脱走
マルボルの置かれた状況を一言で表すと、軟禁であった。仕えるべき主人を殺され、少女の母がどうなっているのかさえ分からなかった。閉じ込められてこそいるものの、場所はサピエンティア城内の客室で、食事も前菜からデザートまで用意されている。監禁というには厚遇に過ぎたが、老翁の心は一瞬たりとも休まることはなかった。むしろ、綺麗なものを見るたびに無力感に苛まれ、屈辱を神経に刻み込まれるようであった。
そうして無為に過ごして三日。唯一の精神安定剤は、左腕の通信器が絶えず伝えている少女が生きているという事実だけだった。保護の魔術を掛けたとはいえ、老翁はいつ少女が危険な目に遭うのか気が気でなかった。
というのも、一度だけ少女に危険が迫っていたのだ。
彼がジオ・アルバトロスの部下に捕らえられ幽閉された日、気休めの煙草を吸い尽くした頃のことだった。通信器のサインが変わったのだ。左手首に巻かれた革ベルトがたもつ金属機器の中心に埋め込まれた、氷結晶に似た石。普段、緑に光るその鉱石が、少女の危険を示す橙に変化していた。だが暫くすると、鉱石の色は元の緑に戻った。
何が起きたのかを知る由はないが、少女の居場所は鉱石を通して感じ取れる。オリジンの外側――スラムにいるようだ。少女が雨に濡れていることを思うと、不甲斐なさが身に染みた。マルボルが行った少女を守る方法は、自分が救いに行くことを前提とした不都合なものだ。あえて記憶喪失にさせることで、少女自身からの魔術の暴発を避ける。この都市にいるだろう過激派の眼を向けさせない為の横暴な手段であった。
一刻も早く抜け出したい。が、当然ながら監視の眼はある。三日前ありにエレベーターで出迎えに来ていたあの青年が、ドアの横に立っていた。彼の名はディーンという。
「何故、ジオ・アルバトロスは私を殺さないのですか?」
「……私に訊いたのですか? 残念ながら私にはわかりかねます。ですが首長は、お嬢様を城に連れ戻したいはずです。亡命に来たあなた方を保護することが目的なのですから」
「それでは我が主を殺した理由にはなりません。ジオ・アルバトロスはお嬢様を利用しようと目論んでいる。違いますか」
「利用、ですか。お嬢様には何か特別なものがあるのでしょうか」
マルボルから見て、ディーンは何も知らない様子だった。
「君がとぼけることはないでしょう」
「そう焦らされると、気になりますね」
「お嬢様の身に何かあれば、君の好奇心は満たされませんな?」
ディーンを一瞥する。
「マルボル氏。あなたは首長を出し抜こうというのですか」
「……君次第ですな」
ディーンは狡猾な老人をある意味で尊敬していた。彼の忠誠心は、隙あらば城を抜け出そうという野心を捨てていない。
「もしあなたがここから抜け出せば、命の保障は出来ません。あの穢れた地を駆けずり回り、お嬢様を守り切らねばなりません」
「もとより覚悟の上。追うならば追えば良いでしょう」
「いえ、私はここで待っています」
ディーンは扉を開けると、持っていた小銃の銃口を下向きに構えた。
「……?」
「どうぞ行って下さい。私が望むのは、あなた方のお嬢様の安全。そして、お嬢様がここに戻ってくることです。先ずはマルボル氏に守っていただけなければ。あの時かけた魔術は、完璧な物ではないはずです」
「……礼は言いませんよ」
「ご自由に」
マルボルは、部屋を抜け出して外へと走って行った。
その影を眼で追いつつ、ディーンは自身の主に通信した。
「よろしいのですか。せっかく三日間も留めていたというのに」
『構わぬ。どうせ近いうちに戦争をするのだ。御子を守るためには奴の保護がいるだろう。それに制服に後を付けさせる。制服が御子を保護できれば、あの老人は用済みとなる。今は、御子を守ることが一番なのだ』




