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白薔薇姫との決別

「──お嬢、今大丈夫っすか?」


 ロゼアリアの部屋の外からオロルックの声とノックが聞こえた。彼が邸宅に戻って来たということは、騒動が無事収まったのだろう。


「どうぞ」


 オロルックを部屋に通す。


「お嬢……怪我の具合は?」

「大したことないわ。少し安静にしてろと言われたくらい」


 顔を六針も縫ったのだ。「大したことない」わけがない。ガーゼで頬を覆われたロゼアリアを見て、オロルックの表情が後悔に歪む。


「申し訳ありません……俺がお嬢を図書館まで迎えに行ってたら、こんなことにはならなかったのに」

「オロルックのせいじゃないでしょ。それで、あの子は大丈夫だった?」

「はい。お嬢が気にしてると思って報告に。あの二人組は借金取りで、女の子の親父さんが結構な額を借りてたみたいっス」


 借金が返されないことから、あの少女を金の代わりにしようとしたのだろう。


「丸く収まったならいいわ。ありがとうオロルック」


 笑って返そうとしたが、頬の傷がそれを阻む。当面の間は食事はおろか、水を飲むのも一苦労だ。

 きっと明日には白薔薇姫が箒で悪漢を撃退した話でもちきりに違いない。噂を消そうとすればかえって真実だと言っているようなもの。

 このまま白薔薇姫の療養と一緒に放置するのが最適だ。


(アーレリウス様の耳にも入ったかしら)


 考えただけで胸がざわつく。完璧な白薔薇姫を愛するあの人ならば、今回のことでロゼアリアに幻滅したかもしれない。

 頬の痛みが少し強くなったような気がした。






 安静を命じられた二日後にはロゼアリアは王都へ出掛けていた。それもなぜか、町娘のような格好で。ローズピンクの髪は茶髪のカツラに隠れ、眼鏡で顔を誤魔化している。


「……お嬢、しばらく安静って言われてましたよね」


 同じく目立たない格好をしたオロルックがロゼアリアに話しかける。


「カーネリア卿を説得するのにもう十日くらいしかないのよ。部屋に閉じこもってられないでしょ」


 今頃屋敷は大騒ぎのはずだ。療養中のはずのお嬢様がこっそり抜け出しているのだから。


「傷口開いたらどーすんスか」

「ちょっと動くくらい大丈夫でしょ」


 白薔薇姫の最大の武器である顔を負傷したのに、ロゼアリアの機嫌はいい。それもそのはず、昨日の朝一番にアーレリウスから手紙を貰ったのだ。

 そこには怪我をした白薔薇姫を気遣う優しさで溢れた文面が綴られていた。


 アーレリウスは変わらずに好きでいてくれる。それがロゼアリアに元気をもたらしていた。


 目指すのは図書館。調べ物の続きをするためだ。


 変装をしているとはいえ、ロゼアリアの正体に気づかれないように人を避けながら街を歩く。図書館へ向かう途中、何度も白薔薇姫の噂を耳にした。


「聞いた? 白薔薇姫様が強盗を打ち倒したって」

「信じられないわよねえ。でも、白薔薇騎士団に所属しているそうよ。まさかあの麗しい方が普段から剣を振り回していたなんて」


(騎士団のことまで……騎士団の籍そのものは隠していたわけじゃないけど、そんなことまで調べられてるのね)


 かの有名な白薔薇姫の話だ。他に話題になるものはないかと探られているのだろう。


(もしかしたら、魔塔のことも知られるかも。けれどあれは騎士団長の方々と陛下の(めい)だし。下手なことは書かれないはず)


 至る所で噂話を耳にしながら図書館に辿りつく。館内の静けさが心地よかった。ここでも人目を気にしつつ、魔法使いと人間の歴史について引き続き調べる。

 やはり魔法使いについて多く書かれている書籍はない。黒い魔法使いの話が出ても、それがどこの国の魔法使いだったのか、どれだけ調べても性別、名前と何一つ知ることができなかった。


(黒い魔法使いのことは皆知ってるのに、何も分からないなんて。グレナディーヌにはあまり情報が入ってこなかったのかしら)


 他国の図書館ならまた違うのかもしれな。が、本を読むために国を出るものでもない。


(んー……これ以上ここに時間を費やすのは意味なさそう。続きを調べるなら、カーネリア卿を説得してからね)


 出した本をオロルックと片付けて、図書館を出る。流石に邸宅に戻らなくては。両親が血相を変えて探し回ってるかもしれない。来た道を戻る途中で、ロゼアリアが足を止めた。


「お嬢、どうしました?」

「あれ……」


 変装用にかけた眼鏡の奥で、ブルージルコンが揺れる。たとえ後ろ姿でも見間違えるはずがない。その視線の先に歩いていたのは、白薔薇姫の最愛の恋人。そしてその隣に、真っ赤な髪の女性。


「お嬢、待っ──」

「アーレリウス様!!」


 オロルックの制止も聞かずにロゼアリアが飛び出した。名前を呼ばれたアーレリウスが振り返る。


「……ロゼ?」


 いや、いっそのこと見間違いであってほしかった。変装してもなお、ロゼアリアに気づくなら間違いなく彼だ。

 アーレリウスの隣にいたのはヘレナ。訝しそうにこちらを見つめていたが、ロゼアリアだと気づくと彼女は勝ち誇ったような笑顔を口元に浮かべた。


「あら、もしかして今話題の白薔薇姫様? でもおかしいわねぇ。わたくしの知ってる白薔薇姫様はそんな地味な女じゃなかったはずだけど」

「アーレリウス様、どうして……」


 ヘレナには答えず、ロゼアリアは真っ直ぐにアーレリウスを見つめる。なぜヘレナと一緒にいるのか。何をしていたのか。問い詰めたくて、けれど聞きたくはなかった。腹の底が冷え、心臓が狂ったように早鐘を打つ。


「ロゼ、これは……」

「見ての通りよ、ロードナイト姫君。アーレリウスは貴女じゃなくてわたくしを選んだの。だって貴女、アーレリウスを騙して騎士の真似事なんかされてたのでしょう?」


 本当なのかと問うように見つめても、アーレリウスはロゼアリアを見ようとはしない。

 それなら。それなら、あの手紙はなんだったのか。

 とても心配していると書き綴られたあの手紙は。


 ただの、嘘?


 言い淀むアーレリウスの隣でヘレナが冷たい笑みを向けてくる。彼女がアーレリウスの腕に自分の腕を絡ませても、アーレリウスは振り解こうとしなかった。


「ヘレナの……言った通りだよ」


 その一言を聞いた瞬間、ロゼアリアは走り出していた。


 これ以上は聞きたくない。


 知りたくない。


 受け入れたくなかった。


「お嬢!」


 逃げ出したロゼアリアの後をオロルックが追う。その声も無視して走り続ける。


 ああ、やっぱり。完璧な白薔薇姫でなければ、アーレリウスは愛してくれなかったのだ。






「──お嬢様……今朝も何も召し上がられませんでしたね……」


 ロゼアリアの部屋から運び出された手付かずの食事を見て、侍女達が肩を落とす。フィオラも唇を噛み締めながら、ロゼアリアの部屋へと近づいた。


(お嬢様……)


 ロゼアリアは昨日帰ってきてから、一歩も部屋を出ていない。何があったのかはオロルックが教えてくれた。そして今のロゼアリアにとどめを刺すように今朝届いた一通の手紙。宛名はクロレンス公爵家。その手紙を胸に、フィオラは扉をノックしようとして──躊躇う。


(これをお渡ししてしまったら、お嬢様は本当に壊れてしまう気がする……)


 もちろん中身は見ていない。けれど良くない物であると分かった。今までであれば、公爵家からの手紙はいの一番にロゼアリアに渡していたのに。


(でも、お嬢様の無事を確認したいし……)


 一息ついてから、意を決して扉を叩く。返事はなくとも、その扉を押し開けた。


「えっ」


 床に散らばったローズピンク。その上で真っ白に輝く一粒の真珠。鋏を手にしたロゼアリアが鏡の前で立っていた。


「お嬢様!? 何をなさっているんですか!?」


 駆け寄ったフィオラがロゼアリアの手から鋏をひったくる。力無く垂れ下がった腕は抵抗をしなかった。


「どうしてこんな……っ」


 しゃがみ込み、ロゼアリアの髪をかき集めた。絹糸のような手触りが余計に胸を苦しくさせる。あんなに綺麗に伸ばしていたのに。これは、ロゼアリアの努力だったのに。フィオラや侍女達の努力でもあったのに。


「どうして……っ」

「もう要らないもの」


 冷たく──というよりは感情の抜け落ちた声でロゼアリアが言う。自ら髪を切り捨て、稽古用の軽装を身に纏った彼女に白薔薇姫の影は跡形も残っていなかった。

 フィオラの傍に落ちた手紙を、ロゼアリアの瞳が捉える。


「あっ、これは」

「そんなもの持って来ないで!」


 アーレリウスからの手紙。読まずとも分かる。婚約破棄の同意書を送ってきたのだ。

 顔に傷を負い、令嬢の命とも呼べる髪を切り、恋人からの婚約破棄。もう社交界に白薔薇姫の居場所は無い。それどころか、このままではロードナイトの存続すら危ういかもしれない。


「もう放っておいてよ!」

「落ち着いてくださいお嬢様! 声を荒げられては、傷口が開いてしまいます!」

「知らない! どうでもいい!!」

「どうでもよくなどありません! 傷口が開いてしまったら、せっかく綺麗に縫っていただいたものが歪んでしまいます! 綺麗に塞がれば、いずれ傷跡は目立たなくなると──」

「だから!! どうでもいいって言ってるの!! 傷口が塞がったって、完璧な白薔薇姫は帰って来ない!!」


 いくら目立たなくなろうと、ロゼアリアが騎士だと知られてしまったことも、婚約を破棄されたこともなかったことにはならない。


「完璧じゃなきゃ駄目だった! 完璧じゃなきゃ意味が無い!! そんなこと、侍女でしかないフィオラには分からないでしょ!!」


 言い放った一瞬、ロゼアリアとフィオラの視線がぶつかる。その時のフィオラの表情に気づいても、既に放った言葉は取り消せない。


「お嬢様……私は、どんなお嬢様であろうとずっとお傍に──」

「そんなこと頼んでない!!」


 フィオラを押し除けるようにしてロゼアリアが部屋を飛び出す。床を蹴った際に、切り捨てられた髪が小さく舞った。


 その場に取り残されたままのフィオラ。彼女を振り返ることなく、邸宅をも飛び出したロゼアリアは愛馬と共に外へと駆けて行ってしまった。

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