第12話
走り疲れた王子は、深い深い森の奥で倒れるように、眠りにつきました。体は異様なほど重く、夢を見ることすらなく、泥の様に眠り続けました。
額に冷たい滴を感じ、王子が目を覚ますと、太陽はもう南の中心まで上がっていました。
「おはよう。王子」
目の前には見知らぬ少女がいて、王子は呆然としました。
「君は」
親しげに送られた言葉に、王子は困惑しましたが、少女の柔らかな笑みは、王子の心を静かに落ち着けました。
「私は森の魔女と呼ばれているわ」
ざわりと鳥肌が立ちました。森の魔女はかつて、王子の父から人間の心を奪ったのです。自分も同じように奪われるのだろうか。王子は身構えましたが、すぐに体の力を抜きました。
『それならそれでいいや。もうボクには何もないんだから』
それにこんなにも、柔らかな笑み浮かべる少女になら、自分の最期を渡しても構わないと思いました。
「私は森の魔女と呼ばれているけど、本当は違うの。貴方と同じただのヒトよ」
「え?」
「まぁ、動物の声がわかるし、風の便りも使えるから、王子の国のヒトが魔女なんて呼ぶのは仕方ないけどね」
「魔女は人間の心を奪ってしまうんじゃないの?」
「まさか! そんなこと出来るわけがないわ。それに人間の心を奪って何をすると言うの?」
「食べてしまうとか」
王子の答えに少女はくつくつと笑いました。
「そんなに可笑しなことを言ったかな?」
「心を食べるなんて無理よ。心と魂は同じ所で結び付いているのよ。だから心を奪うには、その人を殺さないと無理よ。少なくとも私には出来ない」
「ボクの父は森の魔女に心を奪われたと、聞いていたんだけど」
「ああ、あの王様ね。亡くなった母が言っていたわ。獣になった王様の話を」
「獣になった?」
「そう。獣と言葉を交わしたその王様は、一匹の獣を深く愛してしまったの。だから獣になって生きることを選んだのよ」
「そんな、まさか」
ならば自分は生まれた時から、必要の無い人間だったのではないか。母も父も自分を必要としていなかった。その事実に王子は落胆しました。
「王子には辛い話ね。でも本当よ。王妃様も知ってる事だし」
王子は耳を疑いました。
「あら、何も聞いていないの?」
王子は何も答えられませんでした。
「知った上で、あのふかふかの獣を殺したと思っていたのに。王子が獣にならないようにって事じゃ無かったのかしら?」
「そんなはずない。あの人は、ボクが嫌いだから」
「それは間違いよ。王妃様は王子の為に」
「聞きたくない」
「ならいいわ。勝手に話すから。
王妃様は王子の為に獣を殺したのよ。微塵も残らぬ様に、魔法の小瓶で焼き払ったの」
「聞きたくない」
「それに獣は、それを知っていたわ。王子と出会った時から、獣はその日が来ることを知っていたのよ」
「ウソだ」
「東から巨大な雲が現れ、風と雨が国を満たすとき、命、炎に消える。
獣はそれをわかっていながらも、貴方と過ごす日々を選んだ。貴方の元を離れれば命は繋げたかもしれない。でも、獣は貴方と生きることを選んだ」
「お前は悪い森の魔女だ。そんなデタラメ信じるものか」
「信じなくてもいいよ」
少女は静かに呟きました。切なげに揺れる髪は、そのまま少女の悲しさを物語っていて、王子はこれ以上何も言えませんでした。
「王子が憎む気持ちは、わかるんだ。運命なんて言葉で済ませたくないけど、獣は死ぬ運命にあったの。私の母と同じにね」
少女は小さく息を吸い込みました。そして何かを決意したかのように、言葉をゆっくりと吐き出しました。
「私の母は町の人に殺されたわ。とても悲しくて、苦しくて、町の人達を皆殺しにしようって考えた事もあったわ。
でも、私にはそれが出来なかった。お母さんの言葉が、ずっと私を支えていたから。
憎んではいけない。それは心に憎しみの花を咲かせてしまうから。
お母さんはそれをいつも私に伝えていた。でも私は花を咲かせてしまったの。王子と同じだね」
「ボクと同じ」
王子の胸はよくわからない感情で満たされました。それと同時に、この少女も自分と同じだということが、何故か嬉しく思いました。今なら、素直に言葉にもうなずける気がしました。
「そう。私と同じ。だから気持ちはわかるの。
王子、私にはね、未だに花が咲き続けているの。凄く苦しくて狂ってしまいそう。
でも私はそれでもいいんだって思えるようになってきたの」
「どうして」
「最期まで、私の痛みは私だけのものだからよ」
「よくわからないや」
「今はわからなくても、これからわかるようになるわ」
少女は一呼吸置くと、左手を西に向けました。
「王子、遥か西の果てに風の始まりがあるわ。その場所に行けば答えが見つかるかもしれない。
そうね、王子が望めば獣と共にいることも出来る」
「本当に?」
王子の目は強く輝きました。
「えぇ。だけど覚えおいて、世界のコトワリから外れた望みを叶えるには、全てを捨てなくてはならない。例えそれがどれだけ小さな望みでも」
「わかった」
少女の言葉を胸に、王子は西の果てにある、風の始まりへと歩き始めたのでした。
小さな望み、小さな夢、だけども全てを取り戻す為に、王子はひたすら険しい道を進んで行くのでした。




