ヴェルテン到着
思わぬ落とし物を拾ってから一日後。一行はボスハールト領の玄関口とされる街、ヴェルテンへと到着した。時間は昼前。街道沿いにあるだけあって、それほど高くはないが防壁でかこまれた立派な街だった。
しかし、立派に見えたのも遠方でのこと。近づいてみれば、不穏な光景が嫌でも目に入る。おそらくは盗人か罪人だろう。怪しい術士の線もある。ともあれ複数名が、大きな木にロープで吊され不気味な果実となっていた。
ほかにも、動けなくなるまで破壊された遺体が、そこかしこに散乱している。野犬に食われたか、ほかの魔物の仕業か。部位が欠損していて当たり前。虫がたかり蠅が舞う。
遺体を焼いたであろう場所は、人の形をした炭が山となって残っている。いくつもの不自然な土山、すなわち墓が並んでいる場所があった。が、その中にいくつも、墓が暴かれたところがある。よくよく観察すれば、それが土の下から破られたもだと分かった。呪いによって、自ら起き上がったのだ。
「ひどい状態だな」
「……まあ、予想されていたことだ」
ヒデオンがぼやき、陪臣騎士が続く。フリッツは馬に乗りながら、惨状を顔をしかめながら眺める。
「呪詛風邪はな、人の多い場所でよく流行った」
「ああ、感染が拡大したのか……」
「うむ……呪詛風邪で命を奪われた者は当然、墓へ入れられた。特に初期はな。だが事態が深刻になるにつれて対応が間に合わなくなった。健康な者のほうが少なくなるほどの被害だったからな」
「中盤は焼いて、終盤はまとめて放置、かな?」
焼き続ければ燃料が不足する。呪詛風邪により労働者も不足する。手が回らなくなる。さぞかし、絶望的な状況だっただろう。ワクチンでも開発できれば話は違うだろうが、それもなし。神の奇跡を願うにしても、神官たちの力が及ばなかったということは現状を見ればわかる。
「正しく。そして、その後の死霊災厄に続くわけだ。なので、街道沿いの街は被害が大きい。連絡が付かなくなったのはこれが理由であると推測されていた」
「それだけなら、いいんだがなあ」
「新しく訪れたものが戻らない。領地から出てくる者がいない。ああ、この問題には説明がつかないな」
保安官と陪臣騎士が語り合ううちに、街はいよいよ目の前に迫ってきていた。木製であるが、鉄で補強した頑丈な門が構えられているのが見える。が、そこで一行の前方が騒がしくなる。
「なんだろ?」
「先触れが戻ってきたようだが」
「フリッツ、それに保安官。厄介な事になったぞ。門に衛兵がいないそうだ」
騎士の一人のその言葉に、男二人は顔を見合わせた。
やがて一行は街の入り口へと到着した。しかし、報告の通りそこにいるはずの者達の姿がない。不審者の侵入を見張る、衛兵の姿が影も形も見当たらないのだ。
「詰所の方はどうだ?」
「ダメです。誰もいません。それどころか、道具の類が何も置かれていないのです」
「何ぃ?」
仕事をするなら道具は必須。特に城門の詰め所ともなれば雑務は多い。街に入る者の名前の台帳や、国内外の貴族についての覚書など重要書類だって置いてあるべきものだ。
「ちょっと、俺にも見せてくれ」
ヒデオンが、詰所に足を運ぶ。木製の詰め所の中はがらんとしており、何も置かれていない。それをひと眺めしてから、やおら床に顔を近づけた。
「何か分かるんですか?」
その背に、乙女の声がかけられる。状況を報告されたセシリア達が馬車から降りてきたのだ。床の確認作業を止めないまま、保安官は答える。
「ここにテーブルがあった。脚がこっちに二つ。離れた所にもう二つ。長机だな。椅子も並べられてた。……こっちは別のテーブル。大きさから見て、作業机かな。あとはこっちに……棚、かな? 床のへこみが他より深い。重い物が入ってたかも」
「それ、普通は斥候にやらせる仕事だと思うんだけど。保安官ってのは、そこまでやらなきゃいけないわけ?」
呆れを隠さないベルティナの言葉に、本人は手をひらひらと振って見せる。
「仕事には危険がつきもので、それを任せるなら相応の賃金を支払わなきゃいけない。今はともかく、昔は人を雇う余裕なんてなくて。プロに教えてもらって、この程度ならできるようにしたってだけさ……ふむん、なるほど」
立ち上がり、集まった仲間たちに保安官は解説する。
「争った形跡がない。ここの備品は、複数人が計画的に運び出した線が濃いと思う」
「その根拠は?」
「備品の重さと大きさだよ、フリッツ。これだけのものを一人で運び出すのは厳しい。床に物を引きずった傷もない。誰かが協力して、運び出したんだ。最低でも二人以上。もっと多い可能性は高い。そんなことをしていたら目立つ。誰かに止められたくないならば、短時間で片づけたいって思うだろう」
なるほど、と皆が納得する。そこに、別の場所を調べさせていた兵が到着する。
「失礼します! 城門の上を確認してまいりました!」
「どうでしたか?」
「はい姫様! 備蓄されているはずの武器や矢玉、油や燃料、松明すらもありませんでした!」
「……大きな汚れなどは?」
「いいえ、ありませんでした。綺麗さっぱりです!」
「なるほど、ご苦労様でした。……ヒデオン、貴方の言う通りのようです。物資の引き上げは、計画的に行われたと見ていいでしょう……ヒデオン?」
彼の表情に気づいたセシリアが、名前を呼ぶ。保安官の眉根には皺がより、口は真一文字に閉じられている。そしてつぶやく。
「大分、不味い」
「盗人集団が?」
「ちがうんだベルティナ。この状況が、だ。いまだに衛兵が影も形も見えない。彼らの縄張りである詰所に、身元不明の集団が入り込んでいるんだぞ? なのに誰も来ない。衛兵を呼びに行く民衆すらも、いない」
言われて、はたと一同は外を見やる。街の中には人通りがない。店や家々の入り口はきつく閉じられている。あまりにも異様な光景だった。
「この場に留まるのは良くない。セシリア、移動を提案するぞ俺は」
「街の中ですよ? そこまで警戒する必要は……」
「街の中で法を守らせる衛兵の姿が見えないんだぞ。外と何が違うっていうんだ」
指摘されて、セシリアの顔色が青くなる。仲間たちも似たようなものだ。ようやく、この状況がどんな影響を及ぼすかを理解した。
「フリッツ、皆を集合させてください」
「はい、姫様」
「移動先ですが……宿、は適しませんね?」
「たとえ貴族向けでも、今はあてにならないと思うわ」
魔導士の言葉にうなずき、聖女をに視線を向ける。リーフェもまた、首を横に振った。
「この街のシュルティーサ神殿がどの程度のものかは知りません。ですが街の規模から察すると、決して大きくはないかと。この人数で押しかけては迷惑になるでしょう」
「なるほど。となればあとは……」
「姫様。代官屋敷はいかがでしょうか?」
悩む主に意見を告げたのは、傍に控えていた侍女だった。公爵令嬢に仕えるだけあって、彼女もただの下働きではない。陪臣貴族の家に生まれ、相応の教育を受けて侍女の立場にあるのだ。
行政に関する常識は、当然頭の中に入っている。
「代官屋敷ならば、いざという時の備えをしているはずです。現状が危険であるならば、そこに押しかけるのも手かと」
「……ボスマン子爵家は、お父様の派閥ではないのだけれど」
「緊急時でございます。そもそも、代官がまともに街を治めていればこんな事態にはなっておりません。そこを突けば、たとえ子爵その人がいらっしゃってもどうとでもなります」
「なるほど……よく言ってくれました。それでいきましょう」
必要な事を告げ終えた侍女は、再び主の後ろに下がった。出しゃばりすぎは、侍女としてはしたないと教えられているが故に。
人員をまとめた一行は、代官屋敷へと足を運ぶ。幸いな事に、道案内の者が場所を知っていたのだ。その道すがら、街の様々な惨状が目に入った。
虫のたかる死体。入口が破られた家。数軒を焼いた火事の後。本来ならば処理されていなければならない多くの物事がそのままだ。相変わらず街の中に人通りはなく、野犬や丸々と太ったドブネズミが我が物顔でうろついている。
「完全に、街が機能停止してやがる……急いだほうがいいな」
「ヒデオン。貴方は何故そこまで警戒するのです?」
馬車の窓からリーフェが質問を投げかける。御者台で警戒を続ける保安官は、周囲にせわしなく視線を投げながら答える。
「今、この街は法が停止している。スラム街と一緒だ。まっとうな生活をしていた連中が、そんな状況に放り込まれている。さぞかし不安だろうさ。そんな状況で、見た事もない連中が街の中に入ってきた。警戒、するよな?」
「ええ、まあ……」
「で、警戒するだけならまだいい。問題は、この状況を何とかしてくれと縋ってきた時だ。一人や二人なら何とかなる。十人以上となれば、労力を取られる。百人以上ならば、俺たちの命が危険だ。手荒い事になるぞ」
「窮地にある民草を放置しろと?」
勇者公女が非難の言葉を投げるが、ヒデオンは揺るがない。
「助けられるなら、それに越したことはない。だが現状、何が起こっているかもわからない。助けるには、道筋をつけなきゃいけない。何もわからん状況で、安易に請け負えるもんじゃないだろう?」
「それは、そうですが……」
「やさしさは、大事だ。だが気持ちだけで救えるもんじゃない。状況をしっかり見極めてくれよ、リーダー」
そこまで言葉を重ねられては、勇者を自称した彼女も気持ちを引き締める。己には責任がある事を思い出す。
「見えてきました! あそこです!」
「よし、先触れ!」
猟師の指さす先に、立派な屋敷があった。屋敷を囲む、鉄格子の囲い。加えて尖塔が二つもある。そこへ向けて、二人の騎士が馬を走らせていく。
その背を眺めながら、ヒデオンは厳重な屋敷の守りを確認していた。
「怒れる民衆への備え、か……ここの貴族は、統治ってものをよく分かってる」
「そこまでじゃないでしょ。あれ、たぶん領地争い対策じゃない?」
「……同じ国の貴族で、そこまでやるのか」
「場合によってはとことんまで行くのが貴族ってものよね? ねえセシリア」
「えーっと……発言を、差し控えさせていただきます」
女魔導士の問いかけに、少女は政治家的な発言で回避した。一行は、屋敷から若干離れた所で停止している。近づきすぎて、いざという時の対応が取れないのは不味いからだ。特に、現状は何が起きてもおかしくない。
ヒデオンなどは、アサルトライフルを準備していた。いざとなれば、この場から援護射撃する腹積もりだった。
二人の騎士の怒鳴り声が、離れたここまで届く。
「我らは、クラーセン公爵家の者である! 血族の方が、代官に会いたいとの仰せである! 至急取次ぎ願う! 誰かいないか! 聞こえていないか!」
鎧の手甲で、鉄門を叩く、金属音がことさら大きく響いた。そうすると、屋敷の入り口から一人の青年が現れた。
「無人かと思ったけど、いたのね。生きている人間」
「息を殺していたけど、俺たちをうかがっている連中は道すがらそれなりにいたぞ。今も見られてるし」
「ええ……最悪」
ベルティナのボヤキが終わるころ、先触れの騎士が手を上げた。問題なしの合図だ。一行は代官屋敷の門をくぐる。
「申し訳ありません、どうか、どうか急いでください! なるべく早く、門を閉めたいので、どうか……!」
入口で、声を潜めながら騒いでいる者がいる。屋敷から出てきた青年だ。歳はまだ若い。短い金髪と薄く青い瞳。幼さが残る顔には、そばかすが浮いている。
最後の一人が入ると、青年は急いで門扉を閉めた。安心したように胸をなでおろす彼の背に、フリッツの咳払いが届く。
慌てて振り向く彼が目にしたのは、馬車より降りるセシリアの姿。陪臣騎士達は、こういう時の振る舞いを心得ている。主が映えるように、ドアの両脇で直立不動の姿勢を取って見せた。ただそれだけで、この場が特別な物のように演出される。
「クラーセン公爵家令嬢、セシリア様である。代官殿はいずこか?」
「は……はい。あの、申し訳ありません! 代官様は、留守にしております!」
真っ青になって頭を下げる青年に、内心の驚きを顔に出さず引き続きフリッツが問う。
「どちらにお出かけか。御戻りはいつになる」
「代官様は、王都に応援を求めて旅立たれました! あの、皆さまは王都からいらしたのでしょうか? 途中で、代官様にお会いされませんでしたでしょうか?」
身の置き場がないとばかりに震えながらも、そう問うてくる青年。フリッツだけでなく、この場にいる多くがここまでの道中で見たもの思い出す。
そんな中、平然とヒデオンが答える。
「道中、代官の職務を名乗る方と挨拶した覚えはないな」
いけしゃあしゃあと言ってのける男に、幾人かの視線が集まる。娘たちや、兵士達などだ。幸いな事に、状況にいっぱいいっぱいな青年はそれに気づかない。
「……そ、そうですか。残念です。あの、それで、皆さまは代官様にどのようなご用件で……?」
「ボスハールト領で何が起きているか。我々はその調査に参った。この件に詳しいものが屋敷に、あるいはこの街にいるだろうか」
陪臣騎士の問いかけに、青年は顔を曇らせる。
「今、この屋敷で行政に携わっていたのは私だけになります。そして街に関しては……わかりません。今はもう、何もかも手が回らなくて……」
「詳しく、聞かせていただきたい」
セシリア達と侍女。フリッツとヒデオンが屋敷の中に招かれた。残りは馬を休めるために厩舎で作業を始める。
屋敷の中は、ひとがいないかのように静まり返っていた。埃などがないことから、清掃はされている。しかし、代官屋敷に必要な格式や風格が欠如していた。
入口正面から、一つの絵画が見える。初老の、厳格な性格が顔に現れているような男だった。
「ボスマン子爵様の画になります。代官様は、あちらで」
青年の指さす先を見て、一同の顔が個人差はあるが一瞬動く。街道で無残に死んでいたあの老人に、よく似ていた。
通されたのは応接室。本来ならば対面に座るはずだが、青年が用意したのは一人がけの椅子。おそらく相応の身分の者の為に用意された椅子であることが作りから分かる。それを窓側に置き、自らはドア側に立った。
立場の話をすれば、彼がここまでする必要はない。たとえ公爵家の令嬢であっても、他家の娘。彼はボスマン子爵家に仕える身。頭を下げるのは主だけでよい。しかし彼はあえてこう振舞う。絶対的な力の差と、困窮した現状がある故に。
ここで話をややこしくしては時間を取られる。セシリアは窓際の椅子に。フリッツと侍女は彼女の左右の後ろに。魔導士と聖女は長椅子にそれぞれ腰を下ろした。ヒデオンはといえば、ドア側の壁に背を預けた。内部を警戒しての事だった。
「事の経緯を、初めから聞かせてもらおうか」
「はい。……申し遅れました。わたしはデニス。ボスマン子爵様にお仕えしております。事の始まりは、やはりあの呪詛風邪になります」
呪詛風邪。感染力が高く、そして呪いの側面を持つ病。病と呪い、その両方が癒されねば回復しないという厄介という表現では足らぬ代物。
栄養が足りぬ貧民は、これによってほとんどが病床に伏した。街の者であっても、貧しいものは同じように倒れ。健康的な者であっても、呪いによって調子を崩す。
唯一幸いだったのは、これが不治の病ではなく、呪いもまた強いものではなかったこと。健康であれば自力で、あるいは適切な治療と清めの奇跡を受ければ回復できた。だが、そのどちらかの条件に当てはまるものは多くはない。かくして、各地で間に合わせの墓が次々と作られることになった。
ヴェルテンの街が例外でなかったことは、入り口のあり様が示す通り。なんとか呪詛風邪が収まる頃には、街の機能は崩壊寸前になっていた。
「富めるもの貧しきもの、老いも若きも、男女の区別なく、呪詛風邪で帰らぬものになりました。……いえ、別の形で帰ってきてしまいましたが……話がややこしくなりますね。ええと、続けます。ともあれ、働き手が大きく減りました。諸々の片づけさえ、おぼつかない状態です。そこで代官様は本家に応援を求めました。ですが、待てど暮らせど反応が無かった。それどころか、伝令に送った衛兵も戻らぬ始末です」
そうこうしているうちに、死霊災厄が始まった。死者が墓から這い出て、生きているものを襲い始める。昼は死体を焼き、夜は城壁で戦う。衛兵たちの限界は、早く訪れた。呪詛風邪の被害が、まったく回復していなかったのだから致し方がない。
「気が付けば、衛兵の姿は何処にもありませんでした。家に行ってももぬけの殻です。代官様は大変ご立腹でした。ですがどれだけ怒っても酒を飲んで暴れても……ああ、失礼。ともかく、状況は変わらず悪いまま。ですので、ご本人自ら王都に救援を求めに言った次第、というわけです」
デニスはそう言い終わると口を閉じた。乙女たちは顔を見合わせる。とりあえず、彼にも街にも落ち度はない。領主が統治できていないのが問題であるが、それも似たような状況かもしれない。
この状況を立て直すには、労働力と物資が必要だ。そしてそれができるのは国か公爵家だけだろう。ここでセシリアの父が出てくるのは政治的にまずい。となれば、公爵から王へ進言してもらうのが一番。
公女は脳内で手紙にしたためる文面を考え始めた。
「一ついいだろうか。街の現状についてもう少し尋ねたい」
誰も口を開かないことを確認して、ヒデオンが手を上げた。デニスとしてはこの奇妙ないで立ちの青年を訝しむ思いがあったが、波風を立てる気もなかった。
「どうぞ」
「衛兵の姿がない。治安も守られていない。巡回もされていない。門が守られていない。……つまり、歩く死体共が街の中にいると考えていいか?」
一切の配慮のない事実の指摘に、デニスは力なく目を伏せた。
「その通りです。夜ごとに、おぞましいうめき声と悲鳴が聞こえてきます。姿を見てはいませんが、朝になると門の前に汚れがありますから……」
「なるほど。『公女様』、死体共の排除を提案します。状況を改善しましょう」
暗い空気を吹き飛ばす、力強い提案。状況の悪さに気落ちしていたセシリアに活を入れる一言だった。改めて背筋を伸ばし、保安官に問う。
「なにか、手立てがあるのですか?」
「この代官屋敷に引き寄せます。この間の宿場町より戦いやすいですよ、ここ」
「そ、そんな!? 何を言い出すのですか!」
当然、デニスは騒ぎ出す。他家の連中が唐突に過激な話をしてきたのだから当然の反応だった。
「このままじゃ街が滅びる。何とか逃げ出しても、責任取らされるよ貴方」
「え、ええ!? ここ、ここの責任者は代官様で……」
「今いないから、代理は貴方でしょう。書類とかなくても」
「そんな……わ、私はただの見習いにすぎないのに……」
「ちなみに、貴方以外の文官は?」
「その……実家に戻ると街を離れたり、いつの間にか姿を消していたり、自宅から出てこなくなったりで……」
「どうしようもなし。君が責任者代理にされるなこれ」
「そんなぁ……」
淡々と軽やかに、保安官が若き文官見習いを追い込んでいく。セシリア達としてはそれを眺めているほかない。他家の者に自分たちがそのようにすると、後々問題になるからだ。自分たちの仲間であるヒデオンがやるのも問題が無いとは言わないが、直接よりは幾分か言い訳が効く。
「だけど大丈夫! 問題解決してしまえばいいわけが立つ! そしてここに、トラブル解決のプロフェッショナルがいる! どうも、ケージタウン所属保安官、ヒデオです。ヒデオンとお呼びください」
「は、はあ……けーじ、たうん?」
「外国です。地元では騎士のような扱いを受けておりました。主な仕事はこういった困難の解決になります」
「外国の、騎士殿でしたか。どうりで……ええと、それで現状をどうにかできるのですか? 本当に?」
「少なくとも、死体どもを蹴散らすことは可能です。そしてそのためにこの代官屋敷を使わせていただきたい。あと、街の門扉を閉める許可も」
「連中が、街の中にどれだけいるか分からないのですよ!? いくらここが頑丈で、皆さんが屈強でも……」
「ご安心ください。今回は特別! スペシャルな人物が揃っております。まず、法律神シュルティーサの聖女リーフェ様!」
驚きの視線を受けて、聖女は静かに頷いた。本人としては、ずいぶんと口が回りますねとヒデオンに一言いいたい気分だったが。
「二人目。魔導士学院の才女、ベルティナ様!」
「どうも」
外向きの、品のいい笑みを浮かべて見せる。彼女はこういうノリが嫌いではない。
「そして最後! 悪魔退治の勇者ベルンハルトの血を引く、クラーセン公爵家の令嬢セシリア様! その腰にあるのは伝説の聖剣ドンダーだ!」
勇者公女は、今日ほど厳しい教育に感謝した日はない。特に社交についてのそれに。この茶番で、頬を引きつらせなくて済んだのは、教師の厳しい指導のおかげだった。
乙女たちへ向けるデニスの視線は希望に輝いていた。たった今まで、どん底にいたのだ。唐突に差した希望の光に目がくらむのも無理はない。
「このスペシャルな方々を守るのは、公爵家の精鋭たち! こんな協力を、何の根回しもなく得られるのは今! 本当に今しかない! これを逃した日には、貴族のとても面倒なやり取りが何日も、ウン十日も続いてどれほどの戦力が来るのか来ないのか……」
そしてヒデオンは、容赦なくその希望の光を遮りに行った。手に飛び込んできた希望が、零れ落ちようとする。落とすまいとするのは、当然のこと。
「あわ、あわわわ……お、お願いします! 街を、どうかなにとぞ!」
「では、屋敷の使用許可を」
「もちろん! もちろんですとも! 今、屋敷の者共に説明してまいりますので! しばらくお待ちを!」
セシリア達に頭を下げて、デニスは部屋を後にした。十分足音が離れてから、ヒデオンは己の胸にあった一言を口に出した。
「チョロい」
「ヒデオンのやりようはムゴい、というべきでしょうね」
呆れを多く声に乗せて、公爵令嬢は声をかける。乙女たちのみならず、フリッツすらも大きく首を縦に振った。
「文官が、言葉でつられるって不味くない? 教育足りてないと思うんだが」
「この状況でそういった振る舞いができるのは、よほどの古狸ぐらいなものだと思うぞ」
「フリッツ卿の言う通りです。ずいぶんと、こういった事に慣れているようで」
「言葉で血が流れないなら、それに越したことはない。咄嗟の説得は慣れたものでね」
聖女の非難もどこ吹く風とおどけて見せる。そして、表情を引き締める。
「といわけで、反対されなかったから連中の駆除をやる流れにしたけど。改めて聞くけど、これでよろしい?」
「ええ、よくやってくれましたヒデオン。上々です」
勇者公女は力強く頷いた。死霊災厄で困窮する人々を救う。彼女が望んだことである。フリッツも、主に続いて肯定する。
「これから先、ボスハールト領を調査および復旧していく上でもこの街の安全を確保する事には大きな意味がある。物資や人員の補給を受ける為にも、安定した拠点は必要だ」
「死霊災厄終結は神のご意思。私に否はありません」
「仕事だからやるわよー」
仲間たちの合意も取れた所で、セシリアは話を次の段階に動かすことにした。
「ヒデオン。駆除に向けて、何か計画の素案があるのかしら?」
「もちろん。基本的には防衛戦。ここに死体共を呼び寄せる。また、外から入られても困るので、外門は閉じる」
「災厄の最中で旅をする者がいるとは思えん。だが万が一もあるから、閉めるとしたら夕方だな」
陪臣騎士の意見に、保安官は指で丸を作って同意して見せる。
「あとは住民への注意喚起、屋敷の防御強化、それから……罠もだな」
「いっぱいあるわねえ。明日に回したりしないの?」
銀髪の魔導士がややうんざりとそういってくる。ヒデオンは頷かなかった。
「今日一晩で何人死ぬか分からない。明日に回して、何かが致命的に間に合わないかもしれない。できることは早めに片付けておいた方がいい。そしてなにより」
ヒデオンは、こぶしを握って見せる。
「この街の周辺にいるであろう、強敵の情報が何もない。であるならば、敵戦力はできるうちに削減しておくに限る」
「よろしい。では、具体的な作業とその分担については、フリッツ」
「は! ただちに部下たちと作戦を詰めます! 保安官、ついてきてくれ」
「了解」
男二人が立ち上がったのを見て、乙女たちも腰を上げる。
「それでは、勇者の働きをいたしましょう」