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これが最後のお話です。
よろしくお願いします。
十年の私の過ちが正されたことで盛り上がっているかと思うと、さすがに居心地が悪いと感じてしまう。
元王太子なんかに現を抜かした私が悪い。みんなに不快な思いをさせてきたのは事実だ。それを責められたとしても反論できない。反論できないけど、今は責められているようで辛い。私はそっと場所を移動することにした。
ピンク、白、水色、紫、黄色、様々な色の花が咲き乱れるテラスに向かう小径は、庭師渾身の作品だ。色とりどりの花や葉が高さを合わせて植えられている。前世では花瓶の水を換えることさえ面倒で、一番欲しくないプレゼントが花束だった私。そんな私でも、この小径を歩くと心が弾むのだから不思議だ。
ゆっくりと草花を堪能しながら歩くのは、いつ以来だろうか? 帝王学を学ぶようになってから、空を見上げることも草木を眺めることもなくなったと思う。
そう思って見上げた空は、さっきまでの重苦しい雲の間に切れ間ができて、青空が覗いている。雲の間から地上に向けて光が差し込んでいる場所もあって、幻想的だ。
小径をのんびりと進むと、黄色の花が咲き乱れるミモザの木の下にルーイが立っている。
来ているとは思っていたけれど、この場所にいるとは意外だ。
「意外そうな顔をしているな、俺だってたまには花を愛でたくなる」
そんなに顔に出てしまっていたのか、ルーイは苦笑交じりそう言った。
「だとしたら、ここが一番のおすすめの場所ですよ。よく見つけましたね」
ミモザから先は日影が多くなる、ミモザの木の下から陽の光に輝く小径を見渡すのが、私の一番のお気に入りだった。
庭師はのトム爺は、見に来ない私のためにずっと手入れを欠かさなかったのだ。子供の頃より壮観な眺めになっている。
「もうずっと忘れていたんです。草木や空を見上げるだけで、気持ちが晴れることを」
「そうか、思い出せて、良かった」
「自分の過ちを認めたくなくて、現実から目を逸らしました。愚かな自分から十年も逃げ続けたんです。十年ですよ? 家族や使用人にも心配をかけ、不快な思いをさせてしまいました」
さっきまでの光景が目に浮かぶ。喜んでくれていたけど、十年も待たせる必要はなかった。
「逃げていただけではないと思うぞ。未来の王妃になるため、努力を重ねた。民のために骨身を惜しまず貢献した十年だったはずだ。誰もが出来ることではない」
「そうでしょうか? 振り返りたくもない十年ですから、分からないです」
ぼんやりと小径を眺める私の腕を、ルーイが引っ張って歩き出した。
「ちょっと、何をするのですか? 離して下さい」
「ルーの十年は胸を張れるものであったことを証明するから、ついて来い」
ルーイはそう言うと、私を馬車に押し込めて出発してしまう。
ルーイにどこに行くのか聞いても、「すぐに分かる」と言って教えてくれない。
馬車が止まり、ルーイに手を引かれて降りると、そこは行き慣れた平民街だった。
病院や孤児院の手伝い、学校で教鞭を執るために通った街だ。今にして思えば、貴族と話をするよりも平民と話している時間の方が多かった。
ルーイの目的が何なのか全く分からないまま、大きな噴水のある広場にやってきた。平民街の中心にある、街の憩いの場だ。
広場は噴水を中心に円形になっていて、その円を囲む様に屋台が連なっている。ここの屋台の一つにある焼き鳥に似た串焼きが大好物なんだけど、さすがに今日は食欲がなくて食べる気がしない。
私の前をスタスタと歩くルーイの後を、意味も分からずついて歩く。すると後ろから私達を追う駆け足の音が近づいてきた。ぎくりとして思わずルーイの背中を掴むと、私の腰の辺りから声がする。
「ルイーサ様」
下を見ると、五・六歳の女の子が花を持って立っている。女の子は恥ずかしそうに「これを」と言って、真っ赤な顔で私に花を差し出した。
女の子が差し出してくれたピンクのチューリップを、私はありがたく受け取る。
「ありがとう。チューリップが大好きなの」
女の子は嬉しそうにニッコリ笑い、少し緊張が解けたのか、もう一言私に贈ってくれる。
「ルイーサ様、婚約破棄おめでとうございます!」
「…………」
え? 何て、言ったの?
婚約破棄おめでとうって言ったよね? おめでとう? 確かに嬉しいです。長い呪縛から解放された気持ちです。でも、婚約破棄って、おめでたいで、正解?
驚いて固まってしまった私を、少女が不安気に見上げている。せっかく花まで持って来てくれたのに、期待に応えなくては。
私は飛び切りの笑顔を少女に向けた。
「ありがとう。婚約破棄ができて、本当に嬉しいの。みんなのおかげよ」
私の言葉に広場にいた人達が、一斉に喜びを露わにする。
そこかしこから「おめでとう」の大合唱が鳴り響く。広場の周りをぐるりと囲む屋台の人達がお祭り騒ぎだ。串焼き屋のご主人も私の大好物を手に「婚約破棄祝いだ、これはサービスだよ」と、串焼きを差し出してくれる。
私より早く串焼きを受け取ったルーイが、声を高らかに宣言した。
「皆、ありがとう。今日の屋台の代金は、全てローゼンベルク家が支払う。ローゼンベルク家と共に、皆で一緒にこの喜びを分かち合おう!」
ルーイの声に一同が歓声を上げ、広場の外にいた人達もワッと屋台に押し寄せた。
広場全体をぐるりと指差し、ルーイが悪戯っ子のような笑みを私に向ける。
「ルーが十年も献身的に尽くしたから、誰よりも民衆に愛され必要とされているのだ」
そうなの、だろうか?
「民や使用人がルーに無関心であれば、婚約破棄しようが気にも留めない。皆ルーのことが好きだから、馬鹿な元王太子と縁が切れたことを心から喜んでいるんだ。ルーはこの十年を恥じるあまり、自分の評価が低くなり過ぎてしまった。ルーに関わる全ての人間が、ルーの努力を認めている」
この十年、私はちゃんと前を見て頑張っていたのか。みんなに迷惑をかけるだけではなく、ちゃんと役に立てていたのか。その証明が、この光景なんだ。広場にあふれる民の笑顔が、私の瞳に映る。
この光景を見せるため連れ出してくれたルーイへの感謝で涙があふれた。
「ルイーサ様、大丈夫?」
学校で読み書きを教えたことのある十歳の男の子が、ハンカチを手に私を見上げている。ハンカチを受け取るも、なかなか声を発せられない私を心配して、勇気付けようとしてくれたんだと思う。
「悪い奴等はもういないよ。元王も元王太子も元ハーディング男爵家もみんな、強制労働所に送られるんだって。勝手に使った国のお金を働いて返すから、もう王都に戻ってくることはないって父ちゃんが言ってた。だから大丈夫だよ」
子供が私以上に情報通!
「ありがとう、ミック。もう大丈夫よ」
またも子供の言葉に広場が沸く。
「クズ共はもういないぜ」「あんな身持ちの悪い女を未来の王妃になんて王族はカスだ」「王家は泥棒だ」と罵声が止まない。
最後は「ルイーサ様、万歳!」と皆が高く青い空に向かって両手を突き上げて万歳三唱を始めた。私は、深々とお辞儀をして広場を後にした。
昨日と同様に向かい合って馬車に乗っている。あれからまだ丸一日さえ経っていないのが不思議。この二日間が濃すぎて時間の感覚がおかしくなりそうだ。
「俺は近々マイスリンガー国に帰る」
そうだよね、留学生だもんね。自分の国を治める人だ、帰るのは当たり前。なのに寂しいと思ってしまう。
「ルーもマイスリンガー国に連れて帰りたい」
ルーイの茜色の瞳が熱を放つように真っ直ぐに私を捉える。
今が自分の気持ちを伝える時なんだと、気合を入れてルーイを見る。
「ルーイに心を動かされているのは確かで、前世という共通点を抜きにしても、ルーイのことが、好きです。だけど本当に何もかもが早すぎて、ついていけていないのです」
お母様の言った通り、ルーイは穏やかな表情で真剣に私の話を聞いてくれている。
「マイスリンガー国のことも、勉強不足でよく知らない。王太子妃が荷が重いのはもちろんですが、そもそも私みたいな小国の貴族が王太子妃として受け入れられるか不安も大きい。そして何より、ルーイのことも知らないことが多い」
ルーイが「えっ?」と驚きを顔に表す。
「えーと、何て言えばいいんだろう……。この二日でルーイの基礎となる骨格部分は知りましたが、好きな食べ物とか、趣味とか、肉付けする知識がなさ過ぎて、まだ骨格標本のままなのです。だからもっとルーイのことが知りたい。そこから始めて、次のことを考えたい。駄目、でしょうか?」
上手く言葉が出てこなくて身振り手振りになってしまったが、ルーイは理解してくれたようだ。
「駄目じゃない。ルーの言う通りだ。どうやってゲッツから奪い取ろうと考えていたルーが、思いがけずゲッツの腕から抜け出して来てくれた。絶対に離すものかと意気込んだが、ローゼンベルク家の番人達は手強いし、ルー本人も引き籠りを希望していて逃げられそうだ。どうしてもルーから離れたくないと焦った俺は、婚約すればルーを繋ぎ止められると思ってしまった。愚かだな」
ルーイは深く息を吐くと、苦笑いをして手で口元を覆う。
私は自慢げに胸を張って、落ち込むルーイに向かう。
「わたくしは愚か歴十年ですよ。たった二日なんて、誤差です。愚かの範疇には入りません。わたくしは新たなルーイの一面が知れて嬉しいですし、骨格標本が人に一歩近づきました。こうやって何でも話をして、お互いのことを知っていけたらといいなと思います」
ルーイが何か企んだような笑顔を向け、私の両手を優しく握る。
「ルーがマイスリンガー国のことを知る為にも、こうやって会話を重ねてお互いのことを知る為にも、俺達が一緒にいる必要がある。やっぱり一緒にマイスリンガー国に行く必要があるな。早速今から交渉しよう」
あぁ、今日も長い長い一日がまだ続きそうです……。
読んでいただき、ありがとうございました。