ジュード
家路につくジュード・アイスにとって、相も変らない景色があった。
雨が盛んに傘を打つ。オリジンは霧の街と化していた。
子供の物乞いが、見知らぬ大人に縋っている。こういうのは、綺麗な服をした人間を狙うのが常套手段だが、よほど余裕がないのか、あの子供は見境なく人に声をかけている。大人たちは揃い踏みで子供を嫌がっているようだった。大体、三人に一人くらいは紙幣の一、二枚を渡して厄介払いをするものだが、あの子供に対しては、誰もが差別をするように無下に追い払っている。中には怒鳴りつける人もいた。
ジュードは、その様を遠目に見ながら歩いていた。サピエンティア城から真っ直ぐに伸びる道は、あと二十分も歩けば工場区の外となり、比較的閑静なスラム街になる。
例の子供は、物乞いをしながら道を歩き、ジュードの近くまで来ていた。
今度は中年労働者と思しき男に怒鳴られている。かなり酒を飲んだ後らしく、粗野な声色だった。「オラァなぁ! てめぇらゲスのせいでクビになったんだ!」という言葉が聞こえた。道理で夕方から泥酔している訳だ。中年は失職者らしい。中年は怒気のままに子供の顔面を蹴りつけ、子供はのけ反った勢いで倒れた。
流石に見逃せなかった。確かに執拗な物乞いだったが、子供を蹴るのは許せなかった。
ジュードは、中年にツカツカと歩み寄った。
「おい」
ジュードが肩を叩くと、中年は拳を握ってから、のろりと振り向いた。
「なんだぁ?」
「子供を蹴ることはないだろ」
「なんだよ、ゲスを殴るなって法律でもあんのかぁ」
「法律の話じゃない。大の大人が、子供に手を出すなんて論外だろ」
「うるせぇな、いいんだよ。あの餓鬼は人間じゃねえ。ゲスだからよぉ」
「ゲスはお前だ、失業者」
「何だと若造……!」
思った通り、拳が振るわれた。とはいえ所詮は泥酔者。ジュードが一歩下がると、拳は空を切り、中年はバランスを崩した。何とか片足で立ち直ろうとしたが、とうとう背中からバタリと倒れてしまった。
「……」
言葉を吐き捨てることはしなかった。品の無い行為は、彼の好むところではなかった。
代わりに、少女の元に駆け寄る。彼女は起き上がるところだった。
片膝をついてから、右手の傘を少女の上に伸ばした。
「大丈夫?」
「はい……」
濡れて張り付いた空色の髪。その隙間から深緑の瞳が輝き、ジュードを見つめていた。
「――――」
ジュードは絶句した。円らで大きな目は幼いものだった。まだ十歳にもなってない幼女だ。どうしてゲスだと言われるのだろうか。幼女の頬は腫れて、顎からは血が出ている。
蔑まれた理由は分かる。彼女の姿が何よりも訴えている。この都市、いやこの世界においてこの髪色と瞳は最も忌み嫌われるものだ。だがジュードにとっては、そんな世間の認識など、関係ない。彼にしてみれば酷い怪我をしているのなら、守るのが筋だった。
「ひとつ、いいですか」
疲れ切ったか細い声で、少女はジュードに訊いた。ジュードは黙って頷く。
「……私は、誰ですか」
その瞬間、ジュードの中で雨の音が途絶えた。
心の中の沈黙。
唐突な問いは答えられるものではなかった。
ジュードは、てっきり物乞いをされると思っていた。
(まさか――)
記憶喪失をしているのではないか。
――私は、誰ですか。
少女にとって、それは何度も繰り返した言葉だ。
それを言う度に、少女は嫌われ、罵られていたのだ。
ジュードはそれを悟った。
そういう人物に、彼は心当たりがあった。瞳の美しい、宝石のような女性。
だからだろうか。ジュードはこんな事を言った。
「君は……俺の家族だ。家に帰ろう」
空いている手を少女の手に伸ばす。握った手は小さくて冷たかった。
その光景は、傍からは怪しく写ったかもしれない。或いは、よくある人攫いに見えたかもしれない。だが、少女は差し伸べられた手を、確かに強く、握り返したのだった。
少女はまた、雨が心地よいように思えた。譬えそれが、汚れたものであったとしても。
それでいいのだろう。
何故なら。
家族を名乗るこの男が、きっと彼女の欠落を埋めてくれると思えたのだから。
ようやくあらすじで紹介したシーンに到着です。
物語は、これから広がって行きます。




