6話
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「すみません、遅くなりました」
浩介が想いを寄せている彼女、彩華が仕事を終えて店にやってきたのは、予定時刻の五分過ぎでクレマチスへと入ってきた。
「仕事お疲れ様、有難う来てくれて。良かったらこっちで一緒に座ってくれる?」
遼一は巧も座っているカウンター席の空いている席へと彩華を誘った。
巧と遼一は昼間とは服装を変えていた。
遼一は、オフホワイトのウエスタンシャツに濃紺のカツラギチノパンツを穿いている。
巧は、黒のテーラードジャケットを椅子の背もたれに掛け、シャツはグレーに釦は黒。そして、黒のスラックス。
彩華は仕事へ行っていたから服装は昼と変わらないが、昼にしていたエプロンは無くなり、半袖白ブラウスに膝丈のふんわりとしたスカートだった。
けれど、髪型と化粧は違っていて、こちらの方が少し大人に見えて似合っている。きっと浩介の為なのだろう。
そこでようやく水やりを終えた浩介が戻ってきた。
「着替えてきます。もう少し待ってて下さい」
そう言うと、店の二階にある部屋へとキッチン奥の階段を登って行った。建物自体は巧の名義だが、二階は書斎の部屋以外は丸ごと浩介に貸している。
書斎は毎日ではないが、巧はよく仕事で使っているからだ。
「じゃあ、まず自己紹介から始めようか。秋庭遼一、イラストレーターやってます。で、これ名刺」
彩華に渡した名刺には、P.Nの了と 本名、電話番号や住所と遼一が描いた女の子と動物キャライラストが印刷されているものだ。
描かれているのは去年放送されたアニメで、既に完結している自分が書いた原作の小説の主要な登場人物達だ。
「これ、知ってます。『CLOVER-Genuine』ですよね!私、原作好きで全部持ってます。動物のキャラも好きです。可愛くって」
全国放送のアニメだったとはいえ、彩華がアニメ、さらには原作の小説まで持っているという事に二人は驚いた。
「マジ?どのキャラ好き?」
「うさぎのガーベラちゃんが好きです」
遼一はふんふん、と頷いている。
作中の動物は、すべて花の名前が付いているのだが、彩華が好きだといったのはその中でも人気があるキャラクターだった。
「はい、次は巧」
「景山巧です。『CLOVER-Genuine』の原作者です」
遼一から続き巧の名刺を受取ろうとしていた彩華は、原作者という言葉に反応したのだろう、口を開けたままポカンとしていた。
「げ、原作者?」
「P・Nは拓海で活動してます。橘さん、でしたよね?」
浩介が彼女をそう呼んでいたのを巧は聞いていた。
名前を呼ばれてぎこちなく頷く彩華。その間も、視線は大きく開かれた瞳は驚いた時のまま巧の顔に当てられていた。
巧が最近自己紹介をすると、その端正な顔から大抵の女性からは年齢問わず見つめられ、言い寄られ、はたまた作家という肩書に釣られるのか、その両方なのか兎に角自分から積極的に女性と接触を持ちたいとは思えなかった。
しかし、中には稀に最初こそ巧の素顔に驚くが、すっと普通に接してくれる人もいるには居る。彩華はどうやらその稀な人だったようで、ぱちぱちと瞬きをすると、名刺を乗せたままだった手のひらを慌てて下げ、ぺこりとお辞儀をして挨拶してくれた。
「橘彩華です。たかやま手芸店で働いています。あの、すみません、私、名刺は持っていないんです」
「いいよ、そんなの気にしなくて。橘さん、女性に年齢聞くの失礼だけど聞いていい?」
気にしなくていいなんて、遼一は橘さんとは俺が話していた筈なのに勝手に会話に混ざってきた。
確かに年齢は聞いてみたいとは思っていたが・・・。
「21です」
・・・浩介からは成人だと聞いてはいたが、高校生にしか見えない。
「若っ。高校卒業して、すぐ今の会社に?」
「いいえ、専門学校を今年の春に卒業してから今の会社に入社したばかりなんです」
「そっか。じゃあ誕生日早いんだ。あっ、そうそう浩介の誕生日って知ってる?」
「いいえ、まったく何も知らないんです」
「えっ、何もって、電話番号もメアドも?」
「はい」
遼一からの次々の質問を丁寧に答えていく彩華。
しかし、しゅんとしている彩華を見て、何やってるんだ、あいつは・・・とぶつぶつ呟いているのが聞こえた。
「番号とかは本人から直接聞いてもらうことにして、誕生日だけ教えとくよ。たぶん自分からは言わないと思うから。あいつ、8/3の日曜日が誕生日で28才になるよ。3人共同い年なんだよねー」
「有難うございますっ、秋庭さん」
四日後に浩介の誕生日だと聞いて、ぱぁっと明るくなった様子の彩華に二人は思わず微笑んだ。
彼女はプレゼントをどうしようか早速悩み始めたようだ。
「巧、安心したんだ?そりゃそうか」
学生の頃から遊びも含めてよく一緒に行動している三人だ。
その大学一年の頃、同じ構内の女性からアプローチされて浩介と付き合い始めた筈の女性は、巧を見て一瞬で心変わりしたことがあった。
巧が相手の女性に何かしたわけじゃない。大学の敷地内で仲の良い友達の巧と遼一が歩いているのを見かけた浩介が挨拶をしてきたから、巧達はそれに返しただけの事だ。
もちろんそんな女に対しては、巧はどれだけ言い寄られたとしても侮蔑な態度しか取らなかった。
そんな巧の態度に罵詈雑言を吐いて逆切れするような女は、巧と浩介の見た目にしか重点を置いていなかったようで、浩介とは長く付き合うはめにならなくて良かったのかも知れないなんて思わず考えてしまった程だ。
けれどそんな事が二回あってからと言うもの、浩介にはずっと今まで彼女の影が全くなく、恋愛において女性不審に陥ってるんじゃないかと2人は思っていたのだ。
だから浩介と彩華が実に初々しく交際を始めたのを見てほっとしたのだった。