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ナイトウォーカー

 ヒデオンが呪われた武装を手にした後。代官屋敷では動揺が広がっていた。無理もない。尖塔からも見渡せぬ闇の向こうで、恐ろしい気配が出現したのだ。新たな敵が現れたのかと疑うのは当然。現状もかなり厳しいのに、そんなものが現れたらと肝を冷やすのもまた当然だった。


 仲間であるヒデオンがやらかしていると気づく者はほとんどいなかった。たった一人を除いて。


「ああ……なんてこと。あれ程使ってはならないと釘を刺していたのに」


 聖女は錫杖を握りしめながら小さく、苦々しげにつぶやいた。彼女はかなり正確に、状況を把握していた。


 ある程度の状況は、ヒデオン本人から内密に聞いていた。彼の故郷の平穏を脅かした邪悪な宗教集団、ブラザーフッド・オブ・グローリー。


 その組織の教主と後継者のみが触れることを許された秘宝がある。竜骸秘典ドラゴンレリック。炎竜の精髄、風竜の頭蓋、水竜の血潮、地竜の爪牙。


 ヒデオンが教主を本山ごと吹き飛ばしたため、各地の分派が後継者争いを始めた。その時引っ張り出されたのがこの邪悪な武器だった。


 ただ争うだけなら放っておいたが、民衆に被害が出るのなら話は別。保安官はその後継者争いを横からぶん殴りに行った。結果、後継者の証である四つの武器はヒデオンが所有することになった。


 話を聞いて、リーフェは当然の疑問を抱いた。何故、その教団はそのような強力無比な武器を持っていたのか。竜骸秘典の力はセシリアの持つ聖剣ドンダーに匹敵、あるいは凌駕する。


 さらに聞けば、ヒデオンの故郷に竜はいないという。おとぎ話の存在であると。一体だれが、どのようにして持ち込んだのか。


 悩んだところで解消しない問題は、その場では棚上げした。大事なのは現在である。竜の躯より作られたと思われる、四つの武器。聖女は保安官にこれの使用を固く禁じた。


 所有しているだけでフォールン化を悪化させている邪悪な道具である。これで実際振るったら、いったいどれほどの悪影響が出るかわかったものではない。


 今までの旅では、使う場面は訪れなかった。ヒデオンの銃が予想以上に強かったのも大きい。あと、手甲と脚甲に宿る摩訶不思議なパワーも。


 このままいけば、身体の調子も復調するだろうと思っていた。だというのに、この有様である。


「セシリア。ヒデオンが危機に瀕しています」


 遠方を、険しい表情で睨んでいた勇者公女へ進言する。


「私はこれより、この場に聖域の奇跡を嘆願します。邪悪なるものは、場に入っただけで滅することになるでしょう。守りは最低限にできます」

「そこで、打って出ろと……」


 セシリアは悩む。恩義ある仲間を助けに行きたいという気持ちは誰よりもある。しかし責任者として、安易に行動を決めることなどできない。


 ヒデオンを助けに行くということは、この場から出なければならない。死体とグールの群れをかき分けて、彼の元へ駆けつける。それがどれほど危険な事か、これまでの旅路でいやというほどわかっている。


 死者に恐怖はない。本能もない。ただひたすら、呪いに突き動かされ生者を襲う。敵も味方もなく、保身も我欲もない。それが四方八方から襲ってくるのだ。


 騎士や兵士に、その中に飛び込んでいけと簡単に言うことはできなかった。


「姫様、どうぞご命令を! 保安官に借りを返すチャンスです!」


 そんな彼女へ、フリッツは胸を張って進言した。彼だけではない。騎士や従者たちも、口々にそれに賛同する。


「その通りです! 他国の騎士に借りを作ったままではクラーセン公爵家の騎士を名乗れませぬ!」

「ここでたっぷりと返済しましょう、姫様!」


 彼らもまた、同じ旅を歩んだ者達。危険は十分に承知している。その上でこう言ってくれている部下に、セシリアは深い感謝を覚えた。


「皆、ありがとう……屋敷が聖域になり次第、ヒデオンを救出に向かう。ただちに部隊を編成せよ!」

「「「はっ!」」」


 気迫のこもった返事が返ってくる。それに笑みを浮かべたセシリアは、奇妙な音を聞いた。彼女だけでなく、この場にいた全員が。


 重い、金属音。厳重に封鎖し閂をかけてあった門が、開こうとしている。


「入口が、空いている!? 何故開けた!」

「塞げ! 死体共が入ってくるぞ!」


 兵士たちが入口に駆け寄ると、その場は混乱の最中だった。衛兵が、暴れる仲間を取り押さえようとしている。一人二人ではない。半分以上が暴れており、その中であぶれたものが閂を抜いてしまったという構図だった。


「騎士様! 何かがいます! 仲間が、そいつに操られました!」


 暴れる同僚を取り押さえながら、必死に衛兵が叫ぶ。未知なる何かに恐怖を覚えるものの、状況は待ってくれない。門扉を塞ごうと、兵士たちが駆け寄る。


 だが遅かった。


「私はここに入っていい。そうだな?」

「はい。どうぞお入りくださいませ」


 そんなやり取りが、入り口でなされた。次の瞬間、黒く冷たい霧が屋敷の庭へ流れ込んできた。黒い霧などあるはずもなく、状況からして事態がより深刻に変化しているのは間違いない。


 フリッツが叫ぶ。


「聖女様! 聖域を早く!」

「法律神シュルティーサは世の理を定められた。土地に境界。場に浄化。神殿に神像。よき場所、かくあるべし。聖域サンクチュアリ……」

「おおっと、それは困る」


 神に奇跡を嘆願するというのは、並大抵のことではない。人に許される限界までそれに集中する必要がある。だから目の前に黒い霧が集まり、それが男の姿をとってもリーフェは即座に反応することができなかった。


 黒く癖の強い髪を背で縛った男。瞳は赤く、肌は病的なまでに白い。やせ細っているくせに、その右手は異常な大きさだった。怪物のようなかぎ爪。それが大鉈のように薙ぎ払われる。


 咄嗟に突き出した錫杖でそれを受けたが、体重の軽いリーフェは大きく突き飛ばされる結果となった。聖域の奇跡は成り立たず。


「おのれ、何奴!」


 答えが返される前に、フリッツは切りかかった。元より返されることなど期待していない。上段からの必殺の一刀。これ以上のない殺意と速度が乗った長剣は、しかし右手のかぎ爪に阻まれた。


「まったく、これだから騎士という連中は好かない。腕力でなんでも通そうとする。存在自体が不愉快だ」


 刃がかぎ爪に食い込む。赤黒い血が流れようとお構いなしで、男は長剣を握りこもうとする。咄嗟にまずいと判断したフリッツは剣を引いた。かぎ爪が切り裂かれるが、男の表情は変わらない。


「ふむ?」


 珍しいものを見るかのように、傷を眺める。その眼前で、傷はたちまち消え去った。すまし顔だった男に、ひどく歪んだ笑みが浮かぶ。


「ふ、はは! 切り傷があっという間に! 痛みもない! まったく、便利な身体だなあ! 今までの人生が馬鹿に思える。……さて、それで。公女様はどちらにいらっしゃる?」


 赤い瞳が、周囲を眺めた。男を囲んでいた騎士や兵士が、その視線を向けられた途端に身を強張らせた。己の意思に反して、全身に力がこもる。力み過ぎて、まともに動けない。


 フリッツはそれに全身全霊で抗いながら、侵入者を睨みつける。


「化け物め……我々に、なにをした」

「答えてやる義理はないぞ、猪騎士。そこで丸太のように転がっていればいい。さて……」

「ああ、なんたる事……ヤスペル様!」


 その場に悲痛な声を放ったのは文官見習いの青年、デニスだった。戦場にも雑務は絶えない。戦えずとも仕事はある。そういった物事を片付けるために、彼はこの場にいた。


 名を呼ばれた赤目の男、ヤスペルは歪んだ笑みを浮かべた。


「おお……デニス、久しいな。こんなへき地に飛ばされていたか。まったく、父上たちも酷いものだ。貴様の献身への報いがこれか。やはり、くたばってもらって正解だった」

「な、なんと……ヤスペル様。子爵様に、なにを」


 耳を疑う言葉に、文官青年は震えて問う。対して、ヤスペルは別の意味で身体を震わせ始めた。哄笑。可笑しくてたまらず、衝動が抑えられぬとばかりに。


「ふ、はは! あははははは! 死んでもらったとも! あの暗愚には当然の末路だ! 優秀だから取り立てる! できぬ者は排除する! 平凡! 子供でもできる単純な判断! では、排除されたものはどうすればいい! 嘲笑の中で生き続けねばならんということを何故分からない!」


 笑いはたちまち怒りに変わった。憤怒を全身で放出する。が、またもやそれががらりと変わる。再び上機嫌に語り出した。


「楽に殺せた。下の妹たちはいい仕事をしてくれたよ。護衛の騎士達も、子爵の娘に刃は向けられなかったらしい。みんな、美味しく頂かれてしまったよ。父上も兄上方も、妹たちの栄養になったのだから本望だろうなあ?」

「あ、あああ……何を、何をおっしゃっていられるのです、ヤスペル様。デニスには分かりかねます……」

「デニス! 相も変わらず愚かだな! 貴様のそういう所を昔から気に入っている。どうだ? こんな場所にいても仕方があるまい? 再び私に仕えてみるか? うむ、もはや父上も兄上方もいない。ボスマン子爵はこの私だ。問題、なかろう?」


 上機嫌に、そのような提案をして見せる。デニスの顔色は真っ青だった。震え、首を横に振る。


 ヤスペルの機嫌は山の天気よりも早く移り変わる。かつての配下へ向ける視線は、冷酷なそれになった。


「そうか……貴様まで私を見捨てるか。ああ、分かった。よく分かったよ」

「そんな、ヤスペル様! 私は……!」

「煩い! 貴様も、家族も、家臣どもも! どいつもこいつも私を侮辱して! であれば私も容赦せぬ! そうだ、もはやボスマン子爵家だけに止まらぬ! この怒り、全てへ……」

「貫く雷撃!」


 轟音と閃光。横合いより放たれた稲妻が、ヤスペルに突き刺さった。


「ぐぁぁぁぁぁぁ!?」

「好き勝手するのもそこまでよ、吸血鬼ヴァンパイア!」


 銀の髪をなびかせながら、女魔導士ベルティナが叫んだ。吸血鬼とは、呪いによって動く死者の中でも上位の存在である。怪力、再生、魔眼、変身など多数の異能をその身に宿している。


 特筆すべきは二点。不死性と眷属の作成。吸血鬼は殺された程度では死なない。己の生まれた地の土。それが詰まった棺桶があれば、そこに復活するのだ。なので退治するにはそれをすべて壊さねばならない。


 もう一点の眷属作成。血を吸った相手を、自由に操れる。場合によっては自分と同じ吸血鬼に変える事もできるのだ。


 まさに怪物。神の奇跡や魔導の力。そして勇者がいなくては戦えぬ強敵である。


 幸いな事に、それらはすべてこの地にあった。


「ば、馬鹿な……剣も弓矢も意味を成さぬ、この身体にここまでの傷を……」

「自分の種族の勉強もしてないなんて、ずいぶん怠けたやつね! 雷撃は、数少ない吸血鬼への有効策なのよ! 覚えておきなさい! ここで死ぬから意味ないけど!」

「何を!」

「悪鬼退散ッ!」


 機会をうかがっていたセシリア、ここで聖剣を抜き放ち切りかかる。咄嗟に掲げた右手のかぎ爪に、深く刃が食い込んだ。


「ぎゃぁぁぁ!? 熱い!? なんだこの熱さ、この痛み!?」

「聖剣なのですから、邪悪なる貴様には当然の痛み……」


 よろよろと立ち上がりながら、聖女が告げる。その隣に、ベルティナが駆け寄る。


「リーフェ、大丈夫!?」

「治癒の奇跡を嘆願しましたから……。それより、相手が吸血鬼ならば私の出番です」


 震える手で錫杖を構える。深い傷は癒したとはいえ、全快には程遠い。しかし悠長に治療もしていられない。


 しかしヤスペルもまた、黙ってやられてはいない。


「来い! 全部だ! 全部来いっっっ!」

「「「ガァァァァァァァッ!」」」


 門の外に詰まっていた死体とグールが、ここにきて雪崩れ込んできた。門の守りは未だ破られたまま。兵士も衛兵も不調。無防備に襲われている者すらいる。


 この状況で動けるのは魔導士と聖女だけだった。


「狙え、当たれ、貫け! 上位魔力・必中の矢!」


 ベルティナが、とっておきのパワーソースをつぎ込んで魔力の矢を解き放つ。狙いを絶対に違わないこの魔法は、乱戦に最適な呪文だった。


 輝く矢が、走りこむ死体やグールの足に命中する。ヒデオンのやったことを真似たのだ。残念な事に、この魔法一発一発の威力はそれほどでもない。一体に集中して初めて大きな威力となる。


 だが足止めには十分だった。


「法律神シュルティーサは世の理を定められた! 生きるもの、世に満ちるべし。死するもの、地に眠るべし。法に背きし者共よ、罰を受けるべし! 死者埋葬ターンアンデッド!」


 神聖な力が、戦場に広がる。死体どもは呪いを払われ動かなかくなる。グールは全身から煙を放ち倒れ伏す。弱点を的確に突かれればこの有様。もちろん、聖女と祭器たる錫杖の力によるところも多い。


 死体共に襲われていた者達も危機を脱した。


「リーフェ、お見事」

「そちらも、助かりました……吸血鬼は」


 重い疲労に耐えながら、聖女が視線を向ける。そこには、公女と吸血鬼がほぼ変わらぬ場所にいた。若干の違いはある。


 具体的に言えば、吸血鬼がセシリアの首に噛みついている点だった。


「……何てこと!」


 聖女が錫杖を構え、魔導士が術を準備する。しかしその二人に、力を失った勇者が投げつけられる。乙女二人にはとても厳しい状況だったが、何とか友人を取り落とさずに済んだ。


 口元についた血を拭い、吸血鬼ヤスペル・ボスマンはこれ以上ないほどに活力にあふれていた。


「おお……甘露! この世の物とはとても思えぬ美味! いままで啜ってきた血が薄いワインのように思える。この身体に巡る熱き力と言ったら! 先ほどまでの不調がすべて吹き飛んでしまった! これが勇者公女の血!」

「おのれぇぇぇ! 覚悟ぉぉぉ!」


 やっと体の自由を取り戻した長剣をまっすぐ構え飛び掛かる。しかし、ヤスペルは先ほどまでの彼とは違っていた。達人の飛び込みに対して、指二本だけで対応して見せた。


 刃を挟み、そのまま固定したのだ。鍛えた大人が、鎧を着こんで行う突撃をたったそれだけで止めた。恐るべき怪力だった。


「は、ははは! どうした猪騎士? 鍛えた力と技はこの程度か? で、あるならば近寄るな。汗臭くてかなわないぞっと!」

「ぐふぅっ……」


 無造作に蹴り飛ばす。咄嗟に剣を離して身を後ろに倒すも避け切れない。胸甲にくっきり足跡が残るほどの蹴りにより、後方に転がっていく。


 吸血鬼は周囲を一瞥する。手勢は壊滅。兵士に怪我はあるものの、戦闘力を保持した者複数。聖女と魔導士、疲労するものの健在。勇者公女、吸血により無力化。


 そして遠方、先ほどまでの騒がしさが消えた。吸血鬼から見ても禍々しく思える風と稲妻は何処にもない。潮時だった。


「存外使えんな、あのデカブツは……。まあ、いい。さて、今宵はここまででお暇しよう。我が花嫁をどうかよろしく。近々、私自ら迎えにこよう。その時はそちらのお嬢様がたもご一緒に。いやあ、楽しみだ」

「ぬけぬけと、よくも!」


 ベルティナの叫びもどこ吹く風。吸血鬼は笑いながら夜の闇に溶け込んだ。姿も気配も、もはや跡形もない。


 代官屋敷は静まり返っている。聞こえるのは兵士たちのうめき声のみ。リーフェは、公女の首に刻まれた傷を見る。出血は少ない。だが、彼女の肌からは血の気が酷く薄くなっていた。


 ベルティナが声を押さえて問う。


「どう?」

「単純な出血だけにとどまりません。厄介な呪いもかけられている。まずは屋敷に……」


 リーフェがそう言い終わる寸前。門扉の軋む音が響いた。全員の視線が集まるその先に、疲労困憊といった有様のヒデオンがいた。


「……トラブルのようだな」


 彼の目は、それでもまだ力が宿っていた。

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