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ナツミワールドエンド

何年か前に課題でかいた話を手直ししたけど、当時何を考えていたか全く覚えて無い。


 1

 見慣れた道とは言うものの、道ばたに落ちているもの一つ一つに立ち止まっていた小学生の頃とは違って、道なんて誰もたいして見てなんかいない。見飽きた道というよりは、道を見るのに飽きただけだけれど、変化というものどこにでもはあるらしい。

 例えば時間。数年後ここに来れば光景も様変わりしているかもしれないが、いつもと少し違う時間に歩くだけでも変わるものがあった。

 不知火(しらぬい)(なつ)()は暴力が嫌いだ。

 積極的に関わりたいという人物なんて、想像もしたくない。普通に生きていれば、そんな世紀末的思想の持ち主に出会うことなど多くはないだろうけれど、できることならば今後一切関わりたくない。人生からもっとも縁遠いものであるべきだと確信している。

 ただまあ、生きている以上は、人間である以上は暴力というものと無縁というわけもなく。見えてしまうこともある。

 例えば、普段食べている食品。

 牛は眉間にキャプティブボルトを打って失神させた後、逆さ吊りにして喉を切り裂く。

 豚はどうだろう。電気ショックで動けなくした後に、胸を一刺し。

 鶏は、吊して、首を割いて、茹でて殺していたらしい。

 ()()()なんて、滅多にありつけないごちそうだけれど、()()()にだって色々と混ざっている。

 尤もそれらは必要な暴力だ。

 必要な行為だ。

 けれど今、目の前にある見慣れない景色に必要性はあるのだろうか。

 目に入れたくない光景だ。それもそうだろう、人類みんな痛いのは苦手だろう。みんなそうだ。そうに決まっている。

 ふん。痛みが好きなドM野郎なんて例外も居るだろうけれど、彼らは彼らで、痛みが好きだとか暴力が好きだとか、細かくめんどくさい偏食家の為に人としてみてはいけない。

 自分の子供と孫は目に入れても痛くないらしいけれど、きっと暴力的な子供はとっても痛い。

 建物と建物の影に幾人か。

 暴力に都合が良い隙間なんてものは、この町には設計段階から存在しないけれど、必要となれば場所に関係はないらしい。

 ないものは作る。そんな童心あふれるキャッチーな精神か、あるいは職人気質か。いやいや、邪心あふれた精神でDIYされても困るけれども。結局、ただ無い、だけでは抑止とななり得ないわけである。

 もちろん、夏美を含め、通学する有象無象はしっかりと、現場を目にしているわけで、というか普通に丸見えだった。

 即ち、路地の隙間は心の隙間である。


「気持ちの悪い」

 

 囲われているのは猫背で眼鏡と、見るからに弱々しい男。

 それをもっと猫背な金髪、縦横巨漢、短髪眼鏡、オカマ。彼らを強者と呼ぶには、ちょっと社会的地位が弱そうだけれど、不良学生みたいなカビ臭い奴らが集まって、後に起こることは一つ(リンチ)だけだろう。

 まったく、暴力の結果を考えないのは、幼児のような子供までであって欲しい。

 不良も子供みたいなものかもしれないけれど、それにしてはタッパがあって可愛くない。

 

(見ているだけでクラクラする。瞬きをしても良くなりはしないだろうな。目をつむっても結局何も解決しない。何より、私が見捨てるわけにはいかない)

 

「いいのかな。こんな人通りの多いところで、それも堂々と。何をしているのかは知らないけれど、いろいろと不都合なんじゃない」

 

 夏美は社会のゴミに声をかけた。かけられた方は初めは振り返りもしなかったが、どうやら本当に気がつかなかったらしい。何度も声をかけて、初めに気がついた金髪猫背が、ちょんちょんと巨漢の肩をたたく。振り返りざまに巨漢が金髪猫背の顔面に一発入れて、初めて夏美の姿に気がついたのだった。

 金髪猫背はすっかり伸びてしまって。それでもまだ背骨がねじ曲がり、鼻も曲がっていた。

 

「おいおい、おいおい。まさか、まさか、俺たちに言っているのか。不都合ぉだ。どこが、どんな不都合があるって。このらの道はな、学生しか使わねえ。何せ正確には学校の私道だからな。公道じゃないってこたぁ監視カメラもねぇ。ここでは何も起きてないし、今までも何も起きてこなかったのさ。これから先もな」

 

 巨漢は何を言われたのかはすぐに理解したあたり、悪である自覚はあるらしい。

 まさか声をかけてくる人が、それも女が居るとは思いもよらなかったみたいだが。だが女だろうと男だろうと、巨漢の行動コマンドに暴力以外の入力項目はないようだった。

 迷いもなくハムみたいな腕を振り上げ、それはスムーズに振り下ろされる。

 警告はない。顔もよく見ていないと言うのに、女の、それも顔にレッドカードをたたきつけるつもりらしい。

 

(ひぅ。野蛮人が。言葉でなんとかするつもりだったけれど、言葉すら通じない類とは。なんでこんなのが学校に通えているのかふしぎだけど。仕方なし。痛いのは嫌だけど、一発殴らせてしまえば女の子は社会的に勝てる。問題はその後どうやってここを切り抜けるかだけれど)


 暴力はもちろん嫌いだが、社会的な力を使うのは忌避感は少ない。

 もちろん言葉の暴力で打ちのめす事が出来れば、手っ取り早いのかもしれないけれど、そんなつもりも、言葉を理解できる知能があるようには見えないよね。

 

「おいおい、それはないだろ、デブ」

 

 ところが拳が顔に当たることはなかった。

 ケンカも運動も素人の夏美に、拳の振り抜かれる間に思考するだ瞬発力ががあるはずもなく。

 誰かが助けてくれたと思った夏美が、ゆっくりと目を開ける。

 夏美の想像していた、優男が巨漢の拳を受け止める場面はなかった。

 よく見ると、巨漢が血だまりができるほど、鼻からダラダラと流血していた。

 

「ほら、ぼけっとしてない。それが伸びてるうちに行くよ」

 

 首に傷のある長身の男の人が、夏美の手をつかんで走り出す。説明もない。なんだかよくわからないが助けられたらしい。

 

「待った。離して。男の子が居たはずなの」

 

 ここで逃げ出しても、彼を助けられなければ。夏美としてのわざわざ危険を冒した意味が無い。だが手を引かれるがままに足を動かして、気がつけば校門の前だった。

 傷の彼は少し考えるそぶりをしたが、興味なさそうに言った。

 

「ああ大丈夫、大丈夫。もう助けた、助けた」

 

「そんな適当な」

 

「じゃあその男の子はきっと見間違いだ。問題なし。しかし、私が居なかったらどうするつもりだったんだい。君はヒロイックな性格な訳じゃなさそうだし。ま、ともかくこれからは気をつけて。誰も守ってくれないよじゃあね」

 

 彼は嵐のように立ち去っていった。

 今更戻ったところでやることもなく。仕方なしに一つ目の、教室の席に着いたのだった。

 

 2

 

 夏美の一日は、その後何事もなく終わり、放課後。結果、中途半端な決意とモヤモヤだけが解消されずにいた。

 すべての授業が終わり、解放された学生たちは、おのおのの憩いの場で会話が始まる。夏美の元にも、数人の女生徒がやって来た。

 夏美のところに誰かしら人がいるのはさして珍しくはないが、これだけ多くの数。それも女性だけというのは珍しい。

 いや、どうやら向かってくる生徒の中にひっそりと二人、男も紛れていたのだけれど、その縁の一人、桐谷は、

 

「おまえらの、ガールズトークは想像の三倍グロいからまた今度な」、と手を振って。もう一人の黒田を連れてどこかへ消えたのだった。

 整列券が必要かと思う群れであるにもかかわらず、期を伺っているのか、ちょっとした沈黙があったが、誰かが口を開けば、他愛のない会話が繰り広げ始める。

 

「夏美ちゃん、申し訳ないんだけど、この課題の答え、見せてくれないかな」

 

「いいけど、こういう問題は自分で解かなきゃ意味がないよ」

 

 常習的に、夏美の課題を見に来る女の子に呆れるも、快く課題を貸し出して、一通り人の波をさばいた。ところが今日は少し様子が違う。たわいない用事を終えたその後も、なぜか夏美の視界の隅に待機している様子だった。

 もはや恒例となった、この放課後の人だかり。数の多さに辟易するけれど、最後の一人までしっかりと、親しみのある笑みで向かえる夏美だった。

 ところが、その最後の一人。まぶしい笑顔と対照ほどじゃないが、渋い顔というか少しゆがんでいるというか、待たされた彼女はわかりやすく不機嫌だ。


(みなみ)ちゃん。そんな顔してどうしたの、急ぎの用だった」

 

「どうしたのじゃないわよ。柏木達とトラブルがあったんでしょ。大丈夫、怪我はない」

 

 夏美は柏木という名前に覚えはなかったが、「ああそのことね」と返す。すぐに巨漢達の誰かのことだろうと察しが付いたからだ。

 今日、夏美が通りかかるまで、誰もが見て見ぬ振りをしていたはずだけれど、不良達本人が居ないのならば、見ぬ振りを徹底するはずもなく。噂という形で、速くも学校中に広まっていた。

 

「大丈夫。へえ、柏木って言うんだ、名前。そんなことよりも首元に傷跡のある背の高い男の人を知らないかな。この学校の生徒だと思うのだけど」

 

「首に傷。知らないわ。夏美ちゃんが知らないなら私も知らないよ。夏美ちゃんは仲がいい人多いし。ただ、つい2、3日前、なんと他のクラスに転入生やってきたらしいよ。その人なら夏美ちゃんが知らなくても不思議はないと思うけど」

 

 今度、探してみると答える夏美だったが、その実、今すぐにでも探しに行くつもりであった。

 そんな心中を知ってか知らずか、南は周囲の声を聞こえたのか、小声で話し始めた。

 

「何の用があるのか知らないけれど、わざわざ知らない男なんて探すこと無いと思うよ。あいつらなんて、かわいいとか、天使だの言ってるけど、外観しか見てない、下半身に脳みそが付いてる生き物だよ」

 

「過激だね、南ちゃん。けど南ちゃんも桐谷君は信頼しているでしょう。男の人だからって偏見を持つのは良くないよ」


 何でもかんでも、そう色恋に結びつけるのは。誰よりもそれを意識しているからだと、指摘するべきだろうかと夏美は思う。

 何にせよ

 

「あいつはただ馬鹿なだけよ。それとこれとは話しが別」

 

 どうにも、今から探しに行く空気ではなくなってしまったが、それは後回しにする理由にはならない。夏美はかすかにため息を漏らしつつ、笑顔で席を立った。

 そんな会話を経て、いらぬ心配した南と、夏美が興味を持った男の人とはどんな人なのだろうかと、野次馬がすぐに群がる。

 その会話に興味を持った、と言うより勘違いした、それこそ下半身に脳みそのついた、男女、その他大勢を引き連れて、捜索活動を開始した。

 途中、顔を包帯でぐるぐる巻きにした、ミイラのような男と遭遇したような気もするが、まさか学校に面白い感じに重傷な人が居るわけもなく。アンデットというよりは乙女チックな悲鳴をあげて、どこかに行っってしまった。

 悲鳴をあげたくなるような、鬼気迫る何かがその軍勢にはあったが、軍団の主も気持ち困り顔である。

 夏美は当然笑顔のままで、冷や汗一つかいていなかった。そんな様子が、更に軍団の関心を寄せる原因になっていたのだけれど、心の中は一色で分かりやすい。

 

『どうしてこうなった』

 

 恩人の様子を少し見るだけのはずが、どう収集をつけようかと、考えを巡らせていると、件の首に傷のある長身の男が現れた。

 野次馬の野次馬を吸収し肥大化していく群れ。

 統率者不在の飢えたライオンの群れだったが、集めてしまったのはのは夏美。噛みつくのはいつなんだという、肉食獣の視線を背中に感じつつ、口から出た初めの音ははちょっと震えていた。

 

「今朝、君に助けてもらったよね」

 

「ん、ああ君か。君は色んな人と友達なんだね」

 

 何かしらの語弊が生じた気がするが、間違えではない。

 このできあがったカオスを否定しても、もっとややこしくなるだけであろう。ともかく、当初の予定を済ませることにした。

 

「そ、そうなの。私は夏美って言うのだけれど、あなたの名前を聞いてもいいかな」

 

神食(かみはみ)神食(かみはみ)(あらた)

 

 神食という。夏美の聞いたことのない名字。見たことのない傷跡。とても大きな傷跡は、やけどのような普段の生活でつくものには見えなかった。不思議な転入生だ。

 

「かみはみ君ね。今朝はありがとう。おかげで助かったよ」

 

「別にかまわない。いずれにしてもデブをどうにかしていたことに変わりは無いし。そのことをわざわざ言いに来たのかい」

 

「うん、お礼がしたかったし、せっかく学校に通っているのだから、みんなと仲良くしたいなって」

 

「ふーん」と神食は相槌をして、夏美の隣の少女と、背後に構える群れを見る。

 思わず視線を神食に返した彼女らは、少し怯える。神食は怒っていない。無表情でもない、けれど何を考えているのかわからい。そして察する、神食と自分たちの空気の違いを。

 彼女たちが覚えたのは、未知に対する恐怖だったのだろう。

 それを彼女たちがしっかりと自覚することはない。

 

「君のお友達も、私に用があるのかな」

 

 間違いなく用があるのだろうが、夏美は後ろの怯えきった肉食獣達を拗れないうちに帰らせることにした。

 正直、今にも負の方向に、自棄糞で爆発しそうな彼女たちに、カオスをぶちまけられてはたまらない。

 初めから最後まで夏美にとって邪魔だったが、それでも同じクラスメイトとその友人。無下にするわけにも行かなかった。

 

「みんなは、私が神食君を探す手伝いをしてくれるよう私がお願いしたの。ありがとうね、みんな手伝ってもらっちゃって。えへへ」

 

 笑みをうかべて、取り繕う。トラブルはあったが無事、当たり障り無く終わるはずだった。

 

「君つまんないね」

 

 へし折るように。

 

「今朝はなかなか見所のある、ピーターパン症候群と思ったが、がっかりだ。そんなブリキの兵隊を何人集めたところで、飾り物にしかならないよ」

 

 神食の言葉に、誰もに訪れる静寂、そして混乱。どうしようもなくやって来た混沌は、夏美の言葉を盗み聞きしていた()()たちは、今にも掴みかからんとしれいる。

 女子の塊に入るのが恥ずかしいからと、盗み聞きをしていた男共。

 よほど、夏美を罵られたのが癇に障ったらしい。

 飛び出したところで、夏美が喜ぶかも、神食に触れるかも別の問題。あの巨漢を容易くノックアウトしたぐらいだ、少し運動が出来るぐらいの男達が、敵うわけがない。

 暴力の匂いがする。

 ゴクリと喉を立てた夏美。

 爆発の3秒前。

 バンッ。乾いた音が鳴り響いた。

 誰よりも先に切れたのは夏美の隣にいた南だった。手をこれでもかと振り抜いて、そして受け止められている。

 

「最低よあなた。助けたんだかなんだか知りませんけど、夏美さんがわざわざ会いに来ているのに、さっきからつまらなさそうに相槌だけ打って、気もそぞろ。挙げ句の果てには、君つまらない。一体何様ですか」

 

 まくし立てる南に、神食は今まで最も長く、「はぁ」と、ため息を一つ吐く。南の石のようになった右の拳を懐まで引きこみ、手首のあたりをつかむと、南の拳を解いていく。

 見ようによってはセクハラのようだったが、今回は神食が被害者だ。彼は胸ポケットからペンを取り出すと、なにもできないでいる南の人差し指にそれを当てて、ハンカチで上から結んだ。

 

「満足したかい。頭は冷えたかい。覚悟はあったのかい。友人のために、本気で怒れる、君の方がよほど面白そうだけど。あまりにも見当外れな怒りだね。今回は君の友情に免じて、後ろの彼らも見逃すことにするよ。


 見逃す。今朝の巨漢のように、殴り倒すつもりだったのだろうか。悪意や殺意もなく、ただ事務処理のように暴力を振るって。

 

「今はアドレナリンでわからないかもしれないけど、この指、折れてるか、罅入ってるよ。保健室があるのかは知らないけど、病院には行った方がいい」

 

 神食は満足したようだったが、区切った後に付け足した。

 

「あっと。ケンカを売る相手はよく考えるべきだ。シェルター生まれには厳しいかもしれないけど、私に刃向かうなら。次は殺すぞ」

 

 神食は放心する人の間を縫って、いつの間にかに居なくなっていた。

 饒舌に語る神食の南を気遣う言葉で、我に返った夏美は南を保健室に連れて行った。

 主役が2人居なくなり、うやむやになったこの事件。なんてことのないきっかけで起こった出来事だったが記憶には残る。

 神食の言葉に当てられてか、皆が皆、内に何かを秘めることとなった。

 

 3

 

 学内での南と神食の邂逅は、数日の間さらに注目される事となった。この出来事の主役は本当は夏美だったわけだが、南と傷の男の衝突として学校に広まる。

 何せ、めったに大事にならない暴力沙汰。尾ひれはひれをつけて、そこかしこを一人歩きすることとなった。

 ところが、南はともかく、その話題の首元に傷跡のある男は探せど見つからない。同じ学校に通っているはずなのにもかかわらず、なぜか目撃情報は無かったのである。

 そんな事もあり、大きな熱を持って賑わせた事件は、瞬く間に消費され、わずか数日で忘れ去られたのだった。

 その理由の1つに、大きなイベントが直後に控えていたというのもあるかもしれない。

 それ自体は素晴らしく、希少な体験をできるものであったが、準備に取りかからなければならない事は多く、歓迎されない類いのイベント。楽しみにしていた生徒は少ない。

 夏美もまた、多忙でイベントに振り回されていた。


「なんでこんな所に」

 

 b7自然地区。靴跡1つ無いどころか、人の手が一切介在していない。自然豊かな森だ。

 無論、元々はすべての木々一本一本を人が植えた歴史があり、森も太陽も川もすべて外部からAIで管理されている。b7地区も他の自然地区に例外なく、普段は立ち入り禁止区域に指定されている、自然保護ブロックの1つだ。

 なぜそのb7自然地区で、木々を縫うように生徒が蛇行する列をなしているのかと言えば、今日が特別研修の日だからである。

 今日限り、特別に進入が許可されるそこは、住民区画、研究区画とは違い、人間以外の動物が、生態系を構築しているエリアであり、その大部分を森林とで構成されている。

 研修とはこのb7自然地区でのキャンプであった。

 いち早く、テントを設営した夏美達は4人1組。

 夏美と共に身を潜める彼ら3人はこのイベントを楽しみにしていた例外と言うことになるだろうか。


「よし、それじゃあ準備はいいな。南、黒田、夏美」

 

 力に満ちた桐谷の声に比べ、いつもよりも低い声で黒田が言った。


「本当に行くのですか。あるかどうかもわからないただの噂ですよ」


 数日前。皆、野営の設営方法や探索ルートをグループごとに話し合っていた。真面目に取り組んでいる人のほうが少ない、形ばかりの準備期間で、それぞれ雑談で名目上グループの友好を深めていたが、どこからかこんな話が聞こえてきた。


「どうやら、僕たちが行くb7、点検用通路のどこかが古代の遺跡につながってしまって、そこからオーパーツが持ち帰られたらしい」、と。

 その言葉に特別強く興味を持ったのが桐谷であった。


「今更、何を言ってるんだ。この間の大地震でほとんどの自然地区で崩落が起きているのは本当なんだ。構造からして自然地区は崩落しやすいって言ったのはおまえだろう。他のブロックで報道されていた、軽微な崩落がこのb7だけ報道されてないんだぞ、絶対に大人達が隠したい何かがあるに決まっている」

 

 簡易ベッドに腰掛けた南は、いまいち乗り気れない黒田に告げた。


「もう諦めなさい。こうなった桐谷は何を言っても無駄よ。桐谷を煽った数日前の自分を呪いなさい」


 そんな経緯で、彼らは生物探索へ行く振りをして、オーパーツを探す冒険を始めるべく、順番にテントを出た。

 当然、夏美も道連れだった。

 最後にテントを出た夏美の前に居たのは、見覚えのある人物だった。

 

「やあナツミ。女の子のテントはあっちだよ。夜にはまだ早いどころか、昼間だけれど。君たちは、何というかとっても元気だね。お楽しみにはまだ早いんじゃないかい」


 首に傷のある男。神食に違いなかった。


「違うわ」と真っ先に噛みついたのは南。南は先日の件もあり、即座に沸いた。無神経にも何の話だと尋ねる桐谷にも、「ついでに死ね」、と怒鳴る。


「冗談だよ。通りがかりに興味深い話が聞こえてね。君の冒険精神はとても好ましいけれど、個人的な意見を言うなら、君たちはそこに行くべきではないな。君たちの見るべきものでは無いよ。まやかしも、偽りも、そこには大抵理由がある。そうあるべきだ」


 桐谷は首に傷跡のある男の話を聞くつもりはなかった。

 誰に言われようと話を聞くつもりは毛頭無かったが、秘密の計画を盗み聞きされたのが癪だったったからだ。

 もっとも彼がこの話に興味を持っているのは、クラスメイトであればバレバレであったし、気がついていないだろうが桐谷は大声でこれを探すことを宣言すらしていた。

 つまり桐谷とは、そう言う性格の男である。

 

「なんだってそんなことをお前に言われなくちゃならないんだよ。あっち行け、シッシッ」


「なぜかと言えば、君たちには危険だからさ。ナツミのことはともかく、君みたいなのは嫌いじゃないからね。悪く取るなよ。ただの忠告だって。まあ、それ以外の理由がないわけじゃないけど……ほら、森のかおり、湿気、空気、未知の動物、君たちは遺跡なんかよりも見るべきものが一杯あるだろう」


 ガルルルと威嚇していた南は正気を取り戻すと、少し気になるところがあったのか神食に尋ねた。

 

「探したって見つからない神食君じゃない。言いたいことはいろいろあるけれど、まあいいわ。それより、行くべきじゃないってどういうことかしら。ただの噂話、何もないかもしれない。何かあったとしても、オーパーツと言えば聞こえは良いけど、ようはただのガラクタじゃないの。それのどこが危険だと」


「ただのガラクタも、人によっては金の価値があることもあるさ。詳しくは言えないが。それにガラクタだって、それを守る竜が強力な事もあるさ。冒険風に言えばね」


 その言葉は、桐谷を止めるにはその言葉は逆効果であった。

 

「へえそれは、なおさらやる気が出てきた」

 

 それどころか、黒田も本当に何か価値のあるものがあるならばと、やる気を出し始めたぐらいだった。

 首に傷跡のある男はなにかを諦めた様子でぽつりと言った。

 

「井の中の蛙は大海を知らず、そして空の青さも知らず。しっかり地に足を着けていれば、そんな蛙を見ておたまじゃくしが大地を目指す。ただそれだけで良いんだ。それが君たちが望んできた結果なのだから」

 

「つまりどういうことだよ。その、かわず、が何だって言うんだよ」


「桐谷。かわずってのはかえるのことですよ」


「なんだよ初めからそう言えよ。なんだかよく分からないけどよ、ともかくこんな千載一遇に、ボウッとしているなんて出来ないね。行こうぜ、黒田」


 桐谷はどこかに向かって、きっとまだ見ぬ噂の穴に向かっていつもより半歩速く歩きだし、南がいつにも増して早歩きで追いかけた。夏美も南の後を追いかけようとしたところで、黒田が去り際にこそこそと神食に話すのが聞こえた。


「ごめんな神食くん。桐谷はいつも話なんか聞きやしないんだ。けれど、だれもが、ここにいる皆、おまえにそんなことを言われても素直に聞けないとおもうよ。暴れん坊の髪は神食くん」


「おーい。黒田、不知火、早く行くぞ」


「分かってる。行こう不知火さん。不知火さんだ桐谷」


「うん。じゃあね神食君」


 夏美は、いつも伺っているはずの周りの顔を、この時ばかりは見ることができなかった。一歩一歩はぬかるみのようにのように重く、どろりとまとわりつく。

 端末にマークした、点検用通路の予想位置を目指して進む一行。

 その遺跡とやらがどこで露出したのか、一行は皆目見当がつかなかったが、点検用通路の入り口の位置は一般公開されていた。

 点検用通路はこの自然地区内外に張り巡らされた地下通路の1つ。

 他にも、様々な道があるらしいけれど、異立ち入り禁止にも関わらず、入り口が公開されている通路もこれぐらいだった。何せ、火事みたいな想定外のトラブルが起きたとき、外のブロックに逃げ出すにはこの通路を使うほかない。

 緊急時のみは通路の利用を、一般人も許されていた。

 通路はどの入り口から入っても、全てつながっている。b7点検用通路のどこが崩落ししたのなら、放棄された入り口近く。点検されていない点検通路の可能性が一番高かい。


「しかし、どこだろうな、その通路の廃棄された入り口ってのは」


「記録によればこの近くのはずですけど、それにしても険しい道ですね。いや道も何も無いのですが」


 通路の入り口は当然、電子的にロックされているが、これまた都合の良いことにここは旧式の錠で止められているとか。廃棄されてる以上、押しても引いても簡単には開きはしないだろうが、カメラやセンサーによる監視もないはずである。


「黒田。あんた、私と夏美ちゃんをこんなに歩かせて、これでそんな入り口なかったら、どうなるかわかってるんでしょうね」


「まあ、まあ。そもそも遺跡があるかわからないのだし。もし入り口が見つからなかったり、開かなかったりしたら、普通に動物を見て帰ろうよ。ほら見たことがない動物がたくさんいるよ」


「正直、これ以上は勘弁したいわ。もしそうなったら、黒田一人に散策してきてもらおうかしら」


「ええ」という悲鳴が後方から聞こえたが、3人が振り返るとそれとは女性のような悲鳴が響いた。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁ。なんだこいつ」


 木陰から、「ヴォオォォム」という低いラッパのような音が鳴った。まだらに縞 模様の、人ほど巨大な猫が現れた。


「ははっは。ダッセーな黒田。ここの猛獣は人を襲わないって。しかしこのでかい猫はなんていうんだろうな」


「えーと確か、トラ、だったかな」


「さすが夏美、頭いい」


 他の自然保護ブロックと違い、このb7自然地区では人間を攻撃できないように調整された、改良品種のみが生息している。


「友達の家にいる猫と似ていたから、何度なく覚えてたんだ。家にいるペット以外に哺乳類初めて見るよ。かわいいね」


 黒田はトラにまたがれながらまくしたてる。


「これのどこがかわいいんですか。でかくて、獣くさくて、最悪です」


「でかくてかっこいいじゃねえか。ほら、どっか行ったぜ。立てよ」


 桐谷が手を伸ばして腰の引けた黒田を引き上げる。すると南が「これ見て」と指 をさした。


「ここだけ草が避けて、道になっているね。さっきのトラはここを通って行ったのかな」


「せっかくだしここを通って探してみようぜ」


「うん私もそれがいいと思う。みんな疲れているし、できるだけ歩きやすい場所のほうがいいよ。もしかしたら、入り口の近くまでいけるかもしれないし」


「桐谷に従うのは癪だけど、私も夏美に賛成。これからどれだけ歩くのかもわからないのに、こうも足場が悪いと歩きにくくてしょうがない」


 普段、学校のような、意図的に不便に作られている場所に行くとき以外、あまり歩かないのが祟てか、不安定な自然の地面に疲労していた。

 既定の運動は、全員ジムでこなしているものの、動く床を走るのと、草木の茂った森を歩くのでは、勝手が違う。良い装備も宝の持ち腐れである。

 普段は教師たちだけがモノレールに乗って学校に来ることに、不平不満を抱く彼らが、唯一歩いていてよかったと思った瞬間だった。

 不便には目を瞑る夏美としても、それでも本来、警備のために僻地作られた学校だからこそ、監視の穴があると言うのは如何なものかと思っていた。

 自然の道に対して垂直に進んできたため、通るにしても右か左かと意見が分かれたが、黒田がトラが去った方の反対が良い言ったことで行き先は決まった。

 トラの住処だろうか。

 いかにもな洞穴があった。自然の者に見えるが、この地区に本当に自然なものなどない。ライトで内側を照らすと特定の壁面パターンが連続していることが分かる。

 そしてその洞穴の壁面の一部が透明なガラスのようなものになっていた。

 これこそが目的の入り口だった。


「やっぱり完全に機能は停止してるみたいですね。これで勝手に開いてくれていればもっとよかったのですが。当初の予定で行きましょう」


 黒田はおもむろにカバンから、テープを取り出してそれを扉に張り、さらにその上にシールを一枚張り付けた。四人は洞窟から離れ、黒田が端末に番号を入力すると、微かに洞窟から煙が漏れてきた。


「それじゃあ、行こうぜ」


 中に戻ると、透明な扉は、テープを張ったところでドロドロに溶けて焼き切れていた。ブリーチングテープ。素人でも安全に壁を破壊するための道具だ。どこからくすねてきたのやら。テルミット反応とも違う、最新の高熱を発生させる技術が使われているらしい。

 ライトで中を照らすと、その先には階段がどこまでも続いている。廃棄されているためか、無理やり侵入したためか。警報ランプもついてはいないが、明かりもつきそうにもなかった。

 そうして四人は底なしの暗闇を下りていくのであった。


 4


 雑多な足音が細道に響いて、薄暗さと重なってか、少し恐ろしげだ。

 橙の光源が弱々しく照らしているのは、電力の節約と金銭の節約のためか。雑多な足音というのは、前を進む3人と夏美の足音なのだが、どうにも後ろにもう一人いるのではないだろうかだと振り向きたくなる。あるいは向かいから誰かが歩いてくるのでは無いかと感じがしてくるのだった。

 他の3人が無反応だから、夏美は考えてしまっているだけなのだろう。だが、微妙に湾曲した通路のせいか、出口も入り口も見えないものだから、先の見えないというのも不安を加速するというものだった。

 ともかく、一人で歩くのは精神的にも、安全的にもはばかられるが、なるべくなら先頭を行くのも夏美は勘弁したい。

 まあ、その心配はいらないみたいで。彼らはとても元気が良い。

 皆、森の時よりも元気そうなのは、しっかりとしたコンクリートの地面を歩く感触に感謝しているらしい。

 夏美は1人、森の方が100倍マシだったと考えていたのだった。


「ここらの通路は本当に迷路みたいだよなあ。まるで人を迷わせるために作ってあるみたいだ。いや迷わせるために作ったに違いない。なんせ俺は迷っている」


「そんなわけ無いでしょう。何故、いつもそんなにも自信満々なのですか、桐谷」


 空元気かと思うほど、やけに陽気な桐谷君は、こういうシチュエーションは苦手なものだと思っていたけれどそうでもないらしい。ツッコミを入れる黒田の方が元気がない。

 先の見えない不安というのは、何もオカルトチックな想像だけなく。噂話を頼りにここまで来たものの、現在座標がどこなのかも分からず、転がっていた地図を拾う幸運(クリティカル)が起こったとしても入り口にすんなり戻ることもできやしない。

 記憶が薄まる前に、来た道を引き返したいところだけれど、そんな空気ではなかった。知らない誰かも、移籍の確認をして帰ってきたはずだと、訳の分からないことを言っているぐらいである。


「せめて端末が使えたらなー。昔の中継基地の一つや二つどころか、明るい道ですら、回線が引かれていないとは誤算だった」


「こんなことなら事前調査で地下通路の道も調べておくべきでした。普段使われていないとはいえネットワークにつながるものだと思っていましたが、ここに潜る人はどうしているのでしょう」


 明かりがついているために現在も利用されている通路に合流していると考えていたが、いまだ廃棄されたエリアなのかもしれない。もしくはここを利用するときはオフラインでも利用できる地図を用意しているのかもしれない。だがもうそれを確かめるすべはない。


 桐谷が突然、止まれ、と静かに鋭く言った。どうしたのと南が尋ねるが、夏美はその理由が聞こえていた。


「聞いて、誰かの声が聞こえるよ。誰かが探しに来たのかな」


「そんな馬鹿な。2日は各々行動だぞ。そんな早い訳がない。こんな時に点検か」

 焦る3人に対して、夏美にとっては、どちらにしても幸運。


『引き返せ』


 背後から何者かの声が聞こえるまでは、幸運だと考えていた。反響しぼやけた声、夏美以外は聞き取れたのか。静止でも、確認でもなく、忠告。それは彼らの想像の外にある何かだった。


「走れ」


 恐怖に駆り立てられ駆け出す。

 桐谷の命令に従って。

 背後は誰も見なかった。否、見られなかった。

 そう、可能な限りのすべてを逃走という行為に費やした。

 故に気が付かなかった。

 命運を分けることとなったのだ。

 もし後ろを見ていたら、もし正常な判断をしていたら、もしここにやってこなかったら、もし噂を信じなかったら。もし、足音の変化に気が付いたら。

 カツ、カコンコココンコン っと。

 鳴り広がる金属音。

 最後尾を行く4番目。


「キャアアア」

 

 夏美の悲鳴はあまりに小さかった。

 桐谷達は振り返らない。

 茶色く染まった金属板が、人一人を飲み込むのに十分な黒い穴を開けて。夏美も、その悲鳴すら飲み込まれて、気がついたころには、そこには誰も居なかった。


 5


「いたたた。みんな」


 夏美の声に反応するものは何も無い。暗闇の中かび臭い埃が舞うだけだった。鞄の中をまさぐり、細い棒を見つけるが、取りこぼしてどこかへ転がる。ざらつく地面の不快感を無視してそれを探すが、なかなか見つからない。

 急に手の平が地面の感触を失って前転するように落下した。

 不幸を呪う夏美だったが、幸運なことに、落ちた先で急に明かりが出来た。背中が猛烈に痛みを訴えているのは、探していた棒がその位置にあったからのようだ。

 五分程度悶えた後に、夜間活動用の、懐中電灯で辺りを照らすとそこは両側を長い椅子で向あわせになった通路だった。上を見るとそこだけ天井が朽ちて穴が開いていた。

 端末での通信を試みようと、取り出すが破損した液晶に時計が映るだけでうんともすんとも言わない。もっとも、端末が動いたところで、画面の表示を見る限りは圏外のようだ。

 

「最悪だ。クソ。こんなことならあんなガキども教師に突き出せば良かったか。いや、ブランディングはともかく、南との関係に亀裂を入れるのは避けたかったから、仕方がないか。それにしてもここはどこだろう。この長い椅子。こんな狭い通路に並べて、何のための場所だろうか。何もわからない、クソ。クソ」

 

 端末の唯一残った機能、時計を見るとあれから2時間巻き戻っている。当然、夏美が落ちた先で、机の引き出しで青い狸とすれ違ったわけでも、押し入れでコロッケが好きなちょんまげとめがねの少年に出会っていない。よくよく見るとAMからPMに表示が変わっている。夏美はどうやら落下と同時に気を失っていたらしい。

 通路の両脇には硝子窓が並んでいたが、その先にはさらに壁があった。蹴ってみるが割れそうにない、その後すぐに外側へとつながる両開きの扉を見つけて、人が開けることを想定していないのが、ずいぶん苦労したが外へ出た。

 砂利の敷き詰められた地面には金属のレールが二本が平行して伸びている。よく見ると室内だと思っていたそれは何かしらの車両で、レールの上を車輪で走る作りのようだ。


「こんな作りじゃ大量運搬には向いていないと思うけれど。リニアではなくて車輪を使った人の運搬装置、もしかしたらここが遺跡かな。ということは、これは遺物か」


 どうやら目的の場所にたどり着いていたらしい。ところが光線銃のセキュリティーも、超音速滑走体やテレポーテーションのような高速移動装置もあるようには思えない。妖精の国や、黄金郷にしてはずいぶんと鉄と埃とかび臭い。マッドサイエンティストの隠れ家でもないだろう。噂は当てにならないものだが、想像に0.01をかけてちょうど良いぐらいの神秘性だ。


(やっぱりオーパーツではなくただの旧時代のガラクタ遺物だね。しょうもない鉄くず。こんなもののために、こんな目に遭ったと思うと泣けてくる)


 ふて腐れていても誰かが助けてはくれないだろうと、運搬装置の上によじ登てみるが、落ちてきた穴には届きそうもない。高所から照らしても出口らしきものは見当たらなかった。


「そうなると、前か後ろどちらに進むかだけかな。正直どっちでも良いけど」


 とりあえず前方に行こうかと砂利で塚を作っている途中、小さなくぼみが等間隔に見つけた。靴跡かと思い背後を見てもそんな跡はなく、試しに強く踏みつけつつ歩くと似たような跡ができあがる。

  夏美を探すためにどこか別な場所から降りてきたのだろうか。だとすれば運搬装置の上にいる私に気が付かなかったのだろうか。

 そうなれば点検用通路に続いているのは誰かが歩いてきた方向、前方だろうが、合流するならば後方に向かうべきだろう。三角形と言うにはちょっと不細工で、楕円がいいとこだが、塚を前方に向いていたのを崩して、逆三角形を作り直すと、後方へ向かって歩き始めた。

 一本道でこの靴の跡もあれば目印は必要ないかとも思ったが。目印を見て夏美を探しに来る人が以内とも限らず。レール上を少し進んでは立ち止まって目印に砂利の塚を立てながら歩いた。

 今まで永遠と続いていたトンネルだったが、連続した同じ場所から進めていないような感覚に陥った頃、壁のない場所までようやくたどり着いた。

 目線の少し上のあたりが広がりになっている。足跡もそこでよじ登った跡があり、それに続いてよじ登ろうとするがうまくいかない。手の平の切り傷に耐えつつ、砂利を積み重ねてやっとのこと上に上がったが、そこで目についたエレベーターらしきものの扉はやはり開かない。

 エレベーターのそばには緊急用であろう細い階段があった。

 それ以外の道は、レールの続きしかない。足跡がここで途切れていることからも、階段を上ったのだろう。


「それにしても私が落下した位置と随分違う位置まで移動しているようだけど。端末が使えないししょうがないか。合流しても連絡はつかないことを考えると大人しく一人で野営まで戻ったほうがよかったかな。どうせ居ても居なくてもそんなに変わらないし」


 25回ほど階段を折り返して、後半は折り返すたびに休憩し、踊り場で仮眠すらとったが、ようやく上ったところで見たこともないほど広い、壁がどこにも見えない誇大な空間にたどりついた。


「このにおい、森」


 b7地区に出たのかと思ったが、空には見たこともないような巨木が立ち並んでいた。

 薄白い何かに隠れた星空が森を照らす。


(人口太陽でも、夜でもないじゃない。どういう天候設定なの。ここは、ここはいったいどこよ。クソッタレ)


 巨木はどれ樹皮を見せて、寒々と並んでいる。

 地面はふかふかと不気味に沈む場所もあれば、堅く砂が舞うところもある。足跡の一つでも残っていてもおかしくないが、歩き回っても見つけることはできなかった。

 しばらく散策したが。何も見つけることはできなかった。階段の出口があるところまで戻ってきたが、今すぐにこの長すぎる階段を下るのは心が折れる。


 そこは未知なる世界だった。未知の植物、未知の動物、未知の空、未知の空間、そして未知の衝撃。


 そして、道の感覚が夏美を襲った。どろりと、重く、ジメジメとした。水の中を進むような空気。まるで体が石に覆われたかのようだったが、それは長く続かない。

 枝が次々に折れるかのような音がして、見上げた空を覆い隠す、反った背中、四つの足。巨大な獣のシルエットが月を喰らい、息を止めた夏美の目の前でたった今、放

たれた四肢が雷のように突き刺さり。階段の出口が崩落した。


 5


 夏美は走っていた。

 はしたなく。

 思考もままならないほどに。

 

『今の状況を説明するよ。

 

『簡潔に言うととても絶体・絶命☆。


『別に彼氏が出来ないだとか、女の子としての尊厳を失いそうだとか、貞操の危機は無かった普通に生命の危機だとかそんなんじゃ無いよ。普通に生命活動が終了寸前だぞ。

『此畜生が。


『どこで何を間違えたのか。いや間違いなくここ最近の行動すべてが間違いだったわけだが、夏美は今枯れ木の森の中全力疾走していた。ヘルプミー』


「ああ、し……すし、すぬ、しぬ、これ以上走ったらもう死んじゃう、止まってもすぬ、穴増えてしぬ、おう゛ぇおろろっろろろおろろろ。くそ、ちくしょう、こんな状況誰かに見られたら恥ずかしくて死ねる、誰も来ないで、いやうそ、だれでもいいから早く助けて。おねがうう゛ぃえぇぇ」


 まさに満身創痍。

 両の手を仲良く、死ぬほど合わせてみようか。神にでも祈ってみようか。

 何せ、死ぬ気で押さえなければ血が流れ出ている。

 夏美の命が流れ出ている。

 

『いやそんなはずはない。元気元気。


 空元気だった。

 手の片っぽに腹にデカい穴が開いてる気がするが、きっと気のせいだろう。

 ちなみに地面が左右にブンブン振れるのは、首の先に付いてるボーリング玉みたいなのが重くて首が立たないからである。

 とても元気とは言えやしない。


(そろそろ付いているのか付いていないのか分からなくなってきた方の手の首の先を見る勇気が無いけど。それ以上に後ろを見たくねえ)


 致命的な状況に限って、馬鹿な考えが次々と浮かぶのはなぜだろうか。

 夏美としては頭が回っているようで、全然回っていなかった。

 全力疾走と言うよりは限界疾走してると、全身の感覚がひりひりと突き刺すよう鋭くなる。

 靴の裏側の様子をつま先が全て教えてくれる。土、木、土、ぬかるみ、石、痛い、鋭利な石。そんなものが分かったところで、なんの役にも立ちはしない。

 いや、冷や汗が出る間を、覚悟する間を与えてくれたみたいだ。

 大地のヌルヌルとした違和感を、足先が脳に知らせる。

 違和感も後の祭り。

 晴れの日の枯れ葉と腐葉土は、雨の日の森と同じぐらい滑るが、レースサーキットに落ちてるバナナの皮ほど視覚的にわかりやすくない。

 見てから避けられやしないのだ。


「フベ」

 

 夏美は顔から地面に着地する。

 ゆっくりと、着実に。なんとか地面が立ち上がったと思うと、次の光景は、なんだか赤黒い空間に、白くてぶっとい血の滴る立派な鋭利なヤツが並んでいる。


「これで終わりか」

 

 鉄のインゴットで殴られたみたいな衝撃と音がやってきて、なんだか青白いのが二回見えた。ギロチンで首から下がとれたと思うほどの勢いで、ボールになったのだろうか。

 

「ああ、空を飛んでる」

 

 気がつけば、まだ五体満足ではあったらしく、あんなにも熱かった全身が冷たくて、真っ赤に染まると無音の世界が正面からやってきた。

 夏美はなんとか髪千切られずに済んでいた。

 背後から何かドロドロとした高温の物体が顔に飛んできて、熱いと言うより痛いが、冷たい。やがて痛みも消え、木とかとか棒とか太い棒が顔の横辺りを勝手に過ぎてく。

 頭の無い体で走って、頭が飛んでるみたいに、軽やかで頼りなかった。いいや無敵

だった。


(私が一番速い。私が一番強い。私が一番私。私が一番。私が一番軽く。私が一番軽やか。私が一番速い。私が一番跳ねて。私が一番優雅。私が一番綺麗。私が一番速い。私が一番速い。私が一番鋭い。私が一番助けて。私が一番楽しい。私が一番ここどこだよ。私が一番私がわたしがわたしが私が私が私がわたしがぁ私が死ぬものか)


「ふはははは、ひーへふへへへ。ははっははっはっははっは。追いつけまい、追いつけないでおくれ。女子陸上競技において私は最強、ふぐべふぁ」


 邪魔しに来たのは腕ぐらいの細さの頭の先に三角形が付いてる棒だった。夏美と同じぐらいの背丈の貧相な棒だった。遠かったのが、すぐそこになって、すぐここになって、真っ直ぐ正面。鼻の先が触れて潰れて、べつにその幹は普通になんともならなかった。

 地面にがっちり固定された棒は、前傾姿勢な頭のところをしなってはじく。追跡者 は急に反転した獲物を敏感な鼻先で受け止めたが。逃走者の方が悶絶する暇もないほど重傷だ。

 夏美は体のどこが、どこに向いているのかもよく分からないが、今まで見たいような見たくないような、ともかく見ること出来なかったそれの姿がよく見える。姿をデフォルメして、それを伝言ゲームした後に絵に戻したら可愛らしいにゃんこに見える、かもしれない。森林迷彩模様にも見える、植物カラー。部分的に肥大化した図体と、白亜紀でエンカウントしそうな威圧感の重量。そしてゆだれだらだら、肉片だらだら、グルグル唸っているのが特徴だった。

 今からでも逃げ出したいところだけれど、どこにあるかも分からない足を確かめるのも億劫だった。夏美自身何でまだ生きてるんだろうと、驚くほどだ。


「人の庭に猛獣を入れないでもらえないかな。ゲロくさい人。猛獣禁止って書いてあるだろそこの看板に」


 急にボーとした脳みそに聞こえた低い声に従って空を見るためにむつむくと熊に斜線が入った図形が三角の看板に書かれている。夏美は異世界にでも来たのだと思ったが、色合いだとかデザインに見覚えがありすぎる。


「忌々しい棒の正体は看板か」


「君のような汚物と君が連れてきた猫の方がよほど忌々しいよ」


 大砲。そう思うほどのの爆発音。

 ショックは夏美の停止した脳に酸素が回し始める。

 鼓膜が引っ込んで気持ちが悪い。

 さっきまでの発言の半分が急にはずかしくなる。咳とともに吐血すると、ともかく痛い。

 夏美は獣に追いかけられていたことと、どこかに人が居ることに思い至って、大切な何かを失った気になった。

 大地の揺れは四つ足の獣が遠のいたのだろう。夏美は命を失わなかったのだ。今の ところは。


「助かった……。ありがとございまっ」


 カスカスの色声で、あらん限りの力を振り絞った作り笑いの汚い面の先に、汚物を見る神食新がいた。


 6


「せっかく、わざわざ、人が忠告したのに」


「はい。ごめんなさい」


「ゲロまみれだし」


「はい、ごめんなさい」


「森中に奇声が響いていたぞ」


「はいごめんなさい」


「おまえ、普段誰からも好かれる用に振る舞ってるくせに、なんだその無様な姿は」


「はいごめんなさい」


 夏美は散々罵られ心がポッキリ折れていた。そんな言うことないじゃんと泣き出した夏美のケツを蹴り飛ばしつつ、森の中にある小屋までなんとかたどり着いたのだった。なお、たどり着く直前に気絶した夏美は、起きた後もわざわざ気絶しないように話しかけ続けたのに、結局ゲロまみれの女を運ぶ羽目になったと、目覚めた後も罵られ続けたのだった。

 夏美は心に受けたダメージも深刻だったが、それ以上に肉体が深刻な状態だった。今すぐに走り出せる程度に治療した神食曰く、何で生きているのかも良くわからなかった。一応、間に合って良かったとのことだ。

 どこまでも他人事という雰囲気がしていたが、治療してもらった身であまり偉いことはいえなかった。鏡に映る自分に尋ねても、何で生きてるのだろうと自問自答してもも訳が分かりはしない。

 別人のようだった。

 夏美は右手に穴が開いているものだと思っていたが、半分近くちぎれてていたらしい。今は手首から先がなかった。綺麗に、なめらかに、継ぎ目もなく。触れるとつるりとした半球にわずかに線状に盛り上がっている部分がある。

 顔は焼け、額から顔の右半分が溶けていた。痛みがないのが不思議なほどだ。ワームがうごめいているような、凹凸の模様。神食はしかるべき場所に行けば直せると言うが、それでも自分の顔とは認められない。

 命に比べれば安い損失だ。

 だがそれを割りきれるかはまた別の問題である。少女が失ったものは大きい。

 その姿はまるで化け物だ。


「何しんみりしてるの」


「キァアァァ。勝手に何しれっとはいってきてんの」


「勝手も何も私の家だし。ゲロまみれの女を洗って、腹の傷から何まで、直したのは私だぞ。全裸のところを見られたぐらいで何を今更」


 夏美は目が覚めた時の状況を、裸で布団の中で寝ていたのを思い出す。


「見たの、てか、見るなあっち行け」


 神食は浴室を使いたいから早く洗面所から退去してくれと言う。かごに布の束を置いていった。とどうやら代わりの服とタオルを持ってきてくれたらしい。夏美は白いシャツをおとなしく借りることにした。


「やっと出てきた。私も水浴びしたら、何か食べれるものを作るからそれまで待っててくれる」


 夏美は渋々受け取る。


「この服も、さっきの布団も男の匂いがする」


「うるさいよ。黙ってまってろ」


 文句を言う夏美は、少しましな顔をしていた。

 机と椅子。寝台。台所。夏美の知識にはないが、医療器具らしきもの。最低限のものが詰めこまれた部屋だがそれでいて温もりがある。異物のように、入り口に無造作に置かれた人一人ぐらいなら入りそうな大きなキャリーケース二つに並んで、彼が獣に撃ったのだろう大砲のような銃があり、温もりは平穏とはまた別の何かなのだと感じる。何もかもが違う世界。自分が住んでいた灰色の町との違いを噛みしめていた。とても鮮やかで、そして恐ろしい。

 気がつくと何かよい香りが漂い、神食が手に持った皿には白濁したドロドロとした液体に黄色い何かが混ざったものだった。夏美は不器用に震える手でスプーンを握ると、恐る恐る掬った。普段口にしているものから、ずいぶんとかけ離れた状態のものを口に入れる抵抗感が拭えはしなかったが、空腹には勝てない。


「これはなんていうの」


 食べ慣れた錠剤とハードビスケットや栄養剤の生活からは近からず遠からずの、初めての食事の名前ぐらいは聞いておいても損はない。


「粥だよ。栄養価とか消化とかはともかく、またゲロまみれになるのは御免被るから、君たちの食事に近いものにしてみたよ。君は自分の吐瀉物まみれでも平気かもしれないが」


「そんな冷ややかな目をやめろ、誰も好きでそんな状態になってないわ」


 夏美は最も気にしていた事を神食に聞いた。


「ここはどこなの、政府に秘匿されたエリア」

 

 いやそうであって欲しいという願いを聞いた。


「いいや、ここは外だよ。名前をつけるなら旧日本領、樹海跡地ってところだけれど、今は私の森だよ。君の世界の外側だよ。君らのシェルターの外側、地下に対する地上だここは」


 夏美たちの住んでいる場所はこの地上という空間の下にある隔離された場所だった。人工的な太陽と夜。人工的な自然。一切を人の手によって作られた楽園だ。そこに住む人々は、一部を除き地上という概念すら知らずに生活して死ぬ。滅んだ地上から逃げた、人々の末裔だと神食は語った。


「実際君たちのように、地下に暮らす人々は多い、知っての通り地上は危険だからね。個人から、町、果ては国家規模のコミュニティーも存在するんだ」


 夏美は自分たちのような人々が沢山居るのであれば、なぜそれが自分たちに知らされていないのか、親たちは知っていたのか、先生は知っていたのか。

 なぜこんなバケモノが沢山居るのか、この世界は何なのか、尋ねたいことがいくつも巡り巡る。

 一つでも口に出してしまうと何かが失われ。いや、壊れてしまうような気がした。


「君たちの珍しいところは、自分たちが逃れた生き残りだと知らないということだよ。きっとこの退廃した世界ではなく、過去の日常を生きて死ぬことを望んだのだろうね」


 大半の地下で生存している集団は地上との交流を持っていることが大半だが、夏美達の住むシェルターは広大な空間、科学力、完全に地下で生活が完結されるように設計された、優れた箱庭だった。


「知らなかったから罪に問われるわけでもない。君は気にする必要はない。いつものように何も見なかった振りをすれば良い。なに、その顔を元に戻せる医者を紹介してやる。ナノマシンが一本あれば元に戻せるだろう。その後家に帰してやる。もしくはどうせ義手が必要だろうから、全身をサイボーグにでもすれば良い。そうすれば姿も声も別人のもっと綺麗な君になれるぞ。まあどちらにせよ。いや何でもない」


 夏美はそれを聞いて何を思うのか。嘘か誠か。いずれにせよ、何も気がつかない振

りをすれば家には帰れる。


「なんで私を助けたの。神食君は私のことを嫌っていると思ったけど。そもそもなぜここに」


 神食は少し考えてから答えた。


「いや、そもそもがだね。仕事で君の学校に転入したのだけれど、そこで君を助けるように、依頼を受けたんだ。いつの間にかに仕事内容を増やされてしまったわけさ」


 そんな空回りで助かった命は、あきれるべきか感謝するべきか。


「いやー、健気だよね。君に過去に助けられたことがあるらしいのだけれど、それも可哀想な女の子を助ける私、の演出の一環だろう。いじめられっ子に助けられるだなんて、なかなか乙だね。君のつまらない生き方が実ったわけだ、以外と馬鹿にならない……」


「あんたに何が分かるって言うの」


「分かるさ。君はいつも、いつも外見ばかりを気にしていて、それでいて誰のことも信頼していないし、信用していない。本当は他人の事なんてどうでも良いんだろう。なんせ仲よさげにしていた3人が無事かどうかも聞きやしないんだから」


 夏美は一度も南、黒田、桐谷、の三人がどうなったのかを聞いていない。彼女は彼らの痕跡をたどってあの獣にであったのにだ。


「これから聞く予定だったの。ほら、まだ無事に帰られるのかも聞けていないもの」


「わかっていることを確認でもなく問われるのは不快だよ。私は嘘つきが嫌いなんだ。まあ、送ってあげるからそこの箱二つ(おみやげ)を持って帰るといいよ」


 バキッ。匙が拳の中で砕けた。


「あんたに何が、何が。もう帰らせてよ、私の日常を返してよ。大体なんなの、暴力を振るうあんたが嫌いだ。力で全てを解決したつもりになってるあんたが嫌いだ。友達を救わなかったあんたが嫌いだ。あんたに救われたれた私が嫌いだ。

「どうしてよ。こんな体でどう過ごせっていうの。三人が死んじゃったら、私はどう説明しろって言うのよ。私は人殺しとして一生この体で生きろって。サイボーグって何よ。そんなの要らない、気持ち悪い。私にどうしろって言うのよ。

「当たり前じゃない。みんなに好かれて何が悪いの。あぶれた者は、弱者はあの国じゃ生きていけないのよ。一体何が悪いっていうのよ」


「弱者ね。ああ、やたらと暴力だの力にこだわるのは、自分が築いてきたものをひっくり返されるのを恐れているからか。私の考えだが、真の強さはそんな簡単に揺らぐものじゃないよ。まあ、君には時間があるんだ。よく考えると良い」


 7


 暗闇の中、目隠しを外すと、そこは緑の茂る森の中だった。起き上がると動いて落下する。隣には二つのキャリーケースも同じように、地面に落ちている。どうやら荷車に乗せられていたようだが、神食の姿はなかった。

 連絡手段を失っていたことを思い出して、次に会ったら殴ってやろうと決意を固める用とした頃。夏美たちの捜索部隊を名乗る人たちが、なぜか夏美が目覚めたのを見計らったかのように現れて、あれよあれよと病院まで運ばれた。

 病院では夏美の治療された傷跡について、いろいろとちょっとした尋問が行われたが、夏美はわからない、知らない、気がついたら森の中にいたとだけ答えた。何か重大なペナルティーがあることを覚悟したが、それ以上何もされることはなかった。

 重傷であるが、すでに治療されていた夏美は、その後は家に帰ることになり。送迎の一つもないところに笑顔で悪態をつくも、言葉にも出していないことで何が変わるわけでもなし。

 疲れているのか、元気なのか、すんなりと誰も居ない自宅に到着した。

 何事もなかった以上、学校をこれ以上サボると悪評がつきかねない。何事かがあった方が悪評つきそうな気もするが、どんな形で他の生徒に伝わっているのかを知らないことには、妄想するしかない。

 次の日、学校に行くと臨時集会が行われた。内容とは不慮の事故によって生徒三名が死亡したというもので、その事故が発生したb7自然地区の一時閉鎖と、三名を殺害した異常個体の虎を殺処分となったそうだ。


「よかったよう……本当に……。本当に。夏美ちゃんよかった」


 泣かれた。多くの人が夏美の元に集まり。無事を祝福した。

 夏美もまた友人と抱き合い、泣きじゃくった。

 今回の死者3名。桐谷、南、黒田は不法侵入をした事もあり、葬式は小さく粛々と 密葬で行われたらしい。夏美が不法侵入をとがめられなかったわけだが、詳細な事情聴取が行われた。警察の取り調べに対して夏美は、こう話した。


「落下した時に気絶して。気がついたら外にいた」


 命の恩人である神食に、神食のことはもちろん、見たものすべてを口止めされていた。正確には言わないことを推奨されただけだったが、警察の顔を見て、夏美は口にしないことを心に決めた。

 そうして夏美は日常を取り戻した。

 かのように思えた。

 一人の気の弱そうな女生徒が、よそよそしく夏美に声をかける。そこに南の姿はない。


「夏美ちゃん、一緒に帰りましょう」


「いいよ。ちょっと教室によりたいから、待ってて」


 女生徒が片腕の夏美に鞄をもっておくかと訪ねるが、それを断って、早足で離れた。

 その日たまたま、見かけたその教室の一角に人だかりができていた。目的の教室ではない。どうにも夏美には見覚えのある人ばかりだが、穏やかではない声が聞こえる。もめごとらしい。夏美は声をかけた方が夏美にとって良いかを確かめるために、中に入った。


「ヘラヘラ笑って、当たり前みたいに笑って、みんなおかしいよ。人が死んだんだよ。友達だったんじゃないの。お葬式にも出られなかったのに。みんなまさか虎に襲われたなんて話信じたわけじゃないでしょう」


 もし仮に、絶対に安全が保証された、改良された動物しかいなかった。その森に居たのは彼らだけではない。同じ学年の生徒全員がいたのだ。だがそんな凶暴な生物も生きた3人はおろか、死んだ3人すら誰も目撃していない。行方不明者として扱われ、捜索隊が組織されたが、研修自体は何事もなかったかのように終了した。

 夏美だけが真実を知っている。


「誰もが口にしない理由を少しは考えたらどうなんだ。悲しい出来事だった、誰も触れたくないんだよ。そう悲しい出来事だったからね。とてもだ」


「それだけだって、止められたかもしれないんだよ。知ってたんでしょ。みんな、大人が言っているのは嘘だって。遺跡を探しに行って死んだって気がついてる」


 言い争って居る二人。

 確かに薄情だ。死んだら他人事。

 だが、夏美もまた、あの事件の前であれば、きっと何も見なかった。見ていなかったことにしただろう。

 もし自分が責められたら、ケンカしたら。悪者にされたら。この世界は閉じていて、とても残酷だ。

 


《言ったって聞かねえよ》


 小さな声で、ぽつりと言ったのは誰か。ざわめきたつ。


《桐谷馬鹿っぽかったし》


《けど、知ってたってのは、一理あるんじゃね》


《それより誰があいつに教えたんだよ、遺跡のこと》


《死んだってことは本当にあったんじゃね、遺跡》


《そもそも、あの噂の話し、始めたのって誰だっけ》


 どろりと。何か良くない予兆の空気だ。


《知らない、分からない》


《俺は・・・から聞いた》


《お前か》


《初めにあの噂をし始めたのって。あいつじゃね》


 指さす先にいた彼女とベールの向こうで目が合った。


「そんな、違う私じゃない、私は」


 彼女の体が突き飛ばされる。集団は、彼女を逃すまいと、ピンボールのように嬲る。


 膝を折った彼女の前にいたのはベールの女。さながら彼女は神に祈る罪人のようだった。

 地を這うように駆け出さんとする彼女。彼女の手を夏美はつかんだ。


「待ちなさい」


「違うの。私は」


 彼女は許しを請う。


 許す必要なんて無い。

 言いたいことを言えばいい。

 こんな世界。ぶっ壊してしまえばいいじゃないか。


「ええ、違う。何もかもが。あなたは悪くないよ。誰が悪い話でもない。誰か言てたでしょう、桐谷は馬鹿だったって。その通り、桐谷も南も黒田も私もおろかだった、それだけ。そして皆、知った他人が死んだところで気にならなかったというだよ。当然だよ、みんな知り合いは多かったけれど、特別に仲が良かったわけでもないのだもの。気に病むことじゃない。みんなが悲しんでいるから悲しんで、みんなが忘れたから忘れた。それだけのことじゃない。あなたが彼らのことを思ってくれたことは何も間違っていない」


 集団はバラバラに、無言のまま、ぽつり、ぽつりと居なくなり。残ったのは、夏美と彼女だけだった。彼女は一言。「ありがとう」と言い。どこかへ歩いていた。

 彼女をその後、学校で目にした人は居なかった。

 

 良いね。賛否感想お持ちしております。

 読み終わったら、星マークの評価をよろしくお願いします。何卒。

 

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