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9話

 9


 三人が同じ声を上げたが、表情はそれぞれ違った。

 菜々は、バイトが出来る確率が上がる為か、元々組んでいた両手は、口元の前まで上げて、目のキラキラ度は更にパワーアップしていた。

 浩介は、ぎょっと目を見開いて半歩下がったかと思うと、今度は口に手を当てにやけるを必死に隠しながら、耳まで赤くしていた。大方、彼女と暮らす蜜月の様な事でも想像したんだろう。

 母親の幸江は、眉を寄せて警戒している表情をしていた。

 まあ、娘に彼氏が居ると聞いたばかりだから、大事な娘を知らない相手に預けるのは心配するのが当然だ。

「確か、彩華さんはたかやま手芸店に勤めてらっしゃいましたよね?その手芸店の社長は、この中崎の叔父に当たります。もし彩華さんがここから仕事場へ通う事になったら、今住んでいるアパートからは、随分近くなりますよ。ここから手芸店までは、歩いて15分程ですから」

 彩華の彼氏が、勤め先の社長の甥にあたると聞くと、目に見えてほっとしていた。

 身内なら全くの他人と違い、ある程度信用しても大丈夫だと思ってくれたんだろう。

「アルバイトの内容は、焼き菓子とランチに出すメニューの手伝いが中心になると思います。時間的には10:00~15:00位で。中崎から聞いたのですが、菜々さんは以前にしていた洋菓子店のアルバイト先でセクハラを受けて、更に不当に解雇されたのですよね?ここではそんな事は起こさせませんし、客からそんなそぶりが見られるようならこちらから対応もして安心して仕事が出来るようにします。後、余談になりますが・・・余計なお世話かも知れませんが、不当解雇の件をそのまま泣き寝入りしたくないのなら、知り合いにそう言った事に強い専門家が居るのでご紹介も出来ますがどうしますか?菜々さん」

 具体的な仕事内容と、時間を聞くと急にスイッチが入ったのか、ぽわーんとしていた菜々は目をきりっとさせ、姿勢までぴしっとなったが、クビになった事を訴えるかと聞かれて、かなりびびってうろたえた。

「えっ、そんな事までしなくていいですっ。働いた分はしっかり給料貰ったし、もうあの店行く事は絶対ないしっ!」

 ぶんぶんと横に顔を振って全力で断ってきた。

(本人がそういうのなら、この話はこれで終わりにするとしよう)

 巧は頭を切り替え、セクハラで訴えるという項目を削除した。

「そうですか。では、次のアルバイト先としてここはどうでしょう?考えてみてもらえませんか?」

 暫く菜々は考え込むと、横に居る母親の顔色を窺った。

「私は出来ればここでアルバイトしてみたいなと思うけど、・・・お母さん・・・駄目かな?」

「そうねぇ、菜々のアルバイト自体には別に反対して無いし、陸の所からっていうなら、まぁ安心出来るかもしれないわねぇ。ここ、よさそうだし、コーヒーも美味しいもの」

 幸江はそう言うとまだ残っているアイスコーヒーをもう一口飲んだ。

(・・・そうねぇ、問題は菜々の成績低下と彩華のルームシェア・・・かしらね。)

 ちらりと横に立っている長身の浩介を見上げる。

(彼氏がいるなんて話は聞いた事が無かったけれど、プロポーズをされる程に付き合っているってことでしょう。アパートにも連れて来て兄妹に紹介まで済ませてるんだし。陸には後でもう一度聞いてみるとしても、菜々はもう既に「おにいちゃん」扱いするほどにはなついて受け入れているみたいだし。さっきの中崎さんが顔を真っ赤にさせて照れているのを見たせいかしら、なんとなく大丈夫な気がするのよねぇ)

 実際には彩華と浩介が付き合い始めたのは昨日からで、菜々がお兄ちゃんと呼ぶのは単なるノリから来ているとは知らない幸江だった。

(後心配なのは、菜々の数学ね。とにかくこの子は理数系が弱いのよねぇ)

 幸江は夏休みが始まる前に貰って来た娘の予想以上の低い点数成績を思い出し、思わずため息が出てしまった。

「でもねぇ、菜々。もう三年生で、夏休みでしょう。課題もきっと沢山出てるわよね?ちゃんと進んでる?進路は本当に短大にするつもりなの?苦手な数学がまた前回みたいな点数しか取れないのなら無理でしょう。そうね、夏休み明けの次のテストで数学が60点以下なら今後一切バイト禁止でもいいなら、ここでアルバイト夏休みの間だけしてもいいわよ?もちろん夏休み明けのテストの点数みてからだけど、あんまり悪いようなら二学期からは塾へ行ってもらうからそのつもりで」

 実の所、菜々のバイトと彩華のルームシェアの話は直ぐにでも許可を出しても良いと思っている。

 けれど、簡単に許してしまうと、課題を手抜きして後で泣きを見るのは明らか。

 ここは1つ菜々とは決まりを作って置いて、勉強にもうちょっとやる気出してもらわないと。

「えーっ、60点!?無理だよっ、高すぎるよーっ。いっっつも赤点ギリギリなのにっ。課題もすっごい沢山あるんだよー?」

 菜々は予想通りにブーイングしてきた。

「どうせその沢山ある課題、まだ全然手を付けて無いんでしょう。夏休み入って何日経ってるのよ。バイトはしてもいいのよ?ただし、課題を確実にすること、数学のテストで60点取る事。これが条件。これが出来そうにないならバイトは禁止」

「ええーっっ!!」

 菜々はかなり嫌そうな顔をしていたが、バイトの為にしぶしぶ受け入れるしかないかと諦めかけた所に、巧の控えめな笑い声が聞こえてきた。

「夏休みの課題ですか、懐かしい響きですね。菜々さんが良ければバイトの後、ここで課題をしてもらっても構いませんよ。夕方はそんなにお客さんが多くないので。高校の数学なら私か、中崎が教えられるかも知れません」

 橘親子は吃驚したようだ。

 となりに居る浩介もいきなり名前を出されて驚いていた。

「本当にそこまで甘えさせていただいて良いんですか?」

 幸江は半信半疑といった感じで巧に聞いてきた。どうしてそこまでしてくれるのかが信じられないといった風だ。

「良かったら是非。中崎とは大学からの付き合いですが、恋人らしい恋人が居ないものですから、心配していたのです。それが、結婚まで考える相手が出来たというのなら、彩華さんの実の妹さんにならちょっと一肌脱いで応援しようと思いまして。中崎とは長い付き合いですが、性格も仕事に対しても真面目な男ですよ」

 理由を聞くと幸江は納得したらしく、彩華のルームシェアの件で一度長男の陸と連絡を取ると、その後はとんとん拍子に菜々さんのバイトは明日からと言う事になり、それに合わせて彩華は、今日からここでルームシェアを始める事になってしまった。

 急すぎる展開に浩介は目を回していたが、自分が好きになった彼女と一緒に暮らせる事に反対する理由なんて有るはずも無く、次第ににやけそうになるのを必死に崩れないようにしていた。

 話を終え、親子は帰り際に猫のくろに気付くと楽しそうに戯れて遊んだ後、自宅用にコーヒーを幾つか購入してくれて、浩介は手作りの焼き菓子をお土産にプレゼントした。

「それでは明日から宜しくお願いします」

 浩介と巧は外に出て、車の助手席に座って手を振る菜々と軽くお辞儀をする幸江を見送った。

 車が行ってたのを確認すると、店の中へと戻って浩介は巧を問いただした。

「なんであんな事急に言いだしたんだ!?」

 アルバイトの話だけではなく、課題を教えるとか。

 これはまだいい、仕事柄時間に余裕がある巧が教える事が出来るだろうから。けれど、相談もなしに彩華とルームシェアの話が出たのには驚愕だった

「さっきも言ったけど、半分はお前と彩華さんの為。そして、もう半分は自分の為」

「自分の為って?」

 まだ浩介には、ついこの間菜々と会っていて、さらにもしかすると恋人として付き合うかもしれないなんてことはまだ話していない。

「そのうち分かるよ」

 10才も年下の女の子と、これからどういう風に進展していくのか、まだ巧は考えられない。

 でも、親友と呼べる浩介に彼女が出来て、これから二人で幸せな未来を作って行くのを傍で見ながら、時間を掛けて自分と菜々の事は考えていけばいいと思った。


 取りあえず、巧は明日からバイトで要る菜々の制服や、必要なお菓子で使う材料のなどを買いだしに行って来ると言って外出した。

 夏本番を思わせる強い日差しにも、今の巧には全く苦にならず、明日から始まる新しい日常に心をわくわくさせるのだった。


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