コロシアムの動揺
奇跡が起きた。そうとしか言いようがない。
前脚の折れたビーストが後脚のみで立ち上がったのだ。
ジュードには、殻内の中でビーストが独りでに動くのが分かった。
四脚の機械が後脚二本で立つには、構造上の無理がある。ビーストは、安定しようと上体を反る。馬が蹴り立つような体勢になり、殻内は後ろに大きく傾いた。
嘶きの代わりに汽笛が鳴り、ジュードは、殻内が緑色に光ったのを見た。
ジュードは、この光に見覚えがある。これは、目前のヴァルキリーと同じ光だ。
ジュードは失望した。
最も忌むべき力を、よりによって彼女との決闘で使うことになるとは思いもしなかった。
「魔力だと!」
ブレーキレバーを引いて、蒸気機関を止める。
「これじゃ勝っても、意味が無くなる……!」
機関は黙る。だが、ビーストは逆らうように動き続ける。
緑の光は、魔力だ。誰が仕掛けたものかは分からない。ただ、膨大な力であることはジュードにも分かった。
ビーストは、後脚で地面を蹴った。
そして直立したヴァルキリーにのしかかり、二機は雪崩れるように地面に倒れ込んだ。
その時には、ビーストに這入った緑の光は消えていた。
「――だ! ――族が――ぞ!」
観客の誰かが叫んでいる。
ジュードは外の異様な空気を感じ、辛うじてキャノピーを開けた。
シャーロットも同じだったようで、仰向けに倒れた〈ヴァルキリー〉の腹から出ていた。
針のような彼女の視線が、ジュードに刺さる。
ジュードは目を逸らしたくなる衝動を抑えて、シャーロットに言った。
「勝負はお流れだ」
「いいえ、あなたの反則負けよ」
その返しにジュードは苦笑した。
「ああ違いない。油断を突いたのが反則ならな」
「言うだけ言ってなさい。事情は後で聞かせてもらうから」
シャーロットは少し頬を膨らませて、左手を腰にあてている。明らかに不機嫌だった。
「それよりも」
ジュードは異様な空気が気になっていた。
「何かしら?」
「観衆の雰囲気、おかしくないか」
「あなたが魔術を使ったからじゃないの?」
「あれは俺じゃない。俺が使える訳ないだろ」
「ふぅん……」
シャーロットは納得いかない様子だった。
「なんだよ?」
「馬鹿ね。私が考えていたのは他の可能性。あなたがマギア族の協力者を使ったって線よ」
「何言ってんだ。それこそ有り得ない」
「どうだか。あなた、そこまでして私と手を切りたかったのね」
「勝手に決めつけるなよ」
「じゃあ何? マギア族が興味本位であなたに力を貸したっていうの?」
「それは知らない。だが俺としてはそんな感じだった」
シャーロットには、言い訳じみた言葉に聞こえた。彼女は深いため息をした。
「呆れたものね」
「そうかい」
二人のもとに、立会人が駆け寄ってきた。慌てた様子だ。
「どうもマギア族の横やりが入ったようです。あのままミス・マーキュリーが勝利したかもしれませんが、如何せんマギア族のことで勝敗どころではありません」
コロシアムは不穏な空気に晒されている。恐れや不信が生む、危険な状態だ。
ジュードは、彼の言葉に気に入らないところがあったが耐えて話を聞くことにした。
「ですから決着は改めて後日に。今はトラブルに遭う前に、ここから出て下さい」
二人は黙って了承した。
互いをじっと見つめてから、二人はマキナを放棄して、互いの待機場に駆け戻った。