万国博覧会
ついに日本万国博覧会。略称、万博が開かれようとしている。工期の遅れで開催そのものが危ぶまれていたように見えて、やると決めたらやる国だ。膨らみ続ける費用にむしろ中止しろ、そもそもなんで開催するんだ、また中抜きか、税金の無駄遣い、魅力なし、恥を晒すだけ、などといった非難、嘲笑の声にも負けず、そのプレオープンに我々テレビクルーは駆け付けた。
各社協賛のもと作られたこの未来館は名だたる大企業らが生産性度外視でドンと力を見せつけるように各々が考案した未来の製品を展示、アピールしている。
ある自動車会社は一見普通の自動車かと思えば変形し、横向きになったタイヤからジェット噴射。そう、ホバーカーである。
そしてあるテレビメーカーは立体テレビ。介護、建設業界に向けたロボットに、接客を想定しているのかより人間に近づけたアンドロイド。自動ベビーカー。超軽量型VRゴーグル及びスーツなどなど広報担当の大下という男が我々の案内役を務め、局の女性アナウンサーが、その仕組みやら何やらをリポートする予定だったのだが……。
「おい、新人! しっかり撮っておけよぉ! これあとでぜってー使うからなぁ!」
と、ディレクターが興奮気味におれにいう。あとで、というのは多分、夜のニュース番組で使うことを想定しているのだろう。あの男はその番組のアナウンサーを抱きたがっているともっぱらの噂だ。勇敢ね! などと褒め称えられるのを想像し、その目が輝いて、いやあれは炎の煌めきだ。
「ほら、撮れ! 撮れ! ドカーンってやつを!」
おれはさながら戦場カメラマンの気分で炎にカメラを向ける。ゾーンとでもいうのだろうか、この危機的状況におれの勘は冴え渡り、奴の望み通り、爆発するその直前にいい位置へカメラを向けることができた。いや、爆発、そこかしこから炎が吹き上がっているからそう難しいことではないのかもしれない。
ああ、臨場感たっぷりの大迫力。ここに展示されている超体感型シアタールームなど目ではない。当然だ。今、この未来館は炎に包まれているのだから。
原因は何か。そんなのあとでじっくりと安全なところで取材すればいい。現場に駆け付けるのが我々の仕事だが、その渦中にいるとなると話は違う。すぐに逃げるべきだったのに「撮れ!」と服を掴まれ、あれやあれやこの様。しかし、もう画は十分だろう。そう何度も言っているのだが
「あ、カメラさん! ここっ! ここも!」
先陣を切る大下が時折こうして振り返り、おれに撮るよう指示を出す。ディレクターも奴には従っとけと言うので、おれはその通りにするのだが、確か案内図にある避難通路はもう通り過ぎたのでは。そう思ったおれは大下に声をかけた。
「あ、あの大下さん」
「はい!? カメラマンって喋っていいの!?」
人を何だと思っているのか。しかし、大下は目を丸くし心底驚いているようであった。さっき女性アナが精巧なアンドロイドを見て声を上げた時の顔にそっくりであったが彼女のようなわざとらしさはなかった。
「いや、あの、避難経路じゃないというか、出口まで遠回りしてませんか!?」
「あー、火だよ火! もう通れないよ! いいからついて、あ! 次あそこね! ほら撮って撮って!」
――未来永劫語られる美をあなたに
彼が差す指の先にあったのは化粧品会社の広告。永遠の美とも書かれている。縁起の悪さに目眩がしたが、これは異臭と共に流れてくる煙を吸ったせいだろう。
――スチーム。それは天使の美容
――熱くなれ! 男香るチャーハン
この未来館に入ってから、やたらと目につく『未来』というテーマに似つかわしくない俗っぽい広告の数々。彼はなぜかそれをやたらとカメラに収めさせたいようだ。思えば万博内はどこもかしこも広告が目立ち、ネットサーフィンをしている気分だった。
各社協賛とは聞いていたがここまで節操がないとは思わなかった。これじゃ何をアピールしているのかわからない。開催前から金がなく、建設も滞っていると話に聞いていた。だからだろうかこの火事も整備不良。欠陥だらけの突貫工事。集めた金は誰の懐に。利権のための開催。それがこの結果なのか。いや、今は早くここから――
「この先ね! ゲホッゴホッ! ほら急いで!」
「え、いや、あの、そっちは無理ですよ! 炎が! それよりもほら! 案内図! これによると向こうが――」
「いいから来るんだよぉ! 契約だろうがぁ! ちゃんと順路通り進まないと駄目なんだよぉ! ゴホッ!」
彼は歯を食いしばり、おれを睨んだ。
おれは思わずたじろいだ。その目の充血は煙が目に染みたからではない。この男は狂気に蝕まれている。一人で説得するのは無理だ。そう考えたおれは助けを求めようとディレクターの方を向いた。
が、いなかった。逃げたのだ。
「ほらぁ! 来るんだよ! スポンサー様との約束なんだよ約束ぅ!」
正気を失っていることは明らかであったが、おれが行こうと提案した道も焼け落ちた未来の電波塔、その五十分の一の模型に塞がれて、もう通ることは不可能であった。
おまけに大下がおれの腕を掴み、駄々をこねる子供のように叫び、引っ張るのであとに続くしか選択肢はなかった。
「ゲホッゴホッ! オエッ! そこ、そこね! オエッ」
――ノドとココロの渇きを癒す最高のコーク
――炙り醤油肉厚バーガー新登場!
「よーし、あとあれね! 二階! 二階のあれ撮りに行って!」
「いや、階段が焼け落ちてるんで無理ですよ!」
「じゃあ、ズームなりなんなりすればいいだろうがよぉ! お前何年目だよ! 素人かよ! 若いのよこしやがってよぉ!」
「た、叩かないでくださいよ! ほら、映像がブレますから!」
と、おれはカメラを、撮影を盾にすることでしか自分の正当性を訴え奴を黙らせることができないことに、ひどく無力感を抱いた。
「あ、あれですよね! ゴホッ!」
「そうだよさっさとしろよぉ! ゲホッ!」
「だから叩くなって、あ――」
ズームする必要もなかった。カメラを奴のいう広告に向けた直後。その看板が焼け落ちてきたのだ。
おれたちは間一髪。後ろに飛び退き、なんとか下敷きにされずに済んだ。おれは死の恐怖に怯え、すぐに立つことができずにいたが、大下は大笑いしていた。
「はははははははっ! いいぞ! 撮りやすくなっただろ! さぁ撮れ撮れ! はは! おえぇ! はははははは!」
――あなたを救うのはあなた自身。生命保険です。
焼け歪んでいく保険会社の広告を指さし、焚火の前で踊る蛮族のように、大下はぴょんぴょん飛び跳ねた。
――このチキンこそ私たちの未来だ
――香る焦がしチョコレート
――進め。未来へ。選択は君の手で。この自動車とともに
――やっちゃえよ
――飛べ。常識の向こう側へ
朽ちていく広告、その文字が脳に書き込まれていく。聞こえのいいキャッチフレーズだ。さすが、目を、心を惹きつけるものがあった。
「次だよ! 次ぃ次ぃ! なーにボッーとしてんだよぉ! 行くぞほら、立てよぉ! た、お前、な――」
「……あ、お前、生きてたのか! おお! よしよし! いやー、あれだな。はぐれちゃってな。探したんだがなぁあの状況だしなぁ……。それで、カメラのほうはどうだ? いいぞ、壊れてはなさそうだな。良いの撮れたか?」
「はい……バッチリです。あとは引きの画だけです」
そう言い、おれはカメラをディレクターから焼け落ちていく未来館へ向けた。
これが国の、世界の未来を暗示している……などとはこの映像を観たコメンテーターにでも言わせればいい。おれはカメラマンだ。
おれはここまで押し寄せる熱気とは裏腹に冷めていく心、鈍化していく感覚がどこか心地良く、もうどうでもよかった。