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たんぽぽの夢

たんぽぽは語感から何まで全部可愛いですね。

 柔らかな風が草原を撫で、一輪のたんぽぽから綿毛が一つ舞い上がりました。右へ左へ、上へ下へ。滑らかな軌跡を描きつつ、綿毛は自由に空を泳いで行きます。心地良い風に身を任せたまま見下ろせば、広がるのは果ての無い緑の平原。その只中に見えるのは小さな小さな町でした。まばらに建つ家々は褐色の洋瓦に彩られ、その合間に敷かれたレンガの道を人々が行き交います。

 何の変哲もないただの田舎町。しかし、そこには一際目を引く光景がありました。町の外れに設置された柵の内側。。多くの人々が集うそこには、広大な花畑が広がっているのです。アザレアの赤、ブーゲンビリアの紫、マリーゴールドの黄。煌びやかな光景に人々は感嘆の息を零し、宝を愛でるように視線を送ります。その様子を空高くから眺めつつ、綿毛は風に誘われるまま流れていきました。

 やがて風は緩やかに途切れ、綿毛は草原に降り立ちます。そこは一本の巨木の立つ小高い丘の上。枝葉の作る広大な木陰の下でした。

 草の合間に流れ着いた綿毛は白い衣を脱ぎ捨て、短い根を大地に伸ばしました。その様子に気が付いた巨木は枝葉を揺らし、そこへ木漏れ日を射し込ませます。

「これはこれは、可愛らしいお嬢さんだ。こんにちは、日差しの具合はどうだい?」

 巨木が優しく声を掛けると、種から小さな芽がひょっこり飛び出しました。

「とても気持ちいいわ。ありがとう、おじいさん」

「お礼を言われるほどのことではないさ。折角お隣さんになってもらえたのだから」

 巨木は嬉しそうに笑い、サラサラと葉擦れの音を響かせます。ひらひらと舞い落ちる木の葉は風に乗り、丘の麓へ流れていきました。

 時刻は丁度、太陽が空の天辺を通り過ぎた頃。ゆったりと時間の流れる穏やかな昼下がりです。

 巨木は深く呼吸をし、空高く光る太陽を目を細めて見上げました。

「どうだいお嬢さん。ここは良い所だろう」

 たんぽぽの新芽はふと巨木を見上げます。

「静かで、風は心地良く、日差しも温かい。話し相手が少ないことだけは難点だが、穏やかな暮らしをするにはここ以上の土地はないだろうさ」

「そうね、ここって素敵なところ」

 たんぽぽは一度大きく頷きましたが、「でもね」と巨木へ返します。

「わたしね、ここに来る間にもっと素敵な場所を見つけたの。丘を下った先の町にね、それはそれは綺麗なお花畑があったのよ。大勢の人間がこぞって見に来るくらい綺麗なんだから。おじいさんは背が高いから、ここからでも見えるんじゃないかしら」

 巨木は少し首を伸ばし、遠くなった目を凝らしてみます。

「あぁ、あの町の。確かに綺麗じゃな。知っとるかい? お嬢さん。あの花畑はね、あの町一番の宝なんじゃよ。町の人間全員が丹精込めて世話をしとる。そのお陰で花たちは皆元気に、美しく成長するのじゃ。あの花々を見るために、平原を超えた遠くの町からも人間がやってくるんじゃよ。……おっと、歳を取るとどうも説明癖が付いていかん。すまんの、老人の長話に付き合わせて」

「いいえ、そんなことないわ。おじいさんって物知りなのね」

「ほほほ、伊達に長くこの地に根を張っておらんからな。この辺りのことは全部知っとるさ」

 巨木は朗らかに笑ってみせますが、次第に眉尻を下げ、物悲しそうに声を落とします。町を横目に、たんぽぽへ視線を注ぎました。

「もしやお嬢さんは、本当はあそこに行きたかったのかの?」

 割れ物に触れるような問いかけに対し、たんぽぽは胸を張って答えます。

「当然よ。わたしだって花だもの。将来はきっと誰もが振り返るほど綺麗な花を咲かせるに違いないわ。それなのにこんなに町から離れてちゃ、全然人間に見てもらえないじゃない。あのお花畑に着いていれば、きっとあの町のスターになれたはずなのに」

 今にも拗ねだしそうなたんぽぽに巨木は困ってしまいます。繊細な若者の心に掛ける言葉が思いつかないのです。

 例えあの花畑に芽を出したとしても人間から注目されることはない、と巨木は知っていました。あの町の人間にとってたんぽぽとは単なるありふれた草花に過ぎず、手をかけて育てるものではないのです。しかし、その事実を伝えてしまえば、この新芽は酷く傷ついてしまうでしょう。心優しい巨木にとって、それは酷く心が痛むことなのです。

 しばらくの逡巡の後、巨木はなんとか励ます言葉を探しました。

「お嬢さん、そんなに悲観するものではない。ここは確かに町からは遠い。じゃが、誰も通らないわけではないんじゃ。行商人や出稼ぎから帰る人間をこれまで何人も木陰で休ませてきたものじゃ。彼らにお嬢さんの美しさを知ってもらう。それではだめかのう?」

「ほ、本当にその人間たち、わたしのことを見てくれる?」

 弱々しく顔を上げるたんぽぽを前に、巨木は目を細めてゆっくり頷きます。

「あぁ、きっとな」

 巨木は良心が痛むのを感じましたが、決して表情には出しませんでした。

 朗らかな木漏れ日の下で、たんぽぽはその言葉を何度も噛み締めては笑いました。その様子を見て、巨木もまた深くシワを寄せて微笑むのです。


 それから月日が流れ、たんぽぽはすくすくと成長していきました。根は太く丈夫に育ち、葉も大きく広く、活き活きとさせています。長く伸びた茎はすらりと滑らかで、その先端には小さな蕾が膨らんでいました。

「見て見ておじいさん! わたし、とても素敵に成長したと思わない? 葉っぱは優雅で茎は細くて。花はまだ咲いてないけど、今でも結構魅力的だと思うの」

 たんぽぽは自慢げに胸を張り、同意を求めます。巨木は数か月前のたんぽぽを思い出しつつ、優しく微笑みかけます。

「そうじゃな。大層立派に成長したものじゃ。もうすぐ花も咲く。いつまでの可愛らしいお嬢さんと思っていたが、もう立派な大人じゃな」

「そうよ! もうすぐ誰もが振り返るほど綺麗な花が咲くんだから」

 たんぽぽ確かに立派に成長しました。しかし、それと同時に根拠の無い自信も膨らんでしまったようです。そのことを巨木は大層心配していました。ですが、今更自信を削ぐような言葉を掛けるわけにはいきません。それに、もしかするとたんぽぽを愛でてくれる人間が現れないとも限らないのですから。

「とびきり綺麗な花を咲かせて、人間に好かれる。お嬢さんの夢が叶うと良いな」

 巨木はたんぽぽに、そして自分自身にその言葉を宛てました。

 それから数日後、たんぽぽは花を咲かせました。小さく可愛らしい、黄色が鮮やかな花でした。巨木だけでなく、時折訪れる小鳥や蝶たちも一緒になり、皆たんぽぽの開花を祝福しました。

「どう? とっても綺麗な花が咲いたでしょう?」

「凄く素敵よ。一面緑の丘に咲くと、尚更華やかで綺麗だわ」

 巨木に留まった小鳥が嬉しそうに囀ります。蝶たちもそよぐ風の中、祝福するように踊っていました。たんぽぽは更に笑顔を輝かせました。

「みんなありがとう。ねぇ、おじいさんはどう思う? 人間たちはわたしのこと見てくれるかしら?」

「……あぁ、きっと気付いてくれるとも」

 巨木が悲しそうに目を細めるのに気付かず、たんぽぽは風に合わせて踊りました。

 それからたんぽぽは人間が丘を通りがかるのを待ちました。巨木の言葉通り人通りは少なくなく、これまでも度々人間を見かけることがありました。それから程なくして、一人の青年がやってきました。疲れが溜まっていたのでしょう。大きな荷物を背負っていましたが、巨木の木陰に入るなりそれを下ろし、太い幹に背中を預けたのです。

「人間が来た! 人間! さぁ、わたしを見て! どう、素敵な花でしょう?」

 風に吹かれて花びらを揺らし、精一杯アピールしてみせます。しかし、青年はたんぽぽに一瞥をくれただけで、それ以降は目を瞑ってしまいました。仮眠を取っているのでしょう。

 それからしばらくすると、青年は立ち上がり丘を下っていきました。

「あの人、わたしのこと全然見てくれなかった」

 たんぽぽはしょんぼりと俯いてしまいます。居たたまれなくなり、巨木は精一杯励まそうとします。

「まだ一人目じゃ。次はきっと、お嬢さんを見てくれる人が来る」

「そ、そうよね。まだまだ人間は来るんだもの。中にはきっとわたしの魅力に気付いてくれる人もいるわ。もしかすると、鉢に植え替えて持って帰ろうとする人もいるかも!」

 自信を取り戻したたんぽぽは再び人間を待ちました。

 それから数日間の間、十人ほどの人間が丘を通り過ぎましたが、やはり誰もたんぽぽに目をくれることはありませんでした。

「やっぱりわたしの花、綺麗でもなんでもなかったのかな……」

 気付けば花はしおれ、細くしぼんでしまいました。その痛々しい様子に巨木は堪らなくなり、頭を下げます。

「すまない、お嬢さん。わしは本当は分かっていたんじゃ。お嬢さんの願い事を叶えるのは、とても難しいことを」

「いいの、おじいさんは悪くない。わたしのこと元気付けてくれたし、応援だってしてくれた。それに、お日様をいっぱいくれたし、雨風からわたしを守ってくれたもの。とっても感謝してるの」

 たんぽぽは落ち込んだまま、気付けば茎の先端は白く丸く変わっていきました。綿毛へ変わっていたのです。

 別れの時は近いのだと、巨木は悟りました。

「おじいさん、これまでありがとう。次芽吹くときには、人間の少ない穏やかな場所がいいな。そうすればきっと、こんな気持ちになることもないから」

「お嬢さん」

「さようなら、またいつか、会える日が来ますように」

 その時、一陣の風が丘の上を吹き抜けました。それは綿毛を全て攫い、大空へ舞い上げるのです。

 このまま別れれば永遠に後悔が残り続ける。そう確信した巨木は最後の言葉を探します。次に花咲く時、たんぽぽが幸せになれるよう。今度こそ願いが叶えられるように。、

 遠く、小さく、散り散りになるその姿に、巨木は声を張り上げました。

「南じゃ! 南へ行きなさい! いくつかの丘と川を越えた先に、一軒の小さな民家がある! そこへ行きなさい! そこでならきっと、お嬢さんの願いが叶うはずじゃ!」

 その姿は既に遠く、返事もありません。声が届いたのかすら分からぬまま、風は綿毛を運んでいきました。


 ***


 とある山間に広がる草原。その中央にぽつんと佇む民家がありました。町から随分と離れた場所に建ち、まるで望んで人々との交流を絶っているようにも思えますが、決してそんなことはありません。

 その家には若い夫婦と一人の娘が住んでいました。その娘は可哀想なことに産まれつき体が弱く、こうして町から離れた平原の只中で静かに養生していたのです。

 娘は碌に外を歩くことができませんでした。一日のほとんどをベッドの上で過ごし、調子の良い日でも小さな庭を散歩することしかできません。そんな彼女には、一つの夢がありました。それは、町の有名な花畑を見ること。あらゆる宝石よりも人の目を惹きつけるというその景色を、一度でも目に焼き付けたいと願っていたのです。

 しかし、それは叶わぬ望み。娘は今日もベッドに腰を掛け、窓を開いては町の方角を呆然と眺めるのでした。

 その時です。そよ風が頬を撫でたかと思うと、その流れに乗って白い綿毛がゆらゆら漂い、娘の掌に収まりました。

 その柔らかさのあまり触れているかすら不確かで、再び風が吹けば二度とここへは戻らない。そんな儚さを感じさせる綿毛を、気付けば両手で包みこんでいました。

「あなたはもしかすると、町から飛んで来たのかしら。わたしに綺麗な花を見せるために……なんてね」

 そんなはずは無いと知りつつも、娘はそれを鉢に植えました。

 その日から娘は、たんぽぽの世話をすることが日課になりました。欠かさず水をやり、窓から射す日差しをたくさん浴びせ、時には肥料をやることもありました。娘は日がな一日中たんぽぽと過ごすようになりました。

 数か月後、娘の世話の甲斐あってか、たんぽぽは大層綺麗な花を咲かせました。花びらは一枚一枚が繊細で整っており、透き通るような黄色を呈しています。陽射しを浴びせたその姿は、金色の宝玉と見紛うほど煌びやかで美しいのです。

 娘は感動し涙を零しました。かつて目にした何物よりも、その花は輝いて見えたのです。

「綺麗に咲いてくれてありがとう。きっとあなたは、町に咲くどの花よりも美しいわ」

 娘が語り掛けると、たんぽぽは頷くように花を揺らしました。

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