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勇者公女と騎士団

「そういえば、予定が思いっきり狂ってるけどどうするんだ? たしか、どこぞに向かう為の情報収集をするんじゃなかったっけ、今日」


 ヒデオンに話しかけられて、勇者公女は目を覚ました。昨晩の眠気と疲労がまだ残っている。彼の作業を座って眺めていたら、うっかり居眠りをしてしまったようだ。そして、肩に重みを感じた。見れば、隣に座っていたベルティナに寄りかかられていた。


 彼女はまだ寝入ったままだ。重みがなんだか心地よく、そのままにすることにした。自然、言葉も小声になる。


「私の家臣が、支援のついでに聞いて回るそうです。ご心配なく」

「……そうかー。了解」


 ヒデオンもまた小声で返した。寝入っているベルティナに気づいたのだ。


 セシリアには実家がこの旅の為に付けてくれた家臣がいる。騎士三名、従者三名、兵士五名、侍女一名である。


 昨晩、侍女以外の彼らは街を囲む柵の守りに付いていた。突破されていたら敗北であったため、信頼できる戦力を割り振ったのだ。


 さてこの家臣たちであるが、実はかなり減っている。セシリアが王都エーデルンを出発した当時はこの五倍はいたのだ。なぜこんなに戦力が減少したのか。話は、彼女が勇者として立ち上がった当時にさかのぼる。


 当時、王都は熱狂と混乱に満ちていた。多数の死体が生者を襲う死霊災厄。都市間の物流は滞り、民衆の生命は危険にさらされていた。


 そこに、伝説の勇者ベルンハルトの血を引くセシリアが災厄に立ち向かうと宣言した。彼女の生家であるクラーセン公爵家の名声も相まって、王都の民衆は希望にわき上がった。


 一人娘のこの動きを、父親である公爵は叱ることができなかった。災厄を鎮めることができていないのは、国家の失態。国内に多大な力をもつ公爵とて責任追及を免れない立場である。普段は名声を輝かせる勇者の血が、この状況では逆に非難の的にもなっていた。


 そこに、娘が勇者の名と剣を背負って立ち上がった。親としては心底反対したい所だが、家に責任を持つ立場である彼はそれができない。最悪彼女が死んでも、幼いながら息子が残っているので家督を継がせる者には困らない……という冷たい思考が頭によぎるのが本人としては心底気分が悪かった。


 ともあれ、親としても公爵としても支援を惜しむ理由はなかった。クラーセン公爵家が災厄終結に本気で動き出すという姿を外部に見せつける為にも、戦力と物資を惜しむつもりはなかった。何より娘が心配だった。


 かくして、王都の係累をかき集めて組織したのが騎士15名、従者十五名、兵士50名、侍女五名である。王都の公爵家前でそれらを並べ、華々しく出立に向けて宣言する勇者公女の姿は人々を熱狂させた。


 だが為政者たち、王家や貴族の反応はそう単純ではいられなかった。まず、王家は表面上は沈黙を守り、裏では激怒した。王太子との婚約話が内々で進んでいたのだ。予定が狂ったどころの話ではない。場合によっては白紙に戻さなくてはならない。


 秘密裡にクラーセン公爵家へ苦情を入れるも、国家安寧と我が家の使命が優先されるとの返答が返ってくる始末。両家の関係はここ数十年冷ややかであり、それを改善するための婚約話だった。現在、両家の関係性は急激に悪化している。


 貴族の反応は様々だ。少数の実力者たちは、理解できぬと首を傾げた。死霊災厄は簡単に片付くものではない。聖剣一本と勇者の血だけでどうにかなるのは物語の中だけだ。溺愛している一人娘を死地に送るなど、傑物とされる公爵がする行動ではないと。


 上が疑問を覚えている中、大多数の貴族は別の反応をした。彼らは窮地にあった。地方の為政者たちは、物流の混乱が街に及ぼす損害に頭を抱えていた。王都の役人たちも、種類は別だが混乱の対応に追われている。


 民衆と同じように、死霊災厄の終結を心より願っていた。王家が抜本的な解決に動けないでいる中、王国第二位の実力者が分かりやすく行動に出たことを評価した。金銭や物資の支援が次々と集まった。もちろんそれには下心がしっかり刻まれているが、貴族とはそういうものである。いっそ健全とすら言える。


 そして最後、金も物資もない貴族は全く毛色の違う行動に出た。勇者公女の戦いに参加すれば、よりよい立場が得られるのではないか。そう考えて、騎士団に参加または同道を申し出たのだ。


 多くが、王都で燻る無役の水飲み騎士達である。路銀も装備おおぼつかない、平民よりはマシ程度の戦力たち。弾くこともできたが、公爵は彼らの行動を良しとした。それどころか物資の支援までした。


 もちろん、親切心からではない。表向きは上位者としての施し。本心は娘を守る壁は分厚い方が良いと考えたからである。そして、こうなってくるとほかの貴族達も行動を変える。


 一定の戦力が集まるというのなら、公爵令嬢の奇行というだけでは終わらない。それなりの成果も上げうる。となればここで流れに乗らないのは損である。


 各家が戦力を供出する。名だたる騎士団からも、旗を掲げて部隊が合流する。シュルティーサ神殿から聖堂騎士と聖女が。魔導士学院からも術者が報酬を約束され参加した。


 かくしてセシリアの騎士団は、あっという間にその規模を数倍にした。もはや、そこいらの木っ端領地なら戦わずに勝利できるレベルの質と量。勇者公女を旗頭にした騎士団は、民衆の歓声を受けながら王都を出発した。


 ……で、終わればきれいな話だが現実はそうならなかった。まず、同道を申し出る民草が大量に現れた。これは特別な事ではない。


 街の外というのは危険地帯である。野獣、魔物、盗賊、そして現在は歩く死体たち。戦うすべを持たない人々が旅をするというのは命がけなのである。なので、名高い騎士達(=民草を無体に扱わない)が街道を行くのなら、ついて行かない理由はない。


 死霊災厄で足止めされていた者たちは多い。商人、旅人、冒険者、傭兵。それらが加わり、一行は千人近い大所帯になってしまった。


 危険である、と誰もが思った。死者は生きている者を襲う。こんな大所帯が街の外を行けば、当然襲い掛かってくる。夜ごとに襲われては、騎士団と言えども無事では済まない。


 しかし、追い返すこともできない。民衆を放り出せば、評判が落ちる。名誉が傷つく事は、貴族にとって何よりも避けねばならないのだ。場合によっては、己の命よりも。


 そして、事は予想通りに進んでしまった。死者の攻撃は、最初の夜から始まった。まばらであるものの、途切れることのない襲撃に騎士も兵も民も活力を奪われていく。夜明けになればそれも止まるが、後に残るのは疲労と怪我人と死体の山である。


 これが、毎晩繰り返される。戦うごとに戦力は減っていった。幸いな事に聖女をはじめとした神官たちの神への嘆願により、治療の奇跡が施される。そのため怪我人の復帰は早い。しかし戦えるようになるかは別だ。


 心の弱いものは、戦線に立つことを拒むようになる。ついてきた民草は、己の決断を忘れついてきたことへの後悔を募らせる。兵や騎士達までもが、王都へ戻ることを口には出さないが希望し始める。


 旗頭であるセシリアに、後退は許されなかった。勇者の名を掲げて出戻っては、公爵家の名が地に墜ちる。それは父をはじめとした家族や家臣たちに顔向けできない事であるし、災厄終結を誓った己を裏切る事にもなる。


 聡明な彼女は、己が恵まれた存在であるとよく理解している。立場、美貌、財産。この世で指折りの環境にあると。幼いころより、それに甘んじていてよいのかと思い悩んでいた。


 何かを成すべきではないのか。自分がするべき貴族の勤めとは何か。そんな彼女にもたらされた答えは意外なものだった。初代以外誰もが挑み、引き抜けなかった聖剣。戯れに触れたそれが、するりと鞘から姿を現したのだ。


 以後、無理を言って剣と戦場について学んだ。元々、才女として賞賛を集めていた。それは、争いの技能にも発揮された。そうしていざという時に備えていた。まさか呪詛風邪と死霊災厄などという事態が起きるとは思っていなかった。


 ともあれ、成すべきことは現れた。故に彼女は先頭に立って戦った。人々を鼓舞しながら、次の街へと皆を導いた。そして、あの夜。いよいよ疲労は限界に近づき、士気も戦線も崩壊しかけたあの時。


 聖女リーフェが神託を受け『轟砲の勇士』が到来することを宣言。その後すぐに、夜を震わす銃声が響いた。


 こうして、ヒデオンとセシリア達は出会った。窮地を脱した一行は、なんとか街に到着。クラーセン公爵家の騎士団は事態収拾に奔走することになる。なにせ死人こそ出なかったものの、戦力の三割が戦闘不能となってしまった。足手まといの彼らを連れていく事は出来ない。王都に戻す必要がある。


 その仕事を、他家の者と遂行する必要がある。王都に戻るとなれば、夜はまた死体どもと戦わなければならない。民草もついてくるだろう。その対策もしなければならない。


 かくしてセシリアの騎士団の人員はそちらに割かれている。その仕事が終われば合流予定であるが、いつになるかは未定である。


「よく働いてくれていますが、出発は明日。午後からは休ませるつもりです」

「それがいいな。セシリア達も、そろそろ休んだ方がいい。ここじゃ、疲れも取れない」


 隣で船をこぐ魔導士をヒデオンは指さす。勇者公女は、今だ作業を続ける保安官にうしろめたさを感じたが素直に従うことにした。気持ちだけではどうにもならないということは、王都に出てから嫌というほど学んでいたから。


「それでは、お言葉に甘えさせていただきます。ベルティナ」

「ううん……あれ、寝てた? 気が抜けたから……ヒデオン、作業終わった?」

「まだだ。時間かかるから、部屋で休んでなよ」

「そうしようかしらね……ヒデオンも、ある程度で切り上げなさいよ?」

「ああ……と。お帰り聖女様」


 納屋に現れた僧服の少女は、ヒデオンを見て開口一番。


「なんで、上半身裸なんですか」


 眉を吊り上げ、頬を染めながら咎める。言われた保安官は大げさに肩をすくめて見せる。


「聖女様、聖印が痛いんです。何とかなりませんか」

「なりません。それは貴方に必要なものです。謹んで享受しなさい。そして上着を着なさい」

「それじゃあ、私たちは部屋に戻るから。二人も、早く休んでね」


 青年が少女に叱られる様を可笑しく眺めながら、セシリアはこの場を去ることにした。


「私もすぐに戻ります。……このだらしない保安官への説教を済ませてから」

「お許しください聖女様」

「ダメです。まずそのふざけた態度をですね……」


 二人のやり取りをクスクス笑いながら、勇者公女は友人の背を押す。いまだ眠気でふらつく魔導士は、されるがままだ。


「リーフェもずいぶん、柔らかくなったわね。最初に顔を見た時は、出来のいいお人形さんかと思ったけど」

「まあひどい。でも気持ちは分かるわ。王都からの旅の最中は、気を張り詰めていたし」

「それはあなたも一緒でしょ、勇者様」

「元気なフリして青い顔だった誰かに言われたくありませーん」

「あら、誰の事かしらー覚えがないわー」


 おどけてみせる友人に、セシリアはまた笑う。そして思う。このように今日を過ごせているのも、あの異邦の戦士のおかげだ。神が迎え入れたのも納得できる。あれで、もう少し女性への配慮をしてくれたらなおよいのだが。


(いえ、いまのままでいいのかもしれない。そこまで完璧になられてしまったら……)


 そこまで考えて、セシリアは頭を振って思いついたことを振りはらった。今の自分には許されぬうわっついた思いだった。


「どうかした?」

「いいえ、なにも!」


/*/


 日が暮れた。今夜は死体は現れていない。もし出現すれば、警鐘が鳴らされる手筈になっている。弾丸作成とマガジンへの補充作業を終えたヒデオンは、食堂にいた。すでに夕食を済ませており、後は休むだけ。彼は暖炉の前でワイングラスを傾けていた。


「これが安物だってんだから、すごい話だよ」


 香りも風味も地元で振舞われる酒とはまるで違う。地元で一般人が飲むそれは、ただ度数の高いアルコール飲料でしかない。


「保安官。明日の予定について話がある」


 そんな彼の背に声がかけられた。セシリアの配下、陪臣騎士のフリッツである。歳はヒデオンと同じくらい。短い金髪と青い瞳。騎士らしくその身体は良く鍛え上げられていた。


「何か予定変更でも?」

「いや。しかし情報共有は必要だ」

「間違いない」


 ヒデオンは、この真面目な騎士が嫌いではなかった。与えられた仕事を実直にこなす。曲がった事をしない。自分に向けられる態度に隔意があったとしても、彼への評価を変えるつもりはなかった。


 なにより、嫌う気持ちは分からないでもないのだ。神様のお墨付きがあるとはいえ、よくわからん武器を振り回す素性のわからん男なのだ。それが、自分の主の近くにいる。実力を認めていても、気を許せるはずもない。


 その上で、仕事はちゃんとするのだ。これでこっちがへそを曲げるのはダサすぎる、とヒデオンは考える。


「我々は早朝、この宿場町を出発する。そちらの準備は?」

「弾薬の備蓄が完璧でないこと以外は問題ない。マシンガン……一番連射できる銃の使用が心もとない事は知っておいてくれ」

「……了解した。できればもっと早く知らせてほしかった所だが。出発後、我々は西にあるボスハールト領へ向かう。死霊災厄が始まってから、かの地との連絡が途絶えているからな」

「街道が通ってるのに、人が戻ってこない。これほど分かりやすい話はないものな」


 ボスハールト領に通る街道は、王国における大動脈のひとつである。諸外国との交易にも使われるこの街道が機能不全になることは、経済への大きな打撃だ。


 騎士や従者たちが集まるテーブルの前でそれを説明されながら、ヒデオンは当然の疑問を口にする。


「それで、国はこんな大事な所をどうしてほったらかしにしてるんだ?」

「もちろん、王家は動いた。内部治安を任されている虎狼騎士団が即座に動員され、現地に向かったのだ」


 この土地を治めるボスマン子爵家は、代々王家への厚い忠義を交易による金銭で示してきた。飾らぬ言い方をすれば、王の大事な財布である。何がなんでも、実態を解明し街道を元に戻したいというのが本音である。


「だが、我々が経験した通り死霊災厄は大部隊の移動を困難にする。虎狼騎士団も例外ではなく、満足な調査もできず撤退することになった。さぞかし、無念であった事であろう」


 フリッツが、眉根に皺を寄せて首を振る。己が同じ立場であったら、と考えたのだろう。その姿を見れば、ヒデオンも感化される。似たような経験があるのだ。


「街の住民からの失意の視線。投げられる石。上司からの叱責。同僚からの嘲笑……」

「止めてくれ保安官。明日は我が身なのだぞ」


 思いついたことをつぶやいて見れば、フリッツだけでなく集った皆が苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「ほかの目のない、今だから言おう。いいか? 我らが姫様のお立場は、危うい所にある。王都から出立した時に同道した騎士達はすべて脱落した。己らの名を下げたくない連中は、その責任を姫様に求めようとする。あちらは数が多い。いくら公爵家の名声と実力が高かろうと、守りきるには限度がある」

「だから、ここで一発分かりやすい成果を上げておきたい。街道封鎖を解除できれば、国へのアピールがばっちりできる、って事か」


 言いたい事を先回りされた陪臣騎士は、信じられぬと何度か瞬きを繰り返した。


「……我らの事情を知っていたのか?」

「いいや? でもまあ、この手の話は何処でもあるからな。そこまで説明してもらえれば、大体察せるよ」

「そうか。で、あるならば話は早い。ボスハールト領の調査と解放は、我らにとって急務だ。……助力願えるか?」


 ヒデオンは、外国の騎士として扱うと主が宣言している。頭ごなしに命令できる相手ではない。


 公爵家の陪臣騎士という立場は軽くない。状況によっては、爵位もちの相手にも上の立場でものを言える。……が、あくまで状況によるのだ。今はその時ではない。フリッツは若いながら、その辺りを弁えた男である。主の為ならばいくらでも私心を殺せた。


 装備は理解できないほど高度。振る舞いは騎士とは程遠い。聞いた事のない国から来た、保安官を名乗る奇妙な男。信用できるなどと口が裂けても言えぬような相手でも、必要ならば頭を下げる。


 そんなフリッツに対して、保安官は鷹揚に頷いて見せた。


「もちろん。『周りからありがとうと言われるような男になれ』、が俺の親父の教えなんでね」


 一切悩むことなくそう答える相手に対し、フリッツはまたも驚いた。


「……いいのか? 騎士団ひとつが逃げ帰った難所だぞ。相当の困難が予想される。当然、命の保証はない」

「俺の地元もそんな感じだ。今回はこれだけ人手がある分、はるかにマシだな」


 清々しさすら感じさせるほどに、ヒデオンは軽くそう言ってのける。窮地を救われたあの晩や、昨夜のこともある。状況を楽観視しているわけではない。その上でそう言ってのける相手に、騎士達は笑うのを失敗した。困惑が顔に出る。


「……貴殿の地元は、どうなっているのだ」

「怪物と野盗とよくわからんものが徘徊するワンダーランドかな」

「端的に地獄というのだ、そういうのは」


 ため息をつきつつも、フリッツは安堵する。保安官の戦いの凄まじさは、彼らの脳に焼き付いている。無数の死体どもを瞬く間に蹴散らす。砲声を放つことで自らに敵を集める。その戦いぶりのおかげで、命を救われたものは数多い。肩を並べて戦うのなら、非常に頼れる存在だ。


「向かう先については了解した。食料と水、休憩地点については?」

「地図もあるし、この宿場町で道案内の者を確保できた。災厄が始まった時に偶然地元を離れていた猟師だそうだ。地形にも詳しいようだから、使えるだろう。なので水と休憩場所は目星がついている。食料については、多く持ち込むほかあるまい」

「楽観視して空腹を抱えるよりよほどいい」

「うむ」


 その後、細やかなやり取りを済ませる。互いにとって幸いだったのは、ヒデオンもフリッツ達も野外で様々な学びを得ているということだ。準備の大切さ、街の外の恐ろしさが身に染みている。


 そしてそれをわからぬ相手に無理難題を言われたのも、互いに経験済みだ。フリッツは、王都を出た最初の晩のことを時折悪夢で見ている。わがままを言う貴族。戦功に焦る騎士。逃げ出そうとする兵士。泣きわめく民衆。どさくさ紛れに悪事を働く外道。そして襲い掛かる死体ども。それが一度に起きていたのだ。


 上位騎士達は対応に追われ、防衛線を維持するのに精いっぱい。本来ならば本陣に控えてもらうはずだったセシリアが、状況打開のために前線に立つ羽目になった。聖女や魔導士の働きが無ければ、あの晩に壊滅していてもおかしくはなかった。


 数は比べられないほど減ったが、足手まといは誰も居ない。自分たちのほかに、聖女のお付きも同行する。ボスハールト領の解放は難しいかもしれないが、現状把握は可能だろう。生きて帰ることも。


「こんな所か。あとは……あれ、そういえばセシリア達は?」


 主の名前を呼び捨てにされることは不快である。公爵令嬢に対する敬意が足りない。しかし、当の本人がそれを許しているのだから、配下は言い咎めることができない。


「……姫様は湯浴み中だ。いっておくが」

「分かってるよ。不埒なことはしない。それがどんだけ恐ろしいことか、わからんほどサルじゃないよ」

「分かっているなら良い……何故、そこでサルが出る?」

「発情期のサルに道理は通じないだろう?」

「ふむ、なるほど。たしかに」


 美しき公爵令嬢に、鼻息を荒くする者を多数見てきた。フリッツだけでなく、卓を囲む多くが理解を示した。なるほど、確かにああいう連中はサルだと。


「ちなみに、風呂場には警備が付いてたりするのか?」

「もちろんだとも。侍女が側に付いているし、覗けるところには兵を……」


 その時、まるで神がタイミングを見計らっていたかのように兵が駆け込んできた。


「伝令! 不埒者が複数、風呂場へ近づこうとしました! 応援を!」

「サルが出たか! 皆、行くぞ!」


 おう! と気炎を上げてセシリアの部下が武器を手にかけ出していく。不埒者、討つべし。ヒデオンも残っていたワインを呷ると、それに続いた。面白そうだったから。

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