第五話 研修が蜂蜜すぎます
「初めまして、私が教育係のシンシアです。アレサさん、ミーナさん、よろしくお願いします」
シンシアさんは小柄でとても愛らしい二十代前後の女性です。膝丈の白い襟の黒いワンピースに、胸元はレースで、肩かけフリルは控えめ。エプロンの裾は丸く細やかなレースで縁取られています。頭は白い三角巾で覆い、青いお花のヘアクリップがきらりと光っています。
話し方も柔らかく、第一印象からわかる、この人はとても良い教育係です。転生前、コンビニバイトで自己紹介したら、開口一番「早く仕事覚えてね」だったおばはんと天と地の差でございます。
「シンシアさん、よろしくお願いします。私、とてもやる気がございます。こちらアレサは大変口が悪うございますが許してやってください。仕事はできますんで」
「まあ、やる気満々ね。そうなの、別に言葉遣いは気にしなくてよ。さて、まずは寮に向かいましょうか。歩きながらお城のことやこれからの予定について教えるわね」
シンシアさんが微笑み、城の地図をくれました。王宮の廊下を歩きながら、シンシアさんは丁寧に城の構造を教えてくださいました。
エントランスからこの一階客室までは国民対応の「窓口」である。その周囲を囲むようにして、騎士団の二階建てのドーナツ状の建物がある。一階は要塞兼幹部本部、訓練所。二階は騎士寮だ。
一階から中庭に出ると、城の中枢である国会議事堂があり、ここは絶賛拡張工事中とのこと。その横には学校と保育園、食堂、商店、使用人の住まいがあり、そこだけでまるで町の一角のように人で賑わっているという。そして、難民受け入れの住居施設を新たに建設中だそうだ。
ふわっ、そんな城聞いたことあります? ホスピタリティ高いなぁ。
「だから、朝は注意してね。工事の人がたくさんいらっしゃって、資材投入で事故が起きやすいから」
シンシアさんが注意しました。
「へぇ、すげーな。うちの城なんか、そんなんなかった。地図がみっちり埋まってる。スメラの城なんてスカスカだったよな」
アレサが地図を眺めて言います。
「あ、そうか。あなたたち、スメラから来たんだったわね…………」
シンシアさんが目を伏せて言います。気の毒だわ…………というお顔。
「そうだよ。逃げて来たんだ。なぁ、シンシアさん。私、便所掃除だけはやりたくない。散々やらされて嫌なんだわ」
「そうなのね、わかったわ。ミーナさんは?」
「私はなんでもやります」
「とりあえず研修一ヶ月は、一通りのメイドのお仕事を体験してもらいます。そこから自分の希望を決めてくださいね。うちの城ではメイドはいろんな仕事に従事していて……というのも、メイド志願者が増えすぎてしまって。オーさんはみんなの願いを叶えるため、あらゆる仕事を作り出してみんなに役目を与えました。そりゃあすごかったのよ」
シンシアさんの目がキラキラ光り、いきなり饒舌になりました。
「だってほら、夫婦で龍討伐をされたなんて世界中でアステールだけですもの。そして美男美女。ときめくよね…………街中の若い子たちがご夫婦に熱狂して、ぜひ城で働きたいと押し寄せたの。
それを拒否できたのに、オーさんはそうしなかった。そしてアイラ女王も『働きたい子はみんな受け入れるわよ』と懐の深さを見せられて、今はもうお城そのものが国のようだわ」
懐深すぎる。ミーハーな理由で採用されるとは。
「誰でも受け入れたらスパイが潜り込みやすくなる、と大臣から反対意見が出たら、オーさんはそれなら入り口で『志願者全員の臭いを嗅いでその者の出自把握をしている。怪しい者には汗、涙、唾液など体液を少しもらって舐めて判断する』と堂々と国会でおっしゃいました」
なんだその国会答弁は。
大臣「もしスパイや暗殺者が潜り込んで女王の身に何かあったらどうするのですか。城という要塞にそう誰でも入れてもらっては困ります」
オー「匂い嗅ぐ。体液舐める。それで判断」
「オー様のあの能力は、もうすでに知れ渡っていますからね。大臣も了承したという訳です。それに、騎士たちは被災地復興で忙しく、有能なメイドがアイラ女王により騎士団入りしたり、内閣書記官などに任命され、城は増築されていくし、人手不足だったの。ふふっ、メイドになってよかったと思った。今や仲間は女性ばかりではなく、いろんなジェンダーの子たちがいるもの」
楽しそうにシンシアさんは語る。
「オカマとかいるの?」
アレサの言葉でシンシアさんの笑顔が消えました。
「アレサさん。その言葉はよろしくないわ。クィア、ノンバイナリーです。オカマではありません」
さっきまでの朗らかシンシアさんから、冷静に相手を叱るモードに切り替えられた。ヒュン、と首が冷たくなる。これはちゃんと聞いておかないとあかんやつ、と一瞬で痛感。
「くぃあ、のんばいなりー。わかった」
アレサがこくりとうなずく。
「さあ、城を出て南側のあの建物がメイド寮よ」
お城を出て世界樹広場から小道を進むと、大きなレンガの建物がありました。
鉄の門を抜けると、きゃあきゃあ騒がしい声がしました。運動場があって女の子たちがバレーボールをしています。庭にはベンチや椅子とテーブルがあって、様々な年代の男性女性がいらっしゃいました。
「この寮の建設は、サワムラ国という南の国の女王からの結婚祝いとして建てられたの。サワムラ女王ってとってもすごい方なのよ。体がオー様ぐらい大きくて、なんとサワムラ女王ご自身がこの建物を一週間で建築されてね。大工さんたちが、それはもう驚いて」
なんですかね、この国は私の異常事態飲み込みスキルを試しているのか。サワムラ女王、すごいでは足りない。
一週間で三階建ての巨大ホテルみたいな寮を作ったと。
っていうかサワムラって…………沢村さん?
なんで急に日本人の苗字なんですか。
「メイドの寝起きする場所なんて、厨房の片隅だったりしたのに、ちゃんとした住む場所があるなんてすげーなぁ。なぁなぁ、メシは、メシちゃんと出る?」
アレサが浮かれています。
寮に入ると玄関から右に階段があります。私たちは奥へ進みました。
「もちろんよ。ごはんは各々自由にしてるわ。寮かお城の食堂で食べたり、外食したり。キッチンもあるから自分で作ったりね。そしてここがその食堂。夕食希望者は朝、ここに名前の札を入れてね」
食堂は小規模なフードコートのようでした。木の椅子と机が並べられ、奥に厨房があります。名前の札入れの木の箱は、入口の棚の上です。
その後、私たちは一階のお風呂場とトイレの場所、二階の研修室に案内されました。二人部屋で、ベッド二つの間がクローゼットと机で仕切られています。
「今日は疲れたでしょう。もう休んでね。今日から食堂利用できるわよ。研修期間は朝十時から五時まで。土日休み、祝日休みです。慣れない環境で疲れたら、いつでも声をかけてね」
「え、十時から五時まで、たった六時間労働でいいんですんか!? それじゃあ仕事をなかなか覚えられないのでは。私、あの、覚え悪い方で」
「ミーナさん、焦ってはダメよ。他国から来てこの国に慣れるだけで大変なのに…………だって、スメラから来た方だから、相当なご苦労が」
シンシアさんは「スメラ」という時だけ目を伏せる。よっぽど嫌われてる。
「おい、めっちゃ楽できんじゃん! でもそれでちゃんと金くれんのかよ。寮でメシは食わせるから給料はナシとかないよな?」
アレサが険しい顔で詰め寄ります。わかる、過酷な労働しか知らないと、ホワイト企業の好条件は疑ってしまう。
「研修中は月に十六マニーです。しっかりお給料出ますから、安心してね。それじゃあ、また明日、寮の玄関で十時に来てね」
よっしゃーーー。
十六万円、初任給ゲットだぜ。
「はい、またあした、よろしくお願いします!」
シンシアさんが手を振って去っていく。私はブンブン手を振る。
「あーーーっ疲れたーーー!」
アレサがベッドにダイブしました。
「なんかすげーいっぺんにさぁ、未知の何かすごいやつがいっぱい一日であって、頭追いつかねー。これ夢じゃね?」
私はアレサのほっぺをつねってあげました。
「いてーな!」
「夢じゃない、夢みたいだけどこれは夢じゃないのよ。夢だとしても現実よ。これはすごい。アレサ、本当にありがとう。この国に連れてきてくれて!」
私はアレサに抱きつきました。
「わかったよー、おめーだからさー、ここ来てからそのテンションだるいわーーー。とにかくちょっと寝かせろ。メシの時間きたら教えてくれ」
ベッドに横たわったアレサは、すぐに寝息をたてました。
私はすぐに机に向かい、そこにあったペンを手にしました。
便箋のような紙があり、前のめりでガリガリと推し活スケジュールを書きました。