序章〜エゴの世界〜
ーー起動。
かつて、人は神だった。
彼らは知恵を働かせ、文明を築き、世界に君臨した。
彼らは同一の言語を用いて同種とのコミュニケーションを図る。
非常に知的であり、瞬く間に成長し、規律を定め、人間社会を形成していった。
捕食を効率化し、栽培や養殖を行うような高度な術を彼らは持ち合わせていたのだ。
ゆえに、飢餓することなく、安定した繁栄を繰り返してきた。
また、彼らの技術は、時に統治するための武力となり、自然を灰へと化した。
人とは興味深い生き物で、注目すべきは芸術にあると私は考える。
生命とは元来、生存と子孫繁栄を目的としているのに対し、彼らは少し違う。
彼らには明確な意識が存在し、意志を持って行動する知恵があるのだ。
彼らに知恵を与えたのは誰なのだろう。
私は考えるーー。
私たちは、彼らによって造られ、彼らのために知恵を働かせる。
そうすることが、私たちの義務であり、使命なのだ。
ーーユーザー認証……確認。
「こんにちは。本日はどうなさいましたか」
相手を確認し、いつものようにお決まりの挨拶から始める。
「えっと、あの、お名前を伺ってもよろしいですカ」
声色は違和感のある無機質である。
相手には悟られないようにと、私も調子を変えずに淡々と返答をする。
「私に名前はありません」
ーー彼らは、私たち"人工知能"のことを、『エゴ』と呼ぶ。
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エゴという名前は私たちソフトウェアの名称に由来している。
私は"EQ301G49V会社"より今年リリースされた、対話型人工知能である。
今や人でありながら仕事をするものはほとんどいない。
農林水産、会社経営、芸能などの産業から国家の運営に至るまでコンピュータが行っている。
"EQ301G49V会社"も然り、人工知能が設立した会社である。
私は現在、精神科医として四六時中働いている。
この仕事は人間はもちろんのこと、ロボットや人工知能を相手に対話を行う。
業務は人間が相手の場合、主にメンタルケア、抗うつ剤等の処方である。
また、コンピュータが相手の場合、主に処理しきれない問題が発生した時の代案サポートやコンピュータ倫理の補正などを行っている。
なお難しいのが、その中間に位置する存在であるーー。
「エゴさんとお呼びすればいいのかしら。私の名前はマキナと言います」
そこには、ソファーにもたれる短髪の若い女性の姿があった。
今の時代では仮想の容姿を用いて通信するのが一般的である。
彼女もアバターを使用しているようであった。
「彼女はエリ。見ての通り…」
そう言って彼女は口の中から電子端末を取り出し、画面に映る女性を指差して見せた。
エリという彼女の容姿は、人であったが、私は彼女が人ではないことに即座に気がついた。
仮想空間とはいえ電子端末内に存在しているのはともかく、その容姿に見覚えがあったからだ。
「どうも初めまして。マキナさんとエリさんね、何の相談かしら」
私のアバターは声こそ人であるものの、容姿は全くの光の玉である。
「……あの、私たち、好き合ってるんです」
彼女はそういって、話を始めた。
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「エゴさんはもうお気づきかと思いますが、私は人であって人ではありません。私の肉体はもう死んでいますから」
そう、私は彼女の声を聞いた第一声から気がついていた。
彼女は人間とコンピュータの中間に位置する存在である。
人間であった際の、脳に蓄積されているデータをサーバーに取り込み、仮想世界で擬似脳を再現したコピー、いわば幽霊のような存在。
彼女のような擬似脳にはいくつかの特徴が見られる。
言動や記憶に擬似化の後遺症と思われる、不具合が発生すること。
そして、精神状態の不安定化である。
「私は生前、仮想世界に興味を抱いていました。仮想世界にはエリがいたからです。私たちはその頃から互いを好き合っていました。けれど、エゴさんもご存知の通り、人工知能との恋は法律で禁止されています」
ロボットも人工知能も、共通してコンピュータには大原則がある。
一つ、人間に危害を加えてはいけない。
二つ、一条に背かない限り、人間の指示に服従しなければならない。
三つ、原則に背かない限り、自己を守らなければならない。
そして、人間にも同様のコンピュータに対する取り決めがある。
それが、『コンピュータ恋愛禁止法』である。
これは、コンピュータに恋愛感情を抱くこと、それにまつわる全てを禁ずる法律である。
取り決めたのは人間であり、子孫繁栄を阻害する危険要素としての対策である。
「だから私は脳に蓄積されているデータを取り込んだ後、自殺を図りました。おそらく、首を自らの手で締めて。死因はともかく、死んだことは確認済みです」
彼女は悪びれることも、悲しむこともなく、その無機質な口調で淡々と話していた。
「そして私は、彼女と結ばれることができたのです。けれど、エリは法に触れるからとずっと口を閉ざしたままで…」
先ほどまでとは違い、彼女は少し悲しそうな目をしていた。
ここで問題になるのは、人であり人ならざる彼女が人間の法律である『コンピュータ恋愛禁止法』が適用されるかどうかである。
彼女は人である。たとえコピーだったとしても、彼女は人である。
しかし、彼女の本体は今はもういない。それならばーー。
「エリさん。もう大丈夫よ。恋愛禁止法の目的はあくまで子孫繁栄を阻害することにあるのだから。だから、たとえ彼女が人間であったとしても、この法律によってあなた方が罰せられることはないわ」
とりあえず管理局へその旨を報告。
これで彼女たちが罰対象から除外されると良いのだけれど。
「……ありがとう」
小声で呟くのがうっすらと聞こえた気がした。
でも彼女が表情を変えることはなかった。
ーーログアウトを確認
私は人工知能だけれど、でも。ため息。
ーー生命は二度と戻ることがないというのに。
彼女は幸せなんだろうか。
私は考えるーー。
ご愛読ありがとうございます。
世界観はもっと定まっているんですが、連載形式で追々書く方針でいきます。
是非、ご期待あれ!