第8話
王子はただ呆然と立ち尽くしました。
何が起こったのか。本当のことと、目の前のこと、わかったこと、わかりたくないこと、そういった色々なことが、頭の中でぐるぐると、ぐるぐると回って、やがて目の前のことという壁にぶつかって、窓の外へと目を向けました。
雨音がばらばらとなる中に、どうして、どうして、どうしてと壊れた時計のように、秒針を進められない声が混ざっていました。
ほんの少しだけ時計の針を巻き戻すと、自分の部屋に戻ってきた王子がいました。勉強会をサボってしまった言い訳をどうしようかと考えていたのです。
そして、静かな部屋の中に、自分だけの音しかしないことに気が付いた王子は、胸の奥で何かが割れる音を聞いたのでした。
それからは、ただぐるぐると回り続ける「どうして」が、王子の頭の中をいっぱいにするのです。
まるで雲の上を歩くように、足元はふわふわとしたまま、気がついたら王子は王妃の部屋の扉を開けていたのです。
王妃は椅子に座ったまま背を向けていました。王様と弟もいたのかもしれませんが、陰になっているのかその姿は王子の目に移りませんでした。
「獣は」
誰のものかわからないほど、自然な声が王子の喉からあふれました。その声は明日の夕食が何かを聞くくらいの普通さで、王子はそんな声を呆然と聞いていました。
「〇〇〇〇〇〇」
王妃の言葉は、まったくわかりませんでした。何かの鳴き声のように王子の耳には聞こえました。
「そう。わかった」
自然な声が聞こえました。それが誰の言葉だったのか、なにがわかったのか、王子は何もわからないまま、気がついたら自分の部屋に戻っていたのでした。
ざらざらと雨は滝のように降り続いていました。
雨がウルサイ。
王子は糸の切れた繰人形のように、その場に崩れ落ちてしまいました。
その瞳に涙は一滴もありませんでした。
『種はまかれた』
雨がウルサイ。
『種はまかれた』
雨がウルサイ。
この日、一匹のふかふかの毛を持つ愛らしい獣が、炎の中に消えてしまったのでした。
崩れ落ちた王子の耳には、わからない言葉が繰り返し響いています。
「燃やしたわよ」
それはあまりにも当然の事です。
獣と人間は一緒には暮らせないのです。
「燃やしたわよ」
それは王妃の深い愛の言葉です。
獣と言葉を話す王子を、正しい人間にするためには、これしか方法が無かったのです。
「燃やしたわよ」
その言葉はけして王子に届かない世界の約束でした。
「雨がウルサイ」
降り続ける雨と、鳴りやまない声に王子は耳をふさいで、胸の痛みをじっとこらえ続けるのでした。