第18話
何故人は争うのか。王子は襲い来る人の群れを目の当たりにしながら、それを思いました。
今まで普通と信じていた何かを、否定された時、自分を守るために人は争うのではないだろうか。
だとしたら、言葉など意味はなくて、誰かに何かをわかってもらうことは、絶対に叶わない願いなのではないだろうか。
「ごめんなさい」
王子は誰に言うでもなく、それでいて、今まで出会った全ての人達に言いました。
何一つ守れない自分の弱さを、それを認めるしかない今の自分を、誰かに、全てのものに許してもらいたかったのです。
「お止めなさい」
一陣の風のような言葉が、人々の動きを止めました。
「お母さん」
人々の群れの奥に、王妃が立っていました。美しく厳しい顔つきの王妃は、王子の前に歩み寄り、その手を握ると涙を溢しました。
「心配してたのよ」
王子はまさかと思いました。いなくなった事で一番安心しているのは、王妃に違いないと思っていたからです。
「貴方がいなくなって、ずっとずっと不安でした。もう二度と帰らぬ気がして、夜も眠れなかったのです」
「嘘を、そんな嘘を言うな」
王子にはとても信じられませんでした。
「貴方が私を憎んでいるのも知っていたわ。確かに私は酷く冷酷な母でした。
獣を焼き払った事は謝っても許されないでしょうね」
「なんで今更、そんなことを」
「貴方が人々を説得しているのを、じっと聞いていました。
命の価値を、私達の大きな誤解を、貴方だけに見えていた真実を、私は初めて知りました。
王子と人々の話がすれ違っているのを見て、私自身もかつてはそうだったのだと思い至りました。だからこのまま、魔女を殺してはならない。そう思ったのです」
王妃の言葉に、王子だけでなく、まわりの人々もざわめきました。
「王妃も狂ったのか」
「いや、王妃の言う通りなのか」
人々は何を信じればいいかわからないまま、武器を下ろしました。もう少女を殺す気になんてなれませんでした。
「王子。確かに私は間違いをおかしたのでしょう。
でも、私はそれでも貴方を守りたかった。貴方が人の子として、この国で普通に生きてもらいたかった。辛いことをしたのは、その為でもあった。
でも王子には酷い現実でしたね。誰にもそんな不幸を押し付けてはいけなかったのですね」
王妃は膝をつき、深く頭を下げました。
「ごめんなさい。でも、私には獣を殺めることが、どれ程の罪かわからないの。貴方を傷つけたこと。それはわかるのに、私には罪の意味がわからないの」
その言葉に王子は、酷く胸が苦しくなりました。これほどのすれ違いがあるのだろうか。
王子は王妃が間に入ったとき、この痛みをわかってくれたのだと思いました。大切な者を失った痛みを、わかってくれたのだと、そう思ったのでした。
ですが、そうではなかったのです。傷ついた王子のを可愛そうに思っただけで、奪った事の意味は何一つ、わからないままなのです。
「王子、貴方が私に罪があると言うのならば、この首をお取りなさい」
そう言って王妃は、王子に剣を差し出しました。
この剣で王妃を殺せば、獣の仇を打てます。それは以前の王子ならば、望んでいたことでした。
「殺める事が、そうやってボクに首を差し出すことが、本当の謝罪で、罪を償うことだろうか」
王子は自らに問うように言葉を続けます。
「償いは生きてしか果たせないのではないだろうか。深い闇の奥に輝く星のように、頼りないぐらい小さな光。それを見つける事が本当の償いで、ボクが求めた事なんじゃないだろうか」
一人呟く王子の言葉は、その場にいた全ての人の心の奥底に響きました。
「それでもボクは、お母さんを許せない。でも、ボクはもうお母さんを憎み続けることも出来ない」
人々は、そして王妃は王子の言葉を待ちました。
「だから、また旅に出ようかと思います」
王子は不意に少女の手を取りました。
「ボクと行こう」
「はい」
二人の間に確かに有る、暖かくも眩しい何かが、人々の心を強く揺らしました。聖導師ですら心が揺れていたのです。
「さよなら。みんな」
王子は少女と手を取り合い、深い深い森の奥へと消えていきました。
まるで取り残されたように、王妃達はいつまでも手を振り続けたのでした。