盃
儂は間違っておったようだ。
圧倒的な知力を前にもはや屈することしかないようじゃ。
何がどうなってしまったのか?
儂には分からぬ。
ついて行けぬ・・・
そもそも儂はオーガの首領であり、オーガはモエラの大森林の覇者じゃ。
モエラの大森林の統治者として儂は君臨しておった。
魔物の世界は弱肉強食じゃ。
そのルールに従って儂は他者を従えておった。
だが今はどうじゃ?
下等種族と気にも留めていなかったゴブリン達のあの変貌ぶりは。
身振るいが止まらんわい。
まだ一対一では遅れは取らぬだろうが、相手が複数となると儂も無事では済まぬな。
じゃがそれはあくまで武器を持たない相手を想定してのことじゃ。
おそらく今後は・・・間違いなくゴブリン達は立派な武器を手にすることじゃろうて。
それぐらいの知性を感じたわい。
そうなってはもう敵わぬやもしれぬな。
あのプルゴブとやらもただ者ではないのう。
儂を案内しつつも常に警戒を怠ってはおらなんだ。
何度か試しに仕掛けようかとも思ったが、絶妙な距離感を保っておったわ。
上手く間を外された。
いなされたのやもしれぬ。
知性を持ったゴブリンとはここまで脅威なのか?
決して敵には回したくない相手となってしまった。
冷や汗が止まらぬわい。
ゴブリンの村の発展は末恐ろしい。
もはや我らの里よりも文明は進んでおる。
あの畑のなんと立派なことか・・・
生産力も測り知れぬ。
これだけの畑があれば、それだけでもどれだけの者を養うことができようか・・・
最早儂が統治者だとはとても言えぬ。
オーガ全員を引き連れて対峙したとしても、勝てるイメージが想い浮かばぬ。
オークやコボルトを引きつれたとしてもどうだ?
もし島野様の配下の誰か一人が居ただけでも我らに勝ちはあり得ぬな。
間違いなく蹴散らされてしまうじゃろうて。
あの聖獣様のプレッシャーは恐ろしかったのう。
あれが伝説の聖獣フェンリルなのか?
会った瞬間死を感じた。
ちびるかと思った・・・
敵に周ったら気が付いた瞬間儂は絶命しているのは間違い無かろう。
無茶苦茶怖かった!
それにしてもあの島野様は何者なのだ?
神であることは間違いない。
圧倒的過ぎるわい。
存在感が絶大過ぎる。
この世にあんな存在がいて良いのだろうか?
一見人族だが不気味なぐらいの強者のプレッシャーを感じた。
存在が大きすぎる。
フェンリルも恐ろしかったが、また違う恐ろしさを感じた。
直視することすら憚られてしまう。
しかし儂もモエラの大森林の覇者じゃ。
目一杯威勢は張らせて貰ったが・・・
間違っていたのかもしれぬ。
島野様は物腰は柔らかく、ゴブリン達に囲まれて妙に親切丁寧に話を重ねておった。
何を考えているのかが儂には全く分からぬ。
あの人に睨まれたら儂達は生きて行けぬな。
一瞬にして儂らは壊滅するだろう。
温厚な方なのは分かる、そして思慮深くもあろう。
島野様にお粗末と言われてしまったが、何を指しておるのだろか?
儂が何を勘違いしておるのか?
分からぬな・・・
儂がモエラの大森林の統治者のはずだった。
・・・
はたして本当に?
何を持ってと島野様は仰っておった。
確かに儂は何を持ってこの大森林の統治者だと言うのか?
考えたことも無かった。
オーガの首領であるから当然と思っておった。
この考えがそもそも違うのか?
分からぬ・・・
儂はあの御方から名を貰い今の地位に伸し上がった。
それまではただの一兵卒でしか無かった。
じゃから知力を得ることがどれだけの進化を遂げるのかを儂は知っておる。
儂は会ってはならぬお方にお会いしてしまったのじゃろうか?
相談に乗ってくれると仰ってくれたのが唯一の望みじゃ。
でも浅い考えのママに伺う訳にはいかぬ。
じゃが考えが纏まらぬ。
ああ・・・熱が出てきたようじゃ。
フラフラするわい。
くそう、踏みとどまれ。
こんなことで倒れてはおられぬ。
儂は・・・
どうやら倒れてしまったようじゃな。
明るいな・・・
もう朝か・・・
行かねばならぬ・・・
島野様・・・
申し訳御座いませぬ・・・
ご教授くださいませ・・・
翌日の昼過ぎにソバルはお付きの者達を従えてやってきた。
とても顔色が悪い。
青ざめている。
こいつ大丈夫か?
心配なぐらい顔色が悪いぞ。
ソバルは俺の元に近づくと片膝を付き頭を下げた。
それに倣ってお付きの二人のオーガも片膝を付く。
俺はギルを伴ってソバルを相手取ることにした。
さて、どうなることか・・・
「ソバル、顔色が良く無いな」
「は!・・・お気遣い感謝致します」
「まあそう堅くなるな、これでも飲めよ」
俺は『収納』から体力回復薬を渡してやった。
ソバルは手に取ると不思議そうにしていた。
「島野様、これはいったい・・・」
「いいから飲んでみなよ」
ギルが促す。
「では・・・」
ソバルは恐る恐る体力回復薬を飲んだ。
「こ・・・これは!」
ソバルはみるみる顔色を変え健康な肌色に変わっていた。
「島野様、体力がグングンと回復しております!」
ソバルは興奮していた。
想像を超える現象に気持ちが抑えられないみたいだ。
お付きのオーガ達は何が起こったのか分からず挙動不審になっている。
「まあ落ち着けソバル」
我に返ったソバルは、
「はっ!失礼致しました。あまりの出来事に我を忘れて興奮してしまいました」
再度片膝を付いていた。
「それで、どうなんだ?」
「はっ!昨日あの後、儂なりにいろいろと考えておりました。ですが知恵熱を出してしまい。今日に至っております・・・申し訳ありませぬ・・・」
ソバルなりには努力はしたみたいだな。
ならば話を重ねようか・・・
その資格はあると俺は判断した。
まだまだお粗末だがな。
本当に手が掛かる。
「そうか、なあソバル、一つ聞かせてくれないか?」
「へい!何をで御座いましょうか?」
ギルも興味深々で話を聞いている。
「お前は昨日このゴブリンの村にやってきたが、それは何度目なんだ?」
「回数でございますか?」
「そうだ」
「ゴブリンの村にやってきたのは・・・初めてでございます・・・」
ソバルは下を向いていた。
「へえー」
ギルが漏らしていた。
「そうか・・・それは統治者としてはどうなんだ?」
ガバ!っと顔を上げたソバルは何か思い至ったみたいだ。
恥じている表情をしている。
「恥ずかしながら・・・」
ソバルは今にも消え入りそうだ。
「ソバル、教えてくれ。お前は俺に統治者を名乗った、お前にとっての統治者とは何なんだ?」
「・・・」
ソバルは答えに窮している。
また顔色が悪くなりそうだ。
「この世界が弱肉強食であることは俺も理解している」
隣でギルが頷く。
「・・・」
「それをとやかく言うつもりはない」
「・・・」
「でもな、統治者とは人の上に立つ者だよな?纏める者だよな?どういう想いでお前が統治者でいたのかを俺は知りたいんだ」
「・・・それは・・・纏める者だと・・・考えたこともございませんでした・・・滅相もございません」
ソバルの精一杯の回答だった。
正直でよろしい。
「ソバル、お前は名がある。誰が与えたのかは今はいいとして、お前は知性を持っているよな?そんなお前が何を考えているのかを俺は知りたいんだ。俺の言いたいことは分かるよな?」
「へい!」
ソバルは恐縮している。
「それでどうなんだ?」
「儂は・・・間違っていたと思います・・・オーガはゴブリンやオーク達とは違い、力ある種族でございます・・・特にゴブリンなどは相手にする必要が無いとすら考えておりました・・・今は・・・自分を恥じるばかりでございます・・・」
「そうか・・・お前は何を恥じているんだ?」
「今のゴブリン達は・・・ほとんど儂と変わりません・・・それにこの村はオーガの里よりも発展しております」
だろうな。
なにも腕っぷしばかりが力じゃない。
「そうか」
「儂は何処から間違ってしまったのでしょうか?」
知らんがな・・・自分で考えてくれよ。
「格下だと思っていた相手が、今では脅威でしかありませぬ・・・」
これが本心だろうな。
「それでお前が望むことは何なんだ?」
これが一番聞きたい。
「儂の望むことでございますか?」
「そうだ」
「儂の望むことは・・・このモエラの大森林の平和でございます」
其れが聞きたかった。
良い回答だ。
ギルも頷いている。
ならば。
「分かった。その望み叶えてやろう」
「左様でございますか?」
「ああ、お前はプルゴブと五分の盃を交わすんだ」
ギルが驚いた顔をしていた。
「それは・・・」
ソバルは窮していた。
「何だ?プライドが許さないのか?」
「いえ、そういう訳では・・・」
逡巡が感じられる。
「おいソバル、いい加減ゴブリン達を舐めないことだな、こう言ってはなんだがオーガがどれだけ強い種族か知らないが、今のゴブリン達ならお前達の里を滅ぼすことは容易いぞ」
これは事実だ。
この戦力差は覆せない。
「分かっております・・・」
ソバルは戦力差を理解しているみたいだ。
「それになあ、俺はこう思うんだ、武力に偏った統治は本当の統治ではない。お互いの理解を得ることが本当の共存なんだとな・・・それに統治とは一人の優れた者が作り上げる物では無く、皆で作り挙げる物ではないだろうか?俺はそう考えるんだが、ソバルお前はどう考える?」
ソバルが前を向いた。
その眼は輝きに満ちていた。
「その様なお考え、まったく至りませんでした・・・でもその未来は楽しそうでございます」
ソバルは理解できたようだ。
興奮した顔をしている。
「ゴブリン、オーガ、オーク、コボルトが手を取り合って発展していくんだ。このモエラの大森林に魔物の同盟国を設立するんだ、どうだろうか?ソバル」
「素晴らしいお考えかと!!」
「左様でございます!!」
途中から同席していたプルゴブも同意した。
「なるほどね」
ギルが声を漏らしていた。
「ソバル、後日でいいからオークとコボルトの首領を連れて来てくれ」
「へい!承りました!」
「あと、多分出来るだろうからするけど、ソバル。お前に俺の加護を与えよう」
「本当でございますか?」
ソバルの眼が爛々と輝いていた。
「ああ、どうだ?」
ソバルは平伏した。
「有り難き幸せにて御座います!」
「ソバル、その名を大事にするんだぞ」
俺から神気が流れ出してソバルを包み込んだ。
するとソバルが一回り大きくなり顔つきがシャープに変形した。
あらまあ。
昭和初期の任侠が平成の企業舎弟に早変わりだ。
「我が忠誠を島野様に捧げます!」
ソバルが片膝を付いて言った。
ソバルは溢れる涙を拭おうともしなかった。
その想いや如何に。
こうして俺の立ち合いの元、ソバルとプルゴブの五分盃の儀が執り行われた。
ソバルもプルゴブも誇らしげだ。
「これからよろしく頼む兄弟!」
「ああ、共にな!」
堅く握手を交わしている。
この出来事にゴブリン達は蜂の巣を突いたかの如く大騒ぎしていた。
全く、騒ぐのが好きな奴らだ。
でもこれまでは手の出せない様な存在が五分の兄弟格となったんだ。
嬉しくてしょうがないのだろう。
大興奮している気持ちは分からなくも無い。
「パパ、宴会やる?」
ギルからの申し入れだ。
「やるしかないだろうな」
「だね」
「さて、どうしようかな?」
「僕はピザを焼くよ」
「おおっ!ギル気合入ってんな」
ギルが万遍の笑顔をしている。
「まあね、だって嬉しいじゃないか」
「そうだな」
俺は大声で皆に聞こえる様に言った。
「お前達!今日は宴会だ!!」
「おおっ!」
「やった!」
「酒が飲めるだべ!」
また大騒ぎとなった。
ええい!騒げ騒げ!
もっと騒げ!
宴会は大盛況となった。
ここは大盤振る舞いだ。
南半球から日本酒を三樽用意し、食材もこれまで持ち込んでいなかった食材をふんだんに持ち込んだ。
メルルには迷惑を掛けてしまった。
メルルは文句を言う事無く、宴会用の食材を提供してくれた。
調理はこちらで行うことにした。
ゴブリン達も大興奮だ。
ソバルも日本酒に舌鼓を打っていた。
お付きの二人もたくさん食ってはゴブリン達と交流を深めていた。
こいつらには『ソモサン』と『セッパ』の名を与えておいた。
二人共ソバルと同じく企業舎弟風に進化していた。
結局オーガは任侠者のようだ。
エルとギルがせっせと食事を作っていた。
食事班のゴブリン達も忙しそうにしている。
「島野様、ずっと気になっておったのですが、あの風呂に入らせて貰ってもよろしいでしょうか?」
ソバルからの催促だ。
「何を言っているんだ?あれはゴブリン達の物だぞ、お前の兄弟に聞いてみろよ?」
「左様でございますか?おい兄弟よ、儂にもあの風呂とやらを使わせてくれんか?」
「好きにしてくれ兄弟、遠慮など無意味だ」
「そうか、ならお構いなく」
「ソバル、風呂で飲む日本酒はまた格別だぞ」
俺は徳利ごと渡してやった。
ソバルは嬉しそうに受け取っていた。
飲み過ぎるなよ。
「左様でございますか?それは楽しみでございます。ささ兄弟よ、共に行こうぞ!」
「ああ、付き合うとするか」
仲の良い兄弟になりそうだ。
二人は肩を組んで風呂に向かって行った。
ギルの焼くピザに大行列が出来ていた。
ギルの奴、また腕を上げたな。
というよりゴブリン達はピザに大興奮しているのか?
まあギルの腕が上がったという事にしておこう。
エルがここぞとばかりにカツカレーを作っていた。
ここも大行列だ。
張り合わんでもいいのでは?エルさんや?
ゴンは生徒達に捕まってここでも魔法教室を行っていた。
いいから、はよ飯食え。
御飯が冷めるぞ。
ノンはゴブリンの子供達と遊んでいた。
お前はそれでいい。
平和でなによりだ。
俺はというとゴブリン達からのお酌地獄に巻き込まれていた。
多くのゴブリン達が俺にお酌をしようと待ち構えている。
まさかの北半球でのお酌攻撃だ。
勘弁してくれよ。
もう南半球で堪能したからさ・・・
でも俺には・・・毒消しの丸薬があるからな・・・
フフフ・・・
あまり薬には頼りたくないのだが・・・
まぁいいだろう。
それにしてもこいつら本当に騒ぐのが好きなんだな。
ゴブリン達は食っては飲んでの大騒ぎだ。
魔物の性か?
まぁいいか。
やれやれだな。




