コープスハント
日暮れまで、セシリア一行は精力的に動いた。まずは、領主屋敷の防御強化から。これには、ボナンサの制作能力が大きく役立った。ここまで旅路で、組み立て式の簡易壁という物を使用していた。
木製であるため、頑丈さはそれほどでもない。しかし死体たちの動きを阻害するには十分で、こちらに有利な場を作り出すことができた。これに手を加えて、内部に配置した。
屋敷の角に、対角線上に建てられた二つの尖塔についても手を入れた。と、いっても掃除して、投石などを運び込んだ程度だが。それからヒデオンの手で、二つの尖塔に上下交差する形で二本の太いロープと滑車が取り付けられた。いざとなったら、これで二つの塔を行き来する予定である。
滑車には細いロープを括り付けてある。引き戻せばまた使える。なお試しに滑り降りた所、ヒデオン以外は及び腰となった。あまりに早いし、うっかり滑車から手を離したら真っ逆さまだからだ。皆が口々に絶対に使いたくないとぼやいた。
次に、住民への注意喚起である。
「今宵、代官屋敷にて死体共の駆除作戦を決行する! 決して外へ出ないように! どれほど大きな音が聞こえてきても確認しようとしないように! 命の保証はしない! 繰り返す……」
この様に大声を張り上げながら、騎士が馬に乗って道を行く。これが半端な姿であれば、疑いもしただろう。だが、甲冑姿である。至極当然の話であるが、騎士甲冑は高価である。伊達酔狂で所有したり着ることはできない。
馬も同じである。その管理維持には平民の一般家庭にかかるそれよりも多くの金銭がかかる。馬に乗れるというのは、相応の収入のある証。または地位をもつ証と言えた。
なので、その姿だけでもそれなりの信用度を稼げる。しかも、言っている言葉が基本的に住民に害がない。半信半疑であるが、ことさら逆らおうとも思わなかった。
罠については、ヒデオンが率先して動いた。彼が作ったのはスイングハンマー。ロープで重量物を吊り上げ、目標にぶつける。いたってシンプルなものだ。死体は避けたりしないから、大通りの上に堂々と用意した。
さらに、十匹を超える数のネズミを捕まえもした。これに関しては皆が首をかしげてたし、本人も成功すればラッキー程度のものであると語ったが。
そのような作業を進めていると、いよいよ日が傾き始めてくる。予想外の動きがあったのはそんな時分だった。セシリア達が門の閉鎖について打ち合わせをしていると、尖塔より大声が上げられた。
「報告ー! 街より、武装した集団が近づいています!」
いの一番に動いたのはヒデオンだった。彼はアサルトライフルをひっつかむと、尖塔の階段を駆け上がる。物見台に到着すると、衛兵が指さす方向に向けて銃を構えた。
スコープを覗けば、細部が良く見える。たしかに、装備を整えた集団が列を成して向かってきている。その数、二十人弱。
「装備が似通っている。傭兵じゃない。列を作って歩いてきている。物取りじゃないし、訓練も受けている。戦闘の意思を感じない。武器を構えていない。……下への報告を頼む」
「はい、ただちに!」
保安官が得た情報を知らせに、兵士の一人が階段を駆け下りていく。ヒデオンはそのまま、万が一のために警戒を続けた。やがて、一団が屋敷の近くに到着した。その中で二名が離れ、屋敷の入り口までやってくる。武装を仲間に預けて、戦闘の意思がないことを示しながら。
「そこで止まれ! 貴様らは何者だ!」
門の警備をしていた兵が、槍を構えながら問う。
「我々は、ヴェルテン衛兵隊である! 責任者と話をさせていただきたい!」
しばしの後、会談の準備が整った。場所は屋敷の入り口前。一段高い場所にセシリアが立ち、脇を先ほどと同じようにフリッツと侍女が固める。そして、騎士や兵士も来訪者を囲んでいる。
立ち姿は儀礼的だが、事と次第によっては包囲するという意思の表れだ。それが分かっているだけに、衛兵隊の表情は硬い。
「我々はクラーセン公爵家。ボスハールト領の異変について調査に参った。そちらはこの街の衛兵隊というのは間違いないか」
フリッツの問いかけに、衛兵たちの顔色が悪くなる。衛兵の大半は、貴族に使える平民である。王国で二番目の地位である、公爵の係累とは立場がまるで違う。慌てて、ひざを折って礼を示した。
「貴様らは我らに仕えているわけではない。そのようなことは不要だ。繰り返して問うが、衛兵隊に相違ないか」
「は、はい! その通りであります!」
「この、盾に刻まれた紋章が証拠であります!」
壁と門を意匠化したそれは、たしかに代官屋敷でも見た。ボスマン子爵家の係累の装備というのに間違いはない。ほぼ確定と見てよいとフリッツは考える。だが念を入れておきたいと思い、関係者を呼ぶ。
「だれか、デニス氏を呼んできてくれ」
ほどなくして、金髪の青年が現れる。彼は青い顔で、衛兵たちの姿を確認した。対する衛兵たちの形相は険しく赤く染まっている。
「衛兵隊。逃げ出したんじゃ……」
「貴様、のこのことよく顔を出せたな!」
年かさの、装備から見ても上位者と思われる衛兵が声を張り上げる。デニスは怯えて体を震わせた。
「いさかいは事が片付いてからにしていただきたい。それで、衛兵隊は何用でここへ参ったのだ?」
両者の間になにがあったのか。興味がないわけではないが、今は時間が惜しかった。日暮れまでまだ時間があるにしても、無駄にしていいわけではない。
「は! 街に潜む死体共を駆除するとのお話、まことでありましょうか」
「いかにも、今その準備に追われている。ここに来るまでに、何かしら見たと思うが」
「ぜひ、我々にもお手伝いさせていただきたい! ここは我らの街です!」
陪臣騎士は主の表情をうかがう。威厳ある表情を作っているが、フリッツはそこから困惑を感じ取った。伊達に子供のころから仕えているわけではない。
ならばと、自分も抱えている疑問を口にする。
「我らを手伝い自分たちの街を守ろうという心意気、まことに結構。……であるならば、なぜ貴様らは持ち場を放棄したのだ? この街の惨状をどう説明する」
フリッツのみならず、全員が抱いていた同じ疑問。その問いかけに対して、衛兵隊たちはこれ以上ないほどの口惜しさを全身で表した。
「本意ではありません! ですが、これ以上の損耗もまた耐えられたものではありませんでした! 呪詛風邪からずっと、我ら衛兵隊は事態収束に向けて働き続けました。多くの仲間たちが倒れましたが、それでもなお街の為に。ですが……」
壮年の衛兵がデニスを憎しみを込めた視線で睨む。それを向けられた青年は、下を向くしかできなかった。
「代官様……あのクソ野郎は、我々に何の報いもしなかった! 我々だけならまだしも、死んでいった仲間たちやその家族にすら! 我々が現場の限界を何度も伝えても、何の助けも寄こさなかった! 子爵様に応援を求めるだ? よりにもよって、人手の足りない衛兵隊から人員を割きやがって! そのあげく、応援どころか仲間も戻ってこないじゃないか!」
たぎる怒りを爆発させる。声こそ出さないが、衛兵隊一同が同じ気持ちであることは身体の強張りと表情から容易にわかる。
「最後には、自分の私兵を連れて愛人とどこかへ消える始末! 他の文官どももいつの間にか姿を消して、残っているのはそこの見習いだけときた! 何処まで俺たちを馬鹿にすれば気が済む!」
気勢を上げすぎたか、息が切れて言葉が続かなくなった。しばし、呼吸を整える。そのおかげで、わずかに勢いが弱まった。
「それでも! ……それでも街の為と踏ん張っていましたが、限界を超えました。この広い街を守るため、多くの仲間がおりました。しかし、今はもうご覧のあり様です。どうしようもなかった」
ついに、ひざを折って両手を地面につけた。力尽きたとも、己の罪に耐えられなくなったとも取れる姿だった。
そこで、セシリアが前に出た。
「状況は理解した。街を守るための貴様らの献身、このセシリアの耳目へ確かに届いた。ボスマン子爵にお会いした際には、窮状についても伝えることを約束する」
彼女は衛兵たちの主ではない。労うことは筋違いとなる。この言葉が、精一杯の計らいである。そしてそれで十分だった。上級貴族の令嬢の約束は、彼ら末端の者にとっては手の届かぬほどの確かなものだった。
「もったいないお言葉、ありがたき幸せにございます」
「うむ。……限界を超えたと申していたが、それでもなおこの戦いに参加すると申すか?」
「はは! ここに集まったのは、身体が動く全員でございます。街の事は知り尽くしております。どうぞ、お役立てください」
たしかに、自分たちはヴェルテンの街については素人だ。詳しい者がいるのは助けになる。ついでにいえば、ここで手を貸さなかったら彼らの今後に影響が出る。先の為にも受け入れた方がいいだろう。
公女は仲間たちを見やる。聖女、魔導士、陪臣騎士、全員が頷いた。衛兵隊が首を垂れているのをいいことに、セシリアは尖塔を見やる。保安官が両手を使って大きく丸を作っていた。
「フリッツ、差配せよ」
「は! それでは、緊急事態に付き一時的にヴェルテン衛兵隊を我らの指揮下に入れる。ボスマン子爵の統治が戻るまでの間、損害への補償はクラーセン公爵家が責任を持つ。各員、大いに励むように!」
衛兵たちは背筋を伸ばすと、腰に佩びていた剣を抜き放った。そして、胸の前で掲げる。
「我が剣にかけて、使命を全うします!」
「「「我が剣にかけて!!!」」」
セシリアは、その誓いをしっかりと見届け頷いて見せた。衛兵たちが剣を鞘へ戻すのを確認して、フリッツが号令をかける。
「残された時間は少ない。さっそく作業に取り掛かってもらう。それから、体調不良のものは申し出るように」
衛兵たちの体調が万全でない事は、誰の目から見ても明らかだった。脂汗を浮かべる。歯を食いしばる。顔色が悪いなどなど。限界を超えたという発言は、誇張ではなかった。
リーフェが一歩前に出て、錫杖を掲げる。
「法律神シュルティーサの名において、治療の奇跡を施します。完全な復調は約束できませんが、助けにはなるはずです」
おお、と衛兵たちは感嘆の声をあげる。早速治療が始まる中、セシリアは未だ下を向いたままの青年に声をかける。
「時間は少ないとフリッツがいいましたね? まだ仕事は残っているはずですよ」
「……しかし」
「貴方にも言い分があるでしょう。わだかまりも。ですがまずはこの件を片付けてから。その後であれば、話し合う場も作れましょう」
「……ありがとう、ございます」
礼をして、デニスが走り去る。そのやり取りを眺めていたベルティナが友人をねぎらう。
「お疲れ様。よその家臣相手は大変そうね」
「本当、気を遣う所が多くて。でも、苦労のかいはあったと思う。この後の事も考えると余計にね」
「そういうもの?」
「死体どもを倒した後、この街の復旧に取り掛からなきゃいけない。ボスマン子爵家が無事なら丸投げでいいけど、この調子だと望めそうにないし」
「ああ。だから文官見習いと衛兵隊の復帰は役に立つと」
「そーいうこと。今夜の事もあるのに、考えることが多くて頭が疲れるわ」
「ヒデオンに甘えてみる?」
茶化す友人に、一瞬頭に血が上りかける。が、いつもからかってくる彼女へのやり返しを思いつく。
「それはベルティナがしたいんじゃないの? 好きでしょ、頼れる殿方」
「なぁ!?」
意表を突かれ、すっとんきょうな声を上げてしまう。何事かと視線が集まり、魔導士の顔は赤く染まった。
小声で、しかし強く友人に詰める。
「何を言い出すのよ! そんなんじゃないから!」
「はい、そういうことにしておきましょう」
「ちがうから!」
くすくす笑う公爵令嬢。追いかける魔導士。怪訝そうに二人を見る聖女。尖塔で暮れ始めた日を眺める保安官。
夕方が近かった。
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ヴェルテンの門が、閉じられた。日は暮れ、夕闇が訪れる。騎士が、最後の警告に走り回る。
「……分かっていたが、目にすると嫌なものだ」
路地の暗闇。人気のない廃屋。下水道。日の光を逃れていた呪われた死体たちが、一人また一人と姿を現す。囲まれぬようにと、騎士は代官屋敷に馬を走らせた。そして、それを追いかける死体ども。
騎士を警告に使ったのは、こうやっておびき寄せる為もあった。その目論見は達成となる。
「死体ども、こちらに寄ってきます!」
尖塔の兵士が声を上げる。代官屋敷の庭に待機した衛兵隊に緊張が走る。対して、セシリアの兵士達はそこまでではない。今までと違い、しっかりとした防備の中で戦える。油断しているわけではないが、無駄な力も入っていない。
「公女殿下ー、はじめまーす!」
「よしなに、保安官!」
他の目があるため、いつも通りの振る舞いができぬことに内心不満を持つ。とはいえ、公女の人生というのは窮屈で当たり前。やるべきことを間違えるようなセシリアではなかった。
そして、ヒデオンのメンタルはいつも通りだった。戦いの緊張は、すっかり慣れたもの。二脚と暗視装置付き倍率スコープ。今夜の為に装備を付け加えたスナイパーライフルを尖塔の上で構える。
引き金を引いた。炸裂音と共に銃弾が飛ぶ。空気を切り裂き、音を超えて死体の膝を打ち砕いた。無様に倒れ伏す動く死体。続いて、二体、三体と次々足を撃ち抜かれていく。
「せっかく高所が取れて射線が確保できるなら、使わない手はない。脚ぶっ壊して移動を阻害して、朝まで転がしておけばいい。太陽光を当てれば、元の死体に早変わり。手間いらず、弾かからず、嬉しいなっと」
「その銃の威力と精度あっての作戦ですが……よくもあのような遠くを、この夜闇で撃ち抜けるものです」
「そういう装備をつけたからな」
尖塔は、狙撃場所としてこれ以上のないポジションだった。スナイパーライフルを二脚で固定させ、じっくり狙いを定める。ここまで好条件がそろっているのだ。無防備に歩く連中の足を撃ち抜くのは、それほど難しいものではなかった。
実際、戦闘開始から十数分で彼が転がした敵の数は五十を超える。大通りは、這いずる死体で埋め尽くされそうになっていた。たった一人が短時間で上げた戦果である。隣で待機していた兵士は改めて畏敬と恐怖を覚えた。
彼が敵に回ったら、恐ろしい事になると。彼は主に直接言葉をかけられる立場にない。騎士の従者がやっとという身分。それでもいいから、上にこれを伝えなければと強く思った。
さて、ヒデオンが一方面を一人で抑え込むという大活躍をしていた頃。別方面はどうだったか。兵士たちは頑張っていた。武器を振るっていたわけではない。罠を最大限活用していた。
「3、2、1、放せーーー!」
騎士の合図とともに、それに自由が与えられる。大きくスイングする、縦横1mほどのブロック。それが死体の群れに飛び込んでいく。
直撃を受けた者が声もなくひしゃげる。身体を引っかけた者が、その部分を失う。数体を行動不能にして通り過ぎたブロックが、戻る動きでさらに潰す。
ヒデオン考案のスイングハンマー。大通りの上に吊るされたこの極めてシンプルな兵器は、これまた大きな戦果を挙げていた。
通常であれば、ろくな効果を発揮しなかっただろう。なにせ、これ見よがしに吊り上げられている。近づく前に、ロープを切り落としてしまえばお終いだ。あるいは、ブロックの通り道を避ければいい。
だが、動く死体たちにそんな知恵はない。生命の気配につられて歩くだけ。兵士たちは、それに目がけてブロックを放てばいい。引っ張り上げるロープを工夫すれば、スイングする場所を少々変更することはできた。
ブロックは、衛兵隊から提供された。当初は適当な石材をボナンザに加工させる予定だった。しかし、石畳補修用に用意されていたそれの方が硬く頑丈であったため採用の運びとなった。
ある程度スイングの威力が弱まると、兵士たちがロープを引き上げる。各所の屋根の上での作業である。これもまた、兵士相手であったならばできない事だった。
「引くぞー! そーれっ!」
「「「そーれっ!」」」
声を上げて、ブロックを引き上げる。これ以上なく目立つし、作業中は動けない。もし死体どもに飛び道具があればいい的にされていた。
幸いにも、それはない。死体共にできるのは壁をよじ登ろうとするのが精一杯だった。もちろん、建物内の階段から登れないようにバリケード等で封鎖済みである。
兵士たちの攻撃方法はこれだけではない。ヒデオンが考案したもう一つの罠が、見事に効力を発揮していた。
それは、中に吊るされた鳥かごだった。中に入っているのは、歯をへし折られた大ネズミである。ぢーぢー、と唸りを上げるネズミの下に死体共が群がっている。
それを兵士と衛兵が、肩を並べて眺めていた。この二人だけでなく、周囲にいる者たちはみな口元を布地で覆っている。
「ネズミでも生き物だから釣れるはず……と、保安官はおっしゃっていたが。全くもって大当たりだったな。ううむ、しかし……」
「いかがされた?」
思い悩む兵士に対し、衛兵が問う。
「いや……今からやることが、ややうしろめたくてな。いくらネズミといえど、少々思う所がなくもない」
言葉を聞いた衛兵は、ゆるゆると首を横に振った。
「あのネズミ共が、なぜあんなに太っているかおわかりですか?」
「ぬ? そういえば、何故だろう……」
「民草の死体を食ったからですよ。この街には、いくらでも転がっているでしょうからね」
兵士は、大きくため息をついた。そして迷いを捨てた。
「よし、やろう」
「油壺、投げろー!」
ネズミにつられた死体共へ、油が投げ込まれる。壺の中身は油と、おがくず、木片などだ。べったりと油まみれになった連中に、情け容赦なく火のついた松明が投げ込まれる。
着火。黒々とした煙を上げて、呪われた死体どもが焦げていく。その煙にいぶされて、ネズミがさらに苦し気に鳴く。その声を聞きつけたわけでもないだろうに、さらに新たな死体どもがやってくる。
端的に表現すれば、地獄絵図であった。この罠に参加した兵士達は、皆うんざりとした表情を布地の下で浮かべていた。とはいえ、これもまた死体共の撃破に大きく貢献していた。
作戦開始から一時間弱。状況は極めて順調だった。けが人なし。気分を害した者少々あり。適時交代し休憩を取る。そのような余裕があった。ヒデオンの銃撃の音も最初に比べでだいぶ間隔が開くようになっていた。
「敵の数が、だいぶ減ってまいりました」
フリッツの報告を、代官屋敷の庭に設置された陣幕で公女は受けていた。
「集めきれていない、という可能性は?」
「少ないかと。兵士共が大騒ぎしておりますから、引き付ける力は十分のはずです」
「それならいいのですが……リーフェ?」
険しい表情の友人が、陣幕に現れた。聖女は胸の内を告げる。
「今一度、警戒を強めてください。いつも以上に、邪悪な気配を感じます」
「フリッツ。騎士達に伝えてください。聖女の言葉を信じます」
「は、ただちに!」
勇者公女は椅子から立ち上がると、聖剣を帯びた。代官屋敷の門へと向かう。そこにも死体共は到達しており、内側の兵士達と戦闘中であった。
「突けぇ!」
「「「応!」」」
格子の隙間から、槍が突き出される。一方的な攻撃を受けて、肉体を損壊する死体ども。しっかりと距離を取っている為、攻撃は届いていない。補強された門が壊される様子も、今のところない。
だがセシリアは、一切の油断を己に許さない。リーフェに危ない所を救われた数は、両手の指を使っても足りない。彼女が何か来るというのなら、それは間違いないのだ。万が一間違っていたとしても、笑って許すほどに彼女は友人を信じていた。
夜の街には、生ぬるい争いの空気が漂っている。兵士たちの熱気と、死者の呪い。相反するものが混ざり合い、只々気分が悪い。
勇者公女は、聖剣ドンダーに手を添える。先祖が携えし、悪魔殺しの剣。誰にも抜けず、何故か自分には使うことを許してくれた剣。何を認めてくれたのかは分からない。それを裏切るような真似はしたくない。
どれほど時間が経っただろう。集中は彼女をじりじりと消耗させていく。それに耐える。予兆を、逃さないために。
セシリアの眼が大きく開かれた。
「ベルティナ! 東の方に明かりを!」
「照らせ! 輝け! 光よ満ちよ! まばゆき光球!」
魔導士もまた、しっかりその時に備えていた。勇者公女の呼びかけに即応し、明かりの魔導を発動させる。それは見習いが最初に覚える術だが、状況によっては攻撃呪文よりも役立つもの。
闇が祓われる。死者が転がる大通りに、複数の影があった。それらは一見すれば、呪われた死体たちと何も変わらないように見えた。
しかし、明らかな違いがある。その者共は、地面に転がる呪われた死体を食っていた。人には不可能なほどに大口を開け、腐肉と汚汁の塊であるそれを咬み千切る。それを成す者共の瞳には、皆そろって暗く赤い輝きが宿っていた。
「グールだ! グールが出たぞ!」
兵士が叫ぶ。場にいた者たちに緊張が走った。グールとは、死体を食らう鬼である。そういった怪物であるとも、呪いを強めた死体の先にあるものとも言われるが定かではない。
その強さは、呪われた死体共とは大きく異なる。まず動きだ。早さは常人並みであるが力が違う。怪力と表現してもよいレベルである。人を超えた体力をもつ豚頭の怪物、オークと同等。専門に鍛えた兵士でなければ太刀打ちできないと伝えられている。
加えて、いくつかの特殊能力を持つ。まずは爪から滲み出す毒である。これを体に撃ち込まれた生物は、金縛りにかかったがごとく痺れてしまう。命のやり取りの最中でこれがどれほど危険かは語るまでもないだろう。
次に、再生能力。グールは死体を食らうことで急速に肉体の損傷を治療する。ある程度のけがを負うと、戦いを放棄し食欲に走る。この習性を上手く使えば戦いを有利に運べるが、下手を打って取り逃がせば復活してしまうという事でもある。
かように、グールとはまさしく怪物である。動く死体どもは駆除の対象だが、グールは戦って倒さねばならぬ明確な敵だ。荒事に慣れた者達が、慄くのも無理はない。
セシリアもまた、内心に不安を抱えた。修羅場はいくつも越えてきた。自分より強い相手とも稽古でなら戦った。しかし、グールと戦うのは初めてである。聖剣を預かったものとして、勇者公女として恥ずかしくない戦いができるだろうか?
そんな迷いがあるが故に、号令を出せないでいる。せめてフリッツに任せるの一言でもいえば変わるが、それもできない。何が正しいのか、初の遭遇で判断ができないのだ。
ぐしゃりぐしゃり、とおぞましい咀嚼音がうっすらと聞こえてい来る。兵士たちの気持ちが萎えていく。それに気づき、何とか喉から声を絞り出そうとするセシリア。
そんな皆の眼前で、グールの頭部が弾け飛んだ。ほぼ同時に、聞きなれた銃声が轟く。全員の目が点となる中、撃った張本人のボヤキが遠方からだというのにはっきりと聞こえた。
「なんだ。頭を砕けば死ぬのか。死体共より楽かもしれないな」
一拍、誰も何もできなかった。次に、ふ、とセシリアの口から空気が漏れた。後はもう抑えられなかった。
「ふ、は、あははははははははっ!」
公女にあるまじき、自棄と呆れが混じった大笑いだった。かまうものか、ここは王宮でも屋敷でもないのだから。そう開き直って大声を放つ。
「保安官が、グールは殺せると示したぞ! 兵士よ奮い立て! 怪物狩りだ!」
「「「お、おおおおおおおっ!」」」
セシリアの号令にケツを蹴られ、怖気図いていた者共が鬨の声を上げる。屋根の上でスイングハンマーを操作していた兵士たちも、それに呼応する。
「保安官! グールを優先して狙い撃て! できるな!」
「お任せあれ!」
声と共に、銃声が響く。続いて配下を動かしていく。
「フリッツ。別動隊、グールと交戦して耐えられるか?」
「平地であれば。しかし屋根の上等でありますと、困難が予想されます」
「よし。一度こちらに戻せ。死体どもが罠を壊すことはない。ただ、火の始末だけは徹底させよ」
「ただちに」
兵士たちへの指示が終わった所を確認してから、リーフェが公女に歩み寄った。そして耳元でささやく。
「気配の原因は、グールだけではないわ」
「……ほかにもいるってこと?」
「おそらく。油断しないで」
代官屋敷でそのようなやり取りがされていた頃、別動隊は撤収指示を受け取っていた。闇夜であるため、火をともしたランタンの動きを符号として使った。
「撤収指示! 離れるぞ!」
あらかじめ設置した戸板とロープを使い、屋根から屋根へ移っていく。屋根が傷み雨漏りの原因になるだろうが、兵士達の気にすることではない。作戦の成功と己たちの命が大事だ。
そしてこの移動につられ、死体どもとグールが動きを速める。代官屋敷に群がる動きは、さらに強まった。
「不味いな。このままじゃ正門で受け止めきれなくなるぞ」
尖塔でそれを眺めるヒデオンは眉根に皺を寄せる。慌てるのは、隣で弓を放つ兵士だ。
「ど、どうされますか!?」
「慌てない慌てない。こんな時こそ、我らの魔導士殿がぶっぱなすよ。ほーれ、いい感じに正門に集まってるから……」
「爆発する火球!」
気迫のこもった叫びと共に、正門前を紅蓮の炎が包み込んだ。十を超えるグールと死体共が炎に飲み込まれる。
「うわ、あ……」
「ほら。ご覧の通りだ。とりあえずこれでスッキリ一掃。これをもう一回できれば、あとは……」
「ああ、グールが!?」
兵士の眼下で動きがあった。炎に焼かれたグールが、そのまま鉄門に張り付いたのだ。兵士達が槍で突いて剥がそうとするも、グールはひるまない。自己保身の本能がない。あるのは食欲だけだ。
ぎしぎしと、鉄門が軋む。一体、また一体と数が増えていく。未だ身体を炎であぶられるグールたちは、それをものともせずに鉄の扉を掴む。そしてやおら身をかがめると、そのおぞましい姿からは思いもよらぬ軽やかな跳躍を見せた。
「なああ!?」
誰の悲鳴だっただろう。多くが同じ気持ちだった。次々と、代官屋敷の中庭にグールが降り立つ。
「グアァァァッ!」
吠える怪物。及び腰になる兵士達。それらを分け入って、剣を抜き放ったのは公女だった。
「死体喰らい、なにするものぞー!」
聖剣が唸りを上げる。彼女に迷いも躊躇いも無かった。刃は深々とグールの身体をえぐった。人であれば致命傷。だが、グールは怪物だ。爛々と瞳を赤く輝かせ、セシリアに襲いかかる。
技も何もない、獣じみた飛びかかりだった。素人ではあるまいし、それを正面から受けるセシリアではない。恐れず一歩斜め前に。すれ違うのと同時に脇腹を切り裂く。
ほかのグールも、騎士達が相手取る。従者も手伝わせ、一対多の状況で対応する。状況、やや有利。
「これで横やりが入ったらまずいな。引き続き外のグール処理に……」
ヒデオンがそう言いかけたときだった。遠方から、遠吠えが聞こえた。獣のそれとは違う、グールが先ほどあげたものに近い。しかし見えぬほどに遠くなのに、この音量はなんだ。一体どれほどの体格の怪物があげればこうなるのだ。
保安官の疑問はすぐに解決することになる。地響きをあげて、大通りを何かが走ってくる。彼は素早く、暗視装置をのぞき込んだ。
最初は見間違いかと思った。あるいは、だまし絵の類いかとも。なにせ、サイズが違う。背丈が、平屋の屋根を越えている。人の形をしているが、いっそわかりやすいほどに怪物だった。
それが、巨大な砲弾のように向かってくるのだ。味方ではあるまい。何より目が赤く光っている。ヒデオンは容赦なくスナイパーライフルの引き金を絞った。狙い澄まされた一発が、巨人の額をうがつ。だが、そこまでだった。
怪物は止まらない。頭もはじけ飛んだりしない。
「なんだあの頑丈さ!?」
百戦錬磨の保安官もこれには舌を巻く。レバーを引いて装弾。息を整え、再度の一発をお見舞いする。巨人はよけない。まっすぐ向かってくる。移動目標であったが、銃弾は狙い通りに再び巨人の頭部に吸い込まれた。
至近距離に連続して音の速度を超えた弾丸を受け、常識を越えたタフさを見せた頭蓋骨が敗北する。骨と肉と脳をまき散らす。と、いっても一部だ。人間ならば致命傷だが、怪物にとってはそうではない。
ヒデオンは冷静かつ確実に、ヘッドショットを重ねていった。着弾のたびに頭は激しく揺れたが、身体はべつの生物だとでも言うように直進を続ける。それどころか、ここで驚くべき行動をとった。ふらふらと歩いていた死体を、横を通り過ぎようとしていた巨人は無造作につかみ取る。
そして軽食を頬張るかのように、呪われたそれを食いちぎったのだ。見る見るうちに額の損傷を回復させるのを見て、保安官も頬を引きつらせる。
「……ジャンアントグール、ってか? こいつはやばいな。このままじゃらちが開かない」
ヒデオンはスナイパーライフルをテーブルに置くと、壁に立てかけてあったショットガンを手に取った。ショットシェルホルダーはすでに腰に装備済み。
「こんなことなら、ロケランかグレランを用意しておくべきだった……」
「ろ、ろけ? ぐれ?」
「気にするな。俺は外の大物を始末する。ここは頼んだぞ」
「は。お気をつけ……なあ!?」
ヒデオンと共に尖塔にいた兵士は目を疑った。保安官が、事もあろうにその場から信じられぬような大跳躍をして見せたのだ。何事かと身を乗り出して追うと、すぐに一つのことを気付く。
彼がほぼ常に身につけている脚甲。それがあからさまに光り輝いているではないか。こういった道具に、彼は心当たりがある。
「なるほど。マジックアイテム! どうりで」
不思議な挙動をする道具といえばそれ。彼は大いに納得すると、己の仕事に戻った。もちろん、ヒデオンがこちらの世界でそういったものを手に入れたわけではない。
これは彼の故郷で保安官として合格したときに貸与された装備。アメイジングアームと呼称される道具だった。その動作原理はヒデオンにもわからない。使えれば良いのだ。
脚甲に内蔵された機能は5つ。足音を消すサイレントウォーク。人の身の丈すら飛び越えるハイジャンプ。何もない場所を一瞬だけ足場にできるエアウォーク。高所から落ちたときの衝撃を和らげるヒーローランディング。そして5mの距離を一瞬で踏み込むアサルトダッシュ。
ハイジャンプ、エアウォーク、アサルトダッシュを次々と繰り出し、ヒデオンは隣家の屋根へと降り立った。そのまま軽快に、夜の街を駆け抜けていく。
暗闇への対応は万全だった。装備の一つ、多目的ゴーグルを暗視モードで起動させれば問題ない。かがり火が焚かれた代官屋敷では明るくなりすぎて使えなかったが、ここなら問題ない。
互いに接近し合えば、ぶつかるのに時間はかからない。ジャイアントグールはすぐに射程距離に入ってきた。怪物に対して、挨拶はいらない。だが保安官は皆の規範にならなくてはならない。
ヒデオンは笑顔で引き金を引いた。
「よい夜ですね。鉛玉をどうぞ」
轟音と共に、スラグ弾が放たれる。ショットガンはその構造上、狙撃に向かない銃器である。しかし適した距離と、相手の大きさがあれば外しはしなかった。
ジャイアントグールの胸板を、弾丸が破砕する。ヒデオンが反動をこらえながら引き金を引けば、赤黒い液体と肉片がまき散らされる。
「ガァァァァッ!」
怪物が吠える。知恵でも知識でも本能でもない何かに突き動かされ、転がっていた死体を拾って喰らう。それだけではない。なんと直進することを止めて路地を曲がって見せた。射線が切れる。
「ただ暴れるだけの怪物じゃない、のか? くそ、面倒だな!」
リロードを終えて、ヒデオンが宙を舞う。回復されてはたまらない。持ってきた弾丸は限りがある。仕留めきれずに補充に戻る、のはまだいい。その時にジャイアントグールが付いてきてしまっては、仲間を危険にさらしてしまう。
仕留めるために、あるいは足止めのために。まずは脚から撃つべきか。思案をめぐらせながら、怪物を追った。