15話
15
巧が課題を教えるようになって一週間。
同じく菜々がアルバイトを始めて一週間でもある。
彼女が作る様になった八月いっぱいまでの期間限定、数量限定のスイーツの方も、値段がかなりお手頃というのも有って順調だ。
毎日のそのスイーツは日替わりで、ランチメニューを食べた人にはさらに値段がお手頃にしていて、巧が店のツイッターやブログで紹介したりもしているが、お客さん自身のリアルタイムコミュニケーションにも少しずつ増えているようだ。
その内容には、日替わりスイーツの他にも、少しだが焼き菓子のクッキーも紹介され始めたようだ。
そのクッキーは菜々がアルバイトに来るまでは浩介が作っていたが、今は菜々が作る事になっている。
以前は普通の丸い形だったものを菜々の提案から猫形に変更し、ラッピングにはくろの似顔絵とハートが描かれていて、お試し用のドリップパックと一緒に販売を開始したのだ。
そのクッキーの変更販売する時に、幾つかランチの時間帯にサービスとして配ったのだが、どうもそれが元で付き合い始めたというカップルがツイッターのつぶやきに載せた所、じわじわと広まりつつあるらしい。
これが数ヵ月後には恋が叶うアイテムとしてかなり売り上げが伸びることになるとは、正直この時思ってもみなかった。
苦手な課題の数学は、予想していたよりも早い一週間で終った。
初日の様子を思い出すと、もう一週間程かかると巧は思っていたのだが。
本人の努力はもちろんだが、一度少し難しい応用問題が解けた時には自然な感じで菜々の頭を撫でたことがあったが、その日以降、どうも彼女のやる気スイッチが入ったらしい。
その時にこの一冊が終わったらスイーツで行きたい店が有れば連れていってあげると約束したのも大いに効果があった。感情が表に出やすい彼女を見てるだけで、それが分かった。
浩介からは、彩華さん経由で菜々には彼氏が居ない事は確認済みだ。
頭を撫でた時もそうだが、スイーツを食べに行くのを約束した時も、菜々が頬を染めて俯く仕草が何とも云われない幸せの感情を巧の胸に運んだ。
毎日彼女に会える事がこんなにも大事に思えるなんて、以前は考えられなかった。
他人に触れるのは、今も平気では無い。視たくないモノが視えたらと恐怖が先立つ。なるべく接触が無いようにしているけれど、彼女には自分から触れたいと思えるように今ではなってしまっている。そんな自分に戸惑いがあるものの止められなくて、つい頭を撫でてしまった。
はっとして巧は直ぐに手を元に戻した。髪を触ったからと言って特に何も視えなかったことに安心した。そんなしょっちゅう視るものではないと今迄の経験から分かっているけれど、ほっとした。
巧が頭を撫でた時に嬉しそうにしていた事から菜々に嫌われてはいないと断言できるが、まだ自分の事をはっきりとどう思っているのかは核心が持てない。
憧れられているのか、観賞対象と思われているのか、ただ年の離れた兄の様に思われているのか・・・。
どうすれば好きになってもらえるのか。
時間がかかってもいい。
こんな歪んだ俺の事を。
異能を持っている他人とは違う異質な俺でも。
全部を知っても好きになってもらえるにはどうすればいい?
他人との関わりを今迄極力避けていた自分に内心でため息を付く。
もうそろそろ勉強を見る時間は終わりが近い。
まだ巧の目の前には菜々が居ると言うのに、明日が既に待ち遠しく思える自分の気持ちを持て余していた。
次の日の菜々のアルバイトの時間がそろそろ終わろうとしている時刻、巧はいつものように自宅からクレマチスへと行った。
今日もテーブル席が空いていたので、先に座って場所を押さえていると、店に遼一がやってきた。
いつもなら騒がしく店へと入ってくる遼一は、何だか様子がおかしい。しきりに今入ってきたドアの後ろを気にしている。
「どうした?遼一。何か落し物でもしたのか?」
普段なら巧が居る事に気が付くと、よう!と声をかけて来るのに、今日は一体どうしたのかと思った。
「あー・・・、気の所為かもしれないんだけど、なんか変な奴がうろうろしてるみたいなんだけど」
「変な奴?」
「ああ、店の前に桜の木が有るじゃん。その陰から割と背の低い俺らとあんまし年が変わらなさそうな男が店の中を窺っているみたいなんだけど」
それを聞いて眉間に皺を寄せた巧は、体を少し横へずらし遼一が言う桜の木を見た。
樹齢がそこそこあるらしい桜の木は、隠れている男の体を完全には隠す程には太くない。
木からは半分程はみ出ている人の体が見えた。
体格は、やや太めといったところか。黒のTシャツにジーンズを履いているようだ。性別は、遼一が言ったように男で間違いはなさそうだ。
暫く目を離さずにじっと見ていると、相手の顔がちらりと見えた。
巧は眼鏡をかけているし、気の陰にいる男までかなりの距離があるからはっきりとは言えないが、見た事がない顔だと思った。
「誰だ、あれは?」
遼一も同じ事を思ったらしく、訝しげな声で呟いていた。




