異邦人 3/3
「首長。同志をお連れしました」
少し間をおいて、扉の奥から「入り給え」と声がした。
「はい。失礼します」
男が厳かな扉を開け、四人は中へと入り込む。その部屋の奥にはマルボルより若く、サンドロより老いている初老の男、ジオ・アルバトロスが佇んでいた。
「遠いところよく来てくれた。我がコスモスの同志よ。私がオリジンの首長を務めるジオ・アルバトロス・コスモマギアだ」
「恐れ入ります。私はサンドロ・モナド・コスモマギアです。亡命者となった我々を保護して下さること、感謝の言葉もありません」
モナドは、深々と頭を下げて心からの感謝の意を示した。
「そうかしこまらずに。私にとって、あなたたちは大切な客人だ。ここにいる間は、くつろいでくれていい」
「はい。ありがとうございます」
ジオの背には、壁一面に窓ガラスが張られていて、晴れた空が良く見える。街や〈スカートの下〉からはこんな空は絶対に見られないだろう。
「どうかね。この街を見て、随分と驚いたのではないか?」
「はい。オリジンがこのようになったのはつい最近と聞きましたが、よもやこれほど穢れているとは思いもしませんでした」
サンドロの素直な言葉を、ジオは愉しんでいるようだった。
「穢れている、か。確かにあなたの言う通りだ。太古の人々が見たら、ここが人類の始まりの地とは到底思うまい。
……一先ず、ご婦人とお嬢様には別の部屋で休んで頂こうか。長旅でお疲れだろう」
母は、首長に礼を言った。
「はい。助かります」
「構わない。心身ともに癒してもらいたい。特にお嬢様には酷だったでしょう」
ジオは、書斎机に置かれたベルを鳴らして従者を呼び、少女と母を別室に連れた。
その際、ジオが「そこの執事も行かれてはどうかな」と言ったので、マルボルも部屋を去ることにした。
「モナド氏。あなたもお疲れとは思うが、シュンムの事情についていち早く知りたい。食事を持ってこさせるから、話を聞かせてもらえないか……」
食事は、質素ながらもシュンム帝国の宮廷料理を思わせる上品な料理で、煙に巻かれてきたサンドロは、場違いな懐かしさを覚えていた。
「……それで、シュンム帝国は今どうなっている?」
「臣民は、コーネリア将軍に夢中になっています。彼の人気は、前の敗退を経てもなお健在です。五年前のオリジン占拠こそ失敗しましたが、西の蛮族の土地は順調に占領していますので。軍の快進撃が、彼への高い注目と支持の原因となっています」
「だが、コーネリアを裏で操っている輩がいる、とあなたは言っていたな?」
「はい。コーネリア自身は戦いの天才であっても政治家としては凡庸です。そもそも、コーネリアはオリジンの占拠など最初は考えていなかった。彼を唆したのはワイズマンです」
「ワイズマン?」
「そうです。ワイズマン・リドー・ヒュージマギア。我が国で最も力を持つ政治家です」
馬鹿な、とジオは耳を疑った。
「ヒュージマギアの一族が、シュンム帝国を牛耳っているというのか?」
「首長、ワイズマンは予言の実現を目論んでいるのです。一刻も早く阻止しなければならない。いや、もはや間に合わないのかもしれないのです。何か一つきっかけがあれば、オリジンはシュンム帝国に占領されるでしょう」
「きっかけ?」
「ワイズマンは、開戦に向けた口実を欲しがっています。例えば、この土地で我々一家が殺されれば、『報復』という口実ができる。帝国の政治家が暗殺されたとなれば、開戦の口実としては十分でしょう」
「なら君、ここにいるのはまずかろう」
「今のところは問題ありません。我々がマギア族だということは、さっき迎えにきた男とあなた以外には知られていません」
「……隠し通せるのかね?」
ジオの怪訝な眼がサンドロを睨んだ。
「このフードを被っている限りは。髪色を見られなければ大丈夫でしょう」
サンドロが、自身の空色の短髪に触れる。元の髪色はジオの知るところではない。だが、そのあからさまに染められた空色が、奴隷の烙印と同じく差別対象の証であることは明らかだった。
ジオは、話題を変えることにした。執務室の窓は、壁一面に広がるガラス張りで、オリジンの高い工業技術の証であった。ジオは窓を見遣って、サンドロに言葉を投げる。
「どうかね。この街の景色は」
「ただ驚くばかりです。魔術を無視した人間は、あの穢れた街を作り出した。対してこの城は、まるで鼠一匹いない清潔な場所のようだ。総じて、私には良い都市とは思えません」
「何故そう思う? 穢れているからか?」
「それも一つでしょう。が、何よりもここは不幸な都市に見えます。私はオリジンの人間が笑っている姿をここまで一度も見ておりません」
「不幸か」
「彼らの目は死んでいる。生きる楽しみがないように。帝国でもあそこまで不幸な顔をした民はいるまい。首長、あなたはそれを問題とは思わないのですか?」
ジオは笑った。まるで無知な子を諭すように。
「既に対策はしている。……そろそろか」
ジオの視線は、手元の懐中時計を一度見ると、再び窓の方に戻った。
突然、窓の外が大きくざわめきだした。
それは、興奮や狂気を孕んだ歓声だった。
表せば、異様の二字。陰気で陰鬱な〈スカートの下〉からは想像できない盛り上がりは、窓越しの二人にも伝わるほどの大きさだった。
サンドロは言葉を無くして、席を立っていた。我に返って、悪びれるようにジオに無礼を謝ろうとしたが、ジオは手を出してそれを止めた。
「近くで見るといい」
サンドロは言葉のままに、窓に近づいて下の景色を見てみた。
「なっ……!」
眼下に、闘技場があった。
数万の民が客席を埋め尽くしている。彼らの視線は、中央のアリーナに集まっていた。
首長室からは豆粒ほどの人間がうじゃうじゃと動いているのが分かる。だが、サンドロにはアリーナで動き回る大粒の豆の正体が分からなかった。
獣か、巨人か。いずれにしてもはじめて目にするものだった。
二つほど大粒の豆は、向かいあってから弧を描くようにゆるりと動き始め、徐々に速度を上げていった。二周、三周と回るたびに円周が小さくなると、二つの豆は激しく衝突した。
歓声が一段と大きくなる。二者は単に正面衝突をしたのではない。すれ違い様に攻撃をしたのだ。再び弧を描くと、二つはもう一度激しくぶつかった。
「首長、これは……?」
「娯楽だ。労働に勤しむ民は、快楽を求める。パンは交易する分で事足りたがな、サーカスがなかったのだ。だから、私が娯楽の場を設けた」
「それで獣を争わせているのか?」
「いいや。あれは獣ではない。機械だ」
「マキナ?」
「そう。あれは蒸気機関で動く機械。人間がそれを操って決闘をさせているのだ。同志よ、この街ではな、不満を持たぬ民などいない。多少の不便ならまだしも、財産、血統、人種、恋愛、仕事と、簡単に解決出来ないわだかまりが沢山ある。そういう連中の果たし合いの場がこのコロシアムで行われる決闘――デュオマキナという訳だ」
「民のストレス発散と、問題解決を兼ねている、と」
「その通りだ。これのお陰で治安は随分と良くなった。工場の生産量も、私への支持も上昇している」
(首長は、〈スカートの下〉のガラクタを知って言っているのか……?)
サンドロは、喉まで出かかった言葉を飲み下した。
サンドロの脳裏には、〈スカートの下〉の光景が浮かんでいた。ガラクタの山は、このデュオマキナという催しのせいで生まれていたのだ。
コロシアムは輝きだけを見せている。壊れたガラクタを黒煙に隠して。
「同志よ。もっと近くで見てみないか?」
ジオの提案は唐突だった。話は続く。
「どのみち、暫くは滞在するのだ。退屈しのぎの一つは知っておくべきだろう。ご婦人やご息女も連れて、コロシアムに行ってみないか」
サンドロは気乗りしなかった。科学技術と道徳精神とは比例しない。一口に娯楽と言っても、闘技場というのは賭博や暴力といった非行が目立つものだ。愛娘にそれを見せるとなると、親心が呵責してくる。
しかし、同時に知的興味があったのも事実だった。近年オリジンで登場し、シュンム帝国をはじめ、東のカムイ帝国でも広がりつつあるという蒸気機関について、知っておきたいことが多々あった。
サンドロは、若干迷ったのちにコロシアムに行くことを決めた。
「折角ですから、行ってみます。ですが、娘たちはここに置いていきます」
「……いいだろう。そうと決まれば行こう。首長と来賓用の席は常に空けてある。特等席に案内するぞ」
ジオは、給仕に食事の片付けを命じてから、サンドロとコロシアムに向かった。