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名前を入れてボタンを押すだけさ。簡単だろ?

 くすくすくす。

 雅美まさみが教室に入ると、さざ波のように笑い声があちこちから響いた。

 ニヤニヤと弧を描くクラスメイトの目を、見ないようにして下を向き、自分の席へと向かった。


「やだ、なんか臭くない?」

「ほんとだ。臭うぅ」

 早足で通り抜ける雅美が側に来ると、大げさに顔をしかめて鼻を摘まんだ。


 うつむいたまま通り抜けようとした雅美の足に、何かが引っ掛かる。小さな浮遊感と咄嗟に出した手が床を叩き、地面とのキスはまぬがれたものの膝小僧を思い切りぶつけてしまった。


「やあだ、何もない所で転ぶなんて」

「鈍臭あ」

 そう言いながら千明ちあきはこれ見よがしに伸ばした足を戻した。わざと足を引っ掛けたのだ。


「何? 何か文句あんの?」

 沸き上がる怒りは、千明と目があったとたんに萎む。ここで逆らったらもっと酷いことになる。それは怖い。


 ノロノロと立ち上がり、今度こそ席まで辿り着いた。机にはびっしりと何かが書かれている。『バカ』『ノロマ』『死ね』『キモい』『臭い』それらが所狭しと机を占領していた。


 座ろうと椅子を引くと、虫の死骸が置かれていた。悲鳴を飲み込み、散々躊躇った挙げ句、恐る恐るティッシュで包んで捨てる。


 盛り上がり、こぼれ落ちそうになる涙を堪えて、雅美はもう嫌だと胸中で呟いた。



「もう嫌っ! どうして私ばっかりっ……!」

 家に帰るなり自室に駆け込み、雅美は泣きながら着替えるとベッドへ突っ伏した。泥だらけの制服は早く洗濯機に放り込まなくては。分かってはいるが、今はただ泣いていたかった。


「あの女! 千明さえいなければ」

 足を引っ掛けた時の見下したあの目、貼り付いたあの嫌らしい笑み。

 打ち身になった膝がズキズキと鈍い痛みを訴えてくる。確認すると赤くなっていた。時間がたてば青くなるだろう。

 悲しい気持ちは怒りに変わり、怒りはやがて暗い怨嗟へと移行していく。


 学校で抑えつけていた感情は、家に帰ると静かに雅美の腹の底から吹き出し、捌け口を求めて暴れだす。雅美は側にあった縫いぐるみを左手で掴み、右の拳で思い切り殴り付けた。


「千明っ! このっ! このっ! こうしてやる! どうだ、参ったか」

 何度も何度も縫いぐるみの腹を殴り、雅美は息を切らせた。縫いぐるみを殴ろうとも疲れるだけで、沸き上がるこのどす黒い感情は薄まりもしない。


「あああああっ!」

 最後に思い切り縫いぐるみを床に叩き付けた。ボスっという間抜けな音を立てて2、3回バウンドしてから床で動きを止める。無機質なビーズの目が虚ろに雅美を見つめた。


「雅美! 何を騒いでいるの! ご近所に迷惑でしょ!」

「分かってるわよ! うるさいわね」

 階下から響く母親の叱責へ怒鳴り返した雅美は、苛々とベッドへ戻った。ごろりと横になりスマホを手に取る。


 お気に入りのアプリを開き気晴らしに遊ぶが、沸々と煮えたぎる怒りは収まらない。優しく慰めてくれる二次元のイケメンの言葉も今日はちっとも響いてこなかった。雅美はしかたなく諦めてアプリを終了する。


 千明、あの女。出来ることならナイフでも突き立てて殺してやりたい。でもそんなことをすれば犯罪者になってしまう。どうして雅美があんな女のために人生を棒を振らねばならないのか。

 だったら今度は反撃してみるか。いいや、そんなことをすれば千明や千明の取り巻きたちの、より一層の報復が待っている。事実うっかり睨み返しただけで、その日はトイレの水を頭からかぶせられた。


 雅美が直接なにかするのではなく、勝手に自滅すればいいのに。事故にでも巻き込まれて死なないだろうか。誰かが殺してくれないだろうか。


 ふと思い付いて雅美はスマートフォンの検索エンジンへ『人を呪う方法』と打ち込んだ。


 呪いなら誰にもバレない。犯罪じゃない。そうだ、なんていいことを思い付いたんだろうと一人悦に入った。


 幾つか検索結果が出てくるだろうから、上から順番に見ていくかという、雅美の予想は外れた。

 何故かいきなりサイトに繋がり、真っ黒な画面に赤字で『憎い相手の名前を書き込んでください』というメッセージ。その下には白い欄が設けられ、さらにその下に『呪い殺す』というボタンがあった。


 非常にシンプル極まりない画面を、雅美は角から隅まで眺める。何処かに説明なりなんなりがないかスクロールしようとしても、ピクリとも動かなかった。本当にこれだけのサイトなのだ。


「なにこれ、ウィルスとか?」

 疑うような台詞を吐きながら、雅美の声は歓喜に震えていた。


 検索しただけで勝手にサイトに繋がるなど普通はおかしい。安易に名前を入れてボタンをクリックしてしまえば、変なウィルスに感染したり、高額な請求書でも届くとかかもしれない。胡散臭さ満載なのだが、雅美はサイトを消すためのばつ印に伸ばした指を動かせずにいた。

 ごくりと大きく唾を飲み込む。これは、もしかするとあのサイトかもしれない。千明たちが話していたあの話を思い出し、自然と頬が笑みの形にひきつり歪んだ。



 まことしやかに流れる噂話に、呪いのサイトというものがある。


 普通に検索しても出てこないが、憎んで憎んで殺したくて堪らない相手がいる人にだけ、開くサイトがあるんだそうだ。そこへ名前を書き込まれたら最後、その人間は必ず死ぬ。しかも恐ろしい死がもたらされるのだと。


「ナニソレ、怖ぁい」

「ぷっ、うけるぅ」

「じゃあさ、もし開けたら雅美って入れてみよ」

「いいねぇ」


 夏休み前に盛り上がった怪談話に、千明たちはきゃははとわざとらしく笑っていた。甲高く耳障りな声に怒りを覚えながら、その夜さっそくスマホを開いたものの、サイトが開かれることなどなかった。落胆してその日はスマホの電源を落とした。


 それから幾度となく検索したものの、そんなサイトは影も形もない。そのうち雅美はサイトのことなど、すっかり忘れてしまっていたのだ。


 今、まさにそのサイトが目の前に開かれている。ここに千明の名前を入れて、『呪い殺す』のボタンをクリックすれば、願いが叶う。たったそれだけ、なんて簡単なのだろうか。


 どくどくと心臓が波打つ。本当に殺せるのだろうか。


 指先が淀みなく千明のフルネームを打ち込み、『呪い殺す』のボタンの前で止まる。躊躇する理由は、人が死ぬかもしれないという恐怖や罪悪感などでは決してない。

 このサイトが新手の詐欺の類いではないか、ウィルスを移されやしないかという、自分の心配のみだった。そもそも噂話や怪談話なんてものが胡散臭さすぎる。


 千明の憎たらしい顔が脳裏に浮かんだ。日に日にエスカレートしていく雅美への仕打ちを思い出す。ぶわっと広がるどす黒い感情はとぐろを巻いて雅美へ囁く。


 名前を入れてボタンを押すだけ。簡単だ。

 胡散臭い? 例え何も起こらなくても今まで通りの日常が続くだけじゃないか。

 ウィルスに感染したってスマホが使えなくなるだけだ。どうせ話す相手も繋がっている相手もいない。ゲームも飽きた。

 詐欺だった場合は困るかも知れないが、クリックひとつくらいならまだ大丈夫だろう。変なサイトに飛ばされたら今度こそブラウザを閉じればいい。


 指先が画面を叩いた。変わって表示されたのは、大きく赤字で『毎度あり』の一言のみだった。

 毎度あり、という言葉にやはり金銭が絡むのかと雅美は緊張した。サイトは勝手に閉じられて今表示されているのは見慣れたホーム画面だ。


 しばらく待ってみたが、金銭の請求メールも何もない。スマホを弄ってみても、特に何もおかしなことはなさそうだ。


 本当に呪いは存在するのか。千明はどうなるのだろう。猜疑心と期待感の両方で、その夜雅美はなかなか寝つけなかった。

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