兄さん、今来たばかりなのにもう返っちゃうんですか? お茶飲むのもだめですか? お菓子、まだいっぱいあるのに……」


 蜂蜜色の目をうるうると潤ませて見上げられては、オロルックも断れない。


「じゃあ、一杯だけ……」


 花茶一杯分だけお茶会の時間を延期した後、ロゼアリアはオロルックと共に席を立った。

 そろそろ帰らなくては。オロルック以外、自分がここにいることを知らないのだから。


「おい」


 ロゼアリアにアルデバランが声をかける。


「どうしたの?」

「一つだけ教えてやる。隠し事を貫くなら、相応の代償を払う覚悟がなきゃいけない。覚えておけ」

「代償……」


 騎士の自分を隠し続けたことの代償が社交界の失脚、アーレリウスの裏切り、ということだろうか。


(もし最初からきちんと伝えていれば、姫騎士を周知してもらえるよう努力をしていれば、こんな結果にはならなかったかもしれないってこと?)


 そうかもしれない。結局自分は、アーレリウスに嫌われることを恐れて逃げていたのだから。


「……覚えておくわ」


 アルデバランから視線を逸らし、魔塔を後にする。そのロゼアリアの後ろをオロルックが続いた。


「お嬢、一応聞きますけど、あれカーネリア卿っスか?」

「カーネリア卿よ」

「なんか、思ってたのと全然違ったっつーか、魔塔の主ってモンだから、もっとオッサンだと思ってました……」


 そういえばアルデバランはいくつなのだろうか。若いとはいえ、結婚をしていてもおかしくなさそうな歳に見える。


(今度伺ってみよう)


 柵に繋いでいた愛馬を撫で、その背に跨る。団員の間では暴れ馬で有名なこの馬は、ロゼアリア以外を乗せようとはしない。

 ようやく帰宅すべく、二人並んで馬を走らせる。


「お嬢、帰ったらちゃんとフィオラと仲直りしてくださいね。お嬢に嫌われたって言ってましたよ」


 ロゼアリアがオロルックに少し顔を向ける。


「オロルック、貴方怒ってるの? 私がフィオラを傷つけたから」

「怒るって、俺がお嬢に怒れるワケ無いじゃないスか」

「だって貴方、昔からフィオラが好きじゃない」

「なっ!?」


 驚きのあまりオロルックが落馬しかけた。


「なんで知ってんすか!?」

「私が知らないと思ったの? というより、皆知ってるわよ。貴方分かりやすすぎるもの」

「分かりやすい!?」


 動揺するオロルックを横目にロゼアリアが速度を上げた。慌ててオロルックがその後を追う。


「ちょっとお嬢! 皆って誰っスか!? 誰まで知ってんスか!? フィオラは!?」

「さあ」


 来た時とは反対に笑顔を見せて走るロゼアリア。そんないつもの彼女の姿に、オロルックは安堵した。


 伯爵邸では両親やフィオラ、ロードナイトに仕える者達が不安を表情に浮かべて待っていた。とうとう門の外で帰りを待ち続けていたフィオラが、オロルックと共に姿を見せたロゼアリアを見つけて目に涙を浮かべる。


「お嬢様!!」


 馬を降りたロゼアリアの元へ、フィオラが一直線に駆け寄る。


「お嬢様、ご無事で本当によかったです……!」

「フィオラ……ごめんなさい。貴女は何も悪くないのに、貴女に酷いことを言ってしまった」

「そんなこと、お嬢様がご無事であったことを思えば些細なことです!! お嬢様の身に何かあったらと考えると、私の命だけでは償いきれません!!」

「私は大丈夫。本当にごめんね」


 フィオラを抱き締めるロゼアリアの目にも涙が浮かんでいた。泣きながら抱き合う少女達の姿を見て、オロルックも微笑んだ。






「──お嬢様。こちらでいかがでしょうか?」


 ロゼアリアが感情に任せて切った髪をフィオラが整えた。腰まであったはずの髪は、随分と短くなってしまった。髪を身勝手に切ったことと行き先を告げず、護衛も付けずに邸宅を飛び出したことで両親にはこっぴどく叱られた。


「ありがとうフィオラ。とてもいいわ」


 顎ラインのショート。アーレリウスに出会う前の自分に戻ったみたいだ。ふと、視界の端に捉えたのは壊れたピアス。金細工が歪み、真珠は外れてしまった。


「お嬢様……よろしければ、お嬢様の気が許すまでこちらのピアスとお手紙は旦那様に預かっていただきましょうか?」

「ううん、大丈夫」


 アーレリウスのことはしばらく考えたくない。手紙も、その間は開かずに置いておくことにした。






 魔塔の中階に設けられた温室。そこでアルデバランは一人、作業をしていた。まるで宝石のように輝きを放つ、透き通った木の実を平たく大きなざるに入れて水の中で優しく転がすようにして洗う。

 しゃらしゃらと音を立てる木の実は、空から落ちてきた星屑を集めたようだ。


「うん……こんなところか」


 アルデバランがざるから手を離す。わざわざ手間をかけずとも、魔法を使えば一瞬で終わる。だが魔法を使わなくてもできることには魔法を使わない。なるべくそれを心がけていた。

 かつて魔法使いが便利道具のように使い捨てられていた世界を憎んだのに、そんな自分が便利だからと魔法にばかり頼っては意味がない。


 水面が凪ぎ、鏡のようにアルデバランの顔を映し出す。それをアルデバランは静かに見下ろした。二つの炎がこちらを見つめ返している。


「──隠し事を貫くなら、相応の代償を払う覚悟がなきゃいけない……お前が言えた義理か?」


 自分の顔を掻き消すように水に手を入れ、ざるを引き上げた。ざるごと木の実を窓辺に干し、アルデバランは温室を出る。昇降機をいくつか経由して、上階の展望台へ。いつもなら星読みをする魔法使いが一人や二人は残っているのだが、今日は誰もいない。


「……静かだな」


 ポツリと呟くと、アルデバランは長いローブを引きずるようにして階段を登り始める。最上階にある魔塔の主の部屋へは、階段を使わなければ行けない。

 壁に大きく映し出される影。コツン、コツンと一人分の足音が空虚に響く。そうして登った先に待つ厚い扉。この部屋には三百年間、アルデバラン以外の人間が立ち入ったことはない。

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