引かれる
壁っていうのか、奥っていうのか、知らないんだけど。
駅のホーム、線路を挟んで向う側に、広告とか設置されてるスペースあるよね?
そこに、鏡があるんだよね。
周りが化粧品とか転職の広告ばっかりだから、もう完全に浮いちゃってて、マジ異様な雰囲気なのよね。遠いし大きいし、どう考えても身だしなみチェック用には思えない。見たことある人いる? そういうの。
わたし、初めて見たからさ。
何あれって思って、隣に座ってる彼氏に訊いてみた。
「ねぇ、あれ何?」
「何って、鏡じゃん?」
「それは見たらわかる。なんで駅のホームに鏡があるの?」
「あぁ、なんか自殺対策? だって。此処、飛び込み多いから」
「なんで鏡で自殺防止になるの?」
「これから飛び込むって奴が自分を見てさ、やっぱやめようって思うんだと」
「そういうもんなんだ……」
わたしは納得した。
「確かに、あんなふうにはなりたくないもんね……」
ちょうど真正面だから、並んでベンチに座るうちらが映ってる。
あと、知らない人も十人くらい。
手足の千切れたリーマン、首のない女子高生、胴体から真っ二つのお爺さん、顎から上のないリーマン(二人目)、目と耳と鼻から脳味噌っぽいものが流れ出してるリーマン(三人目)、右半身が削り取られた若い女性……。
もちろん、生きてる人間じゃない。これで生きてたら逆に可哀想。みんな血塗れで、恨めしそうにこっちを睨んでる。
きっと此処で電車に飛び込んだ自殺者なんだろうな。
今更、驚くほどのこともない。彼氏にも見えてるはずだった。
どっちのせいなのか知らないけど、二人で出掛けると、ちょくちょくこういうのが見える。つまり幽霊がね。もう慣れちゃったとはいえ、やっぱり見て面白いもんでもない。わたしは気付かないフリして、スマホに視線を落とした。
ちょっとリーマン死にすぎだろ。この辺そんなブラック企業多いの?
なんて考えながら、これから行くお店のページを確認してた。
そこにアナウンスが流れた。
「間もなく快速列車が参ります。この駅には止まりません。危ないですから黄色い線の内側まで……」
腰を上げかけて、なぁんだと座り直す。うちらの乗る電車じゃないんだ。
と、彼氏が立ち上がった。
「あれ違うよ」
言いつつ見上げて、わたしはハッとした。
彼氏の様子が、なんか変。半分白目剥いて、口がポカンと開いてる。顔色が青いっていうか白いっていうか、むしろ土気色。そのくせ薄笑いなんか浮かべて、前方ガン見してる。明らかに普通じゃない。
どうしたの? そこに何があるの?
一瞬戸惑ったけど、すぐに理解した。
――鏡だ。
「ダメ!」
ふらふら歩き始めた彼氏の腕を掴んで、咄嗟に引き戻した。
目の前を、凄いスピードで快速電車が通り抜けていった。轟音と共に、風圧で髪が暴れる。プオォオン。間延びした警笛が過ぎ去って、ヌルッとした熱気が戻るのに気付いてから、ようやく一息吐いた。
というか息止まってた。ビックリしすぎて。
「……何やってんの! 危ないでしょ!」
「え? あ、俺……あれ? あれ?」
背中をブン殴ってやると、彼氏はビクッと肩を震わせて、それからわたしを見つめて瞬きした。相変わらず顔色は悪いけど、そこにはちゃんと感情がある。さっきの蝋人形かよって雰囲気も消えてた。
ただ、めっちゃテンパってるというか、焦ってるというか、隠し事がバレたときみたいにオドオドしてる。ハァハァ呼吸も荒くて、傍目から見てもヤバいくらい、汗掻いてた。
そりゃそうか、死にかけたんだし。
断じて言うけど、彼氏は自殺なんてしない。夢遊病とかの気もない。だから理由は察してた。でもあんまり挙動不審なもんで、わたしは、彼を落ち着かせようと声を掛けた。話でもすれば気が鎮まるかもしれない。
「どしたの?」
「いや、うん、ごめん。マジごめん。あの鏡……ほんとごめん」
やっぱりあの鏡か。
わたしはゾッとした。恨めしそうな血塗れの自殺者達を思い出す。あいつらか。彼氏を死の世界に引きずり込もうとしたんだ。これがあれか。持って行かれるとか引っ張られるとか言うやつ? 本気でガチな霊だったってこと?
鏡を見れば、もうあいつらは映ってない。気まずそうに目線を泳がせる彼氏と、その隣で彼を支える自分の姿、それから、興味深げにうちらをチラ見する割には我関せずを決め込む、通行人が見えるだけだった。
一応、諦めて消えたってわけか。
「そんな謝んなくていいって。助かったんだし。わたしも怪我とかしてないし」
できるだけ優しく、わたしは彼氏の頭を撫でた。
今更ながら、彼が助かって良かった。心の底から安堵が込み上げてくる。わたしも怖かったけど、当の本人には人生最大の恐怖だっただろう。トラウマにならないといいけど。早く立ち直ってほしいな。
あと何気に、わたしの心配してくれたのも嬉しかった。浮気性な奴かと思ってたけど、可愛いとこあるじゃん。しょうがないから、キスでもしてやろうかな。
背伸びして、鼻先を付き合わせる。
やだなぁ、まだビビってんの? そんな顔しないでよ。
今にもくっつきそうな唇が開いて、彼が口走った。
「ムッチムチの水着美女が大勢、超絶笑顔で手招きしてたから、つい……」
了