~偽りの希望~
ドンッ
ドアをこじ開ける大きな音がした。
「最後がこの部屋だな」
クローゼットの中まで聞こえてきたのはさっきの雑な男の声だ。
「おい、気をつけろと言っているだろ。オシリスが張り付いている可能性が高いのだぞ」
「今、連絡が入ったわ。あっち側の戦力はほぼ壊滅状態。オシリスの姿は無し。つまりますますあの子のそばにいる可能性が高いわ」
他の2人の声も聞こえて来た。どうやら仲間はみんなやられたらしい。少女はクローゼットの中で悔しさが込み上げる。そんな少女の感情に気づくはずもなく入って来た3人は部屋の物色を始めた。このままでは見つかるのも時間の問題だ。
「一応時間は稼げましたね。お嬢様仕方ありません、応戦します」
少女は少し不安に思った。別に自分の執事が負けるとは思ったわけではない。相手を殺したら連絡されてしまう恐れがあるが3人くらいならその心配もなく、対処出来るだろう。
オシリスはどんな影の中に入り込む能力がある。それは一族の者でも知っている者は少ない。
そして影に入り込む性質ゆえに影に入り込まれたら見つけるのは困難だ。そして相手からの攻撃も一切受けつけない。
だから少女は思ったのだ。クローゼットの中に隠れずとも、影の中に潜んでおけば良かったのではないかと。
だが少女は考えるのを止めた。オシリスの事だ。何か考えての事だろうと思ったのだ。
とその時。
「なぜわざわざクローゼットなんかに隠れたと思われましたか?」
「!?」
まるで心が読まれたようだったので少女は驚いた。そうしてオシリスは突然に話しかけてきた。
「実は引きずり込んだ影の中だと攻撃が加えられないし、こうやって話しも出来ません。しかも他の方々にも見せられませんしね」
「……!?」
少女は執事のなんの事を話しているのかがわからかった。
次の瞬間、少女の脇腹に何か鋭利な物が刺さった。一瞬何が起こったかわからなかった。
だがそれはすぐにわかった。少女は自分を見ると着ている服が真っ赤に染まっていた。そして目の前を見ると執事はナイフを自分に突き立てていた。
「が、………は」
少女から言葉にならない声を出る。その光景を見て執事はクスリと笑っていた。
少女はその顔に一瞬恐怖を感じ取り、無我夢中でクローゼットから飛び出した。
血が床に大量に流れ落ちる。
「!!?」
当然、部屋を調べていた三人には気づかれてしまった。だがいきなり目当ての少女が現れて、さらには大量の血を出していたという異常な様子を見て顔を強張らせてしまった。
3人にとっては少女を殺すことが任務である。異常ではあれ、むしろこの状況は3人にとっては願ってもない状況である。
ところが3人は動かなかった。いや動けなかった。むしろ3人が気にしていた事はもっと他にあった。
「「「オシリス」」」
3人は揃ってその言葉を言った。
それをよそにスーツを着たの少女の執事が血がついたナイフを片手にゆっくりとクローゼットから出てくる。
3人はこの状況が全く理解できず、呆然としてしまった。
見るからに執事が自身が守るべき相手を刺していたのだ。全く意味がわからない。3人は執事の放つ覇気も相まって、何も出来ずに固まってしまった。
「…………」
沈黙は数十秒。だがこの沈黙に嫌気が指した雑な男は威嚇も兼ねて執事に食ってかかった。
「てめぇ。一体この状況はどういう事だ?」
しかし、執事は軽く笑いながらそれを返す。
「見たままですよ。ワタクシがお嬢様を刺した」
横にいる少女は荒い息をたて、口からも血を流しながら執事に怪訝な表情を向けている。
「そんなことはわかってる。どうしてお前がそいつを刺している? 仲間同士じゃなかったのか?」
「そうね。聞かして欲しいわ」
雑な男に続き、横にいた強気な女も続けて言う。しかし執事は質問に答えなかった。
「もう少しギャラリーが欲しかったのですが、せっかく時間稼ぎしましたのに。まぁそのお陰であなた様のお仲間が全滅してくれましたがね」
そう言って執事は自分の主の方を向く。
「何…を……言ってる?」
オシリスの言葉の意味がわからない。声をかすれさせながら執事である彼を見つめる。
「確かにあなたにはワタクシが言っている意味は分からないかと思います」
執事は少し笑ってからその質問を淡々と返した。
「実はですね。ワタクシは最初からあなたを逃がすつもりなどなかった」
「なっ……!?」
執事の発言に少女は言葉を失ってしまった。急に目の前が、視界がぼやけた気がした。だがそんな反応をすることは予想済みだった執事の彼はそれを楽しそうにさらに会話を続ける。
「他の奴らにいられては仕事がはかどらないですからね。この乱戦ですから、大多数はワタシが手をかけずとも勝手に死んでくれました。まぁ我々と相手との人数差からそこまで時間は要りませんでしたが。そして混乱のさなかなら不意をついて仲間を殺すのはあまりに簡単だ」
執事は自分の仲間の全滅を待っていたと発言した。しかもなんの躊躇いもなく、仲間を殺したと言ったのだ。
さっきからなんだ。何を言っているのだ。意味はわかる。だが自分の執事がこんなことを言うはずがないと少女は思っていた。
執事が冷酷な一面があることは少女は知っている。殺しももちろんやる。しかし仲間を平然と殺すことはなかった。非道ではあるが外道ではなかったのだ。それに少女にとって執事はとても暖かく優しい存在でもあった。それだけに目の前いる執事の発言は少女の頭を歪めて、ただ呆然させた。
それをよそに側にいた強気な女は執事に言い寄る。
「じゃあ、あなたの目的は何なの。ワタシ達と同じその子の抹殺?」
少女はその言葉を聞いて体をビクッと震わせた。
「それが目的ならあまりにも回りくど過ぎない? あなたならいつでも出来るでしょう」
「さぁ、どうでしょう」
しかし執事はその質問を濁すだけではっきりと答えない。その態度に雑な男はやはりシビレを切らし、行動を起こした。
「細かいことはどうでもいい。そいつの目的がどうあれ、オレ達の目的は一つだ」
雑な男は疾風の如き動きで少女に近づき、長く鋭くなっている爪が生えた腕を突き出した。だがその攻撃は失敗に終わる。
その時、実は執事から伸びた暗い影が雑な男の影に不気味に重なっていたのだ。そして雑な男が攻撃の最中になんと雑な男自身の影から突然、何者かの足が現れたいた。その現れた足が雑な男の腹を思い切り突き刺さしたのだ。
「ごはぁぁぁぁっ!!」
雑な男は影からというあまりにも予想外の攻撃など避けることは出来なかった。うめき声を出し、血を噴き出して呆気なく部屋の端にぶっ飛ばされた。
他の2人はなにが起きたかわからず、少し立ち尽くす。だがこの状況で攻撃をしてくるであろう人物は1人しかない。どうやって攻撃したかは2人はわからない。その人物はすぐにわかった。2人は再び、その人物オシリスに向く。
「なにも考えず行動する人はあまり好きではありませんね」
執事は静かに答えた。そのナイフを持っていない腕には先程はなかった血がついている。
「今の攻撃、やっぱりあなたね。本当にあなたの目的はほんとに何なの?」
強気な女もシビレをきかし、先程よりも強く質問した。するとようやく執事は大きくため息をはき、口を開き始めた。
「目的を言うのは面白みにかけるのですが。そうですね、ある意味あなた方の目的は間接的にはワタクシの目的と一致します。ただし最終的には全く異なるんですが」
執事はそう言って呆然としている少女に近づき、そして首もとを掴み、そのまま持ち上げてた。
「あぐぁ……」
少女から真っ赤に染まったドレスの血が垂れる。
「どうですか? 今の気分は」
執事は弱り切った自身のお嬢様に語りかける。
「なぜ、こん……なことを?」
少女はかすり声で、首を掴まれながらも執事に理由を尋ねる。
「なぜ? はは楽しいからじゃないですかね?」
少女は執事の言葉に怒りを覚えた。そして強く睨みつけながら言葉を返した。
「楽し…いだと!? そ…んな理由で!!」
「生物の行動理由なんてそんなものではありませんか?」
執事は続けて話す。
「どんな生物も自らの欲求を満たしたがります。食欲、睡眠欲ばかりが全てではありません。相手の幸せな顔を見たいから戦う。側にいると安心するから献身的に相手に仕える。単純に血が見たいから相手を殺す。行動の理由なんて言うのはそんな簡単な欲求から起こるものなんですよ」
「じゃ、お前はなにが楽しいんだ?」
「まだわかりませんか?」
執事はより一層の暗い笑みを浮かべ、少女の質問を返した。
「あなたの絶望した顔ですよ。この上なく絶望した顔がね」
そして最悪な一言が執事から発せられた。
今までの行為をただ楽しいからと言い、その行動理由は自らの主の絶望の顔が見たいがためだと。流石にその場で立っていた他の2人もその言葉に顔が引きつっていた。
「ワタシ…の絶望……、う…そ」
「しっかり目の前の自分の現実を見て下さい。この光景をね!!」
執事は少女の首元を更に強く握った。
「あぐぁぁ゛ぐぁぁ」
少女はうめき声を再びあげる。
『この少女』にとっては首を締められる程度ではそこまで致命的ではない。ただ、ただ、心がとても痛んだ。執事の手に力が込められるたびに心が痛み、悲痛の叫びをあげていたのだ。
しかし少女はここまでされてもまだ執事の行動を信じれずにいた。何かの間違いだと。こんなことは現実ではないと。その想い込めた眼光は紅く輝きながら執事を見つめる。
しかし執事から更に絶望が語られる。
「ここまでされてもまだ『何かの間違い』って顔してますね。ふふふ、やはり今までの仕込みは完璧でしたね」
そして執事から更なる少女を絶望の堕とす言葉を投げかけた。
「そもそもあなたが生まれた時からあなたの存在などどうでもよかったのですよ」
「!!?」
少女は言葉に氷つく。
「むしろあなたはワタシにとって周りと同じく憎く気味の悪い存在でしかなかった」
少女の中のなにかが壊れていく。
「しかしそんなワタシがあなたに手を差し延べたのはなぜか? それはあなたに希望を与えるためだ。偽りの希望をね」
その時、少女から一筋の涙が流れた。その色は赤黒く染まっている。
「友好的に接してきたのも、あなたを守ってきたのも、共に戦った日々も、お互いに淡い感情を抱きあったのも、すべて偽りなんですよ」
偽り
その一言は少女にとって唯一支えになっていたものをいとも簡単にへし折ってしまった。
偽り
執事の優しさに触れ、孤独の自分を導いてくれた。
偽り
そして幾度も戦いを超え、情愛を育んできた。
偽り
ワタシは彼が好きだったはずだ。
偽り
すべて偽りと言うもので塗り潰された。少女の頭はぐしゃぐしゃになっていく。
「偽りの希望こそ、最高の絶望を生む」
執事はさらに語る。
「駄目押しに真実をもう一つ。今回の騒動、アナタの母君は病死ではない、ふふふ、実はワタシが最後に殺しのですよ」
「なっ……」
「どうですか? 最後に残ったワタシと言う偽り(きぼう)が絶望に変わる瞬間は? ワタシの大嫌いで大嫌いなお嬢様?」
「あ、あぁあ」
「うわぁぁ゛ぁあ゛ぁぁぁ゛あ゛ぁ」
少女は執事の真実を聞いて紅く光った瞳から赤黒い涙を流してただ泣き叫んだ。
執事はそれから追い打ちとばかりに持っていた血に染まったナイフを再び少女に向かって奮った。
だがそのナイフは少女に刺さることはなかった。
執事の持っていたナイフは突如発生した何か凄まじい衝撃であらぬ方向に飛ばされたのだ。
執事は軽く痛みを感じた。自分の腕を見るとナイフで切ったような大きな切り傷ができていた。手の痛みのため、握っていた手の力が弱まり、少女は離れて地面に落ちた。
執事はその様子を見て、衝撃が発生した方向を見た。執事の見た先には部屋に他にいた2人。その内の強気な女がいた。女の周りには凄まじい風が吹き荒れている。
執事は更にその女の奥を見る。すると部屋のドアや壁が崩れてその後ろに大勢の城の者達がいた。
「これはこれは。ずいぶんとギャラリーが増えましたね」
「オレが連絡したのだ。尤もさっきのお前の攻撃で吹き飛ばされた奴の衝撃音のお陰で結構後ろで集まっていたがな」
律儀な大柄の男はそう執事に返した。
「なるほど。しかしこれはなんの真似です。今、あなた達の標的を殺そうとしていたのですが」
次は女の方が答えた。
「勿論。その子は殺します。ただこの場面を見て今のアナタの様な行動を流石に見るに堪えません。我々は主の命で冷酷で非道なことも確かにします。ただそこまで外道で卑劣に成り下がってはいません」
執事は話を聞いていたがその話に意も関そうとせず、また不敵な笑みを浮かべる。
「アナタの実力ならこの人数でも関係ないと?」
女は執事に問う。
「まさか。流石にこの人数差はワタシもきついですよ。違いますよこの笑いは。ワタシが笑ったのはワタシの本当の目的が今、達せられたからです」
「…!?」
部屋に来ていた全員がその言葉を理解出来なかった。だがその答えはすぐに異変として現れた。
「うわぁぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!?!!!」
いきなり絶望的で奇怪な声が響き渡ったのだ。その声の先には先程の少女の姿があった。だが様子がかなりおかしい。目はさらに紅く光り、目や口から黒い血が流れている。
周りには煙の様に漆黒の闇が彼女を包み込んでいた。
「なんだこれ?」「何がどうなって?」など周囲からざわめきの声が広がる。
だがそんな中……
「素晴らしい。やはり我々よりも人間と言うのは感情が深い生き物だ。これ程とは」
執事はその少女の有様を逆に喜んでいた。だがその顔は少女が苦しんでいた事をただ喜んでいる様には見えなかった。それは純粋な興味から来る顔つきだったのだ。
少なくとも風を発生させた強気な女と律儀な大柄の男にはそう見えた。
(あいつは一体何を考えているの?)
女はそう心の中で思う。
そして次の瞬間、また新たな変化があった。
ズガッッ!!
「はっ?」
それは執事の身に起こっていた。刹那、執事の腹を黒く伸びた結晶石状の触手の様な物が貫いていたのだ。
執事から血が大量に流れる。そしてその場に倒れ伏せた。執事を貫いた物は少女の方から伸びていた。
強気な女と大柄の律儀な男はその少女の姿を見ると、少女の姿は先程と変わり果ていた。少女の瞳は紅いままだが、生気は感じられない。
体格などは変わっていない。だが爪や歯が伸び、人間離れした姿なっている。
一番の変化は少女から伸びた物だ。少女の背中には黒い結晶石状の大きな翼が生えていた。それが大きく伸びている。さっきの少女の執事を貫いたのはこれだ。
そして少女は次の行動に出た。その漆黒の翼を奮るったのだ。スポンジのように壁は瞬く間に破壊され、そして他に部屋の前に来ていた者達をみるみる貫いて殺し始めた。
まさに少女の作り出す地獄が始まった。